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次期当主と花嫁候補  作者: つら
第七章
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第二十二話:Flau(3)

 たった一晩いなかっただけなのに、長い間ずっと姿を見ていないような気がした。


「お嬢様、ただいま戻りました」

 声をかけるなりメーウィアは振り向いて、ゆったりと身を沈めていたソファから立ち上がった。

「フラウ、遅かったのね。今日は部屋替えをしなくてはならないから待っていたのよ。ああでも、まずはお帰りなさい。お父様はなんて仰っていたのかしら?」

「お帰りなさい、ですか」

 嬉しそうに出迎える女主人を前に、悲痛な思いを抱えてフラウは引きつった笑みを浮かべた。覚悟は出来ていても傷は抉られる。結婚を控えた身に期待と希望を押し込めた乙女の美貌はかつてない輝きに満ちていた。彼女を更に美しく変えたのは自分ではないのだと、フラウは認めざるを得なかった。

「主人も奥様も大層お喜びのご様子でした。プリアベル家にとってこれ以上もない名誉、お嬢様を誇りに思うと。今後のことはツァイト家の指示に従うようにと仰っていました」

 これが自分に言える精一杯の嘘。幸せになって欲しい、その願いに押されて吐いた言葉。約束を違えた代償にフラウはプリアベル家の主人に要求した。メーウィアの選択を、結婚を祝福するようにと。

「ああ……お父様、お母様。私は娘の役目を果たせたのね。フラウ、ご苦労様でした。疲れているでしょう、新しい部屋のことは後で相談するから少し休んでいなさい」

 そんなことよりも別れの言葉を告げなければならない。上手く言えるだろうか。どう取り繕っても傷つけてしまう。思い上がりなどではなく、自分がメーウィアにとってどれほど重要な存在かをフラウは自覚していた。

「私は大丈夫、オルド様が私の身を案じて使用人を数人用意して下さったから……」

 そこで初めて部屋の中にコア以外の使用人がいることに気がついた。余程周りが見えていなかったのだろう。徹底して追い打ちをかけてくるツァイト当主に怒りが湧いた。邪魔だと、用済みなのだと。ツァイト家は幾らでも使用人を用意出来る。だからもう、杖の役目を果たすのはお前でなくても良いのだと。

「お嬢様、人払いを願えますか。二人きりでお話ししたいことがあるのです」

 この家に居場所はない。思い知らされた途端、不思議と素直に言葉が出た。


「どうしたの? 改まって。もう隠す必要はないのよ。昨夜テーゼ様が私を花嫁としてお披露目して下さったの、その時に目のことも……だからみなが知っているわ」

 メーウィアの声は柔らかさを帯び、以前のような秘密を抱える者特有の緊張感は消えている。誰にも気づかれないよう二人で築き上げてきたもの。たった数日でツァイト家の次期当主は打ち砕いてしまった。

 ふと鏡台が目に入ってフラウは自分の姿を認めた。

 陽の光を吸い込むような黒曜石の髪。闇を映す瞳は氷の冷たさを宿し、獲物を狙う猛禽のようだと例えられることがあった。しかし顔立ちはあくまで女を誘惑するように甘い。

「お嬢様、プリアベル家には私一人を雇う力しかありませんでした。至らないことも数多くあったと思います」

 メーウィアに言い寄る貴族の誰もがフラウの容姿には敵わなかった。感情を消し、本心を隠していても、唇一つ動かせば女を陥落させることなど容易かった。

「フラウ?」

 肝心の、振り向いて欲しい人は目が見えなかった。どれだけ優れた容姿も表面的な美しさなどこの人の前では無価値だった。

「安心しました。あれだけの使用人が揃えばこれからは不自由なく過ごせますね。私の役目もこれで……」

「私が一番に頼りにしているのはフラウよ。なにを言っているの?」

 最後の時になっても嬉しいことを言ってくれる、自分だけが特別だと告げてくれる声。特別の、特別になりたかった。

「どうしたの。もしかして……お父様になにか言われたの?」

「雇用契約を終了して頂きました。私はもうお嬢様の使用人ではありません」

 残酷な言葉だと思った。どれだけ深く愛しい人の心を傷つけるだろう。幸せになって欲しい。でも、彼女が幸せなら自分はどうでも良いなど、そこまでお人好しではなかった。

「私がいなくてもテーゼ様がお側に、テーゼ様がご不在の時はツァイト家の方々が……お嬢様、お別れです」

 みるみるうちに目の前の表情が変化していった。

「なぜっ。なにを言い出すの?!」

 恐慌状態に陥ったメーウィアをなだめるために抱きとめる。強く胸を叩かれてもされるがままにしていた。

「本気なの、説明しなさい。お父様となにを話してきたの。約束を忘れてしまったの? 私を助けてくれるって、私を嫌って次々と使用人が辞めて行った……でも、お前だけは絶対にいなくならないって、ずっと側にと……嘘だったの? 信じていたのに!」

「いいえ」

 微かに首を振るだけでは伝えられない想いを声に乗せた。枯れた枝木のように掠れてしまったけれど。いいえ。嘘ではありません。貴女が他の男に心を奪われなければ。

「舞踏を教えるべきではありませんでした。軽やかに舞う貴女の姿は目が不自由だとは誰も思わないでしょう。いつの間にか私よりも上手くなって、ツァイト家の次期当主が心動かされても無理はありません」

 フラウは右手を腰の背中側に当て、左手を差し出して軽く身体を傾けた。

「私が出会った中で誰よりも気高く美しい方、最後に一曲望むことを許して頂けますか」

 シルファニー家のような大貴族ですら共に育った姉や妹は驕慢で、今のメーウィアに勝る品格高い令嬢はいなかった。不自由な目を隠すために家に閉じこもっていても、なんども求婚の嵐を退けなければならなかった。

「嫌よ。最後なんて、馬鹿を言わないで。そんなことを私が許すとでも……?」

「お嬢様、契約はもう切れています。どうか思い出を下さい。私はそれで一生、貴女の幸せを願うことが出来ます」

 最後に。主人と使用人ではなく、一人の男と女としての思い出を。

「どうして。どうしてなの、理由を聞かせなさい。私に黙って勝手なことを」

 まだ分からないと言うのだ、この人は。杖となり影となって支えて来た。長い時を一緒に。それが当たり前になってしまっていた。そんな関係でさえ心地良かったけれど……。

 フラウは思い出に残したい曲を靴を鳴らすことで歌った。あまりにも拙い前奏。けれど本当は、かつて愛しい人に教えた最も難易度の高い曲。嫌がるメーウィアを半ば強引に引き寄せ、腕を取った。

「フラウ……」

 頑なに拒否していたメーウィアは唇を噛み締めて身を委ねた。彼女を胸に抱き、幾度となく恋人になった錯覚に陥った。貴族と平民。主人と使用人。身分の違いがなかったら出会えなかった。そして身分が違うからこそ通じることのなかった想い。叶わなかった恋。

 メーウィアの足取りは戸惑いの中にあっても優雅で品が漂う。

 熟練度を上げた彼女を相手になんども踊った。踊る度に幅広さ、奥深さを思わせる完成度の高い曲。その律動だけを教えた。どんな音色を奏でるのだろうとメーウィアは夢に抱くほど憧れていた。いつか聴かせてあげたかった。

「これはシルファニー家が催す宴で必ず演奏される楽曲なのです」

 この曲をいずれこの人に聴かせるのはあの男だ。

「なぜそんなことを知っているの?」

 フラウは回した腕に少しだけ力を加えた。相手が胸を高鳴らせる具合の巧妙な強さで。

「私のお嬢様、愛しています。どうか幸せに」

 メーウィアの両目が見開いた。本当はこんな安っぽい言葉で済ませたくはなかった。それでも、この人に分からせるためには最も相応しい表現に思えた。

 フラウは踊り続ける。長い沈黙を深く味わいながら。

「嘘よ」

 ぽつりとメーウィアは呟いた。呆然とした表情はなにも考えていないように見えた。

「回って下さい。これで最後です」

 最後の二回転。後は消え行く旋律に身を委ねるだけ。ようやく理解が追いついたのか、メーウィアの顔色が不安と恐怖に染まった。

「やめなさい、やめて! これ以上は……っ」

 急速に足取りが狂い始める。回らせるのは諦めて、それでも中断を許さず、壊れて行く型を包み込むように正しく導いた。曲の終わりを彼女も知っているのだ。その先になにがあるのかを知って、それを惜しんでくれている。

 良かった。

 自分はこの人にとって、ただの杖ではなかった。結婚の対象にはしてもらえなくても、ただの使用人ではなかった。たとえ他の男に奪われても、彼女の心に自分の居場所は確かに在る。

「メーウィア……っ」

 本当はこの手を離したくない。耐え切れず掻き抱いていた。もう庇護するための仕草ではない。抑え切れない感情の赴くままに。

「フラ……っ、う……」

 息を詰まらせる声が短く上がる。片手でメーウィアの目を塞ぎ、無防備な唇を奪った。受け入れられるはずのない想いは当然のように拒まれ、すぐに顔は離れる。

「……幸せになって下さい。それだけを願っています」

「どうして。行っては駄目。約束を破らないで」

 身を離したフラウを求めてメーウィアは腕を彷徨わせた。

「貴女にこんなことをする男がこの家に残れると思いますか? 頼らないで。強く生きて下さい。貴女には杖が必要です、ですが、それが私である必要はもうどこにもないのです」

「フラウ」

 メーウィアの唇が言葉を探してわなないた。伸ばされた手を、取ってはいけなかった。細く白い指先を見つめながらフラウは未練を断ち切る。

「さようなら、愛しい人」

 ずっとすれ違っていた。でも、それで良かったのかもしれない。困らせたくなかった、苦しめたくなかった。

 だからこれは最後の我がまま。

 貴女を愛していたと、どんなに深く傷つけてでも覚えていて欲しかった。

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