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梓の稲荷神  作者: 花橘
【第一譚】
9/13

外法のもとに〈二〉


 漸く会の邪魔者が去ろうと警戒を解きかけた時の、その霏霏の脈絡ない語りは澱みなく、下座から上座までの誰も彼もの注目を引き付けた。糾弾が向けられたのは梓乃であるのに、なるほど男ののたまった“虚実を明らかに”というあたりからして、会の皆が聞き届け証人となるよう公の下に少女を責め立てる算段なのだ。難しく考える必要もない。何故だかは分からぬが、霏霏は梓乃の午前中の行動を、無才が嘘であることを知っている。そして今ここでそれを、全員に暴こうとしているのだろう。


「あんた・・・!!」


 梓乃は体ごと霏霏に向き直り、噛み付くような声で男を呼んだ。

 己の肩越しに霏霏が視線を返し、おお怖やとわざとらしくおどけて見せる。


「とち狂ったことを申すなと、まるで今にもあたくしの喉を噛み千切りそうなお顔。されども、貴女は生身の人間。牙も爪も持たぬ。――さあ呼びますか?骨肉抉る、牙や爪を持ったシロモノを。本家屋敷の結界内で平然としていた“あの妖”はいかがです。梓乃様の才ならば使役も無理な話ではありますまい」

「五月蠅いわ!出鱈目を、」

「出鱈目をなんです。どちらが出鱈目でしょうか」


 くるり。印象的に振り返る霏霏は、会話の対象を梓乃からその他へ移した。

 かたかたと音を立てるくれ縁の雨戸。千景だけが嗅ぎつけていた沈丁花の香りが、梓乃の鼻の奥にもぷんと重く届き、一層異物感を強める。


「皆々様、土産話もなしにのうのうと罷り越し、退散しようとしたこの霏霏ですが、実はとある話の種を拾うているのです。今しばらくお時間を頂戴しても?」


 大人たちの反応を見、帽子と襟巻の奥で男が密やかに笑むのが少女には見て取れた。二者の会話で凡その意味を察したであろう外野の空気が揺れる。


「よい。話せ、まろうど」


 興味深げに先を促したのは百鬼夜久だった。端的に命じながら目線は少女を見据えやる百鬼家当主。梓乃の脳内で警鐘が鳴った。

 駄目だ。駄目だ。話させてはならない。けれど不自然にならぬようにどう注意を逸らすべきか。咄嗟の判断が梓乃にはできなかった。

 そうして霏霏はとうとうと、順を追って語り始める。


「・・・・・・元来、あたくしの性分は神経質で気が小さく、この度も当主会への直談判が成功するかどうか、前日から不安に肝を冷やすばかりだったのでございます。こう申し上げては笑われましょうが、その不安が高じてか、この村に到着したのは日が昇り切るずっと前。ええ、どうぞ小心者と仰って頂いて構いません。元々当主会の途中に割り込む予定でございましたので、あたくしは大層時間を持て余しました。後継反対派の手前、本家の方々にお会いするわけにもまいりませんから、当主会催される母屋ではなく、村の対、離れ家の近くで慎ましく小休止させて頂こうと考えたのです。いえいえ、ご心配なく。離れとはいえ総本家の敷地内、身勝手に足を踏み入れてはおりません。ただ敷地を囲む垣根のほど近く、枝垂れえんじゅの根本で腰を落ち着けていただけ。いよいよたわわに豆果を実らせようという立派な槐の枝を見上げ、逸る気持ちを静めていた折でございました」


 ――と、一息に言い、区切る。梓乃と霏霏の双眸が再びかち合い、悔しさに堪らず唇を噛む少女の肩の震えを、男は瞬きせず視界に収めた。

 ここで霏霏の口を強引にでも塞ぐべきか、或いはそんなことを仕出かせば余計に墓穴を掘るだけか。

 糞。畜生。怒り罵る言葉と絶望が思考を鈍らせ、梓乃が出方を躊躇ううちに、霏霏は続きを淡々と述べてゆく。


「不意に。無人と思い込んでいた離れ家の中から、何やら女人の話し声が聞こえてくるではありませんか。驚きましたとも。本家の方が目と鼻の先にいらっしゃる。ここで出くわすのは好ましくないと、一度は足早に立ち去ろうとしたのですが、巡り合わせなのか何なのか・・・・・・下衆な野次馬根性が首を擡げ、こともあろうにあたくしは盗み聞きを働いてしまったのです」

「その声が当主見習いのものであったと?」


 夜久が梓乃を指して確認を取ると、霏霏は神妙に頷いた。


「はっきりとお顔を拝見してはおりませんが、垣根から垣間見えた後姿は、そちらの梓乃様と同様の背格好でした。またあれが梓乃様のお声であったこと、ご本人を前に今なら断言できます。――そして、我々が後継を反対している本家の御息女とは一体どのようなお方なのか。直接の面識はありませんから、その人となりを知りたいという一方ひとかたならぬ好奇心に負けてしまったのです。罪の意識は勿論ございます・・・・・・が、折り悪く耳にしてしまった、梓乃様の言葉が、あたくしの罪悪感の全てを吹き飛ばしてしまいました」


 ほう、と夜久は品定めする目つきで霏霏と梓乃を眺める。


 ・・・・・・して、肝心要の、梓乃様が仰ったことでございますが。

 言いながら霏霏が帽子を取った。表情に隠せぬ笑みを滲ませ、次いで仰向けにした帽子の中に片手を潜ませる。何かを引っ張り出すふうな仕種をしてみせ、五指にそれぞれ絡んだ細い糸が覗く。

 さして深さもないその中から現れたものは、豪奢に飾り立てられた一体の日本人形。


「――・・・?」


 驚く間もなく、人形の口が開いた。


「『・・・・・・物の怪!あんた、何者なの!どうしてそこまであたしのことを知っている!』」

「な・・・っ、」


 霏霏がくいと指を動かし、糸に操られた人形はかくかくと口元を動かして喋った。喋ったのである。霏霏の声色でない、女そのものの声だ。――――いや、正確に言えば、この声は。


「あたしの声が、なんで・・・!?」


 俄かには信じがたいものを見聞きした。男が操る人形から出てきた声は、紛うことなき少女自身のそれである。梓乃の声色で、霏霏の人形――傀儡が、喋った。

 覚えがある。つい数時間前、自分自身が和泉に対して発した言葉だ。離れ家で思わず声を荒げてしまって、慌てて周囲を確かめたあの時。

 この男が、近くに潜んでいたのか。なんという失態だ。


「一族の端くれ、あたくしとて通力は微弱ながらございます。魑魅すだまをこれに憑かせ、このように人形師として日銭を稼ぐことなど造作もなきこと。ただ今傀儡に憑依させているのは、かの枝垂れ槐の子鬼。種明かしを申し上げますと、梓乃様の声真似をしてもらったところなのです。あの時の貴女様の声、よくよく似ておるでしょう?」


 したり顔の男を凝然と見つめる梓乃。言葉もない。目の前で起こった出来事を受けて指先さえぴくりともしなかった。当然だろう、こんな形でばらされると思ってもみなかったのだ。霏霏が己の口だけで証言をするのならまだ悪あがきできたかもしれなかったのに、憑き物を利用して自分の発言を猿真似されるなんて。

 魑魅の性質は人を化かしたり変化したりする点にある。真似ることなど朝飯前。魑魅にこう言わしめたということは、即ち梓乃本人が同様のことを口にしたということだ。


「梓乃・・・・・・!!」


 千景が孫娘の名を呼びつける。弾かれるように肩を強張らせ、違う、と少女は言いかけた。しかし説得力の欠片もない否定など無意味だと声を萎ませる。皆の反応が恐ろしく、家族の顔を直視することも儘ならぬ。苦渋の目元を伏せ、奥歯を噛み締めた。どうしてこんなことに。後継辞退を前にあと少しというところであったのに、何故一番知られては困ることをこんな男に!霏霏は後継反対の立場ではなかったのか。これでは自分を次期当主へと推す声がなお更高まってしまう。何故だ、何故。なぜこいつはあたしの秘密をばらした・・・!

 梓乃は己の不始末を悔いた。和泉に気を取られてばかりいた自分の不覚だ。あの産土神がこの場にいなければ秘密が曝されることもなかろうと高を括っていた。次期を退く退かぬの話なら兎も角、無才の嘘は貫き通せばよいだけのことだったのだから。この霏霏という男が暴くまでは、そうだったのだから。


 縛解。霏霏は小さく唱えて傀儡から魑魅の子鬼を落とした。鬼火のような槐の精気が現れ、淡い光を零しながらゆっくりと畳の上に人形ひとがたをなす。赤黒くくすんだ肌の額に角を持つ小さな小さな子鬼だった。槐の木の主が抱える童のひとつだろう。害のある妖ではないので魑魅それ自体は屋敷内でも平然としていられるものの、梓乃にしてみれば単なる憎き邪魔者だ。霏霏の足元でぴょんこぴょんこと跳ねて悪戯好きする表情を覗かせているのは、状況が違えば多少は少女でも微笑ましく思えたかもしれない。


「説明せい。梓乃、此処で今すぐ」


 祖父の低められた声は胸の奥まった部分を容赦なく握る、静かなる怒りの声だった。少女の罪の意識を引きずり出し咎めたてる、口煩い普段とは異なる真剣な声。なんだか今日は祖父の見慣れぬ部分ばかり目につくな、と頭のどこかで思う。しかしてどのように釈明をしようか。ここまでくれば小手先も通じまい。開き直って全てぶちまくか?

 実は私の通力は、神佑断ちを行った時より一日たりとも、失われたことがないのだと。人ならざるものを見ることも、それと会話をすることも、触れることも気配に感付くことも呪法なしにできるのだと。十九代目などになりたくないので、今までずうっと無才を騙っていたのだと。

 言ってしまおうか。もしや後継賛成派の同情を買って事態は好転するかもしれない。そんな風前の灯のごとき希望を抱いて分家側の席を窺がった。だが奥小路と鵜条、廿楽の面々からは隠せぬ期待の色が滲み出ている。ああ、やはり自分は担がれそうだと落胆した。祖父や母はまず主張を曲げぬであろうし、同情される余地も皆無だろう。

 何れにしろ、梓乃が妖――和泉は妖ではなく霊神だが、人外であることに変わりはない――と会話をしていたことが証拠づけられてしまったのだから、二つ名の無才が偽りであると知られたも同然だ。迷惑なことに乙和が先程、梓乃の本来の通力の強さを匂わせていたことも立派なお膳立てになっている。結果は火を見るより明らかなのに、追い詰められて正直に吐かねばならぬ絶望といったらない。

 梓乃!と追い打ちをかける声がかかった。


「・・・・・・離れに居たのは事実です」

「今の発言はまさしくお前のものか」

「・・・そう、です」

「会話の相手は何者じゃ。妖を屋敷に連れ込んだのか」

「ちがっ、違うわ!あれは、あいつがあたしに付き纏うから!」

「あいつ?」

「あ・・・・・・」


 言葉足らず少女は閉口する。なんと・・・と驚きと呆れを含んだ眼で奥小路がこちらを眺めていた。梓乃に見つめ返す気力などなく、気まずげに視線を泳がすだけだ。


「此は如何に。由々しき事態ですぞ御大」

「面目ない。儂ら本家の者が付いていながら。まさか我が孫に隠し立てされていたとは」


 額を押さえて項垂れる千影。

 ――ああ、恥をかかせた。梓乃は思い知った。彼らに偽ってきた自分を他者の目前で暴かれてしまった。これは罰が当たったのだろうか、と心が軋んだ。理由はどうあれ家族らを欺いたのだ。当主になりたくない、そんな身勝手な都合で。

 見っともない。この様は一体なんだ。


「ふふ、悔いた素振りをなさっても無駄ですよ梓乃様。おぞましい、女子おなごはいつも被害者ぶって罪を被らぬ」

「な、に・・・・・・?」


 冷水を頭から浴びた感覚だった。霏霏の言う意味が分からず、梓乃は相手を凝視する。霏霏の足元で戯れていた魑魅が、いつの間にか少女の膝の上に乗っていた。遊ぼうと小さな手が彼女の人差し指を握る。皮膚にしっかり感触がある。人間に触れられることに喜んだのか、魑魅は嬉しそうな表情をした。


「魑魅が懐いておる・・・!」

「使役せぬまま接触できるのか!」

「なんとまあ・・・・・・」


 口々に感嘆する分家当主らに、ぼんやり首を向ける。梓乃にとっては当たり前の能力が、彼らにはまるで異端のそれであった。見世物になった気分だ。胃がむかむかと不快感を催して、思わず膝の上の子鬼を振り払った。とてっ、と鬼の童は畳の上に尻餅をつき、勢い余って転がる。座卓の足に頭部をぶつけて漸く止まるも、思いの外痛かったのか、今度は敵意の籠った金色こんじきの眼で少女を威嚇してきた。

 梓乃はしまったと後悔したものの、伸ばしかけた指先を宙にさ迷わせるだけだった。ごめん、と弱弱しく謝罪し、子鬼よりもよっぽど傷付いた顔をする。

 ごめん。違う、そんなつもりじゃなかった。

 いつだったか、同じ台詞を梓乃は言っていた。否、これまで何度も何度も使ってきた。薄っぺらい贖罪だ。


「梓乃様が無才ではなかったと、賛成派の方は或いは喜ばれるやもしれません。しかし皆様、今ご覧になったでしょう。彼女はその類稀なる通力の持ち主がゆえに、人ならざるものとの関係が非常に近しいのです。このように魑魅が無条件に懐き、屋敷の結界をものともせぬ妖と対等の会話をする。あな恐ろしや!大きすぎる力は破滅をもたらします。・・・・・・そして梓乃様。貴女のその表情、とても妖嫌いの人間のするものではない。まるで子鬼を傷つけたことに心底心痛めているご様子」


 これで終いだ。霏霏の態度が梓乃にそう訴えているようだった。


「貴女は妖を厭うているのではなく、妖を傷つけることを厭うている。は、とんだ詐欺師です!貴女が当主を継ぎたがらぬ理由は、己に懐く人外共を殺めたくないがため!一族にとって、こんな娘を次期に据えるわけにはいかぬ。ではどうでしょうか。なにせ妖に親しまれる。辞退させたとて、これほどの能力者。いつ寝返って一族の仇となるか!恐ろしい、まったく恐ろしい!」


 やめて。

 梓乃の叫びは届かない。


「秋月一族は退治屋。邪の芽は摘むに限る。外法の名のもとに、闇に屠ることも、お考えあそばれませ」


 呪詛の終焉と共に、少女は奥座敷を飛び出していた。

 濃く纏わりつく沈丁花の香から、ただただ逃げたい一心だった。

 名を呼ぶ祖父の声も、すれ違う時の霏霏の笑みも、梓乃にはひたすら恐怖でしかなかった。

 傷つける。傷つく。そのどちらの覚悟も、梓乃は持っていない。

 逃げなければ。ここから逃げなければ。

 梓乃はそれ以外の方法を知らないのだ。

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