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梓の稲荷神  作者: 花橘
【第一譚】
7/13

当主会〈三〉



 悪寒がした。ここにあるまじきものが、入り込むかのような。

 そんな悪寒だ。“それ”は何だか、“ここ”の全てと異なるもの。異物の気配を引き連れて。小さな隙間より、ぬるりと侵入するもの。

 



「待って、ください。なんですか」


 恥ずかしながら。当主会での第一声は思いがけず狼狽え、わなないていた。

 ――だが、伊達に長年偽りの自分を演じてきていない。己の動揺を自覚すると、梓乃はきゅ、と唇の内側を噛み、唾を嚥下した。

 落ち着け、母の言葉をよく反芻してみろ。乙和は、梓乃が“今も”昔同様の通力を持っているとは、言っていない。嘘がばれたというわけではない。少なくとも、まだそんなことは言われていないのだ。

 こちらが先走って気を動転させるわけにはいかない。外面を取り繕うことにかけては多少の自負がある。況してこの場で秘密が明かされた後の流れを想像すれば、恐ろしくてとても襤褸は出せない。

 直前まで姦しかった奥小路含め、分家側から様々な類の視線が飛んでくる。驚き、好奇、疑念、嫉み、ないしは、観察。どれもこれも梓乃の肌と着物の上を滑ってゆき、最後、一点に留まる。意志の強い瞳――ではなく、その上の、額にある赤痣に。


「どういうことです。お母様」


 日頃からせよと祖父に諭されている慎み深い言葉遣いをもって。少女は、同時に少し身を引いた。零した煎茶を、司が手際よく拭き取ってくれている。ちらと見やり、不作法な振る舞いを少し省みながら、ここで怯んで弱腰になってはいけないと姿勢を正した。


「梓乃。お前の発言はまだ尚早。慎みなさい」

「いいえ。申し上げさせて頂きます!いったい、今の話はどういうことなのでしょう。まるで私を、お役目の人柱ひとばしらに仕立て上げようと仰っているように、聞こえました。私は初耳です」

「何も人身御供に出そうと言うのではない。お前に立派な退治屋の巫女となり、跡を継いでほしいと母は思っておるだけ」

「・・・・・・は、」


 いかにも我が子を思いやっているかのようなの乙和の言葉に、ふざけるな!と梓乃は怒鳴りそうになった。今日まで訴え続けてきた娘の本懐など一切知らぬと言わんばかりのしらじらしい表情がそこにある。そも二つ返事で後継辞退を許す母ではないが、如何わしい計画の道具にさせられる話を聞かせられようものなら、こちらとていつまでも慎ましやかに反論などしていられない。

 巫女に育て上げ、御山の封の要とする?御大層なことだ。当人に黙ってそんな話を進めようなどとは笑わせる。

 梓乃は呼吸を整えた。動悸を抑え、腹から確りと声が出せるよう気を静める。

 予想外の展開だが、他の者が黙っている今が好機だ。余計な茶々が入らぬうちに、こちらの本意を示しておくのがよかろうと、当主見習いの少女は発言した。


「では私も思っていることを申し

上げましょう。不肖、総本家長子、秋月梓乃。私は本日の当主会、後継辞退の旨を認めて頂くべく、参席いたしました。目下、当主見習いの称呼で通っておりますが、本日を限りに、この肩書きも外させて頂きたい。勿論、次期当主などもっての外。私はただの、“秋月梓乃”に戻りたく思っております!――ですから、お母様のお考え、私にとっては笑止千万でございます!」


 そうして、これにいよいよ場は騒然となる。主張したかったことを後半は幾分鼻息荒くも訴え、ふん!と胸を張る梓乃に、乙和は目を眇め、葉月は苦笑いし、千影は怒号を上げた。


「梓乃ーっ!!こ、こんの、莫迦孫があっ!まだ言うか!!」

「まだも糞も、私の考えは生涯を通じて変わるつもりはありません」

「減らず口を叩くな!何度言うたら分かる!お前は必ず次期当主となるんじゃ!」


 誰がなるか糞じじい。ぼそりと呟いた一言を、隣の父親だけが聞き届け苦笑する。分家側の席では、先ずもって珠が一人あわあわと狼狽していた。何だ、と梓乃は不満を漏らす。また会えてすごく嬉しいだのと持ち上げておいて、こちらの肩を持つことは頑として拒否するのだから、可愛さ余ってなんとやらである。いや、情けなくて女々しいと思っていただけで、別に可愛いと思っていたわけでは、ないのだが。今頃そのような隅の席で慌てたって遅いのだ。べえ、っと心中で舌を出した。


「流石乙和殿の娘御だなあ。我々を前に何たる堂々とした姿」

「銀杏!貴様、言うとる場合か!ええい、やはり噂は真だったのだなっ。妖嫌いの後継がずと名高き、総本家次期当主!」

「次期当主?さて、それは一体どなたのことでしょうか。私の名は梓乃と申します。ですから梓乃と呼んでください」

やかましいわ!代々当主の座は長子に世襲されるという習わし、よくよく存じておるだろうっ」


 畳んだ扇を梓乃に向かって付き付け、奥小路は機関銃よろしく再び唾を飛ばし始めた。怒鳴られた少女は反対に、思いの丈をぶつけてかえってすっきりしたのか、肩の力がふっと抜ける。気後れすることなどないのだ、単に糞じじいが増えただけと思えば後はよいのだと、口角を上げた。そして俄かにざわつく座敷を余所に、新しく出された煎茶をひと飲み。甘みが増しているように感じるのは、精神的な理由からだろうか。


「しかし乙和殿。ただ今貴女が仰ったことには、彼女の才を中々に買っているような物言いだったが、確か御息女は無才でも有名だったはず。どちらが真実なのだろう」


 興味深げに銀杏が乙和へそう問うた。乙和もその追及を予想していたのか、取り計らうように返事を寄越してやった。


「ああ。正確には噂の通り、今は無才。だが年の頃七つを過ぎて神佑を絶ち切った折からおよそ半年、梓乃は己でも上手く順応できぬほどの通力を宿していた。それゆえに不運厄災に多く見舞われ、心理的な自己防衛か何かは知らぬが、長年このように凡人の如く通力を眠らせてきている」

「ふうむ、つまりは眠れる獅子というわけか。いや、臥龍と称するのが小粋かな」


 桐ちゃん、どう思う?と振り向く銀杏。何がですか私は知りませんよ。付き人の冷たい返事に、つれないなあと前を向き、顎を撫でつける。


「・・・ならば、やはり全くの無才無能というわけではないのじゃな。五百年続く仕来たりは、破らざるるもの。如何に当人が拒もうと融通の利く立場ではない。かような能力を秘めておるのなら尚更じゃ!」

「うむ、左様、奥小路殿に同感じゃ。おい梓乃、覚悟を決めんか!」


 ずずいと老翁たちに催促され、梓乃は渋い顔になった。余計なことをべらべら喋ってくれるな。母親を恨みがましく睥睨するも、あちらは絶えずすまし顔である。見えぬ火花が母子の間で飛び散っているようだった。

 飽く迄娘の邪魔をする気なのか。一息ついている場合ではないらしい。よかろう、目には目を、歯には歯を。ごり押しにはごり押しだと勢い込む。


「断じて!私は次期当主になどなりません!皆さま御存じの通り、私は無才で、人ならざるものをあまねく厭う変り種。退治屋の領域に足を踏み入れ、仇なすものであろうとなかろうと、人外に関わるつもりは全くないのです。如何に仕来たりが不可避でも、貴方がたが偉くとも!私の生きる道をこれと定め強いるのは、単なる独善ではございませんか!」

「な、にを・・・半人前の小娘が、口だけは達者な!当主会の総意が全てじゃ!皆一族の仕来たりを重んじておる!見てみよ、そなたに与する者などおらんぞ!」

「――っおらずとも!私は意思を曲げません!」


 立ち上がり、右手は扇子を左手は袖を握りしめる。奥小路の翁と言わず皆に向けて当主見習いの少女は声を張った。一歩も引くまいと面々を上から見下ろす。そうだ、与する者がいないから何だと言うのだ。最初から抗っているのは自分ひとり。誰も協力せずとも、思いを押し通すくらいのこと、自力でやって見せる。ああ、そうだとも。元弟弟子に助けを求めるのは御門違いなのだ。自分の願いは、自分で叶えなくては。

 奥歯を噛み締め、他者に甘えようとした己を戒める。しっかりしなくては駄目だと、胸中で叱り飛ばす梓乃の視線が、とある者の上で留まった。


「此処にいる」


 端的な言葉だった。矢庭に猛り立つ奥座敷をしんと鎮めるは、冷ややかな男の声。これまでの憤懣息巻く舌戦と、対極のような感情潜まぬ声。奥小路の出かけた反論に先んじて、その声はかの老翁の隣から届いた。

 梓乃も、それ以外も、六家のちょう百鬼夜久に目を向ける。びゅう、と風が入り込み、空の雲行きを見て、司がくれ縁の外の雨戸を静かに閉めていた。


「なんじゃ百鬼。どういう意味じゃ」

「後継に反対する者は、ここにもいると申し上げたのだ。私はこの娘を一族の頂に立たせようと思わぬ。かような心構えの者が、次期当主などとは片腹痛いわ」

「・・・っう、うぬ。しかしだな!本家当主は昔々より長子が継ぐものと・・・」

「継いで如何する。才もない、気概もない。妖を嫌い、一族の掟の重さも知らぬ。呪法のいろはさえ未だ未体得とくる。そのような当主とは名ばかりの娘を上に据えたとして、我々に益をもたらすとでも言うのか」


 夜久は眇めた眼で梓乃を見上げた。本家当主見習いと六家第一格百鬼家当主が、互いに睨め付け合う。


「現当主・前当主殿の御前につき憚りたいところ。しかし私には堪え性がなくてな。いくら血統が正統と言えど、この娘の態度には虫唾が走るのだ。己の無才を恥じ入りもせず後継を拒む口実にし、全ては己が好きか嫌いかで判断するその愚かさよ。はしたなく喚くだけの自身に、何ぞ羞恥も覚えてないとみえるが、如何か」


 なまじ声色が冷たく無感情なだけに、誹りは深くまで突き刺さった。静かに嘲られ、かあ、と梓乃は頬を染める。返す言葉なく中途半端に開いた唇が小さく震えた。歯痒げな娘の紅潮した顔を見て、それと知れぬ程度に口角を上げる百鬼家当主である。


 反対者が出たことで躊躇いを孕む室内の雰囲気。夜久の尤もな理由を受けて、奥小路も暫し言うものをなくした。花房銀杏、乙和、千影、葉月の四名は感情の窺えぬ面持ちで会の流れを眺めやり、他の分家当主は当主後継に賛成すべきか反対すべきか考えあぐねている様子だった。

 やっぱりこいつは嫌な男だ。梓乃は罵倒したい衝動を抑え思う。反対者が出たことは喜ばしいことで、男の言葉は正論だった。夜久に非があるわけではないのだが、如何せんこのように貶されると心情としては面白くないのだ。

 複雑になる胸の内に、口は閉ざされる。


「せっ、僭越ながら・・・!ぼ、私も!はは、反対させて頂きたく思います!」

「・・・・・・珠?」


 柊家当主代理は及び腰ながら身を乗り出し、沈黙を破った。一斉に注目が集まり、蛇に睨まれた蛙の如く珠は固まって息を呑む。一拍、二拍置いて、梓乃に縋るような目配せを送りつつ、二度目の反対を言った。


「あ、だ・・・!代理の身で差し出がましいことを、申し訳ございません・・・。でも、少しだけだけお時間を下さいっ。私は以前、本家に奉公させて頂いていた者です。その間姉弟弟子として、梓乃様のことはずっとお傍で見てきました。仕来たりや当主の方々のお考えは難しくてよく分かりませんが、梓乃様のことなら分かります!梓乃様は決して、好き嫌いだけで物事を判断されるようなお方ではありません。一族の生業に背くのは、妖を嫌うだけでなく、傷つけ傷つけられの退治屋の世界自体を厭われていらっしゃるからです!そんな過酷な世界に本家当主として身を置かれれば、一族を率いることに重い重い覚悟と責任が伴うことを御存じだからこそ!おいそれと周囲の流れに身を委ねることはなさらないのです!本当は、梓乃様は思いやりのある、お心の優しい方なんです!――で、ですからっ・・・!そんなお優しいお方の思い、どうか汲んでいただけないでしょうかっ!後継を、辞退させてあげてください!」


 ぜえっ、とまるで力仕事を終えた直後のような荒い息で、珠は語った。喋る次第に段々と熱が籠っていったのか、梓乃同様に立ち上がり拳を握っていた。頬を上気させ、さも勇気を振り絞って頑張りましたと言わんばかりの硬直した顔は、だが強気に言い切った直後、さああと血の気を失くす。

 ああほら、こういうところが珠らしい。必死に擁護してくれる年端のいかぬ少年に感動を禁じ得なかった梓乃。だが今や真っ青で慌てふためく臆病なその姿を見て、安心感と微笑ましさを覚える。味方をするのは嫌だと突っぱねていたのに、結局こうして背中を押してくれた。彼こそ心根の優しい人間なのである。梓乃は昔からよく知っている。


「やれやれ、話が纏まらん。柊はまだしも、百鬼が反対するのならば、安易に多数決では片付けられんぞ」


 議論に草臥れた千影が嘆息した。

 落ち着き所を見失って停滞する会は、言い知れぬ澱みを溜める。

 よし、ここでもう一押し、二押し。神風は向かい風となってあちらに吹いている。梓乃は確信した。目の前に立ちはだかる障壁は、超えられぬ壁ではないと。


「――――いざや時は来たれり。皆々様方、ちょおと此方へご注目下され」


 くれ縁の方から、少し癖のある声が聞こえたのはそんな折だった。少女の背中に悪寒が走る。ここにあるまじきものが、入り込むかのような。異物の気配を引き連れて。それは、小さな隙間より、ぬるりと侵入するものだった。


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