第九話(1):Triangle
木漏れ日の下で二人が再会した折、メーウィアは気づかなかったのだがテーゼにも同伴者がいた。ツァイト家の当主オルドだった。
踊り始めた二人を見守りながらオルドは息子の意外な行動を分析していた。今日の今までテーゼが花嫁候補個人に関心を示したことなどなかったのだ。姿を認めて足を止めたのにも驚いたが、そこから更に声をかけ、踊り出すとは思わなかった。恐らくあの花嫁候補――先日ルシルターク家の令嬢と揉めていた娘だ――が”どんな曲でも踊ってみせる”と言ったからだろう。努力を重ねて周囲に自分を認めさせていた息子はそういうのが好きだった。異性への関心ではない、自負心に満ちた才能が。もちろん言葉と実力が一致していれば、の話だが。
「なるほど」
無意識に声が出た。
これも審査に含まれると分かっていないわけではないだろう。しかし緊張しているようには見えない。形を整えるためだけの強引な足取りだが自尊心の強いテーゼを相手に大したものだった。ツァイト家の長男は道理を通して話せば物分かりは良い方なのだが、外見で損をしている。不機嫌そうな顔と威圧感に恐れをなす者が多いのだ。愛想のなさがそれに拍車をかけている。
オルドは息子がろくに踊れないことを知っていた。だからそれを隠そうともしない態度に苦笑を禁じえなかった。花嫁候補から踊れないくせにと責められたとしても、自信があるなら上手く操ってみせろと、平然とした顔で言ってのけることだろう。
中々釣り合いの取れない二人の足取りを微笑ましく眺めながら別の場所に視点を移動させる。眼差しは厳しいものへと変わっていた。
「テーゼ、あれは気をつけた方が良いかもしれないよ」
「私はそのように思いませんでしたが」
戻って来たテーゼに、違う、とオルドは首を横に振った。
「私が言っているのは使用人の方だ。あれは使用人が主人を見守る目ではない」
色恋沙汰とは無縁の人生を送ってきた息子を憐れに見遣る。
「凄い顔でお前を睨んでいたよ。もし彼女を有力候補に入れるつもりなら注意が必要かもしれない。憶測で物を言うのも難だが……父親としての意見を言わせてもらうとだね、大事な娘に男の使用人をつけるなど、普通はしない」
答えはない。テーゼは去って行く花嫁候補の後姿を眺めていた。たぶん話は通じていないだろうと、オルドは心中で嘆息した。
「……使用人はともかく、彼女は妙な気がしました」
「そうかな?」
オルドは頭を捻って記憶を呼び起こしてみるが失敗に終わる。テーゼを射抜くような使用人の目が脳裏に焼きついて離れなかったのだ。
「時間が勿体無い、執務に戻りましょう。地域によって作物の収穫量に差が出ています。原因を調べなければ。申告に虚偽があるかもしれません」
「ああ、そうだね」
領主の仕事を思い出して息子と肩を並べる。王城での仕官がない日はこうやって、次期当主に相応しい家事を手伝わせるのがオルドの日常だった。
◆
「メーウィア様、あの、珍しいですね。こんなに長い時間フラウがお側にいないなんて……私、代わりに朝食を取りに行った方がよろしいでしょうか」
いつものように部屋を訪れたコアはメーウィアが一人で窓辺に佇み、いるはずのフラウが中々姿を見せないことに首を傾げた。
「朝早くにテーゼ様がお召しになりました。そろそろ戻って来ると良いけれど」
座って休もうとメーウィアは窓から離れる。しかし、歩測を誤ってソファに足を引っ掛けてしまった。
「……っ」
「まあ、大丈夫ですか?」
角にぶつけて鋭い痛みが走る。部屋の中はかなり歩けるようになっていたのに。油断。少しでも感覚がずれると上手く行かない。
「構わないで」
気を取り直してゆっくり身体を沈めた。
テーゼがフラウを呼び出したのはメーウィアに用件あってのことだが気になって仕方がない。自分のことを少しでも気にかけてくれたのだろうか。ミゼルはつまらない男、と断じた。なんの面白味もないと。ならばなぜ、あの時メーウィアの顔は綻んだのか。ミゼルも自分も彼に対する判断材料が少なかった。
「メーウィア様、フラウがテーゼ様のお呼びを受けたというのは……」
気になるのかコアは尋ねてきた。
「昨日、庭であの方とご一緒したわ」
「えっ! テーゼ様が? あのテーゼ様が、メーウィア様と……?!」
メーウィアはわずかに身を乗り出す。
「一体どういう方なの。そんなに驚くこと?」
鋭く冷たく威圧的で。失礼な言葉ばかりが思い浮かぶのは間違いない。しかし本質はもっと違うところにあるのではないかと思った。本当に花嫁候補を――メーウィアを見下していたらあんな風に声をかけたりはしない。腕を回し、腰を引き寄せて踊ったりはしない。当の本人が、踊れないという恥をさらしてまで。
「いえっ、その、候補様がたとはあまり顔を合わせていらっしゃらないと聞いていたものですから……」
コアの驚きも今は耳を通り過ぎる。あんな風に堂々と自らの弱点を見せることが出来たなら。メーウィアは両目を閉じた。見返りは嘲笑と同情。自分の姿が重なるようで馬鹿にする気にはなれなかった。それを怖れるが故に、杖を手放すことが出来ないのだから。
「お嬢様」
扉が開いて台車の音を伴ったフラウが帰って来た。
「食事が遅くなってしまい申し訳ありません。思ったより時間がかかってしまいました」
「私も手伝います! すぐに用意しましょう」
運ばれて来た配膳台をコアが食卓まで押し運んだ。フラウの手を取り、メーウィアは朝食の席に着く。
「テーゼ様は?」
試験の経過報告を聞かされた時よりも期待と緊張を織り交ぜてメーウィアは尋ねた。
「お食事の後で」
「良いから」
フラウは少しためらいの間を置いたが食卓になにかを差し出した。自然な仕草でメーウィアの左手首に自らの手を添え、その上に乗せる。指を動かしてみる。薄い紙の質感が手のひらを撫でた。
「昨日の手ほどきの礼でしょうね。蔵書を一冊分けて頂きました。適当な物を、と言われたのですが正直選ぶのに苦労しました。その、質が高すぎて……」
疲れ切った口調だった。しかし、メーウィアは心動かされた。力のない貴族を相手に礼を尽くしてくれる態度。第一印象とあまりにも違ったからだ。テーゼがそんな風に自分を扱ってくれるとは思わなかった。
「律儀な方ね。どんな本を読まれるのかしら」
「知りたいですか?」
フラウの声音には若干嫌気が差している。それでも彼は女主人の望みを叶えた。
「『王城仕官心得四百箇条 全四巻』、『資産管理 上中下』、教本の類も多かったですね。王城の高官を務めていらっしゃるだけのことはあります」
ようやくフラウの心境を理解したメーウィアは絶句する。
「……いらないわ」
「心中お察しいたします」
ため息が部屋を満たす。コアも口を噤んでいた。
「ですから一番薄い本を頂いてきました。内容は読んでみないことには分かりませんが、王城の職務についてのことみたいですね……百頁ほどしかありませんから多少難しくても理解出来るのではないかと」
「……」
「立場的に断れません。お許し下さい」
機械的にフラウは弁解した。
酷すぎる。本の趣味はともかく、それ以前の問題で。
「……女性とおつき合いしたこと、ないのかしら」
「二日もあればゆっくり読めると思いますよ」
決して口には出さないが、フラウは自分が本を読むと言い示していた。当然だ。メーウィアは読み書きを知らない。コアがいるから婉曲な物言いにならざるを得なかった。
「そうね……」
女心を全く解さない贈り物にメーウィアの心は荒む。無難に花とか、いや、彼にとってそこまでするほどではなかったのだろう。どこかずれている。だからこそ、なのか。もっと良く知るべきだと思った。ミゼルの判断は間違っているとは思わないがあまりにも一方的な気がする。
口実ならば手に入れていた。
「では本のお礼を述べるために三日後、テーゼ様を朝食にお誘いします。昼はお忙しいでしょうから。コア、花嫁候補は二人分の朝食を要求出来る?」
「かけあってみます。そういった理由でしたら、きっと大丈夫ですよ!」
隣でフラウがグラスに水を注いで食事を促した。
「今日はもう外出されましたので後ほどお伝えしておきます」
礼に礼を返すなど儀礼的な社交辞令だったがメーウィアは少しだけ返事を期待した。そして自分にとっては花嫁候補としての、初めての積極的な行動でもあった。
「テーゼ様は普段はどのような生活をしていらっしゃるの?」
慣れた手つきで遅めの朝食を済ませる。朝は献立が決まっているともう分かっていた。前菜、切り分けた焼きたてブレッドとそれに塗るための数種のクリームペースト、南瓜のスープ。
「王城への仕官は知っているけれど……昨日は家にいらっしゃったわ」
あまりにも姿を見せないから毎日出仕しているのだと思っていた。ミゼルも初日以来一度も会わなかったと言っていた。
「王城でのお仕事は不定期ですが、お休みはあるのです」
コアは相変わらずメーウィアの秘密には気づかない。献身的に仕えるフラウの姿を見てきたからか、雑用以外ではフラウの仕事を横取りするような真似もしなかった。
つまり、メーウィアとコアの間には相変わらず一定の距離が保たれていた。
「休み中でも領主の仕事を手伝っていらっしゃるのでお忙しい方なのですが……」
つけ加えられた言葉にメーウィアは特に驚きもしなかった。そんな気はしていた。
「毎日仕事では花嫁を選んでいる暇もありませんね」
フラウがもっともなことを言う。
慌しい人だと思った。しかしこれで一つはっきりしたことがある。花嫁の選出に本人は殆ど関わっていない。時間がないだけなのか、それとも興味すらないのか。メーウィアに声をかけてきたことを考えると完全に無関心だとも思えなかった。