第十八話:Proposal
「よくぞ話して下さいましたね、オルド様。これですっきりなさったでしょう」
「そうだね。後一つ、すっきりしない事柄を片づけようか」
濃霧に彩られた世界で。意味深な沈黙と自分に注がれる複数の視線を感じてメーウィアは冷や汗を流した。ツァイト当主に次期当主、そしてレフガルト当主。中流階級の娘にとっては実に威圧的な組み合わせだった。
「プリアベル令嬢、先ほど私の妻が言っていたことだが……そして今更だが、君は目が見えないのだね」
「は、い」
「驚いたね。二十日以上もみなを欺き続けていたとは」
「申し訳ありません……」
無機質な杖を握り締め、覚悟を決めてメーウィアは謝罪した。逃げ道はどこにもない。
「大した度胸だ。気がつかなかった我々も愚かだが、いや、今となれば思い当たる節はあったかな。君の使用人があれほど君を想うわけだ。これからはもう隠す必要はない。分かったね?」
隠す必要はない。そんなに簡単に言い放てるものなら、メーウィアは最初から隠したりはしなかった。不完全な肉体は憐れみの対象。どんなに努力をしても対等に扱われることはない。
「怖いかね、自らの汚点をさらすのは。自分らしく、誇り高く胸を張っていれば良いのだよ。テーゼが君を守るだろう。不器用な息子だが心ない者たちの悪意を跳ね返すくらいの力は持っている。どうか頷いてくれたまえ。我がツァイト家は君が欲しいのだから」
それでもメーウィアは素直に頷けなかった。テーゼも自分と同じ立場だと、差別を受ける存在だと思っていた。しかし虚構は崩された。彼は正統な後継者で世間が信じているのはツァイト家が作り上げた嘘。
辛い。
求められているのに、辛い。
劣っているのは、欠陥があるのは自分だけ。家の名を汚してしまうのは。
……でも。だからこそ決断しなければならなかった。
「プリアベル家に……異存はありません。ツァイト家のような有力貴族が目の不自由な私を娶って下さるのなら、プリアベル家にとってこれ以上喜ばしい話はないでしょうから」
こんな好条件な縁談は二度と手に入らない。家のために役立つことがメーウィアの願いだったのだから。
「……卑屈な答えですね。可哀想に。今日に至るまで、彼は貴女になにもしてくれなかったのですね」
前触れなく指先を拾われてメーウィアは身を震わせた。反射的に離そうとしてしっかりと握られてしまう。誰。問うまでもなかった。
「テーゼ、貴方らしいと言えば貴方らしいですが、ろくに彼女との関係を培って来なかったようですね。貴方が真摯に彼女を求めていれば、もう少しまともな返答が聞けたはずです」
レフガルト家の当主はメーウィアを捕まえたまま非難めいた声を漂わせた。
「愛する女性からこのような回答しか得られないとは明らかに努力不足です」
「彼女から手をお放し下さい。わざわざ掴む理由が不明ですが」
「きちんと口説いて下さるのならば」
「分かっています」
うんざりしたようなテーゼの口調でようやく解放される。
「テーゼ様……」
「俺はプリアベル家の令嬢という人形を手に入れたいわけではない。人形として結婚するつもりならこちらから願い下げだ」
言葉はあくまで辛辣で、口説き文句には程遠い。しかし、それゆえに彼の本心であると分かる。手が痛くなるほどにメーウィアは杖を握り締めた。
「俺はお前の姿を見て、誇りを守ってやりたいと思った。秘密に怯えずに胸を張って暮らしていけるように。俺に守られるのは不服か」
はっとして顔を上げる。守る、という言葉は自分にも他人にも分け隔てなく厳しいこの人にはあまりにも不似合いな気がして。
「そんな、ことは。私には過ぎることだと……どうして私のためにそこまでして下さるのですか」
「お前を俺のものにしたいからだ」
はっきりと宣言されて、メーウィアは”家のため”を言い訳にして自分の気持ちから逃げていたことに気がついた。
家のために。
政略の駒として役立つことを願っていた。
家のために?
道具のように扱われて。家格を与えるだけの駒となって。
――違う。初めて評価してくれたこの人に道具として扱われたら、きっと心が壊れてしまうだろう。
「ですが、私は貴方の枷にはなりたくないのです」
「随分と見くびられたものだな。その程度の欠陥で俺の道を閉ざせると思うな」
なんて強い人なのだろう。この人と同じくらいの強さが、自分にもあれば。
「私は、貴方の側に在ることを許されるのでしょうか……」
それはツァイト家とレフガルト家の両当主に対して向けた不安でもあった。二人はテーゼの邪魔をしないためにか回答を与えてはくれなかったが。
「当然だが守ってやるだけの見返りはもらう。お前の誇りで俺を支えて欲しい」
音もなく、不安が崩れて行く……。
新興勢力が名を馳せる今の世――本来なら家格の高いプリアベル家は財力が乏しくても結婚相手には不自由しないはずだった。一人娘が障害を持って生まれなければ。
辛かった。求婚を拒み続けなければならなかった日々。自分のせいで家が力を失って行くのが。メーウィアを迎えることは間違いなくツァイト家に悪影響をもたらす。テーゼの立場を不利に。それなのにテーゼは、自分に見返りを求めてくれている。メーウィアに守るだけの価値があると認めてくれている。
「もう一度言う。今日までお前が積み重ねてきた努力を、秘密を守るためではなく自らの強みとして活かしてみせろ。俺のために」
これほどまでに求められて。名を汚しても欲しいと言ってくれる人を。気持ちに押されて自然と言葉がこぼれ落ちる。どんな鍵を差し込んでも合わなかった錠が、まるで自らの意思によって外れ落ちたかのように。
「……テーゼ様、お慕いしています。貴方が私を認めて下さった――木漏れ日の下で私の手を取り踊って下さった、あの時から」
返事はなかった。その代わり、メーウィアは自分が力強い腕の中にいることを知る。取り落とした杖が床に叩きつけられる音も、今は遠い世界の出来事に聞こえた。




