第十四話(1):Selected bride
突然王城へ連れて行こうとしたり、失格宣言を取り消したり……抱きしめたり。意味がさっぱり分からなくて混乱した。相手の意思などお構いなしの態度は強引で、傲慢。彼がツァイト家の次期当主でなければメーウィアも腹を立て突っぱねたに違いない。ツァイト家を押しも押されぬ有力貴族として築き上げたのが、彼でなければ。
無愛想な割に無口ではなく、散々こちらを追いつめておいて向こうからは一つも示してくれない。なにがしたいのかはっきり言って欲しいような、聞いてしまったら後には引き返せないような気がした。
「お嬢様、昨夜のことを教えて下さい」
コアがやって来るまでの朝の短い時間、メーウィアは一人掛けのソファに座ってフラウと向かい合っていた。立場の逆転――いつになく厳しい声が言い逃れを許さないかのようだった。
「幸い周りは空室ばかりで騒ぎにはならなかったものの……」
フラウは最後まで続けることなく黙り込んでしまう。昨夜自身を追い出した女主人を非難していることは明らかだった。
扉を開けたのはメーウィアだった。フラウは飛び込むなりテーゼに掴みかかったが、貴族が平民をまともに取り合うはずがない。大事になる前にメーウィアはフラウからテーゼを庇い、テーゼからフラウを守った。時間は深夜。間に入った女が不自由な身体だと知っている二人の男はそれ以上に激化することはなかった。翌朝、メーウィアが事情を説明するという約束を残して。
「取り乱してしまったのは反省しています。信じたくなかったの、目が見えないことを見抜かれてしまうなんて……」
ろくに眠れなかった。プリアベル家のことを考えなければ、自分の身の安全だけを考えなければと思っていたのに頭からテーゼのことが離れなかった。彼の言葉が恐ろしいほどにメーウィアの思考を支配した。自らの欠陥を秘密として隠すことも出来ず、次期当主という使命を背負いながら不当な跡継ぎとして育ってきた人。もう関係ないはずなのに、忘れなければいけない人なのに。
「お嬢様、それでは」
「まだよ」
フラウの言葉を予測してメーウィアは否定した。
「一晩考えたのだけれど、もう少しだけこの家に」
――彼が私の秘密を誰にも言わないでいてくれるのなら。
「どういうことですか? これ以上残っていても」
「お会いしたい方がいます」
確かめたいことがある。テーゼの境遇を知り、彼自身がそれをどう感じているかを知ってしまった以上は素知らぬ振りで帰れない。まったく種類の違う欠陥でありながらメーウィアは強い共感を覚えていた。
「テーゼ様のご姉弟すべての方に」
「すべて? 五人もいらっしゃいます、そのようなことをなさっている場合では!」
フラウの声には苛立ちと怒りにも似た感情が混ざっていた。
「分かっているわ。もう留まっていてもプリアベル家にとって利点は一つもない……けれど」
「貴女はなにも分かっていない!」
乱暴に声を荒げるフラウに驚く。
「貴女の誇りを守るためならどのようなご命令にでも従います。ですが、これでは……私がいなければなにも出来ない貴女が家のためにもならない我を通して、一体どうなさろうと仰るのですか!」
苛烈な言葉はメーウィアの胸に突き刺さった。フラウが側にいることは当たり前で、どれだけ尽くしてくれているかを知っている。主人を強く諫める声音は少なからずメーウィアに衝撃を与えた。
「お前の言う通りだと思います……私は一人では、なにも」
「! どうして……っ」
背もたれが派手に震える。メーウィアの顔のすぐ横に、フラウが腕をついていた。
「卑怯です。そんな風に言われてしまっては、私は」
苦しみを絞り出すような声だった。耳元で顔を伏せ、言葉はくぐもって聞こえた。メーウィアは背中を撫でてなだめてやる。
「苦労をかけます。フラウ……私はテーゼ様に同情しているの。テーゼ様を悪く思わないご姉弟が一人でもいらっしゃるのなら、会ってお話ししてみたいのです。どうせ帰らなければならないのなら、心残りのないように……」
フラウは答えない。
「フラウ、お前の言っていることは正しいわ。でも……どうか、お願い。これで最後だと約束するから」
願いと約束は、命令を聞かなくなり始めていたフラウを動かした。彼が最初に面会を取りつけたのは末弟のダスト。メーウィアは客間ではなく彼の自室に通される。
「初めまして。プリアベル家の令嬢、メーウィアで良かったかな」
ツァイト家の正統な跡継ぎは兄よりも声が高く、少し幼い感じがする。でも、油断は出来ない。彼がテーゼとは対立する存在だと思うと緊張が体中に張りつめた。
「お時間を割いて下さってありがとうございます。午後はお会い出来ないかと思っていました」
「まあね……俺たちも重視してるからさ。次期当主夫人を選ぶんだ、候補に会いたいと言われれば可能な限り優先するようにしているよ。それにしたって他の候補はみんな、もうとっくにご機嫌伺いを済ませてるってのに。君が最後だ」
花嫁選定はダストの結婚相手を探すためでもある――正夫人の言葉が猛毒のようにメーウィアの心を蝕んだ。
「ご挨拶が遅くなってしまい申し訳ありません」
「すごく残念だ。君だけは弟の俺を利用しない人だと思っていたのに」
メーウィアは驚きを隠すために瞬きをした。自分に向けられたのは侮蔑を孕んだ言葉。その意味とは。焦ってはいけないと思いつつも期待に胸が膨らむ。
「座ってよ」
「ありがとうございます」
不自然にならないよう手を伸ばし、椅子の位置を確かめる。座高の低いそれは弾力のあるソファだった。つき添っていたフラウは着席を見届けるとメーウィアから離れた。
「それでは私は失礼いたします」
「いれば? 俺そういうの気にしないから。平民の友達も結構いるしね。ここまで招き入れといて追い出したら俺、友達に怒られる」
フラウとメーウィアは揃って目を丸くした。ツァイト家の正統な跡継ぎは随分と変わった考えの持ち主だった。ツァイト家とプリアベル家――選ぶ者と選ばれる者の関係は対等ではないのに。メーウィアは好意に甘えることにしたがフラウの発言を封じることは忘れなかった。
「テーゼ様のことをお聞きしたくて。立派な方ですね」
「そう、みんなそう言うんだ。兄上とろくに口もきいてないくせに。君たち花嫁候補は兄上のどこを見て立派だって言うんだ?」
取ってつけたような社交辞令にダストは鋭く反応した。メーウィアの胸は高鳴っていた。緊張や恐れなどではない。希望と喜び。
「あの方は真っ直ぐです。努力によって自らを鍛える者を評価し、努力を怠る者には厳しく当たります。冷たいようでいて物事を公正に評価する目をお持ちです。少し公正過ぎるところが厳しさや近寄り難い雰囲気を作ってしまうのでしょう。ですが、それは表面的な一部だけ」
淀みなく答える花嫁候補を前にして、今までこのような回答は得られなかったのだろう。ダストの息を飲む音が微かに耳に届いた。
「君は兄上が怖くないのか?」
メーウィアは首を傾げた。目が見えないことを隠すのに必死で、威圧されてもそれどころではなかった。普通なら手厳しく対応されて泣いたり怒ったりするのだろう。それが嫌で、だから花嫁候補は彼から逃げ出した。今までの出来事を思い巡らせてみる。腹を立てたことや悔しい思いをしたことはある。それでも怖いと感じたことはなかった。
それはきっと。彼がいつも自分の都合で振る舞うにも関わらず、全身で相手を拒絶しているわけではないからだ。彼は自分の弱点を認め、相手が自分より上回る実力を持っている時は素直にそれを認められる人だった。
「どうして、どうやったらそんな風に思えるんだ?」
「テーゼ様は踊ることが苦手でいらっしゃるようです。たまたまそれが、私の特技でした。ただそれだけのことです」
多くを語らずメーウィアは上品に微笑んでみせた。目的のためなら今まで実感のなかった自らの美貌も、利用してみせる。