第十三話:These
「……さま。お嬢様」
深夜、身体を揺すられてメーウィアは目を覚ました。
「……?」
「お休みのところ申し訳ありません、お断りしたのですがどうしても今夜中にと」
「まだ、夜……? なんなの」
横たわったまま呟く。眠りを妨げられて少し不機嫌だった。
「テーゼ様です。着替えもなさらず、どうやら先ほどお帰りになられた様子で」
「……強引な方ね。分かりました」
起き上がって乱れた髪を編ませている間、メーウィアは昼間のことを思い出していた。今更なんの用があるというのだろうか。しかもこんな夜中に。
「フラウ、部屋の外に出ていなさい」
身支度を整えながら命令する。
「いいえ」
「昼間のことがあったでしょう、お前はテーゼ様の気に障るかもしれないわ」
「あの方はまた無茶を仰るかもしれません」
「今度はちゃんと対応します。無茶を言うのはお前の方よ、テーゼ様に刃向かう真似はやめなさい。あの方はツァイト家の次期当主、もし怒らせてしまったらプリアベル家の今後にも関わるわ」
メーウィアはきっぱりと拒絶した。主を守ることだけを考えるのではなく身分の差を自覚して欲しかった。毅然としたその態度にフラウの動揺が声となり、空気を震わせる。
「もう失礼なことはいたしません、ですからお側に」
「だったら私の命令に従わなかった理由を聞かせなさい。私が怒っていないとでも思うの」
ずっと頼っていたからこんな風になってしまったのかもしれない。主がしっかりしていれば使用人があのような行動に出ることもないのに。それなのに、フラウを責めることしか出来ない自分の弱さに嫌気が差した。
「問題があれば呼びます。扉の前で待っていて」
「……はい」
寝室を出る。無駄に二十日近くも過ごしていたわけではない、部屋の中なら杖がなくても振る舞えるようになっていた。
「お待たせしました」
フラウはメーウィアの準備が整うのを確かめると扉を開き、来客を招き入れる。そして命令通りに退室した。
「起こしてしまったようだな」
低音の声は深みのある落ち着きを伴っていて、耳を澄ませるだけでは感情を読み取ることは出来ない。貴族としての誇りと気位の高さ、この二つを備えているということ以外は。
「随分とお帰りが遅いのですね。こんな時間まで仕事を?」
「俺のことはどうでも良い」
突き放されてメーウィアは沈黙した。この人の直線的な物言いも、自分にはもう関係ないのだと思うとなにも感じなかった。
「……いや、違うな」
「……」
「どうしても今夜中に。明日になったらお前は出て行ってしまうだろうからな」
次に続けられた言葉はメーウィアの眠気を覚ますのに十分だった。
「前言は撤回する。まさか断られるとは思わなかった。動揺した、許してもらいたい」
「あの」
王城に同行するよう強要したことを、失望したとメーウィアに告げたことを謝るというのだろうか。意外なことを深夜に告げられて戸惑った。
「俺には良く分からないからな。お前の姿を見ていたらあの程度はこなせるものだと思い込んだ」
「私のことを、どんな風に見て下さっていたの?」
好奇心から出た問いに答えはなかった。
「話はそれだけだ。出て行く必要はない、起こして悪かった」
「お待ち下さい。私はもう」
衝動的に追いかけた身体が距離感を掴めずテーゼに体当たりする。
「っ!」
「なんだ、落ち着きのない」
ぶつけた鼻を抑えながらメーウィアは姿勢を戻した。戻された、と言った方が正しいかもしれない。肩を掴まれ引き離されたからだ。
「申し訳ありません」
右肩に力が加わったのを感じ、メーウィアはその場に固定されてしまう。うろたえ、顔を背けてもテーゼが手を緩めることはなかった。
「不可解なことがある。いつも使用人を側から離さないそうだな。俺の姉が庭園に招待した時も近くまで連れて来ていたと聞いている」
「なに、を」
「コアからの報告では忠実に良く従っていると。身分も弁えず俺に盾突いた。あの使用人はお前のなんだ?」
やはり気に障ったのだとメーウィアは用意していた謝罪の言葉を述べた。
「フラウは幼少の頃から私に仕えている使用人です。無礼を働いたのは主として謝ります。私を心配するが故なのです、お許し下さい」
「お前は相手の目を見て話さない」
「……それは」
脈絡を無視したテーゼの言葉には追及の意が含まれていた。
「先日踊ったのを覚えているか? あの時もお前は俺の顔を見ようとはしなかった。毅然と振る舞い自信に満ちあふれていたというのにだ」
――それは、焦点が合わないから。離れているならともかく至近距離で目を見つめられたら見えていないことが知られてしまう。
「私は」
「なにが気に入らない」
「やめて……!」
顎を持ち上げられてメーウィアは小さく悲鳴を上げた。抗うことを許さない強い力。せめてもの抵抗にと固く瞳を閉じる。
「お願いです、やめて下さい」
睫毛を震わせてメーウィアは懇願した。
「明日になれば家に帰ります。私はツァイト家の花嫁には相応しくありません、ですから」
「相応しいかどうかはツァイト家が決める。お前に決定権を与えた覚えはない」
「……」
「なぜそうまでして執拗に隠そうとする。見えないのだろう、目が」
心臓が跳ねた。顎に添えられた指を感じながらきつく唇を引き結ぶ。
「お前のことを調べさせてもらった。プリアベル家の令嬢は生まれつき目が悪いそうだな、それも時を経て回復したという話になっていたが……注意深く観察していれば分かる。見えないことではない、お前が必死にそれを隠そうとしていることがだ。俺が寄越した本はあの使用人に読ませたのだろう。目が不自由な女は選ばれないと思ったか? 常識的な判断は下せるようだな」
「放して下さい……っ」
手で払おうとするも逆に捕らえられ、力も敵わずにメーウィアは叫ぶ。
「迷惑をかけた覚えはないわ!」
「その身体で招待に応じるとはな、姉上は気づかなかったということか」
あくまで冷静に返ってくる言葉に全身が熱くなって形振り構わずもう一度叫んだ。
「見えないからなんだというの?! 私はずっと努力してきた、教養も、作法も、誰にも負けないわ。ずっとよ!」
不安に押し潰されてしまう。誰にも見抜かれないよう必死に訓練した。築き上げた物が脆くも崩れ去る日が来るなんて信じたくはなかった。だからもうこの家を、花嫁候補の立場から逃げ出したかった。
「あの使用人はそのためだな」
転ばないための。杖がある時のメーウィアはいつも完璧な貴族令嬢だった。
「私の秘密を暴いて満足? 貴方に分かってもらうつもりなんてないわ、こんな……っ」
「もう良い」
深いため息がメーウィアを惨めな気持ちに突き落とした。
「……誰にも言わないで。他にはなにも望まないから、誰にも」
隠し通せるとは思っていなかった。なのに、どうしてもっと早く帰ろうとしなかったのだろう。失格にならずとも出て行った候補は他にもいたというのに。
「出て行きます、今すぐにでも」
「相応しくないと分かっていながらもお前は今日まで残った。候補を降りる必要はない、なんども言わせるな」
感情に欠けた声など慰めにもならない。花嫁になれない花嫁候補を残らせて一体どうしたいと言うのだろうか。
「もう、私を追いつめないで……」
フラウのところへ、廊下に逃げようと駆けた。縋りつくようにして扉まで辿り着く。分厚い出口を押さえられたと気づいたのは塗り固められたように動かなかったからだった。
「お嬢様!」
助けを求める前にフラウの声が届いた。扉は開かない。一瞬の差で、錠の下りる音が鳴った。
「それだけ努力を重ねておきながら逆境に立ち向かう勇気はないのか。差別が怖いのか? 生まれた時からどうにもならない欠陥なら俺にもある」
扉を叩く音が途切れたのは自分の腕が止まったからだと、気づくのにメーウィアは数秒を要した。
「……ツァイト家の嫡子として生まれなかったことだ」
「お嬢様、鍵を開けて下さい!」
テーゼの言葉を打ち消すようにフラウの声が頭に響いた。手は意思とは無関係に言われるままに錠の場所を探る。手首を掴まれて探すのをやめてしまったのも無意識だった。
「メーウィア」
「お嬢様っ!」
背後から強く抱き締められる。抗わなかった。
打ち消されそうになった言葉を蘇らせながら、人形のように呆然としていた。