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そして幕開け

 カランカランという乾いたベルの音と共に、木造りの簡素なドアが開く。


「……いらっしゃいませ」


中にいたのは、小柄な少女。艶のある射干玉の短髪の殆どを少しぶかぶかな三角巾で抑えているために全貌は分からないが、前髪が長く両目がきっちりと隠れた特徴的な髪形をしていた。


「ちは。リューダ」


入ってきたのは、長身の青年。体格が良く、広い肩幅をしており、気さく感じのする口調からやや粗野な印象を受けるが済んだ翠色の瞳は落ち着いた光をしており、彼が無法者や無頼ではない事を伝えている。


「いつもので良いですか?」


「ああ」


大きく頷いた青年は、そのまま調理台前の席の一番端に座り、何やら楽しげに目を瞑る。

 じっと何かを考え込む様に静かに待つ青年の前で、リューダと呼ばれた少女の方が前掛けを装備すると、手早く切った野菜を浅い鍋に入れて、ジャッジャッと音を立てて手際よくそれを振るう。適量に刻まれた野菜と程よい量の肉とが絡み合い、とろりとした獣の油の臭いが店内に漂い始める。煌々と燃える炭火の臭いと一緒に濃く香る獣臭さは、この村では良く食されるオークの肉特有のものだ。


「お待ちどうさまです」


「おう。ありがとう」


肉と野菜の炒め物を少し茶色いもちもちとした食感の米と混ぜ、最後に中心に卵を一つ割って落とす。そうすれば、この店「オークの柵亭」の看板料理であるオーク肉飯の完成だ。

 礼を言って、旨そうに匙を進めることに熱中する青年を、前髪で窺いずらい表情でじっと見つめる少女。二人の間にあるのは沈黙だったが、不思議と居心地の悪い沈黙では無かった。


「こんにちはリューダちゃん!」


その店内の静かな一時が、勢い良く入ってきた一人の少女によって打ち破られた。


「ムツキ様……。いらっしゃいませ」


光。ただ、それだけがあった。

 店内に一人の少女が入ってきた、ただそれだけで、目の前の光景が宝石の散りばめられた髪留めの入った宝箱にでもなったかのようだった。もちろん中心にあしらわれた宝石はその可憐な少女だ。


勇姫・ムツキ


この村では、否、『この国』ではその一言で通じる。僅か数日前に、国の大神官達が得た神託により世界を救う聖女と呼ばれた彼女の名は、既に国全土へと鳴り響いてきた。元々、一人一節しか扱えないという制約など存在しないかの如く、様々な祝詞を操り単独で鮮やかに村を襲うオークを屠る様は、この寂れた村の村人全てに強烈な憧憬と鮮烈な印象を抱かせていたのだが、数日前にやって来た身形の良い貴族達によって告げられた、勇姫に選ばれたという事実は、それまでの彼女への憧憬を完全な畏敬へと昇華させるには十分だった。

 少女の挨拶には特に答えず、店内をきょろきょろと見回していた勇姫だったが、店内で楽しそうに食事を済ませていた青年に気が付き親しげに声を掛ける。


「あ、ボウ君。やっぱりここに居たんだ」


さらりと流れた銀色の長髪が、食堂の窓から差し込む光を反射し、キラキラと燐光を放つ。


「ああ、こんにちは、ムツキ様」


そこで、漸く皿から頭を上げた青年が、目の前の聖女の姿を見て、小さく会釈をする。そんなボウの対応に、「もう、様はいらないって言ったのに」と僅かに苦笑しながら、ひらひらと手を振る。


「こんにちは。今日はもうお仕事終わったの?」


食道の隅に座るボウの隣の席に、同じく腰かける少女。一歩一歩の動作そのものが洗練されていて、見る者を惹き付けて止まない。万象に愛されているなどという噂が村の中ではまことしやかに囁かれているが、それもあながち嘘ではないのかもしれない。


「あ、ああ」


ずいっと、見上げる様にしてボウの顔を覗き込んだムツキ。近くまでやって来た、絶世と言っても差し支えない程の美少女の(かんばせ)に、顔を赤らめてわたわたと慌てた様子でボウは頷いた。


「そっか♪」


ボウのたどたどしい返答に、くすりと小さな笑みを漏らしてムツキが頷く。その表情は何処か嬉しげで、そして同時に楽しげだった。

 ムツキとボウ。この二人はこの村で唯一の幼馴染だ。元々、子供の数もそれ程多くないこの村では珍しく本当に同い年という間柄。最近はボウの方がムツキを妙に意識してしまうことが多いのか、会話が何処かぎくしゃくした感じになるのだが、それも含めて、ムツキが抱擁してしまっている。そんな関係の幼馴染だった。


「彼と……同じもので構いませんか?」


 ニコニコと慈しむ様にボウに微笑みかけるムツキと、その視線にどこか居心地悪そうにするボウ。対照的な二人の間で一人じっと注文を待っていたリューダがぽそりと囁く様にムツキに尋ねる。


「あ、それで良いわ」


花が咲く様な笑顔だった。

 再び、店内に沈黙が落ちる。だが、今度の沈黙は先程の穏やかなものでは無く、どこか弾むような活気を感じさせる。もちろんそれを醸し出しているのは店の中心の少女に他ならなかった。


「あー、御馳走様っした」


聊か居ずらくなったのか、そそくさと食事を終えたボウが、食器を返却して立ち上がる。


「お粗末さまでした」


「おーう」


言葉少なに食器を受け取りすぐに洗い始める少女と、その相変わらずな様子に苦笑するボウ。


「むぅ」


そして、その様子をぷくっと膨れて見つめる可憐な勇姫の姿。本人としては少し怒ってもいるのだろうが、可愛らしい容姿のせいで迫力というものがいまいち感じられない。


「ねえ、ボウ君!」


「ん?」


扉を開けて店内を出ようとしたボウの広い背中にムツキの声が投げかけられる。


「午後から、剣術の修行するんだけど、付き合ってくれる?」


両手を握り、どこか期待した様子で目を潤ませながら見上げてくるムツキ。彼女の瞳のキラキラとした光に、ボウは否定の言葉を残らず封じられてしまう。尤も、ボウ自身は生まれてこの方、この可憐すぎる幼馴染のお願い拒否したことなど一度たりとも無かったりするのだが。


「ああ、良いぜ?」


「ホント!?」


笑いながら、拒否どころかむしろ嬉しそうに頷いたボウに、ムツキの表情がパアッと明るくなる。


「お、おう」


たどたどしく頷いたボウの顔に僅かながら朱が差したのに気付いたのは、一体誰だったのだろうか……。





     ◆





「やっ!」


 カツカツカツ!と乾いた音が響いていた村外れの森の中に一条、凛とした気合いと共に木刀が振られる。その筋は、一閃の光となってボウに殺到する。


「くっ!?」


軌道を見極め、刀身を立てて頸を防御するボウだったが、瞬間、ムツキの木刀がヒュンと音を立てて半円を描き、大きく軌道を切り替える。


「はっ!」


そして、叩きつけられた刃は、ボウが守る側とは正反対の面から、ぴたりと喉元を捉えた。


「……参った」


ポロリと握っていた木剣をボウが落とすのを見て、ムツキは大きく息を吐きながら、木刀を納刀する。


「ふぅ……えへ、ボウ君、ありがとう。おかげで良い練習になったよ♪」


「そうか。なら、良かった」


「あ~、また負けたな~」と苦笑しながら頷くボウの前で、達成感を甘受するかのように汗一つ掻いていない額を拭う仕草をするムツキ。その姿から、この訓練の間、大きく手を抜いていたことが見て取れるが、どこかぽやっとした天然気質でありながら、同時に見る人の心を癒し、惹き付けずには止まない彼女らしい笑顔に、ボウは「む……」と呟いて、一瞬魅入ってしまう。


「取り敢えず、ボウ君は鍛錬が不足してるね。さっきの私の最後の一撃に反応できたまでは良かったけど、速さ不足で剣を逆側に持ってこれなかったし」


と、軽い深呼吸を終えたのか、ピッと人差し指を立ててボウに忠告するムツキ。勇姫とも呼ばれる彼女の指導は的確で、常に非の打ちどころの無いものだった。


「おーい!」


「あれ?」


「む?」


と、更に助言をしようとするムツキの後ろから、壮年の村人が駆けてくる。


「ボウ!ムツキ様」


汗を掻きながら走ってきた彼は、二人の前で荒く息を吐くと、ムツキを見上げる。


「ムツキ様。大婆様がムツキ様を呼んどります」


「分かりました」


勇姫ムツキは静かに頷くと、先程までの人に好かれる様な笑みを引込め、俄かに真剣な当代勇者の表情となってボウを向き直る。


「今日の稽古はここまでだね」


「……」


にっこりと笑い、「よく私に付いてきたわね」と褒める様に、ポンポンと自分より高いボウの頭を撫でてやるムツキ。


「じゃあ、私は行くから」


そう言って、足早に村の中心にある大婆様の社へと向かうムツキをジッと見送っていたボウは、彼女の背中が見えなくなると、隣にいる男性の方に向き直る。


「それで、何があったんすか?」


「ああ」


空気が、ピンと張りつめる。勇姫とボウとの稽古とは違い、チリチリと首筋が焼ける様な痛みすら見る者に感じさせる程の鋭さだ。ボウの呼吸がいつの間にか落ち着いていた。そして、村人の表情からも勇姫に見せていた人の良さそうな笑顔が消えていた。


「村の南にエルフと、それを追う魔族が現れたらしい」


「大婆様が言っていた、勇姫の三人の仲間の一人っすか?」


「大婆様が言うにはな」


首肯する男性に、ボウも小さく頷き、そして、真っ直ぐに村の南の方にある獣道へと急ぐのだった。





     ◆





 ボウが村の外れに来ると、そこには既に先客が居た。


「すまん、遅れた」


「いえ、気になさらないでください。私も丁度今来たところですので」


無表情でボウを見上げる様に言ったのは、オークの柵亭の厨房を預かる少女。いつもの前掛け姿ではなく、一枚の大布を羽織ったリューダだった。


「で、護衛対象は?」


「今、丁度最後の橋に来たところですね」


そう言ったリューダの、薄っすらと開かれた桜色の唇からチラリと見えた朱の舌が、妙に蠱惑的だった。


「で、まだ何も仕掛けてきてはいないのか?」


「いえ……」


短く切ったリューダは、今しがた言った通り、巨大な黒塗りの弓矢を背負ったエルフの女性が居る橋の上を指差す。ボウもリューダの人差し指の先を見、そして、ある事に気が付く。


「ゴブリン……いや、オークか?」


「恐らくオークでしょう……」


指差した先で起きている、橋の終わりに生える木々の不自然な揺れ。まるで、獲物が腹に飛び込むのを待つ蛇の細い舌先の様であった。


「尤も、エルフの方も気付いているみたいですが」


長い耳と金色の長髪というエルフの特徴に、動き易いように足の付け根まで裾が切り落とされた衣服とそこから覗く瑞々しい太腿は、辺鄙な村の中には似つかわしくない華やかさを持ち、同時にその仕草は警戒をする武人のそれで、その意識が既に戦闘態勢に入っていることを知らせている。


「前の方が大丈夫という事は……」


「私達の役目は『後ろ』を彼女に気付かれずに始末することです……《増進》」


ボウの尻切れの問いに硬質な声で答えるのとほぼ同時に、リューダはボウの腕を掴んで……崖の対岸まで一足で跳躍したのだった。





     ◆





 カツカツという乾いた木の鳴る音が谷間に反響して響く。この都市部から離れた辺鄙な村に続く吊り橋を渡るのは、一人の女性のエルフだった。年の頃は人間で言えば十七程だろうか?長命種であるエルフはその外見で年齢を判断することが難しい。唯……


「……」


秀麗とも言える、横顔から覗く眼光は鋭く、触れれば斬れる刃の様な美しさを持っていた。


「……不埒な」


と、唐突にエルフがその歩みを止め、そして手に持っていた弓に背中の矢筒から引き抜いた木製の矢を番える。


「私を不意撃つつもりなら無駄だ。貴様らの生臭さは森の中では酷く臭う」


何も無い森の中をヒタと見据え宣言する。カサカサと揺れていた木の葉の動きが、その一言でぴたりと止まった。そして、


「GIGAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!」


荒れた喚声と共に、二つの影が間を置かずに飛び出してきたのだった。


「ふん……」


だが、その標的たる彼女はちらりとも焦る様子を見せなかった。敵の突貫と同時に一歩を踏み出し、その時点で既に|二本目の矢を番えていた《・・・・・・・・・・・》。


「GIA!?」


彼女が二歩目を踏み出すと同時に、オークの一体が悲鳴を上げる。見ればその左側の眼窩を彼女の木矢が深々と貫いていた。


「はっ!」


「GAAAAAAAA!?」


突如襲ってきた激痛に仰け反って悲鳴を上げるオークの一瞬の隙を逃さず、エルフの女性は深々と腰を落とし、そしてすらりと伸びた白磁の肌を持つ足で大きな半円を地に描く。

 一撃の威力はそれ程のものでは無い。しかし、鋭さ、位置、そして体重位置、それらの全てを見事に併せ持ったその一撃は、自身の四・五倍はあろうというオークの足首を的確に捉え、そして、その巨体を引っ掛ける様にして放り出す。


「AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!?!?!?」


真っ逆さま。目元を抑えたオークは、自身に何が起きたのかも分からず、ぱっくりと開いた谷の口の中へと飲み込まれていったのだった。そして、彼女の動きがそれで止まることは無かった。

 一体目のオークを突っ掛けるのとほぼ同時に、地を這う様な体勢から、彼女は二の矢を既に放っていたのだった。丁度、仲間の体の陰に隠れる様な位置から放たれた一撃だったが、その矢はオークの足元まで攻め寄ると、一瞬でその鏃の角度を引き上げてその喉へと肉薄する。しかし、


「GAN!」


一声吠える様にして全身に力を込めるオーク。常時よりも一回り程大きくなって見えたその筋肉に、木で出来た小さな矢は小さな傷だけを付けてあっさりと弾かれてしまう。


「GOAAAAAAAAAAAA!!」


「見たか!」と言わんばかりに丸太の様な両腕の拳で分厚い胸板を乱打する。


「頑丈だな……」


一体目のオークの下から出てきたエルフが、その光景に呆れた様な口調で呟く。一方のオークはその言葉を知ってか知らずか、人間やエルフにすら勝利を確信していると分かる笑みを浮かべ、前屈みになって突貫の体勢に入る。同時に、顔面で両腕を交叉させ、両目を防御する。その動作に、エルフが初めて驚いたような表情になる。


「ほう、オークの癖に学習するのか」


ともすれば侮辱とも取れる、否、侮辱としか取れない一言にオークは目に見えて色めき立つ。


「GAAAAAAAAAAAAAAAA!!」


そして、巨大な足で大地を踏みしめるどころか抉るようにして突進を開始する。片や巨岩の様な体躯のオーク。片や若木の様なエルフ。正面衝突を起こせば、その結果は誰の目にも、オークの目にすら明らかだった。が、


「私に畜生を貫く術が無いとでも思っていたのか?」


欠片の動揺すら見せず、彼女は矢を引き抜き、そして黒光りする弓へと番える。と同時に、その矢の周りを夥しい量の白い燐光が囲み、


「我が祝詞を甘く見たこと、死後の世界で悔いるがよい」


キリリと引き絞られた矢が、ぴたりとオークの両腕の交叉点を捉える。そして、


「《光矢》!!」


閃光の如く放たれたその一撃は、瞬きする間すら無くオークにぶち当たり、


「GA!?」


たったそれだけ。たったそれだけの一言しか口にさせずに、オークの「上半身を削り取った」のだった。


「ふん……」


直立不動の体勢のまま、静かにその下半身が倒れるのを見ていたエルフは、その体勢のまま、四本目の矢を番え……真正面を見据えたまま上空に向かって撃ち上げる。後は、興味を失ったように、再び目的地に向かって歩き出す。彼女の背後にどさりと落ちた、投槍を持った夜魔の姿にも、興味を示さなかった。





     ◆





 その魔族は、谷の対岸から、その圧倒的な光景を見つめていた。


「あれが、今代のエルフの戦士長ですか……」


白い頭髪と真紅の肌は、その魔族が所謂中級以上の貴族にあたることを示している。二・三考える様に顎を撫でていた壮年の魔族は、「ふむ」と小さく頷いて木陰から外へと一歩踏み出す。



―魔族―



それは、人とエルフの対極にいる存在にして、祝詞を唱えず、代わりに魔語を唱えるとされる反神の種族であった。彼らは、人やエルフの様に日に当たる場所を歩くことを好まず、代わりに闇を何よりも愛する。そして今、魔を束ねる魔王の元に集い、人間とエルフに牙を剥こうとしている敵対者だった。

 既に、大陸の半分は魔族に切り取られ、人やエルフは家畜と成り下がりつつある。そんな彼らが恐れる最大の敵。それは、彼らと正反対の意味を持ち、正反対の祝詞を唱える勇者の存在だった。

 大陸の勇者の数はある程度限られるが、同時に、その力は強力無比そのものである。先代、先々々代の魔王がどちらも勇者と名乗る人やエルフによって滅ぼされたことからも、その異常な戦力が窺えるだろう。

 そして、そのような危険存在を監視するために派遣された魔族の管理者。それがこの魔族の男であった。

 彼は今回、勇姫と呼ばれる村娘の元に、エルフの一部族の戦士長がやってくるという情報を手に入れ、その監視のために数名の魔族と共にこの場所までやってきていた。


「勇姫がどの程度の危険性を持つかは分かりませんが……。少なくともあのエルフは厄介ですね」


結果は、魔族にとってはあまり喜ばしいものでは無かった。今まで、幾度となく少数精鋭の暗殺者によって自分達の指導者を殺めてきた人とエルフの連携である。その力が強力であればある程、暗殺への警戒を強めなくてはいけなくなる。しかし、


「幸いなことに。ええ、本当に幸いなことに、とても丁度良い……」


あのエルフが村で勇姫と接触するにはまだ少しだが距離がある。威力偵察のために準備したオークも、監視役にしていた夜魔も無駄にはなったが、おかげで目の前に無防備な背中を晒すエルフは、ほぼ無警戒となっている。恐らく、夜魔を一撃で仕留めたことで、これ以上の追撃は無いと見たのだろう。ならば、今の状態で敵を不意撃つことが出来れば……。


「悪ぃけど、させねーぜ」


「!?」


一歩、静かに森から踏み出そうとしたのとほぼ同時に、彼の背中からその声は投げかけられた。


(馬鹿な!私がここまで距離を詰められたことに気が付かなかった!?)


驚愕の表情になりながらも素早く後ろを振り返った魔族の男の目に映ったのは、直立不動の体勢で、自分の髪を整える男の姿だった。

 大きな貝に詰められた油の様な物を手に取りその緑掛かった黒い髪に塗り付けていく。

右側、左側……

 そして、それが終わると、今度は米神から耳の後ろ、項にかけての頭髪を櫛で後頭部に揃えていく。塗り付けられた油によってその工程が終わると、最後に前髪を持ち上げて、大きな鶏冠を形作っていく。櫛を一つ塗り付けていく都度に、出来上がっていく髪形の威圧感と戦場に相応しくないその行動に、魔族は虚を突かれて行動を停止している。が、それだけではない。何故か、目の前の男の動きから、目を逸らすことが出来なかった。蛇に睨まれた蛙の様に、否、猛禽類に狙いを定められた鼠の様にだろうか?ただの作業の間に、魔族は全く動くことが出来なかった。


「ここで」


頭髪を整え終えた男が、緑色の瞳で魔族を捉える。先程のエルフの戦いを見ても全く怯まなかった筈の魔族の心に、恐怖という感情が湧き上がってきた。


「消えてもらうぜ」


踏み出した男の巨躯により、潰された枝がペキリと呆気なくへし折れる。その小枝が、自分の未来を暗示しているかのような感覚に陥った。


「《瞬消》」


そして、魔族の反応が一瞬遅れ、


「《増進》」


風変わりな髪形の男の後ろから飛び出してきた、大きな影(・・・・)によって、彼の頭はぺしゃりと呆気なく潰されたのだった。




「意外と呆気なく終わりましたね」


 呟きながら、リューダがその巨大な(・・・)拳を地面から引き抜く。


「中位以上の魔族だったみたいだけど、監視役だったなのかもな」


リューダの一撃の余波で乱れかけた髪形を整えなおしながら、ボウは祝詞の効果を切る。


「しっかし、相変わらず凄いな」


そして、並び立つリューダを見上げながら(・・・・・・)感想を漏らした。

 今のリューダは、小柄な少女とは全くの別物の、隆々の筋肉を搭載したオークすらも超える巨体を有した姿となっていた。両腕はボウの太腿程もあるだろうか?くっきりと割れた筋肉の中でもはっきりと分かる程に豊かな胸元以外を見れば、到底人間の、しかも女性のものとは思えないだろう。


「私としては、女性らしさからかけ離れたこの姿は少々思うところもあるのですが……」


話しながら祝詞を解いたのだろう。綺麗に六つの塊からなる腹筋やボウの腹よりも太い太腿が見る見るうちに小さくなり、そして、最後にはボウから丁度旋毛を見下ろせるほどの身長に収まる。全体的に小柄でほっそりとした、唯一胸元だけが自己主張している、ごくごく女性らしい体型に回帰したリューダは、珍しく愚痴る様な声音で自分の肉体を見下ろす。


「何より、この祝詞のせいで、可愛らしい下着を着用することが出来ません。普通の下着だと祝詞を唱えた後に破れてしまいますから、紐状の物しか購入できないのは欠点です」


無表情ながら不満そうな様子のリューダに、「そういうもんか」と納得した表情になるボウだったが、視線の先に件のエルフの後姿を捉えると、俄かに真剣な表情になる。


「護衛の為とはいえ、中位魔族を倒した以上、魔族もこの村の勇姫の事は警戒するかな?」


「ええ、ですが幸いなことに当事者である魔族は全て消し終えました。となれば、魔族の警戒は村ではなく勇姫、もしくはあのエルフに行くかと」


「村全体の防御は難しくとも、勇姫一人を影から護衛することならば可能です」と呟く様に言うリューダの言葉に、肩を竦めるボウ。


「まあ、否応無しに始まる訳だな」


「ええ、『勇姫剣聖譚』という名の歴史の一片が……」


「歴史ねぇ」


珍しく、皮肉気に笑ったボウの一言に、リューダが元の無表情となって頷く。


「ええ、歴史です。辺鄙な村で生まれた一人の英雄が人間とエルフを救う為に魔王を討つ。その事実に、人は勇気を貰い、同時に自らも勇気を発しようとする」


独り言の様に囁きながら、羽織の内袋にでも入っていたのか、一冊の本に炭で字を書き連ねていくリューダ。


「私達の役目は、その歴史に起伏を与え、同時に勇姫の実力に合致した適度な困難以外を排除して物語に起承転結を与える事。または、英雄譚には相応しくない事柄を排除して英雄に神秘性と高潔性を与える事」


呪文の様に、或いは自らに言い聞かせるかの様に呟くリューダだったが、その間も止まる事なく動き続けた彼女の手はすぐに備忘録を書き終えたのか、ぴたりと動きを止める。


「『完璧な英雄譚』の作成。それが、私達が大婆様より言い渡された使命です」


そう言って、隣に立つボウを無言で見上げるリューダ。じっと、その前髪に隠れた視線を受け止めていたボウだったが、すぐに溜息を吐いて少女の頭をくしゃくしゃっと乱暴に撫でつけた。


「分かってるさ」


「……」


「まあ、やること自体は取材が殆どなんだろ?なら、俺が拒否する理由は特に無ぇしな。それに、一応数年来の相棒が役目を言い渡されているんだし、付き合うぜ」


そう言って肩を竦めるいつもの仕草をするボウから視線を外し、リューダは乱れた髪を無言で整え直す。


「で、一先ず、第一幕は終わったって事で良いのか?」


「はい。複数のオークを鮮やかに屠り、隙を狙っていた夜魔もあっさりと始末するエルフの美女。とても絵になると考えられます。まだまだ序章の序章ではありますが」


村の入り口に入って行くエルフの女性の後姿を確認し、ボウはくは~っと欠伸をする。見上げた空は何処までも広い。


「英雄譚を行う人に記す人、そのまた旅路を護る人……か」


その一言は、誰かに向けたものか。あるいは自問自答だったのか。聞いていたのは、隣に立つ自らが使命を共有した少女のみ。彼女もまた、彼とは異なる目的を持ちながら、同じ旅路へと想いを馳せていた。





「ところでだ」


「何ですか?」


「英雄譚の題名は決まっているのか?」


「一応『勇姫伝説』か『勇姫剣聖譚』にしようかと思っていますが」


「横文字じゃないんだな。『ムツキ・サーガ』とかそんな感じかと思ってたぜ」


「字面が間抜けなので没にしました」






ここまで読んでくれた方、ありがとうございます。

というわけで、英雄譚ぽい別の何かになりそうな感じばりばりですね。


ヒロイックテイル(英雄譚)

クリエイターズ(製作者達)


まあ、そんなわけでスタートです。

のろのろとした更新になるとは思いますが、楽しんでいただけたら幸いです。


P.S.

もしよろしければ、感想いただけると幸いです。


P.S.2

ちなみに、ボウの頭は古きリーゼント頭。

何故か、書いているうちに無性に主人公をリーゼントにしたくなったので

リューダはメカクレ。

髪型に妙なフェチでも持っているのかな?俺……


P.S.3

内容修正

いまいち定まっていなかったボウとリューダの性格を固定するために修正しました

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