第十二話:Out of the blood
ツァイト正夫人はメーウィアが訴えられた時に初めて姿を見せた。候補同士の仲裁役を買って出たのだとしたら、エウロラはかなり頻繁に取り入っていたのだろう。正夫人は泣きついたエウロラに優しかった。
「貴女は容姿が優れているだけでなく家柄も申し分ないわ。ツァイト家に必要なのは家格。花嫁には貴女が相応しいと私は思っています」
それだけに、正夫人にかけられた言葉にメーウィアは面食らってしまった。
「……ありがとうございます」
手元にはいつもとは違う上質な茶が香る。エウロラは候補から外されてしまったのだろうか。そんなことを考えながらもテーゼの言葉が忘れられなくて気持ちは沈んでいた。
――失望。
目が見えなくても、見えないからこそ誰にも負けたくなかった。差別も同情も受けたくはなかった。他の令嬢の誰よりも自分が優れている証拠が欲しかった。花嫁に選ばれたかった。でも、そんなことは不可能なのだと思い知らされただけだった。
「テーゼが貴女を気に入っているようですから。愛想の悪い子でしょう?」
「そんなことは。それに私は気に入られてなど」
たった今、最悪の心象を与えてきたところだった。悔しかった。この目が不自由でなければ要求に応えることが出来たのに。見えないことを言い訳にしたくないのに思わずにはいられなかった。
「無理をなさらなくてよろしいのよ。あの子の傲慢さには私も手を焼いているのです。地位を得てからはますます鼻持ちならなくなって……ツァイト家の花嫁に選ばれてもあんな子が結婚相手では、母である私でも不憫に思いますもの」
どう返事をすべきかメーウィアは悩んだ。確かに女性に対する配慮に欠ける人だとは思う。強引で、傲慢だと思われても仕方がないかもしれない。でも、これが母親の言葉なのだろうか。彼は決して表面だけの人ではなかった。親ならばメーウィアよりも良く分かるはずなのに。
「そこでお話があるのですが」
正夫人はわずかに声を落とした。
「長男のテーゼではなく、次男ダストの妻になるというのはどうかしら?」
「……」
「突然の話で驚きでしょうね。なぜそんなことを言われるのかと。ですが、候補を集め選出する方法を取ったのはダストに相応しい花嫁を探すためでもあるのです」
正夫人は茶を口に含む。耳障りでない、上品な茶器の音が鳴った。
「有力貴族の間では有名なのですが貴女はご存知ないかもしれませんね。実は、テーゼは当家の嫡子ではありません。事情があって当主の弟夫婦から養子として迎えているのです」
告げられたのは奇妙な事実。それが花嫁候補とどう結びつくのか、正夫人の提案にはどこか不穏なものが漂っていた。
「我が子ではない、と申し上げれば女性の貴女にも分かり易いかしら。私の子であり当主の血を引くダストには第二の相続権しか与えられていません。本来ならばあの子がすべてを受け継ぐはずでしたのに……」
話がおかしな方向に進み始めていることにメーウィアは気づいた。正夫人にしてみればテーゼはツァイト家の正統な跡継ぎではない、しかし。
「私がダスト様と結婚すれば事態は変わるのでしょうか。相続権は移動しないように思いますが」
当主がテーゼを跡継ぎに指名しているのならどうしようもないだろう。決定権は家の主が握っている。
「ええそうです。テーゼから貴女を奪っても残りの候補のどちらかが選ばれるのでしょうね。ですがあの子が気に入っているのは貴女です、一矢報いたいと思うこの気持ちを察して頂けないかしら。貴女としては当主夫人になりたい気持ちが勝るかもしれませんが、プリアベル家がそこまで欲するのは望みが過ぎるというものでしょう?」
ツァイト家の子息ならどちらでもプリアベル家にとって理想的な結婚相手だと言える。それでも、自分の欠陥を知られてしまうくらいなら。知られてしまったらどのみちこの家にはいられない。
「正夫人、それは……私ではお役に立てません。私はたった今、テーゼ様から失格を言い渡されたところなのです。正式にはまだ告げられていませんが、明日には帰る準備を」
望まぬ形とはいえ帰る口実を作れたのは都合が良かった。今のメーウィアにはもう、ツァイト家の花嫁になりたいという気持ちはない。
「なにを仰るの!」
正夫人は声を荒げてメーウィアの言葉を否定した。
「テーゼが貴女を失格にするなど……どうしてそんなことを。ああ、そうだわ。あの子は言葉を選びませんからね。言い渡されたというのならそれは貴女の思い違いです。だって有り得ませんもの、そんなことは」
「正夫人?」
「テーゼには貴女しかいないのです、あの子には貴女だけ。ですが、だからこそダストと結婚して下さるなら、貴女のツァイト家での立場は私が全面的に保障しましょう。悪い話ではないはずですよ。テーゼは……無愛想でお世辞の一つも言えないあの子に味方と呼べる存在は殆どいませんからね。上手な世渡りの方法はお分かりでしょうね? プリアベル令嬢」
正夫人の言葉は高圧的だった。辞退を許さない強い口調にメーウィアは戸惑う。即答は避けるべきだ、と判断を下すのが精一杯だった。
「少し、考える時間を下さい」
「良いお返事を期待していますよ」
断る理由を考えなければならなかった。
「大丈夫ですか、お嬢様」
「……大げさね。でも、そうね……少し」
正夫人が席を外し、客間まで迎えに来たフラウにメーウィアは弱々しく微笑んだ。目が見えないだけでも辛いのにこれ以上は。でも、挫けている場合ではない。
「お嬢様」
「戻ります」
使用人を不安にさせてはならない。それが主として出来る唯一のこと。自分を信じて尽くしてくれるフラウのために、メーウィアは席を立った。
夜が訪れるまでは気の遠くなるほどに長い時間だった。使用人に聞かせるような話ではないことは分かっていた。それでも相談相手はフラウしかいなかった。たった一人、心を許せる相手は。
「テーゼ様が嫡子ではない?!」
「声を落としなさい。ツァイト家のことを調べた時に分からなかったの? 正夫人は有名な話だと仰っていたわ」
寝台に腰掛けてメーウィアは打ち明けた。儚い視力とはいえ両目を休めるために瞼を閉じる。
「そんな、詳しく調べれば分かったかもしれませんが、まさか……ではなぜ、あの方が次期当主に」
「ツァイト家の今の権勢はテーゼ様が築かれたもの。だからこそあの方を粗略には扱えないのでしょう」
「だからテーゼ様が跡継ぎに指名されていると? 横暴な、その話が本当なら血筋として正しいのはダスト様ではありませんか」
当主が指名したのが養子のテーゼであっても相続の正統性は実子のダストにある。どれだけテーゼが功績を上げてもツァイト家に貢献しても、それは揺るがない事実だった。更に言えば、家格を欲するツァイト家にとっては養子に家を継がせることなど負の要因にしかなり得ない。
「そうね。フラウ、正夫人は私にダスト様との結婚を勧められたわ。テーゼ様の花嫁候補である、私に」
「な……」
「この家であの方は、テーゼ様は疎まれていらっしゃるのでしょう。色々と辛い思いをされているのかもしれません」
努力だけではどうすることも出来ない、変わらない事実。変えられない現実。だとしたらなぜ、当主は正統でない者を跡継ぎと定めたのか。一族の反発を招くことが分からないはずもないのに。ツァイト家には四人の娘、男児に恵まれなかったから? それならばダストが生まれた時点で相続権を移動させて然るべきだった。それを非情と言うのが筋違いだというのは貴族として生まれたメーウィアにも理解出来る。物事には優先順位が存在するのだから。
「お嬢様、プリアベル家に帰りましょう」
膝の上に置いたメーウィアの両手を握り締め、フラウは主張した。その声には固い決意が滲んでいた。
「このままではツァイト家の騒動に巻き込まれてしまいます。お嬢様は利用されるだけです。もう、よろしいではありませんか。ここまで残ることが出来て……世間でお嬢様の評判が上がることは間違いないのですから、それがプリアベル家のためにもなります」
潮時だった。どちらにしろメーウィアはツァイト家の花嫁にはなれない。後は正夫人を怒らせないように返事を考えるべきだった。
「私も同じことを考えていたところよ」
閉じていた両目を薄く開いてメーウィアは頷いた。