当主会〈二〉
だが。
これは不幸中の幸いだ。
祖父の長ったらしい前置きを聞き流し、本家側の末席で当主見習いは内心にやついていた。・・・・・・いや、内心と言わず、それこそ目元口元に感情が表れていた。思わず視線は斜め向かいの少年に行き、またあちらもこちらの意味深なそれに気付く。元弟弟子、兼幼馴染の珠は、当主見習いの不穏な目配せにまず体を強張らせ、次に泣きそうな、分家当主代理としては何とも情けのない顔をした。何故ならば、聡くも元姉弟子の思惑に勘付いてしまったからである。
梓乃は無邪気にことりと首を傾げ、ふんわり微笑した。珠が青ざめる。対して、きょとんと、大きな瞳はまるで無垢そのものの少女。逆方向に、“どうして?”と再度傾けた。柊家当主代理の少年はいよいよ汗を流しはじめ、小刻みに、しかしはっきり首を横に振っている。怯え震えているようにも見受けられるが、この少年なりの精一杯の“拒否”である。
厚い面の皮が剥がれ、少女は尖らせた唇を動かした。左隣に座る葉月に気取られぬよう、帯から取り出した扇子でさり気なく隠すことも忘れない。
これより読唇での応酬が繰り広げられる。
(――こっちの話に合わせるだけでいいのよ!あたしが後を継ぎたくないの、よく知ってるでしょ!)
(い、嫌です。無理です!)
(なによ。意気地なし。ちょっと援護射撃してよ!あたし一人じゃ会の総意をひっくり返すのも難しいんだってば!分家側にも味方がいてくれないと!)
(僕みたいな若造が、何を言う権利があるっていうんです!無理です、味方も援護もできませんっ)
(あんた、幼馴染のピンチを助けるくらいの男気はないの!?)
(ありません!)
(く、この・・・・・・っ)
けんもほろろ。半べそで、けれども珠は梓乃の要求を断固拒否した。知己の少年が当主会幹部として現れ、“これは占めた!自分の味方に引き込める”と喜び勇んだ梓乃であったので、この珠の頑なな態度は不本意甚だしいものがあった。ありません!と宣言したきり彼はこちらと目を合わせようとすらしない。
膝上に下ろした扇子の親骨が、みしりと小さく軋んだ。無言の攻防を展開する間も、当主会は円滑に進行されていっている。前回催されてから凡そ八年、その間に当主の代替わりがあった家々からは、改まって新顔の紹介が執り行われた。
「六家が一つ、花房の十一代目当主、銀杏でございます。本年度より、父の雲雀から家長の重職を引き継ぎました。この度は総本家当主会にお招き頂き、誠に恐悦至極。未だ右も左も分からぬ未熟者にございますゆえ、お初にお目にかかる方も、またかからぬ方も、ご指導ご鞭撻のほど、何卒宜しくお願い申し上げる」
歌舞伎者が見得を切るかのような、流麗とした声が座敷に響く。自らを未熟者だと謙遜する銀杏は、だのに言葉通りの面様をしていなかった。意気揚々、あるいは自信に満ちたその眉目、口端には自己陶酔の如き笑みさえ匂わせている。豪胆な性格は、儀礼的に遜った挨拶などでは到底誤魔化せていない。はなから誤魔化そうとしているわけでもないだろうが、生意気と受け取られたのか、横に並ぶ壮年の別な当主はいい顔をしていなかった。
後方に控える付き人・桐が、主君の背中をじっとり睨む。さも一言、物申したそうにしている様子からして、彼らは一般的な主従より比較的対等な関係なのだろう。つまり花房銀杏は、部下にその程度の自由は与えている男なのだ。正門での短いやり取りも合わせて、梓乃はさりげなく分析してみる。
我先にと名乗った銀杏に続き、次いで口を開いたのは更に上座の人物であった。
「百鬼十六代目当主、名を夜久と申す。家督を相続したのは三年あまり六月前。先代の教えに倣い、六家の長としてその務めに心血を注ぐ所存なれば、各々方にもご理解を賜りたく、手前からの挨拶とさせて頂く」
腰を深く折り、粛然と頭を垂れる男。一拍置いて、すっと背筋を元に戻した。所作はどこまでも高潔だった。無駄な力みのない、折り目正しい口調もきっと日頃からのものなのだ。厳しさが至る所に感じられる、冷徹な百鬼家当主。銀杏とはまた異なる風格の持ち主だと梓乃は思った。
そして、この男は確実に、自分のことを快く思っていない。つと向けられた瞳に親しみの色など一切なく、身が竦むほどの冷たく鋭利な思考だけがあった。喜怒哀楽といった感情よりも、ずっと理性に近い部分の、限りなく温度の低い何か。梓乃は堪らず、目を逸らして動揺する胸の内を誤魔化した。
「柊の」
千影が最後に名指しし、末席で一人そわそわとしていた少年が体をびくつかせる。
「はいっ!・・・・・・ほ、本日は、柊六代目現当主、鷹佳の名代として参席仕りました、末子の珠と申し上げます」
「うむ。久方ぶりじゃの。息災にしておるか」
「はい!総本家の皆様に、置かれましては・・・!」
「ふはは、硬いぞ珠。肩肘を張るな、お前のことはよう知っとる。鷹佳殿の容体は如何か?もう何年も良い噂を耳にしとらんが」
翁が珠に耳を傾ける。少年は困ったような、悲しみとも苦しみとも、怒りともとれる複雑な表情で千影に返事をした。
「父は・・・あまり人前に出たがりませんから、噂にも尾鰭が付くのでしょう。ご心配なく。しっかりと務めを果たすように、今朝方も叱咤されて来たところです」
そうか、と一つ頷き千影は会話を切った。
そうして、垣間見せた好々爺の相好を不意に忍ばせ、分家側それぞれの面構えを確かめるように見定めていく。名乗った者たち、他の当主たち、一人ひとりに目を留めながら、しかし自然な動作を伴って速やかに。
・・・・・・はて、今のは一体何の意図があってのものなのか。
本家の末席に着く梓乃は、祖父のせっかちで口煩い姿をこそ普段見慣れているので、どうもこのような静かな振る舞いに違和感を覚えてしまう。反対に、対面している者は皆、何も気づいていないふうである。
一通り、夜久の顔から珠の顔、各付き人たちの顔まで盗み見終わり、終いには斜め前の乙和と、すっと視線を交わした千影。何某か考える素振りを残し、“では”と話を進めていく。
「本題へ入る前に、まずは一族皆の大仕事から話すとしよう。飯綱山、地蔵岳の封陣についてじゃ。つい今朝方、本家当主と補佐がそのお役目から二年ぶりに舞い戻ったところでの。同じ任に就いていた百鬼・花房は既に分かっとろうが、まあ義務じゃからな、今一度報告するぞ」
千影は続きを乙和に託すと、自身は湯気の立ち上る湯呑茶碗を手に取り、ほうと一息ついた。何とはなしにその様を目で追っていれば、孫娘の注目に気が付いたのか、“ちゃんと集中しろ!”とばかりに渋い怒り顔でこちらを見てくる。
――――なんだ、やはりいつもの糞じじいではないか。
柄にもなく心配なぞしてしまった少女は、けっと悪態をついた。様子がおかしいと感じたのも気のせいに違いあるまい。何よ何よ、どうせあたしには、お役目の彼是なんて関係ないんだから。そう、ぷいと庭の方へ顔を逸らして、梓乃は話半分に乙和の言葉を聞き過ごす。
外では、木々を攫う風の音が大きく響いていた。
「・・・・・・ざっと数えて、この二年で札を増やした箇所は四十八。これほどの数を押さえても、まるで楽観できぬ状態かと。使ったのは十五代目当主様の置き土産、九天九地の護霊祓符。それでようやく新たに筒封じができたといったところ。我々の予想を遥かに上回る速度で、ここへ来て急激に悪化しております。ゆえに、持ってあと十数年か」
乙和の凛然とした声が、分家当主たちの多くをどよめかせる。
「いや、なお早ければ、数年以内に」
と、言うと、今度はしんと静まり返る奥座敷。百鬼、花房を除いた四家の者たちは、俄かに信じがたいというような面持ちであった。
「ま・・・さか!話が違うではないか!前回の当主会では、あと七、八十年は堅いと!」
「ですので。急激に悪化しており、予想を上回っている事態ですと」
「読みが甘すぎじゃ!本家の方々は一体この八年、何をしておられたのか!百鬼、花房!随従するおのれらまでも!」
分家において第二の地位を持つ老翁は、興奮に赤らんだ顔で両隣りの男らに喰って掛かった。ぶくぶくと脂太りした、扇を握る片手が遠目に打ち震えているのも分かる。野次馬根性で静観する梓乃は眉を顰めた。序列が高いとはいえ、あまり聡明な当主ではなさそうだ。百鬼夜久はその老翁――奥小路家当主の赤ら顔を一瞥し、されど関心なさげに沈黙したまま。やれやれと嘆息が小さく聞こえてきたのは、反対側からであった。花房銀杏が後頭部を掻きやり、乙和に代わって説明を続行する。
「先代方以上に、私たちも尽力致しております。三家交代で、七日七晩の封祓を繰り返して参りました。だが足りぬ。“アレ”を抑え込むには、もう我々の世代では如何ともし難いのです」
「泣き言を申すな!二年続けて駄目ならば倍にすればよい、四年もかかれば多少の効果はあるであろうっ」
「封陣を施している霊山に四年も籠れと?通常の人間ならば三日と持たず気がふれてしまう御山です。・・・奥小路殿、落ち着いて頂きたい。なにも今日、明日、封が解かれようというのではない。そしてゆくゆくはこうなることも皆承知の上であったはず」
「だから何なのじゃ!よりによって儂らの代でお役目が途切れてしまうとは、一族最大の恥辱よ!」
奥小路家当主は銀杏をぎんと睨み付け唾を飛ばした。銀杏は僅かに眉を吊り上げ気色ばんだようだったが、この老翁には何を言っても無駄と悟ったのか、肩を竦めるだけで返事はしなかった。
空気は穏やかならず、細い針が突き刺さるような緊張感を孕む。けれどもやはりどこか他人事のように大人たちの話を聞く梓乃。ず、と音を立てて煎茶を飲む。司が気を利かしてくれたのだろう、甘みの強い玉露が喉を通った。
「・・・ならば。奥小路殿。六家の第二格でありながら、御身の衰えを口実にのらりくらりとお役目から逃れるのを、やめて頂こうか。そちらからの助力が望めぬゆえに、本来本家と上位三分家が務めるべき仕事が、こうして人手を欠いて、手古摺っているのだ」
言い募ろうとする老翁を、乙和の鋭い声が遮った。痛いところを突かれた奥小路は途端押し黙る。迂闊な発言を許さぬ本家当主の威圧は室内全体におよび、四、五格の当主たち、末席の柊家当主代理も恐る恐るといった態で、横から様子を窺っていた。
常から母はこういったものだと知り尽くしている梓乃でさえ、居心地の悪さを覚える。自分が説教を受けているようだ。この類の沈黙の苦々しさには、何年経とうとまったく慣れない。
「・・・・・・!で、では!儂が手を貸せば封は保たれるというのか!まさかそのような、」
「そのような訳があるまい。分家ひとつ増えたところで、高が知れる。今更そなた方に助力を求めようとも思っていないのでな。あまりに痴れ事を申されるゆえ、灸を据えようと思っただけのこと」
「し、痴れ事じゃと・・・!」
硬い口調で乙和に咎められる奥小路は、屈辱に赤面し、皺を深める。葉月に血圧を心配されていた千影よりも、ずっと危うそうである。梓乃は、真冬の冷たい勝手許でぴーっと甲高い音を鳴らし沸騰する薬缶を連想した。あのように湯気を立ち上らせてはいないが、毛髪抜け落ち脂肪を蓄えた頭部の、つるりとした様など、いやはや瓜二つ。
口が裂けても到底本人には言えぬ無礼なことを考えつつ、また湯呑を傾ける当主見習いの少女。
この調子では、次期当主についての議論に移るまでは暫くかかりそうだ。現当主同士のそしりはしりを静観し、お茶菓子欲しいなあと障子の外を見やった。あの男、和泉も皆目出てくる気配がないし、やはり当主会など出るものではなかったのだと遅まきに悔やむ。
“あやつらの裏で糸を引くもの”という、何やら思わせぶりだった和泉の言葉が思考を過ぎった。
梓乃は一笑に付す。男は、自分がそれに気づけば秘密は明かさないと言っていたが、曖昧すぎてお話にならない。あやつらも何も、この当主会に赴いた分家の人間はほとんどが初対面であるし、誰が裏で糸を引いていようがいまいが、分かるはずもないのである。荒唐無稽甚だしかった。
まあ。もとより、当人の和泉がここにいないのだから、考えるだけ無駄なのだけれど。
結局、自分は騙されたのだろう。和泉が本当に神社の産土――稲荷神だったとしても、ただの悪戯好きする物の怪だったとしても。そんなことは大きな問題ではない。
ただ梓乃は、今日この当主会で後継を辞する旨を貫き、そしてそれが最終的に、正式に認められれば良いだけなのだ。正式な場で正式に自分の望みが約束されれば、後でどうなっても、よしんば通力の秘密がばれてしまったとしても、結論は翻らない。当主会での議決権は、一族における最高権力。本家当主の決定権よりも効力が大きいことになっている。
したがって、今、ここ、この時こそが、重要なのだ。梓乃は、このために十年、当主見習いに甘んじながら機を待っていた。
「されど各々方、ここからが本題です。十年待っても孵化せぬ卵に、過度な期待を持つのはあまり好ましくないが、そうも言っていられぬ。少なくとも、数年のうちに陣が破られるのを防ぐ手立てに、一つとして希望がないわけではない」
幾らか声色を和らげた乙和が、話を続ける。
いつの間にか、畳に落ちていた木漏れ日は消え、代わりに薄暗い影がかかり始めていた。日の光は、雲間の向こうに押しやられている。先程まで庭木にとまっていた鳥たちはどこへ行ってしまったのだろう。池の方から、鯉が跳ねて飛沫をあげる音が聞こえた。――それ以外は、まだ、何ら変化という変化は、なかった。
「梓乃。私の娘、今は当主見習いなれど・・・この者の才は、私は勿論のこと、誉れ高き十五代目当主様のお力をも遥かに凌ぐ。これより、我が子を稀代の巫女に育て上げ、御山の封の要とすることこそ、一族に残る希望に、なろうかと」
全て対岸の火事と油断していた少女の、眼が見開かれる。皆の視線が降り注ぎ、一人一人と目が合った。
珠の、ひときわ驚いたような顔があった。
皆、なぜこちらを見てくるのだ。母は一体何を言っているのだ。
梓乃には、分からない。何も分からなかった。
「然らば、今回の本題に入ると致しましょう」
ごとり、と。鈍い音を立てて。
倒れた湯呑から広がる玉露。風が入りこみ、そこに映る梓乃の顔は、小さく揺らいでいた。




