第十一話:Mawie
「メーウィア様、中間報告です」
風の強い午後、いつもより大幅に遅れて来たコアが告げた。外出を控えてくつろいでいたメーウィアは先日貰った本を読めもしないのに広げているところだった。
「この前の報告からまだ六日しか経っていないけれど?」
「はい! ですが選考はとっても進んだみたいで今日で三名様までに絞られたんですっ」
「……どういうこと?」
まだ試験期間は半分ほどしか過ぎていない。それなのに残り三名という少なさは最終候補の数ではないだろうか。自分が残されていることを今度は流石に訝しんだ。
「どうして私が残されているのかしら」
「先日テーゼ様とお食事をなさったではありませんか。評価の場ではその話で持ちきりだったそうですよ! それでついに、正夫人からお声がかかりました。是非一度お話ししましょう、とのこと」
「あれだけで? 私は貴族としての礼を尽くしただけです」
そして彼の人柄を確かめたかっただけ。拍子抜けだった。その程度のことを評価してもらっても特に嬉しくはない。
「メーウィア様、テーゼ様はとっても手厳しい方なのです。外見からして近寄り難い雰囲気をお持ちでしょう? ですからメーウィア様のお誘いは大胆で勇気があって、度胸もおありだとツァイト家の方々を驚かせたのですよ」
「……」
手厳しいというよりも直線的だと思った。真っ直ぐに過ぎる。律儀なところもあるのに言葉を選ばないから印象が悪くなってしまうのだと。
外見などは関係ない。少なくとも、メーウィアにとっては。
「メーウィア様、余計なことかもしれませんけど……お気をつけ下さいね。あの方にとっては性別なんて関係ありませんから。テーゼ様とお近づきになろうとした候補様は他にもいらっしゃったのですが、厳しいお言葉に耐えられず殆どの方が出て行かれてしまったのです」
言葉を選ばないから口調が鋭くなる。それを厳しいと非難して、それだけでツァイト家の財力と権勢を諦めてしまうのは勿体無かった。前領主エンドウム家を追い落とすほどの力を持っている人だというのに。メーウィアには出て行った彼女たちが贅沢に思えてならなかった。手を取り踊ったあの日、メーウィアの実力を認めてくれた彼は厳しいだけの人ではなかった。
「それで、どうなさいます? 正夫人のお誘いの方は。あまり時間がありませんが」
「……喜んで。準備もあるでしょうから返事を先に。着替えを済ませておきます」
コアは言われた通りに下がった。
断れるわけがなかった。ツァイト家に来てから誰にも、コアにさえ目が見えないことを見抜かれていない。正夫人に気に入られれば花嫁に選ばれる可能性は一気に広がる。残された候補はもう三人だけなのだから。それまで隠し通さなければ――
隠せたとしても、どうなるというの?
メーウィアは恐れを抱き始めていた。それは、ずっと考えることを避けてきた不安。
慣れない環境での生活を強いられて。表情一つ動かさずに済んでいるのはフラウがいるからだった。もちろん、目が不自由でも常人と変わりなく振る舞えるようにと必死に訓練を重ねてきた。聞こえる音、感じる匂い、手触り、気配。視覚以外の感覚を鍛え、見えない世界で一歩を踏み出せる勇気を養った。それでも知らない場所では誰かが前を歩いてくれないと怖い。一人で庭園散策に参加した浅はかさ、無事に終わったから良いものの、そこまで強気になれた自分が今では信じられなかった。
――花嫁に選ばれてしまったらいつかは知られてしまう。
隠し通せるものなら、最初は確かにそう思っていた。矛盾した感情。候補に残ったことを喜び、心のどこかで落とされることを願っていた。
部屋で大人しくしていてもコアがいる。見える振りを続けるのは精神的にも肉体的にも辛かった。隠し通してきた秘密が、守り続けてきた誇りが砕かれることを怖れている自分がいた。
「……お嬢様。大丈夫ですか、本当に。正夫人のお招きでは私は側に控えることも出来ません」
着替えを手伝うフラウの声が暗いことに、過保護に心配しようとするその気遣いに反発する気は今のメーウィアには起こらなかった。
「席まで誘導してくれたら良いわ。話をするだけなら大丈夫よ」
「もう限界です。これ以上話が進んでしまったら」
主人が不甲斐ないから使用人が不安になる。心配などさせたくないのに、心配ばかりかけていた。
「私を信じて」
根拠のない言葉は自分を信じさせることすら出来はしない。
扉を叩く音にフラウが急いで着衣を仕上げる。
「早いですね、正夫人の使いでしょうか」
温もりが側を離れる。出迎えに応じるためにメーウィアは自分で襟を正した。
「メーウィアは……いるようだな」
「テーゼ様。お嬢様に、なにか」
初めて名前を呼ばれてメーウィアは振り向いた。この時間帯、休暇でもなければ家にいるはずのない人はフラウを無視してやって来る。そうと分かったのはあからさまな気配と頭上から降ってくる声のせいだった。
「今から出仕する。同行してもらいたい」
「王城に、ですか?」
意味が分からずメーウィアは困惑した。王族に仕える臣下が集う職場は女性が足を踏み入れるような所ではない。一部の、働く女性を除いては。舞踏会でも開かれれば話は別だが、もしそうであってもプリアベル家の娘など絶対に招待されない世界だった。
「他にどこがある。早くしろ」
苛立った声がメーウィアを急かす。しかし、簡単に言いなりにはなれなかった。
「お待ち下さい。私のような者が……それに今から正夫人とお会いする約束を」
「予定があるなら変更しろ。相手は王だ」
「え……っ?!」
「王だと言っている」
柄にもない声を上げてメーウィアは動揺する。唐突に王という名称が出たことへの驚き。名門と名がついているだけの無力な貴族には与えられようもない破格の待遇、なぜ自分が王に会えるのか、なぜテーゼがそんなことをするのか、混乱に陥ってしまい疑問を抱くどころではなかった。
「待って、待って下さい、私は……っ」
「突然過ぎます、せめて理由を」
乱暴に腕を掴まれたメーウィアをフラウが助けた。肩を抱く手に押しやられ、背後に回される。その背を盾に高鳴る鼓動を懸命に抑えた。
「随分気に入られている使用人と見えるな。生意気に口出ししてくるとは」
「この方をお守りするために雇われています。貴方が誰であろうと関係ありません」
「守る、だと?」
怯むことなく庇おうとするフラウを、今度は助けるためにメーウィアは頭を回さなければならなかった。平民が貴族を相手に勝てるわけがない。プリアベル家がツァイト家に盾突くことよりも絶望的な、最初から勝負の見えている対決。
「フラウ、下がりなさい」
力ない声では従わせることは出来なかった。前に出ようとしても、広い背中はそれを許さない。
「フラウ……!」
自分の無力さに胸が締めつけられる。思い過ごしなどではない、やはりフラウは言うことを聞かなくなっていた。どうして。切実な声を聞き届けたのは、テーゼの方だった。
「なら選べ。候補として残るか、今ここで失格になるか」
「……そんな」
助けを差し伸べるような甘い言葉ではなかった。強引な選択を迫られてメーウィアは言葉を失う。王に会うことを怖れているのではない。虚勢を張ってでも出て行きたいくらい光栄なことだった。
「フラウを……連れて行っても構いませんか」
「ふざけてるのか?」
即座に潰された願いはメーウィアを途方に暮れさせた。従えば杖も持たずに未知の王城を歩かなければならない。それも、目が見えないことを隠したまま。
「無理です」
足が竦んで動けなかった。
「無理です。行けません」
悔しさから逃れられないと分かっていても両手で顔を覆う。丁度その時、コアが戻って来た音にさえ気づけなかった。
「あら? 私ったら扉を、え……?」
間が悪く話を中断させる声。テーゼ様? と言葉は続いたが応じる者はいない。
「失望した。その程度の覚悟もないとは。見せかけだけの誇りだな」
なにも言えなかった。
「失礼な方だ!」
皮肉を残して去って行くテーゼを引き止めることも、憤るフラウをたしなめることも。
「あの、メーウィア様、どうなさったのですか。私……邪魔を」
「いいえ。準備は出来ています、行きましょう」
表情を凍らせてメーウィアは答えた。