Zeit(1)
なろう様から撤退した番外編集『ある貴族の肖像』から転載。
【幕間】
書き下ろし。
注※本編のシリアスな雰囲気を大切にしたい方は閲覧注意※
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テーゼの専属使用人の話。
※本編第十七話まで読了済み推奨。
花嫁選定中、テーゼがどこでなにをしていたのかというメーウィアの疑問に対する答えがあります。ネタバレは特にありませんが、十七話まで読んでいないと話が繋がりません。
「うおあああああああああうおおおおおおおおおお」
……王都に居を構えるツァイト家の別邸で、使用人の絶叫がこだました。
「もう……無理っ。有能な俺でも、無理っ。無理ですうううううううう」
山積みになった書類を衝動的に殴りつけてカーシェンは床に転がり、のたうち回った。他に誰かがいたら間違いなく発狂したと思われかねないが、そして彼を追いつめている原因でもあるのだが、この邸には現在彼しかいない。主人であるテーゼ=ラオフ・ツァイトは仕官中であり、もう一人の使用人であるロザリオはテーゼを送り出しているからだ。
なんとここには使用人が二人しか存在しない。
しかもロザリオは基本的に邸の管理には一切関わらないため、カーシェンがたった一人で留守を守り、あらゆる雑事をこなしている。食事は外食で済ませてくれるので問題はない。洗濯は外注だ。掃除……も最低限で許されているので許容範囲内。しかしカーシェンの本来の仕事は主人の補佐。計算処理と書類作成能力の高さを見込まれて専属使用人として働いている。
主人が毎晩持ち帰ってくる仕事を手伝える使用人は、仕官経験のあるカーシェンを差し置いて本邸にも存在しない。それも大体は本人が片づけるので仕事量としては問題なかった。
しかし、今は違う。
主人の持ち帰る仕事は日増しに多くなり、ほとんど手をつけずに本邸に向かってしまうこともしばしば。カーシェンは夜を徹して残された書類と格闘するのだった。すべては”花嫁選び”のせいだ。三十日間かけてただいま絶賛開催中の花嫁選びが、別邸で暮らしている主人を休日でもないのに繰り返し本邸へ帰らせている。
「呪われろ花嫁!」
不吉な呪詛を撒き散らしてカーシェンは悶絶を続けた。
「……あの、お願いがあるんですけど。使用人の数を増やしてくれませんかね。簡単な雑用手伝ってもらえるだけでもすごい助かるんです」
精神が崩壊する前に、カーシェンは主人に嘆願することに決めた。夜になってまたもや大量の書類を持ち帰ったテーゼに訴える。
「使えない使用人なら雇うだけ金の無駄だ」
「俺の給金を三分の一くらい減らしていいですから……! このままじゃ俺、過労で永眠します! 最近の持ち帰り量半端じゃないですよ、大きな問題でも発生してるんですか?」
どう見ても仕官中に処理すべき書類が混ざっている。部下の失態の後始末に時間を取られてでもいない限り、この主人に限って有り得ない。
「うるさいぞ」
「酷い! こんなに尽くしてるのに……! 大体、花嫁選びが始まってからも持ち帰る仕事量は今までと変わらなかったじゃないですか! ここ数日、本当にどうなってるんですか!? 城でなにやってるんですか!」
必要最低限のことしか教えてくれない主人であることは熟知している。しかし今回ばかりは別だ。連綿と続く果てしない物語(仕事)の結末がどこにあるのか、はっきり示してもらわないと精神がもちそうにない。
「じきに終わる。もうしばらく我慢しろ」
「なん日後!? 秒換算であとなん秒!? 俺が過労死するのと花嫁が決まるのどっちが先かそれだけは教えて下さいよおお!」
もう駄目だ。今までこの人についてきたけど限界かもしれない。さすがに自分の命と引き換えにはしたくない!
「……分かった。しばらく書類には手をつけなくて良い。少し休め」
「えっ」
思わず耳を疑った。休……休め? 休んでいいって言った? 今?
さあっと顔から血の気が引いていくのを感じた。
「どどど、どうするんですか!? お分かりだとは思いますがこの書類の山、簡単には片づかないですよ!?」
びしっと指差したその先には、持ち帰った書類を執務机に山積みしているロザリオの姿があった。足元には空になった紙袋が二つ。
「仕方がないだろう。自分でどうにかする」
やるの!? 自分で?!
「ちょ! だ、だったら俺がやりますよ! なんか俺が仕事が出来ない奴みたいじゃないですか!」
「誰もそこまでは言っていないが」
「言ってますよ! 使用人が働かないから自分でやります~てことでしょ!? 自分で出来ちゃうんでしょ、この量!?」
自分の存在意義を全否定されたような気がしてカーシェンは必死に食らいついた。やりたくないと言っているわけではないのだ。ただ助手になってくれる使用人を増やして欲しいと頼んでいるだけなのに。テーゼの専属使用人であるという自負がすべての疲労を吹っ飛ばした。
「ならば任せる。俺も数日は帰るつもりはないからな」
テーゼは短くそう言って、それでも書類の山から半数近くを持って行ってくれた。ここ二日ほどは帰る様子がないので(そして急激に量が増えたのも三日ほど前からだ)、この調子が続いてくれるのなら自分の精神状態もじきに戻るだろう。処理しきれずに先送りになっている分も含めて二人でやれば終わりそうだ。しかし、せっかく気を取り直したところで運命は残酷にカーシェンを嘲笑った。
「テーゼ様、本邸から使いです」
いつの間にか部屋を出ていたロザリオが来客を告げる。本邸から、という内容にとてつもなく嫌な予感がした。こんな夜中になんの用だよ馬鹿!
「花嫁候補の件で急ぎ知らせたいことがあると」
書類に目を通していた主人がすぐに顔を上げる。
カーシェンは数分後に起きる自分の可哀想な未来を思って両手で顔を覆った。
【終】




