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俺の名前は榊原優太。“未解決事件対策本部”にて警部を勤めているエリートだ。
俺は今情報収集のためにとある住宅街の大きな一軒家の前にいる。
表札には“女ヶ沢”の文字。
そう、例の事件の中心人物に聞き込み調査に来たのだ。
「わー、流石都内の高級住宅。庭も家も大きいー!」
エミリアはそう言って両手を広げはしゃいでいた。
そんな彼女は警視庁にいるときのダボッとした白衣と違い、レースや黒いリボンのついたブラウスに、ブラウン生地にピンクのチェックがプリントされたスカートをはいていた。
一応他所行きの服装らしい。
いつもスーツな俺と違い、それなりにオシャレらしい。
「もうこの家の方々とはコンタクトがとれているので、大丈夫だと思います。」
「ゆうたんは真面目だなぁ。」
俺はもう呼び方を正すのは諦めた。
とりあえず門の横にあるインターフォンを押すと、ありきたりな“ピンポーン”という音がなり飼い犬が吠えた。
少ししてから出てきたのは栗色の長い髪をした綺麗な女性だった。
彼女が“女ヶ沢透”の奥さんだろう。
「こんにちは、先日お伺いした榊原です。」
「あ、昨日の警察の人ですね。中へどうぞ。」
嫁さんはエミリアを少し不思議そうに見ながら俺たちを中へ入れてくれた。
「お母さん、昨日言ってた…」
「はいはい、警察の人だね。」
リビングに入ると、大きな皮でできたソファに可愛らしいおばあさんが座っていた。
彼女が“女ヶ沢千世”である。
千世さんはブラウンの短髪にパーマをかけ、細身でとても上品な雰囲気を醸し出していた。
「こんにちわ、警視庁警部の榊原です。」
「こんにちわー。」
警察手帳を見せペコッと頭を下げる俺とうって変わって、エミリアは手をひらひらとして軽く挨拶をしていた。
「はいはい、こんにちわ。」
千世さんはにこりと笑いエミリアにお菓子を出していた。
様子を見るからに子供は好きらしい。
「…例の事件について少しお話を伺いたいのですが。」
「私の呪ったあの会社のことでしょう?」
優しそうな表情に影が差した気がした。
そして何も隠す気はないというように俺の目を真っ直ぐ見つめてふふっと声をもらす。
「まぁ立ちっぱなしなのもあれだからそこのソファに座りなさいな。」
「失礼します。」
俺とエミリアは言葉に甘えて艶のある焦げ茶色の皮で包まれたソファに腰をおろした。
ソファは想像していたよりもずっと柔らかく、俺の体の形にフィットした。
「…あの、お母さん、私はここら辺で…。」
ふと、今まで横に立っていた嫁さんが千世さんに声をかけた。
なんだかぎくしゃくした雰囲気だ。
「えぇそうね、また来週よろしくね。」
その言葉を受けてそっと嫁さんは姿を消した。
…どうやら家から出ていったようだ。
「一緒に暮らしてはいないんですか?」
「えぇまぁ、死んだ旦那の母親といるのはそう快いものではないでしょう。」
「そうですね…。」
俺はとりあえず同意して頷いておいた。
ふと横を見るとエミリアは千世さんのくれたお菓子を頬張りながら窓の外を眺めていた。
…仕事する気はあるのだろうか。
「それでは本題に戻りますが…呪いというのは実際にどういうものなんでしょうか。」
「そうねぇ…呪い、というよりも願いって言った方が近いわねぇ。」
千世さんは紅茶をかき混ぜながら口角を上げてふふっと笑った。
「息子はあの会社…組織に殺されたの。『自殺の原因とわが社は無関係』ですって。だからね、お願いしたのよ。」
「………。」
「息子の自殺に関わった人たちを殺してって。息子を死に追いやったあの上司を同じような目に合わせてって。」
千世さんの口元はにっこりと笑っていたが、目は全然笑っていなかった。
感情が全く読み取ることができない、黒くにごった瞳で円を描いている紅茶の液体を眺めていた。
だが、ひしひしと伝わるのは何でもない、怒りだった。
静かな怒りがこの部屋を包んでいる。
それが千世さんのものなのか、俺はいまいちわからなかった。
「あの子…透はね、とっても優しい子なの。昔からそうだった。いつも自分のことよりも周りの人の心配をしてね…まじめで、優しい子なの。あの会社に就職が決まってからもそうだったわ。毎日楽しいって、周りのみんなとも仲良くしてるって、いつも私に話してくれたの。」
千世さんはそう言って一息ついてからぎゅうっとティーカップを強く握った。
「…私に心配かけたくなかったんでしょうねぇ…。突然だったのよ、ある日私が買い物から帰ってきたら…客室で首を吊っていて。遺書には会社に騙されたって事細かに書いてあったわ。」
そう言い終えると千代さんはキッと俺を睨み付けた。
今までとのギャップに少し動揺したが、俺は冷静にその瞳を見つめて次の言葉を促した。
「それで、どうしたんですか。」
「警察に行ったのに、何もしてくれなかった。“証拠不十分”ってなによ、実際に殺されたのよ。なのに、それなのに。」
俺は彼女の言葉に何も言えなかった。
正直言って今の法律は加害者側に甘すぎる節がある。
加害者には人権を擁護するにも関わらず、殺された被害者には人権など認められないのだ。
俺も今の状況には納得していない。
目の前で俺を睨み付けている彼女も今の法律の被害者なのだ。
「…そろそろいいかしら?」
ふっと、殺気が静まり千世さんの表情が柔らかくなった。
「そうですね、ありがとうございます。」
これ以上はもう無理だろう。
俺は瞬時にそう判断し、ぺこっと頭を下げてソファから立ち上がった。
結局実際に千世さんが手を出したのか、何か仕掛けたのかは全くわからなかった。
呪いに関しても全く信憑性がないし、一連の事故に関係があるとは思えない。
…一つわかったとすれば、千代さんが激しく会社を恨んでいるということだ。
「それでは、失礼しました。」
それだけ言ってエミリアと家から出ようとした。
が、エミリアは動こうとしなかった。
「警視長?」
エミリアはしばらく千代さんの顔をじーっと見つめてから、にっとまた可愛くない笑みを浮かべた。
「女ヶ沢さん、警視庁未解決事件対策本部の警視長、エミリアローゼンバーグはあなたを逮捕します。」
………は?
俺は一瞬ぽかんとした。
…逮捕?いや、ちょっとまて。ちょっとまて!
「何を言って…!」
「だーって“見えちゃった”んだもん。」
俺の言葉を遮りエミリアはまたもわけのわからないことを言った。
千世さんはというと、少し驚いた顔をしていたがすぐにおかしそうにふふっと笑った。
「まぁまぁ、可愛い警視長さん。証拠もそろっていないのにどうやって逮捕なさるのかしら?」
千世さんの言葉はごもっともだ。
エミリアの言っていることは無茶苦茶すぎる。
誤認逮捕なんかしたら俺とエミリアは色々な意味で終わる。
「まー多分ウチが手を出さなくてもそっちから来てくれるだろうからねー。おし、ゆうたん帰ろう!」
俺が何か言う間もなくあっという間に話を終わらせ事故解決したエミリアは、クルッと踵を返してこの家を後にした。
とりあえず何がなんだかわけがわからないが、千世さんにぺこっと謝罪をこめたお辞儀をして彼女の後を追うことにする。
「警視長…さっきのはどういうことですか!?」
珍しく俺は感情をあらわにしている。
いくら上司とはいえ先ほどのわけのわからない発言やその他もろもろは何も言わないわけにはいかない。
そんな俺の表情を見て、エミリアは面倒くさそうにぽりぽりと頭をかいて俺の顔を見上げ立ち止まった。
辺りはもう日が落ちてきてオレンジ色に染まっている。
エミリアの青い瞳が日の光でちかちかと色を変えながら俺の瞳を覗き込んだ。
「どういうことってさっき言った通りだよー。逮捕確定。はい、終わり。」
「だからっ!それがどういうことなんですかって聞いているんです!!」
証拠もそろっていない、本人からの自首もない、それなのに逮捕など認められるはずがない。
「あーもー、説明するの面倒くさいなぁ。もうそろそろ来るって。」
「来るって…何がですか?まさか自首しにくるとでも………!!」
ゾクッ
言葉で表すとそのような表記になるだろう。
俺の背筋に悪感が走り後の言葉が続かなかった。
俺とエミリアが立っているのは線路の上を跨ぐ道路だ。
駅のすぐ傍だというのに人通りが全くない。とても奇妙な雰囲気だ。
そんな二人の空間に何かが侵入してきたような感覚がした。
耳に届くのは電車が駆けるけたたましい“轟音”。
頭に響くのは命の鼓動を伝える自分の“バイタルサイン(心音)”。
なにがおかしいのだろうか。
「…来たか。」
エミリアが今までに無いような獰猛な笑みを浮かべ、今来た道の方にゆっくり首を動かした。
確かに、エミリアが言ったように向こうから“来た”のだった。
俺はというと、その“来た”ものが何かを確かめるよりも早く身体が動いていた。