第二十一話(1):Lovers
「掴んでおけばいいのに」
広間が解散になると再びざわつき始めた。気配が混乱しないようにテーゼに近づこうとしたメーウィアの右手を、捕らえたのはダストだった。
「こっち。兄上、いいよね?」
しかもその手をいきなりテーゼの袖に触れさせた。当たり前のようになされた行為に離れることも出来ず、迷いながらもメーウィアは服の余った部分に指をかける。嫌がられるかとも思ったが反応は特に返ってこない。
「兄上、びっくりしたよ。期日が来るまで発表はしないと思ってた」
「お前は反対しないのか」
「別に。俺は花嫁が貴族じゃなかったとしても反対しないよ。兄上がでかくした家なんだから、兄上の好きなようにやれば良いと思う。世間の批判とか俺は興味ないしさ。まあ責任も取らないけど」
満足そうに言うとダストはメーウィアにも話を振った。
「君が兄上を怖がらなかったわけ、やっと分かったよ」
「え?」
掴まっているのとは反対側にダストの気配が並び立つ。笑いを抑えながら彼は囁いた。
「兄上、目つき悪いからさ。びびっちゃうんだよね、大抵の奴は。君には効かないわけだ」
「ダスト様」
あまり品のある人とは思えなかった。しかし弟を妬まなかったテーゼも同じ思いなのだろうか。温かな気持ちを抱かずにはいられない人だった。
「私はこの方の顔を見ることが出来たとしても怖れはしないでしょう」
「メーウィアの部屋に寄る。コアはいるか」
テーゼが使用人の名を呼んだ。ざわめきの中から落ち着きのない足音がすぐに側までやって来る。
「テーゼ様、メーウィア様」
「お前の仕えた候補が勝ち残った。選定期間中、メーウィアを高く評価した功績は大きい。引き続き彼女に仕えてもらう」
「は、はいっ」
「昇進かあ、いいね。俺もそろそろ自分の部屋に戻ろっかな。兄上、メーウィア、また明日ね。おやすみー」
ダストが離れる気配を感じ、メーウィアは掴んでいた手を離す。ようやく胸を撫で下ろした。
ツァイト家の花嫁、メーウィアにはその立場に相応しい部屋が与えられることになった。部屋に戻る道すがらテーゼは翌日からの予定を簡潔に説明してくれたが、案の定、彼は不在になるので自分でやり取りをしなければならなかった。
「俺が言ったことを覚えているか? 俺には職務がある。これから先も共に過ごせる時間は少ない」
「分かっています。貴方は貴方の、私は私のやるべきことを為すだけです。家のために。それが私たちの誇り」
「そうだ。だが忘れるな。俺の力が必要なら求めろ、それが夫婦の権利だ」
メーウィアは思わず口元を抑えて笑い出してしまった。
前方に響いていた靴音が止まり、メーウィアの元に戻ってくる。
「どうした」
「いえ、素直に私を心配していると仰って下さったらよろしいのに」
分かってみれば彼の無愛想な性格はまったく腹を立てるべきことではなかった。
「可愛いげのない女だな」
「貴方がお選びになった女ですもの。意思のない人形ではお嫌なのでしょう?」
肩を並べて歩く。少し言い過ぎてしまっただろうか?
「心配なさらないで。頑張ります。お義姉様がたも力になって下さると思いますから……」
「あれはお前が実力で勝ち得たものだ」
「貴方があの場を用意して下さらなければ得られなかったものです」
足早になったテーゼに置いて行かれそうになりながらメーウィアは追いかける。そのさらに後ろから、コアが必死についてくる音がした。
「改めて思うが、他の者から見てもお前はかなり踊れるようだな」
「……そう思われたからこその披露だったのではありませんの?」
「俺の腕前を知った上で、俺に舞踏の良し悪しが分かると思うのか。知っていたのはお前がやたら自信を持っていたということだけだ」
メーウィアは驚きのあまり耳を疑った。
「そんな。では、もし私が醜態をさらしてしまったらどうなさるおつもりでしたの?」
「肝心な時にしくじるようなら、お前が今までしてきた努力はすべて無駄だったということだ。違うか?」
挑発的な言葉にメーウィアは不敵な笑みを浮かべる。
「仰る通りです。当然、失敗するはずもありませんでした」
「だろうな」
テーゼは寸分も疑っていなかった。メーウィアの誇りと、その価値を。期待に応えることが、メーウィアが彼のために出来ることだった。
「活躍の舞台を整えるのは部下を引き立てる時に良く使う手だからな。それと同じだ。お前は見事に与えられた機会を活用した」
努力した者には相応しい評価が与えられるべきだ。どこかで彼の言葉を聞いた記憶がある。でも、努力は認められなければ評価されない。自分で努力していると思っていても周囲はそうと見てくれないこともある。誰もが認められるわけがない。まるで夢物語のようだけれど……
「私は部下ですか?」
「婚約者だろう、今のところは」
自信に満ちた揺らぎのない声が決意を後押ししてくれる。選んだこの道は間違ってはいないのだと。夢物語でも構わない、自分の夢は叶えられたのだから。言葉は素っ気なくてもこの声が好きだとメーウィアは思った。
「でしたら婚約者として一つ、お願いしてもよろしいかしら」
「なんだ」
「あなた、もう少しゆっくり歩いて下さらないと私もコアも置き去りにされてしまうわ?」
小走りで後を追うコアを連れ、幾度か言葉を交わした頃には部屋の前まで辿り着いていた。
「上着を頼む。明日の朝取りに来る」
「……え」
胸元に服を押しつけられてメーウィアは困惑する。
「メーウィア様、私が」
「余計なことはするな」
コアが寄り、メーウィアの手から上着を取ろうとしたところで厳しい声が放たれた。布越しにコアの震えが伝わるほどだった。
「は、はい。でも」
「……大丈夫。掛ける場所を教えて」
「こちらです。よろしかったら、手を」
「コア、今まで通りに接しなさい」
語調を強くしてメーウィアは断った。今までの努力は憐れみを引き寄せないために培ってきたもの、秘密を公表した後もそれは変わらない。
「あ、あの」
一言二言、コアはうろたえていたが、メーウィアが歩き出すとすぐに自分の役割に思い当たって前を歩き始めた。フラウの姿を見てきただけあって彼女の順応性は高かった。これからはコアのことも信用しなければならない。いつまでもフラウにばかり負担をかけるわけにはいかなかった。
「メーウィア様、私……恥ずかしい思いです。数日とはいえ、お仕えしながらまったく気づきませんでした。お役に立てず本当に申し訳ありません」
「……」
「テーゼ様は気づかれたのですね。もっと誠心誠意お仕えしていれば……私、ずっとお側にいたのに」
「気にすることはありません。審査役として自分の役目は果たしたのでしょう。それはテーゼ様も認めるところ。仮初めの女主人を相手にお前は良くやってくれました」
無闇に手を出さず、いつもフラウに先を譲って。積極的にコアから話しかけてくることはあっても、実際に言葉を交わしたことが果たしてどれほどあっただろうか。自分の使用人にしか助けを求めない花嫁候補を彼女は称えてくれていたのだ。
「メーウィア様の上品な振る舞いは私の憧れなんです。お食事の風景などを拝見する限り、とても目が不自由だとは……」
「料理の出てくる順番も、食器を扱う手順も決まっているのに? 目が見えなくても普通に生活が出来るように、最初に訓練したのが食事の作法でした。慣れれば大した問題ではないのよ」
それにフラウが側にいる。間違えるはずがなかった。
「苦労、なさったのですね」
「気にしないで」
この気持ちなど分かりもしないくせに。突き放すように言って、テーゼのことを思い出した。彼の苦しみに触れることはメーウィアには出来ない。ただ、差別を受けるという同じ境遇にいるだけのこと。共有出来るのはその思いだけ。
だったら、コアは? 考えても分かるはずがないのに彼女は懸命に考えようとしている。それはただの同情だと、言い捨てられるものではなかった。使用人が主人を理解しようと務めるのは当然のこと、コアは使用人として当然のことをしているだけ。かつてのフラウがそうしてくれたように。
メーウィアはもう一度言い直すことにした。
「ありがとう、気にしないでね」




