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次期当主と花嫁候補  作者: つら
第六章
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第二十話:Dance again

「……本当なの、その話は」

 重々しい女の声が歩み寄った。

「テーゼ、分かっているの。彼女をこの家の一員に加える意味を。ツァイト家は今や社交界で強い力を持つ貴族……それは大貴族の絶大な権力と同じではなく、常に後続勢力から追い落とされるかもしれない危険と隣り合わせの力。不自由な身で嫁げば苦労することでしょう。どうやって生活していくつもりなの? 彼女にツァイト家の正夫人が務まるとは私には思えないわ」

 メーウィアが選ばれたのはテーゼが選んだから、と言ってくれたイリアの声だった。これこそが当然の反応。花嫁が障害者だと知っていたら彼女の口からあのような言葉は出てこなかったはずなのだから。

 テーゼは動じなかった。非難など予測していたと言わんばかりに。

「証拠が欲しいか? ならば見せよう。姉上がた、歌が得意なのは誰だ」

「私よ。なにをする気なの」

「ではイリア姉上、一曲歌ってもらう。説明など必要ない。歌い終わる頃には全員が納得している」

 断言されて大勢の注目の手前、拒絶するわけにもいかずイリアは要求に応じた。儚い旋律が響き始めた広間、メーウィアはテーゼの意図を悟った。

「踊れるな? 俺を失望させるな」

「当然です」

 目を閉じたまま手を取り、足を踏み出す。この人を信じて。

「……うわ。すっごい不安定な歌。どこの楽曲?」

 ツァイト家の娘たちは歌う長女を横目に声を潜めて話し出す。波が引くように広間の中央を開ける人ごみの中で、視線の先は長女と長男とを交差していた。

「自分で作曲して詞を乗せているんだわ。イリア姉上なら即興は得意でしょ。でも性格悪……テーゼは踊るつもりみたいだけど、あいつ、普通の曲さえ駄目なのに。弱いところを狙って難しい旋律を持ってくるわよきっと」

「姉上、相当怒っているみたいね……怖」

「歩いて下さい、歩いて」

 目まぐるしく変化する曲調にメーウィアはテーゼの足取りを軽くすることだけを考えた。過去に踊りこなしてきた曲は百を越えてから数えるのをやめた。そして学んだ。たとえ知らなくてもどんなに難解でも、波に乗れる節は必ず訪れる。今は呼吸を合わせる時。

「うそ……っ」

 驚きの声はすぐに上がった。

「あの兄上が」

「そ、即興で踊ってる、テーゼにあんな芸当」

「違うわ。良く見て、テーゼじゃない」

 相変わらず歩調は滅茶苦茶で、誘導してかろうじて形を保っていた。テーゼも今は素直に合わせようとしている。

「む」

 軽く足を踏まれてメーウィアは微笑んだ。

「大丈夫、私に任せて。合図をしたら回って下さい」

 肩に添えた手に力を込め、向きを促す。逆に回る時は重心を変えて。

 ――どうか。どうか私を導いて。

 伝わるように、常に先行して足取りを刻む。

 使用人も揃っているというのに女に手ほどきを受ける姿など本当は見せたくないだろう。どうしてこんなことをするのか、分かっていた。絶対に失敗は出来ない。持てる力のすべてを振り絞ってメーウィアは踊った。この人に恥をかかせてはいけない。

 合図を送る前に二人の身体がくるりと向きを変えた。

「今の回り方素敵よ」

「お前も完璧ではないな。右に進み過ぎだ」

 距離感。舞台の広さを認識出来ない不足をテーゼが補う。曲に合わせて回って下さいね、とメーウィアはつけ加えるのを忘れなかった。

 次期当主の顔に広がった笑みをツァイト家の誰もが信じられない思いで見ていた。示し合わせたように異変が起きる。イリアが弟の笑顔に驚く余り続きを忘れてしまい、歌を途絶えさせた。

 動揺したテーゼの足が止まる。切れた曲を不審に思いながらもメーウィアはすかさず片手を離し、繋いだままの腕を持ち上げた。軽やかに決める、一回転。ドレスが舞い落ちる前に元の位置に寄り添い自ら歌を繋げた。


 高らかに謳う 朝露の祈り

 青羽根のミュール 陽光を奏で

 清らかに謳う 流星の誓い

 白羽根のアドネス 闇月の調べ

 めぐりあう比翼は降りそそぐ

 光 蒼白く 煌めいて散る


 知らない曲の続きを想像して繋げるのではなく得意な曲へのすり替え。

 踊りも歌も。必死に磨いてきた教養は今この時のためにあったのだと。固く信じて。

 大声で歌う必要はなかった。テーゼの身体が驚くほど軽くなって操りやすくなる。新しい歌で安定を取り戻し、メーウィアの自信に突き動かされているのは明らかだった。

 ――いけるわ。

 確信の微笑みが零れた。


「兄上って……あんなに踊れた、っけ? 女が寄りつかないから丁度良いとか言って、悲しいぐらいに下手だった気がするんだけど」

 踊り終わるとダストの声がみなの心中を代弁した。乱れた息を整えながらメーウィアは次になにが起こるのかを待つ。疲れ切った身体をテーゼが支えてくれた。

「メーウィアの障害に気づいた者はいるか? イリア姉上、忘れたとは言わせない。貴女は誰よりも彼女を推薦していたはずだ。メーウィアを担当させた使用人でさえ気づいてはいなかった。それでもツァイト家次期当主の花嫁に相応しくないと反対するのか。彼女が努力して築き上げたものを無視するというのか。それは養子でありながら当主を継ぐ私を否定するも同じことだ」

 揺らがない言葉。守られている。自分は今、この人に守られている。

「苦労など最初から分かりきっている。ツァイト家の嫡子でないことを、目が見えないことを誰にも隠したりはしない。それを言い訳にすることもない」

 隠してはいけない。怖れてはいけない。それが彼の隣に並び立つ条件。

「メーウィアにツァイト家の正夫人は務まらないと言ったな。理由は欠陥を抱えているからか? ならば欠陥を抱えた次期当主がこの家になにをもたらした。示してみろ!」

 威圧的な声が広間を制圧した。自分を守るために、相手をやり込めることでこの人は生きてきたのだろう。メーウィアは胸を痛めた。そんなやり方ばかりでは心から人を従わせることは出来ない。敵を作ってしまうこともあるだろう。

「……欲しいものはすべて手に入れてきた子だ。地位も権力も。恩恵を授かっている我々に、この子の努力と望むものを否定する権利はないのだよ。令嬢に欠陥があるとはいえプリアベル家は名門、ツァイト家の花嫁として不足はあるまい」

 オルドが二人を庇ってくれる。

「父上、私はメーウィアを心配しているのです。どんな非難を受けるか……」

 ――この人の生き方を否定したくはない。ならばせめて、その荷を少しでも私の肩に。

「覚悟は出来ています」

 今、この場で自分に出来るのはテーゼの意志に従うこと。

「軽々しく言わないで。どんな覚悟があるというの? その身体で社交界に出るつもりなの? 貴女は必ず差別を受けるわ、耐えられるわけがないわ!」

 メーウィアは目を背けなかった。霧は相変わらず視界を阻む。でも、前を向いて。毅然と胸を張って。

「私は差別や中傷を怖れて目が見えないことを隠し続け、人と関わることをなるべく避けて暮らしていました。なにも言い返すことは出来ません。ですが、この方と共にいることを許して頂けるのなら……もう隠さずに、ツァイト家の花嫁に相応しい女として振る舞ってみせます。貴族令嬢として身につけるべき教養は誰にも負けません。今までも、これからも。イリア様、どうか私たちの結婚をお許し下さい」

「……あんまりだわ……メーウィア、ただでさえ辛い境遇にいるのにどうして貴女は」

「イリア様、辛い境遇はテーゼ様も同じです。ですから私はこの方の側で強くありたいのです」

 反対されても非難されても仕方のないこと。不完全な肉体は劣っていることを示すのだから。今までは、怖れていた。今はもう怖れはしない。どんな中傷にさらされたとしても立ち向かう強さを。

「いいんじゃないかしら、それで」

 思わぬところから賛成の声が上がった。イリアがうろたえながら妹の名を呼ぶ。

「そもそも私たちはテーゼが自分で結婚相手を決めるなんて思ってなかったの。これで本来の目的は達成されたと言えるわ。メーウィアは……可哀想だと思うけど、頑張るって言ってくれてるんだし。それを裏づける実力も十分に見せてもらったわ」

「そうよ、目が見えなくても貴女は立派だわ。本当に見えていないの? 私感動しちゃった。正直、プリアベル家は名ばかりの貴族だと思って私はあんまり賛成じゃなかったんだけど……あんなの見せられたらなにも言えないわ。大丈夫よ、変な噂が立ったら私たち姉妹が睨みをきかせてあげる!」

「ツァイト家は由緒正しい家でもないしね。だからこそ家格が必要だったんだけど……でも、名誉も大事だけど、個人的にはテーゼの機嫌を損ねる方が嫌だわ。私たちのお小遣い減らされたら困るし」

 テーゼのことを決して好意的には語らなかった姉の三人がメーウィアの手を取り、声をかけ、優しく包み込んだ。遠巻きに見守る人々の輪から一つ、二つ、手を叩く音が鳴る。すぐにそれは広間全体に響き渡る盛大な拍手へと変化した。


「イリア、どうだね。まだ反対するかね? お前がこの家を心配する気持ちは分かる。彼女を思いやる気持ちも。だが、このまま二人を引き裂いてしまってはどうにも後味が悪いと思わないかね。今は信じてあげないか、彼らの覚悟を」

 喜びに胸を震わせるメーウィアの傍らでオルドが長女の説得を続ける。

「……父上は賛成なのですね。それが父上のご判断なら、出戻りの身の私が言うことはありません。満場一致の拍手……どうやら反対しているのは私だけのようですから」

 弟が花嫁を労わる姿を見つめ、イリアは絶望した。テーゼの心を動かす女性など現れないと思っていた。過去の正夫人の子として生まれた、たった一人、本当に血の繋がった弟。だからこそ祝福したかった。なのに。

「どうしてなの。その目が見えてさえいれば」

 父に縋り、嘆く。花嫁が障害者でも構わないなど。ツァイト家は今や有名になってしまって、どんなささいな汚点でも攻撃対象になってしまう。未婚の妹たちは世の厳しさを知らないから事の重大さが分かっていないのだ。しかし父は違う。イリアは父のように柔軟に、臨機応変に考えを改めることは出来なかった。マルグレットに触れて微笑んだ令嬢。ただのお世辞ではなく、労力を理解して称えてくれた。虚ろな瞳で花を語っていたのだ。苦労したのだろう、辛い思いもしたことだろう。彼女の努力を否定する気はない。それでも、”ツァイト家の花嫁”は目が見えない令嬢には荷が重過ぎる気がした。

「悲しむことはない。彼女だからこそテーゼは興味を抱いた。結果論だが、差別を受ける者にしかあの子の孤独は理解出来ない。我々に出来るのは二人を支援することだけだ」

 テーゼが望む令嬢を花嫁にと願った父。それは我が子を実の息子と認めなかった親としての、せめてもの償いだったのかもしれない。厳格に、しかし公正にラオフ領を治める領主は障害を抱える花嫁に対して差別はしなかった。

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