第六話:Progress report
ルシルタークとプリアベルの衝突――その後、幾日経った頃だろうか。ツァイト家のあちこちで花嫁候補の不満が膨らみ始めた。同じ状況下にありながらメーウィアは抱くことのなかった不満が。
「もう……我慢出来ない! 私、帰るわっ!」
「お、お嬢様、落ち着いて下さい」
床に叩きつけられた枕は爆発した怒りを分散させることも出来ず、煽りを受けた使用人たちは右往左往するばかりだった。
「こんな狭い部屋に閉じ込められて! 囚人じゃないわ、私は花嫁候補としてツァイト家に来たのよ! もう限界よ!」
「貴女こそが選ばれるかもしれないのですよ? 期日までしばらくの辛抱です」
与えられた時間を有効に使えないがための悲鳴だった。各自に割り当てられたツァイト家の使用人も一緒になってなだめようとするが殆どが逆効果に終わってしまう。
「あの、高慢な次期当主の? いいえ、結構ですわ。ツァイト家の跡継ぎだからと思って我慢して差し上げましたけど、あんな、わたくしを見下した態度……それに初日に顔を見せたきり、ちっとも出てこないではありませんの。あんな男こちらからお断りよ! お父様にお願いして別の結婚相手を探しますわっ」
それぞれ言葉は違えど同じ不満を抱えた候補たちは叫び、あるいは嘆き、勝負を捨てて帰る身支度を整え始めた。
その事実をメーウィアが知ったのは、いつもより来室が遅れたコアが試験の中間報告を持って来た時だった。
「メーウィア様、今日までに半数近くの候補様がこの家を去りました」
「そう」
メーウィアは既に朝食を済ませていた。フラウに髪を編ませながら報告を聞く。
エウロラとの一件があってからは他の候補に誘いを受けても断り、目立たないように大人しくしていた。退屈な生活を送っていたつもりが知らぬ間に審査が進んでいることを知らされ、改めて自分が花嫁候補であるのだと自覚する。そしてコアは候補を見定めるために自分に仕えているのだと。
「不合格の他に音を上げて出て行かれた方も数名いらっしゃるのです。期間中は行動を制限されますし、部屋に押し込められるのを我慢出来なかったようですね。その点、メーウィア様はご立派です! 使用人を一人しかお連れにならなかったのも謙虚で慎ましいと好評価を頂いたんですよっ」
「私の家は裕福ではないからフラウしか雇えなかったのよ」
部屋が狭いのも行動範囲が限られているのも、霧の中を彷徨うメーウィアにとっては都合の良いことばかりだった。
「でも私、メーウィア様の美しさや気高さについて報告しました。お仕えして日は浅いですけど精一杯ツァイト家の方々に伝えたつもりです。先日庭園の集いを開かれたイリア様はメーウィア様をとても気に入られたとのこと。メーウィア様、ぜひ最後まで勝ち残って下さいね!」
そんな主観に偏った抽象的な報告で良いのだろうか。冷たく素っ気ない言葉ばかりかけているのに、まさか気高さに変換されてしまうとは。メーウィアのどこが気に入ったのかコアは誇らしげに喜んでいる。
「良かったですね、お嬢様」
髪を結び終えたフラウは上機嫌に言った。自分の主人が評価されたことが嬉しいのだろう。
「騒ぎを起こしてしまったから近い内に失格になるかと思っていたけれど……」
「お嬢様の品格がそれに勝ったということでしょう。ですが、このまま本当に選ばれてしまったら……その時はどうなさるおつもりですか」
メーウィアは答えなかった。どこまで隠し通せるのか……それは考えたくないことだった。今は候補に残されているという事実――他の令嬢よりも自分が優れている証明――だけを喜んでいたい。不自由な身体は決して枷ではないのだと。
だから気を逸らしたくて窓を開けるコアの提案に耳を傾けた。
「メーウィア様、たまには外に出てみませんか? 今日は天気が良くて気持ちが良いですよ」
「勝手に動き回っても?」
「はい。本日より敷地内の庭は自由に出入り出来るようになりました。ツァイト家では広い造りになっています。候補様がたを閉じこめてしまったことを当主が憂慮して、少しでも気分転換になればと。イリア様の庭園を見学して頂いても構いませんよ。いつでも開放されていますから」
「行きましょう、フラウ」
「かしこまりました」
フラウを従えて外に出る。清々しい空気、暖かな陽射し。髪を撫でるそよ風。久し振りに外に出て解放的な気分になる。
「残った花嫁候補はなにをして暮らしているのかしらね」
「気になりますか?」
「結果をただ待っているというのは退屈だから」
メーウィアのように閉じ込められている方が好都合だから我慢出来る、という候補はまずいないだろう。だとしたらどうやって気を紛らわせているのかは気になった。
「そちら、段差になっていますのでお気をつけ下さい」
「あ」
言われたそばから足を踏み外してメーウィアは腕を伸ばす。
「……」
「言い遅れました。申し訳ありません」
気がついたら横から身体を支えられていた。不安定な重心はそのままフラウによって正される。わずかに弾んだ胸を撫で下ろし、メーウィアは地に足をつけた。
「少しお痩せになりましたね」
手を放したフラウの声は暗かった。
「気になっていたのです。お嬢様は食べ残しをされるような方ではありませんでしたから」
むっとしてメーウィアは口を噤む。ツァイト家に来てから食が細くなっていた。でも、だからどうしたというのか。品のない食べ方を責められているようで気分が悪かった。
「コアがいて四六時中審査を受けているような状態です。精神的な負担が大きいのでは……」
「家のとは味つけが違うから。すぐに慣れるわ」
必要以上に背筋を伸ばしてメーウィアは歩き始めた。すぐにフラウが追い抜いて誘導する。機嫌を損ねたと分かると余計なことは一切言わないのに、損ねると分かっていても彼は言うことをやめない。いつも見守っているのだと遠回しに主張する。それは時に嬉しく、時に苛立ちを覚えるものだった。
――少しずつでも食べる量を増やさなくては。
そして自分は結局それらの言葉を頼りにしているのだと気づかされた。
「庭が広いのは素敵ね。敷地内で散歩が出来るもの、安全だし……」
「そうですね。あの庭園は庭造りがお好きなイリア様のために増築されたそうですよ」
芝生の感触が心地良い。柔らかさを備えた地面は歩きやすかった。
「プリアベル家に残してきた花は元気かしら。フラウがいないときっと荒れてしまうわ。水遣りはお母様にお願いしておいたけれど……」
「早く帰らなければいけませんね。帰ったら一緒に剪定しましょう」
「……そうね」
フラウの言葉は心なしか急かすようにも聞こえた。いつかは帰らなければならない。いつかとは、そう遠くない日だった。