第二話(2):Princess in the mist
「お嬢様、ツァイト家のことを調べておきました。簡単な家族構成のみですが……」
「そんなことよりもフラウ、私に黙っていたのね?」
テーゼが去った後、両目を閉じたメーウィアは怒りを声色に乗せた。
「申し訳ありません。主人に口止めされておりました」
「口止め? お父様といいお前といい、どうして私に恥をかかせることばかり考えるの。意味が分からない」
まだメーウィアが選ばれたわけではないのだと。そんな大事なことをなぜ言わないのか。なにもかもが敬愛する父の判断とはとても思えなかった。女主人に迷惑をかけることは覚悟の上だったのか、詰問されてフラウはようやく真相を告げた。
「主人は……私もですが、ぬか喜びに終わると分かっていても、お嬢様に喜んで頂きたい一心だったのです。その……お嬢様が花嫁に選ばれることは、ないと思いますから……」
メーウィアは冷水を浴びせかけられたように絶句した。
……身体的欠陥を抱える娘が有力貴族の花嫁になれるはずがないから。
両手が小刻みに震える。
そんなことは、分かっている。冷静に考えれば分かりきったこと。
「……だったら」
こんな縁談、最初から考えなければ良いのに。
よぎった思いは口には出なかった。そう、分かっているから。
娘を喜ばせたくて。父はいつも優しかった。目が見えない不自由に怯え、恐怖のあまり切れやすかったメーウィアを叱ったことなど一度もない。そんなメーウィアを扱いかねた今までの使用人が辞めてしまった時も責めたりはしなかった。そして、年頃が近い方が心を開きやすいだろうとフラウを雇ってくれた。いつも娘のことを想い、娘のためになることをしてくれた。
メーウィアは父の考えを理解してしまった。ツァイト家の花嫁選びに参加出来ただけでもプリアベル家のような非力な貴族にとっては名誉なこと。後は、進むも引き返すも自分次第なのだと。
「……聞くわ」
父はツァイト家とプリアベル家の婚姻など端から実現するとは考えていない。今頃は娘の帰りを待っているだろう。有力貴族の花嫁選びに参加した経歴を持つだけで有利に縁談を探すことが出来るから。ただでさえ不利な欠陥を持つメーウィアだからこそ、きっと父は望んでいる。
フラウは気落ちするメーウィアを気遣いながらも指示に従った。
「現当主はオルド様、奥様は二人いらっしゃったようですが正夫人を早くに亡くされ、今は当時の第二夫人が正夫人を名乗っていらっしゃいます。令息は二人、令嬢は四人と……長女のイリア様は既婚ですが、夫婦仲が上手く行かずツァイト家に戻られています」
「別居されているの?」
「色々とあるみたいですね。貴族の結婚ですから」
政略的に。家の存続と家同士の繋がりを大切にするがために、貴族の結婚は時に個人の感情を軽んじた。割り切ることが貴族の義務――割り切れない者も、いた。
「それからテーゼ様ですが、王城で実力を認められて高い地位を得ておられます。役職は王宮管理秘書官。王の腹心を務めるレフガルト家に見込まれたからでしょう、臣下としてはかなりの高官です。ツァイト家が勢力を強めたのもこの影響かと」
「権力ある地位だというのは私にも分かるわ。領主は数年前まではエンドウム家だった。こんな簡単なことですぐに勢力図が塗り替えられてしまう……」
かつて名門として栄えたプリアベル家が寂れてしまったのと同じように。再起を計らなければならないのに授かった娘は視覚障害者で。役に立たない政略の駒、細々と生計を立てて行くしかない家。平民の富裕層に嫁がされて貴族としての誇りを汚されることも覚悟しておかなければならなかった。
「……選ばれたい。こんな身体で、身のほど知らずだと分かっていても」
目が見えないことを隠し通してでも。障害を言い訳にしたくなくてメーウィアは努力してきた。与えられた絶好の機会を簡単に諦めたくはない。
「教養や作法を競うだけならお嬢様が負けるとは思いません。ですが、プリアベル家より家格が上で裕福な貴族が競争相手なら難しいかもしれませんね。ツァイト家の花嫁候補ですから確実にいらっしゃるとは思いますが」
フラウはそう言うが、実際あの男に会ってみて妻になりたいと感じた女がどれほどいるだろう。代わりなら幾らでもいると言い放つ傲慢さ。ツァイト家の次期当主は女を喜ばせるような類の男ではなかった。勢力と財力は確かに魅力がある。しかし、家格が高く裕福な令嬢であれば無理に欲しがるものでもない。家の命令が絶対でもない限りは。より多くの富と栄誉を望むか、実家の権勢に任せて我がままの許される家に嫁ぐか。
「あの方の人格など私には関係ないわ」
毅然と言い切った後、窓を開かせる。暖かく風のない穏やかな日だった。
「障害を持った女は花嫁に相応しくないと言われるに決まってる。それは仕方のないこと、不完全な肉体は劣っていることを示すのだから」
「お嬢様、ご自分でそのようなことを仰るのは……」
痛々しいとフラウは告げるが、メーウィアは事実を冷酷に受け止めることが自分の境遇を正確に把握することだと思っていた。貴族の世界は優劣を競う――差別意識が、渦巻いていた。
「だから、目が見えないのだとは誰にも気づかせはしない。それから……フラウ」
厳しい口調で使用人を呼び寄せる。
「テーゼ様に聞こえるようにわざと愚痴を言っていたでしょう。扉を開けたままだなんて」
「都合良く次期当主がいらっしゃるとは思っていませんでしたよ。ツァイト家の関係者が挨拶にいらっしゃるだろうとは考えておりましたが」
「失礼なことを言って。私の身にもなりなさい」
「申し訳ございません」
形ばかりは咎めるが、次期当主の傲慢な物言いもあったのでお互い様だと少しは胸のすく思いだった。フラウもそれが分かっているので悪びれる様子もない。