第四話:Margrett
ツァイト家の花嫁候補としての振る舞い、なにが相応しいのか良く分からずにメーウィアは数日を与えられた部屋で過ごした。まず、不自由な身体を守るために変化した環境に慣れることが先決だった。
「庭園散策?」
朝早くから呼び出されていたフラウが持ち帰ったのはツァイト家長女からの招待だった。
「テーゼ様の姉上、イリア様から花嫁候補全員にお声がかかっています。いかがなさいますか」
「もちろん行きます」
メーウィアは即答したがフラウの口調はあまり乗り気ではなかった。招待が選抜の一環であることを、使用人は同行出来ないことを心配しているのだろう。
「お一人で大丈夫ですか」
「なにが?」
不機嫌にメーウィアは言い返した。
慣れない場所を一人で歩き回るのには確かに勇気がいる。しかし庭の中なら道を遮る壁はないし、馬車が横切ったりすることもない。部屋の中のように食卓にぶつかることはないし、その衝撃で食器や花瓶を割ることも有り得ない。注意深く気配を読み、触れることで障害は確かめられる。
――大丈夫。
心の中で強く自分に言い聞かせた。参加しなければ試験に臨んでいる意味がない。
遅れないように部屋を出たものの、メーウィアはすぐには庭園に入らなかった。物陰で他の候補たちが集まるのを待つ。
「招待されたのが全員ということは候補の数が分かるわね。どう?」
「十五名くらいでしょうか……意外と少ないですね。部屋を用意する都合などもあったと思いますが」
フラウは直前まで側から離れることを渋ったが、庭園の様子を見てからは黙って従っていた。女主人を一人で行かせても大丈夫だと踏んだのか声はいつもの調子に戻っている。
「多いわよ。書類選考でもっと絞って欲しかったわ……行ってきます」
「段差はありませんが、お気をつけて。目の具合はいかがですか」
「大丈夫。今日は霧が薄いから」
「それはよろしいですね。柵が手すり代わりに使えます、真っ直ぐ進んで突き当たったら右に曲がって下さい。庭には花が咲き誇っています。マルグレットにシャルノー……お嬢様がご存知の花も満開ですよ」
入り口までつき添った後、助言を与えてフラウは退いた。
一歩、一歩、石畳を踏みしめてメーウィアは花園を通り過ぎる。手すりはなるべく使わない。一人で歩くと二倍の時間がかかるが、堂々としていれば品のある振る舞いに見えることを知っていた。
「……」
自分なりに庭園の気配を探ってみる。マルグレットが咲いているというのはすぐに分かった。大量に花開いているのだろう、赤い花、官能的で濃厚な匂いを持つ花の女王は目が見えなくても存在感がある。先に集まっていた候補たちの話し声を頼りに足を進めた。
「みなさま、急な誘いにも関わらずお越し下さってありがとうございます。どうぞツァイト家が誇る庭園の花を愛でて下さいね」
メーウィアの到着を待っていたかのように、イリアとおぼしき女の声が開会を告げた。候補たちが口々に褒め称え始める。
「ご招待ありがとうございます、イリア様。色とりどりで素敵なお庭ですね」
「本当に。こんなに満開に咲き誇って、きっと庭師の腕が良いのでしょうね。シャルノーの時期にはまだ早いのに他に見劣らないくらい花開いていますもの」
「流石はツァイト家ですわ。庭師を見定める目も確かなもの。なんて美しいのかしら……まるで楽園のよう」
負けじとばかりに言葉が飛び交う。メーウィアは美しく咲き乱れた花を確かめるために指先を滑らせてみた。虫食い一つない芯の通った葉、幾重にも折り重なった柔らかな花弁。手に触れるすべてが見事な出来栄えで次々と並べられる賛辞も口先だけの言葉ではないことが分かる。そっと鼻先を近づけると女王の名に相応しい華やかな香りが漂った。
「マルグレット……」
蜜に誘われた虫の羽音が通り過ぎていった。
「奥手なのかしら? ずっと黙っていらっしゃるのね」
驚いたことにイリアはメーウィアのすぐ側にまでやって来ていた。イリアの取り巻きに加わらず、殆どその場から動こうとしない花嫁候補は目立ったのかもしれない。
「貴女も感想を聞かせて」
問われ、少し考える振りをする。そして花を見つめる姿勢のままで言葉を紡いだ。
「素晴らしいと思います。私の家も花を育てていますがここまで見事に咲かせたことはありません。マルグレットは花開く前から虫害が酷く、育てるためにはきめ細やかな手入れが必要とされています。ここに咲いているのは……美しさは花のひとひら、浮かび上がる葉脈を見れば分かります。並大抵の労力ではこうも花は応えてくれないことでしょう。良い庭師ですね、きっと深い愛情を注いでいるのでしょう」
お世辞という意味では他の候補たちと変わりのない言葉。それでも、場の空気が変わったと感じたのはメーウィアだけではなかった。
「……ありがとう。私の育てた花をそこまで褒めてくれたのは貴女が初めてよ。お名前を伺ってもよろしいかしら」
メーウィアの手を取ったイリアの手のひらは貴族の令嬢とは思えないほど滑らかさに欠け、傷んでいた。
「イリア様、お会い出来て光栄です。プリアベル家のメーウィアと申します。花嫁候補として選ばれなければこうやってお話しする機会にも恵まれなかったことでしょう」
社交辞令だったが、ほんの少しの敬意を添えてメーウィアは答えた。賛辞を浴びるために努力を惜しまない者は嫌いではなかった。
「……目立ち過ぎたわ」
散策が終わるとメーウィアは杖を取り戻した。最後に庭園を出たメーウィアの身体を、フラウがすぐさま支える。絶対的な安心感。杖があるのとないのとでは心の余裕と行動の幅がまったく違った。
「大事ないように見えましたが、上手く行きませんでしたか?」
「上手く行き過ぎて失敗したのよ。イリア様に気に入られたのは良いけれど出し抜いてしまったわ。他の候補からの印象はきっと最悪ね」
リュスカにマルグレット、そしてシャルノー。フラウがプリアベル家で育てている花。メーウィアにとって三種の花は世界の様相を知るための鍵だった。言葉遊びで歌っていただけではない。特徴から栽培方法、美しい咲き方に至るまで知り尽くしている。それで花好きだと思われたのか、イリアはあの後ずっとメーウィアに話しかけていた。マルグレットが好む肥料は? 虫が寄りつかないようにするには? 長く美しく咲かせるためには? 貴女の家ではどうしているの? 他の令嬢には答えられない質問ばかりだった。
「教養の差が出てしまいましたね」
フラウはメーウィアの手を引き、少し歩き慣れてから放した。
「お嬢様と他の候補様が同列だとは私には思えませんから。羨望や嫉妬の対象になってしまうのは仕方ないでしょう」
前に気配を感じながらメーウィアは一人で歩く。フラウの背中らしき影が動くのを視界に捉えていた。
「他の候補のこと、フラウも良く知らないでしょう?」
「見れば分かります。お嬢様が一番美しく、誰よりも気品に満ちていました」




