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ここの話には“挿絵”が入っています。
小説のイメージを壊したくない方、ぬーんのイラストが苦手なかたなどは
挿絵表示をOFFにすることをおススメします。
俺の名前は榊原優太。“未解決事件対策本部”にて警部を勤めているエリートだ。
そんなエリートの俺は幼い頃から警察を志し、知識の他にも様々な護身術を自身に詰め込んだ。
例えば今の状況である。
俺はターゲットに向かいすでに走り出しており、攻撃圏内に入った途端地面を蹴り出し身体を回転させその遠心力で威力を増した蹴りを相手の鳩尾に決めていた。
相手の身体がぐにゃっと蹴られた場所から働くベクトルの方向に倒れていくのがスローモーションで見える。
俺は攻撃をやめることなく慣性の法則により止まらない身体の回転を、上半身をかがめ片手を地面につけたところで緩める。
その瞬間蹴りを繰り出していない反対の足を相手の腕に絡め、そのまま地面に叩き付けたところで身体を回転の力が働く向きにもう半回転させて相手の上に乗り自由を奪った。
上肢部の右腕関節を足で固定し、もう片方の手は自由に動く手で固定しているのでこれで拘束完了である。
ちなみに俺がこのような行動を取った理由は三つほどある。
一つ目はエミリアとの会話中に感じた悪感の正体、殺気。
二つ目はその殺気の正体となる人物が片手に凶器となるであろう大型の中華包丁を持っていたから。
そして三つ目はその人物は瞳孔が開き正気と言える状態に見えなかったからである。
この三つのキーワードから俺は瞬時に“危険人物”だと判断し、拘束すべく行動を起こした。
そうして今に至る。行動を起こしてからざっと6秒。
持っていた凶器が銃器などの遠隔武器じゃなかったのが幸いだったと考えられるだろう。
「すっごーい!ゆうたん、今の映画のワンシーンみたいだったよ!」
エミリアは俺の様子を見てきゃっきゃとはしゃいでいた。
…そんなこと言ってる場合じゃないだろうと俺は心の中で突っ込みながら、空いている右手で内ポケットから警察手帳を出し開いた。
「警視長警部、榊原優太だ。そんなもの持って何してる?」
ちらっと中華包丁に目を向ける。
こんな目立つものを持って住宅街を歩くとは…通り魔目的だったのだろうか。
相手からの反応はない。
ただ小さくうなり声を上げているだけだった。
ちなみに30代後半から40代くらいの男性で、中肉中背。
肌の色や瞳孔が開いているところを見ると薬でもやっているのだろう。
そんなことを考えていると、途端に後ろからエミリアの声が響いた。
「ゆうたん!離れて!」
俺はその言葉に直感的に反応し、咄嗟に体を後ろに仰け反った。
ヒュンッ
と空気を切る音が聞こえ、目の前を何かが横切った。
…中華包丁?あれ?
目の前の男は俺の手を振りほどき中華包丁を握る腕を異常可動|(ありえない方向に四肢が動くこと)させ、俺に向かって振りかざしていた。
骨が折れているなんていうレベルではない。
一瞬骨がないのではと疑う程だった。
俺は男から離れ、拘束を解除せざるをえなかった。
エミリアの声が無かったら横から頭を裂かれるところだっただろう。
とりあえずエミリアの近くまで下がり様子を窺う。
「拘束よりもまず持ってる凶器をどうにかすべきだったねー。まぁあいつ相手に素手じゃどうもできないと思うけど。」
エミリアは俺にそう言ってにししと笑った。
…楽しんでいるのだろうか。
最初からそうなるのがわかっていたかのようなエミリアに少し苛立ちを覚えたが、自分の行動に落ち度があったのも確かだったので素直に謝っておくことにした。
コマンドサンボではなくカポエラかテコンドーで行くべきだったか。
「あ、あ、ぁ、あああああああああああああああ。」
目の前の男はぐにゃりとあらぬ方向をむいた腕を前に戻してうめき声を上げた。
その光景に昔見たホラー映画のワンシーンを思い出す。
確かその映画の人物も人間とは思えない動きをしながら人に襲い掛かっていた気がする。
「…どうしましょう、警視長。」
とりあえず上司に判断を委ねてみる。
このような重度の精神疾患を患った人間を相手にするのはなにぶん初めてなのでしかたがない。
エミリアは俺の前に立つと、青い瞳を輝かせて俺に言い放った。
「下がってな、ゆうたん。ここはあんたの出番じゃない。」
…何のことかさっぱりわからなかったがとりあえず一歩下がっておくことにする。
それにしても自称32歳の上司とはいえこんな小さな女性一人でどうするつもりだろうか。
場合によっては応援要請とかも視野に入れるべきだと思うのだが。
「“おいで、レヴィアタン《VenezLeviathan》。”」
彼女、エミリアがそう呟いた時だった。
エミリアの髪を結んでいた髪ゴムについている魚のマスコットがポンッとその場を離れ、彼女の周りをくるくると泳ぎだしたのだ。
そしてそのまま下へ降りて行きエミリアの影の中に飛び込んで消えた。
全く持って今自分の目の前で起こっていることが信じられなかった。
しかし、さらに信じがたいことが起こることになる。
魚のマスコットが飛び込んだ影が沸騰したお湯のよういふつふつと揺れ始め、真っ黒に染まった。
影はだんだんと地面からせり上がり、獣が唸るような声が響き始める。
「う、が、あ、あ、ぁあああああ!」
その様子を見てか、男は両手をだらんっと垂らすと大きく口を開いて声を上げた。
するとその声とともに男の口から真っ黒な煙がもくもくと溢れ出し彼自身を包み込んだ。
こちらもまた信じがたい光景だった。
俺はこんなやつ相手に蹴りこんでいたのか。
真っ黒な煙が晴れるときにはすでに男の容姿は原型がわからないほどに変貌していた。
縦に細い顔は頬骨が突き出ており、金銀に装飾された帽子を目が見えないくらいに深くかぶっている。
上半身に緑色の布とマントをはおり、下半身が存在せず宙に浮いている。
それは人間ではなかった。
「な、な、な…!?」
「レラージュ…今回は当たりだなぁ。」
口を開け呆然としている俺を尻目に、ミカエラはそう言ってにたりと笑った。
“レラージュ”という言葉はどこかで聞いたことがある。
…あぁ、そうだ。“旧約聖書・列王記(ソロモン国)”の悪魔の名前だ。
しかしそれはあくまでも宗教上、空想の話であって、現実の話ではない。
いや、現実に存在してはいけない。
「今日はご馳走だよ、レヴィアタン!!」
ミカエラは右手を振り上げ声を張り上げる。
その声と共にせり上がった影から何かが脱皮をするかのように飛び出て、悲鳴に近い音を響かせた。
「な…なんなんだよこれ!」
俺は足の力が抜け地面にしりもちをつく。レヴィアタンという名前も悪魔の名前である。
七つの大罪から“嫉妬”の悪魔として有名だろう。
そんな俺の情けない様子を、少し驚いた顔でエミリアが見ていた。
「およよ?もしかしてゆうたん見えてる…?」
見えてるとはどういうことなのだろうか。コレは見えてはいけないものなのだろうか。
俺は精神的におかしくなってしまったのでしょうか。
色々考えをめぐらせている間に、レラージュと呼ばれた男は背中から弓矢を引き抜き狙いを定めていた。
「エミリア…!」
俺の言葉にエミリアは即座に動き出した。
エミリアの影から現れたのは、例えるなら巨大な海蛇。
顔は蛇の形を模った甲羅で覆われ、後頭部に出来た隙間から紫の毛がなびいている。
顔の輪郭に沿っていくつも角が生え、首から尻尾まで等間隔で大きなヒレが生えていた。
首には鉄で出来た首輪がされており、そこからのびる鎖はエミリアの背中に繋がっていた。
そんな巨大な海蛇、レヴィアタンはエミリアの動きに合わせるように自由に空を泳いでいた。
「あああああー!」
レラージュが弓を引き絞り矢を放つと、矢は分身したかのようにいくつも数を増やし、エミリアめがけて降り注ぐ。
エミリアは身軽にステップを踏みながらそれら全てをかわして相手との距離をつめていく。
だが、エミリアを逃した矢は追撃機能でもあるのか、空中で反転して執拗に彼女を追いかけた。
「“変形、鞭《FouetLeviathan》!”」
またもやエミリアがなにか呟く。これはフランス語だろうか。
その言葉を聞くとレヴィアタンは目をアクアブルーに輝かせて彼女を守るようにとぐろを巻き始めた。
矢はレヴィアタンの身体に当たると弾かれ地面に転がっていく。
そのままレヴィアタンがエミリアの周りをぐるぐると回り続け、次第に形を変え始めた。
最終的には長いチェーンの先に小さく鋭いナイフのついた“鞭”という姿でエミリアの小さな手に握られていた。
「ううううぅ………」
レラージュはエミリアの攻撃圏内に入らない距離に離れ唸り声を上げ威嚇していた。
「さてゆうたん、レラージュって知ってるかな?」
余裕が出来たのか、相手に目を向けたままエミリアがそう俺に尋ねた。
「…“旧約聖書・列王記|(ソロモン国)”の悪魔の一つで、傷を化膿させたり逆に治したりできる悪魔だと記憶してます。さらにいうと敵の弱点をついたりする攻撃が得意だとか…」
「ゆうたんは本当に博識なんだねー。」
エミリアは満足気にそう言って鞭を地面に叩きつけ“シュパーンッ”という乾いた音を鳴らした。
「こりゃ“合格”かな。」
「ごう…かく?」
俺が疑問をぶつける前にエミリアは駆け出し鞭を左右に振りながら勢いをつけていた。
レラージュも矢を放ち応戦しつつ身を引き左右に動きながらしきりに攻撃圏内を避けている。
エミリアの鞭はまるで意思があるかの如く、矢が放たれた方向へ身体をうねらせ弾いていく。
そして隙を見つけると喰らいつくかのようにレラージュの元へ飛び掛った。
「あぎゃっ!?」
レラージュはぎりぎり致命傷は免れたものの、左の肩に鞭の先端が突き刺さり声を上げた。
それでも怯むことなく弓を絞りエミリアめがけ矢を放つ。
エミリアは予想していたのか首を少しずらしただけで矢をかわし、また方向転換させ戻ってくるであろう事を予測してバッと後ろを振り返った。
「なっ…しまっ…!」
だが矢が方向転換することは無かった。
一直線に矢が空気を裂き向かっている場所は…。
俺?
一瞬。それは一瞬のできごとだった。
「あ、あれ…。」
「ゆうたん!」
身体を何かが貫く感覚がして身を屈める。
視線を下にずらすと、自分の胸に深々と刺さる矢が見えた。自然と痛みは無い。
だが視覚が“自分に矢が刺さっている”という情報を脳に伝達した途端、喉を絞められたかのように息が苦しくなり、激しい胸の激痛に襲われた。
「ぁ………」
そっと、地面に横になる。心臓がめちゃくちゃに動き何とか鼓動を止めないように躍起になっているのを感じた。
視界の端っこに頭を抱えるエミリアが見える。
その奥にはしてやったりとケタケタ笑うレラージュ。
そうか、俺は“弱点”だと認識されたのか。
ちょっと眠い。
少しだけ目を瞑ろう。
『あなた、死ぬの?』