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梓の稲荷神  作者: 花橘
【第一譚】
3/13

父と母と〈一〉


 十七の生誕日と、本家分家の家長が集う当主会が重なったことには、明確な意図がある。


「おやあ。久しく見ぬ間に随分と可愛らしくなったなあ」


 物の怪改め、産土神を名乗る男・和泉を引き連れて渋々母屋へ梓乃が戻ると、厠から出てきた思いがけぬ人物と鉢合わせをした。


「お父さん!いつ帰ってきたの!?」


 髪を揺らして駆け寄り、少女はこの十年何度も会っていなかった両親の一人を仰ぎ見た。人の好さそうな、悪く言えば昼行灯のような態の男が突っ立っている。


「いやあ、本当は母さんと一緒にのんびり帰ってきていたんだけどね。道中なんだか腹の具合が悪くなって、一人先に急ぎ帰還させてもらったんだよ。おかげで装束を汚すことなくすっきり爽快だ」

「・・・・・・あのねえ。二年ぶりに会った娘に話すことが、下の話ってどうなのよ。相変わらず身も蓋もないんだから。それじゃあ、お母さんももうすぐ帰ってくるの?」


 首を傾げ、複雑な面持ちで問う娘に、父――葉月はづきは、黒縁眼鏡をかけ直し、満面の笑みをつくる。


「勿論さ。愛娘の一世一代の晴れ舞台なんだ。その席に出ない親がどこにいるかい」

「大袈裟な。当主襲名でもあるまいし、たかが次期を決めるだけの会よ。お母さんが帰ってくる理由は絶対そんなものじゃないわ。――それに、くどいようだけどあたしは継ぐつもりはないから、勝手に外野が盛り上がらないでほしい」

「ははは。手厳しいなあ。二年経ってもやっぱり梓乃の意思は変わらないか」


 葉月は眉尻を下げた困り顔で後頭部を掻いた。祖父の小言の多さに比べてなんと寛容なことか。梓乃は溜め息一つで話題を変え、次いで葉月の顔色をようく窺った。


「・・・・・・ねえ、お父さん。なんかいつもと違うなあ、なんて感じしない?」

「いつもと違う、とは」

「そうだなあ。まあ、変な気配がする、とか。ほら、只ならぬ妖気が・・・!みたいな」

「うぅん、そう言われてもなあ。僕はお義父さんや母さんほど“通力”に長けているわけではないし・・・・・・梓乃は、何か感じるのかい」

「まさかあ。そんなことあるわけないでしょう、お父さんたら。あたしに通力の才が無いことは周知の事実じゃないの。何となく聞いてみただけよ」


 乾いた愛想笑いで父の疑問を誤魔化すと、少女は背後に控える和泉を胡乱な目で一瞥した。それとなく探りを入れたものの、葉月は和泉の存在に気付いてはいないようだ。つまり自分にだけ見え、感じ取れているということなのだろう。一体何故なのか。視線で問えば、何を今更と呆れた声がかかる。


「たわけ者。全ては俺が己の力を抑え周囲をまやかしているからに決まっている。有難く思えよ。畏れ多くも俺はお前だけに姿を拝ませてやっているのだ」

「・・・・・・」


 にこやかな少女のこめかみに、青筋が立った。この場に葉月がおらねば痣の三つや五つ浮かぶほどに殴り倒していたに違いない。不遜極まる和泉の言動を梓乃は黙殺し、父を不審に思わせぬよう努めた。

 何が有難く思えよ、だ。いつ自分が産土神の御姿を拝ませて頂きたいと頼んだ。


 すると雪駄が飛び石を踏む音が近づき、紙袋を抱えた翁が姿を現した。


「おお、婿殿。無事戻られたようじゃの。変わりはないか」

「お義父さん。ただ今戻りました、お久しぶりです。ええ、こっちはつつがなく。乙和は社の方に目を通してから帰ってくるとのことで」

「厄払いか?よからぬものでも持ち帰ったのでは」

「いえ。何やら社の御霊代みたましろに違和感があると。産土様うぶすなさまの気配が感じられないとかなんとか呟いていました」


 御霊代とは神霊が宿るとされる代物のことである。

 さて稲荷大明神様も秋月当主の行く末を憂いて抜け出して来とるのではあるまいな。かかか、と葉月へ軽口を叩く翁に、梓乃は顔を青くした。


「・・・・・・ん?おい梓乃!お前」

「な、な何!?」


 池の錦鯉に撒き餌を与えながら、俄かに険のある顔つきとなる祖父。ぎくりと体を強張らせて、少女は返事をした。知らぬ振りをしておけばよいのに、額と眉間に皴を刻み思案顔で凝視してくる老翁から、つい後ろの和泉を背に庇ってしまう。


「なんじゃその恰好は!儂は朝稽古なしと言うた筈じゃ。見れば射場には弓具が散らかっとる始末!今までどこをほっつき歩いとった!この莫迦孫が、お前には次期としての自覚というものがいつになったら・・・・・・!」

「まあまあ、お義父さん落ち着いて。血圧が跳ね上がりますよ」


 葉月が翁の機嫌を取り成し、梓乃はこの時ばかりは口答えする余裕もなく胸を撫で下ろした。和泉の言った通り、一先ずは自分以外に存在を気取られていないようだ。だがいつどんな拍子で襤褸が出るか。危機感を覚え、忍び足で廊の角を曲がり、父と祖父の死角に逃げてから隅柱にずるずると寄り掛かった。


「ほらな。俺の言葉に偽りはなかったろう。びくびくと怯えるな、無様だぞ。梓乃」

「五月蠅い」

「しかし千景も衰えたものだな。青臭く血気盛んだった頃が懐かしい。とはいえ、血脈は見事に受け継がれている。お前の無礼な生意気ぶりは、祖父譲りだ」


 ぐい、と今度こそ男の衿元を掴んだ。父や祖父がいる場所から離れるように梓乃は板敷きの床を進む。不愉快そうな空気を醸す背後は無視し、勝手許から出てきた使用人の前を大股で通り過ぎた。


「きゃ。お、お嬢さんっ?もうすぐ昼餉の支度が整いますよ。稽古のお召し物は・・・」

「ごめんなさい、ちょっと遅れる。つかささんからじじいに伝えといて頂戴」

「お嬢さん?あ、ちょっと!」


 呼び止める声に振り向かぬまま、私室の前へ辿り着く。男を中へ放り込むと少女自身もまた身を滑り込ませ、後ろ手にぴしゃりと障子を閉めた。


「ここまで粗雑に扱われたことは未だ嘗てないぞ。いや、それよりも梓乃、お前はやはり俺に触れることができるのだな」


 畳の上で胡坐をかき、和泉は言った。得意然として見上げる男に、梓乃は悔しげに唇を噛んだ。

 外に漏れぬよう、押し殺した声で言葉を返す。


「じじいやお母さんを名指しで語り、且つあたしのことをもつぶさに知っている。お父さんの話からしても、あんたがうちの社の稲荷神だというのは、百歩譲って信用してやらなくもない」

「・・・・・・ふん、この俺をまだ疑っていたのか」

「けれど納得がいかないわ。あんたの目的は一体何なの!?あたしでも知っているわ、社の御霊代から祭神が抜け出すことの重大さは!況して信心深くもない当主見習いの背後を付き纏うだけなんて、いかれてるとしか思えない!――今日の当主会に、あんたがそこまで行動を起こすものがあるっていうの?」


 梓乃は疑問をぶつけた。焦燥を滲ませる少女に、男がにやりとほくそ笑む。


「さあて。事が起こらねば俺にも分からぬ。だがお前も乙和の腹の中にさかしさを全て忘れてきたわけではないようだ。肝も太い。実に良い。この先軟弱な気構えではやっていけんからな。過保護に育てなかった祖父に感謝することだ」

「・・・ちょ、何の話なの?あたしはあんたのことを聞いて」

「たった今お前が言ったのではないか。御霊代を抜け出した祭神が何故小娘に付き纏うのかと。無論、相応のよしというものがある」


 すうっと和泉は息を吸った。一旦伏せた瞼が再び上を向き、紫紺の瞳が薄暗い部屋で眼光を鋭くする。

 様変わりした視線に射抜かれ、呼吸が止まる梓乃。音もなく立ち上がり近づく男。びくり、肩が揺れる。今まで感じなかった恐怖が、蔦が這うように足元を駆け上がった。


「な、なにす・・・っ」


 ただ射竦められただけなのか、それとも男が何やら仕掛けたのか。次の瞬間、指一本動かぬ状態へ陥った体に梓乃は焦った。和泉の腕が伸び、離れ家での光景が脳裏を過る。

 畏怖に飲み込まれぬよう、梓乃は自身の目線よりずっと上にある顔を睨んだ。色白い手が顎をつかみ、柔らかな頬に指が沈む。


「母に負けず劣らず、強い眼だな。妖嫌いの娘は、社の奥深くで土地を守る神も嫌いか?」

「人ならざるもの、皆」

「そうか。俺は、お前こそ当主に相応しいと思うぞ」

「不浄の気をこの土地に入れないために?確かに、憎き敵となるものはばったばったと射倒すでしょうね」

「違う。梓乃が人外を厭うようになってしまった“過去”を、俺が知っているからだ」


 男を睨み付けていた瞳からふっと力が抜け、代わりに驚きの色が宿った。そして眉が微かに中央へ寄り、終いには目を背ける。問答無用で暴かれていることが、本当に歯がゆかった。


「流石、産土様。千里眼で何でも御見通しなのね」


 悔し紛れに吐き捨てると、漸く和泉は目元を和らげ笑顔に戻った。腕が離れ、金縛りも解ける。横たわる沈黙が居心地悪い。五月蠅く尊大な態度ばかりだった男が押し黙るとは、なんと奇妙なことか。

 和泉は宙を見つめ、ふと独り言ちた。


「乙和が舞い戻ったな」

「お母さんが?」


 梓乃は障子の外を振り向いた。暫くして、それと分かる気配が近付いてくる。


「やば・・・・・・!あんた、和泉!お母さんには幾らなんでもばれちゃうよ!消えて!今すぐ消えて!」

「何故だ」

「ああもおっ!分かってるくせに!この家では、あたしは通力なんてこれっぽっちも持ってないことになってるのよ!本当はこうして見えるし話せるし触れるけど、それが露見したら余計に家を継がなきゃならなくなるでしょう!あんたが傍にいれば、あたしは真っ先に色々疑われちゃうのよ!」


 やけっぱちに当主見習いが白状する様を、和泉はさも面白そうに聞いていた。うんうんと頷き相槌を打ちながら、悠長に構える。


「残念だったな梓乃。俺もまたお前を次期当主に推す者だ。まあ賭けは賭けゆえ、今はお前のその秘事を明かさずにおいてやろう。やがて皆馳せ参じる。当主会には必ず参席せねばならんぞ。会が開く前に分家の者どもを追い返す腹積もりだったようだが、さすれば賭けは俺の勝ちと断じる。お前がこの十年堅く閉ざしてきた事実も明るみに出よう」

「なっ・・・・・・馬鹿言わないで!横暴すぎる、そんなのどう転んだってあたしに不利じゃない!」

「お前が賭けに勝ち、なおかつ鉄の意志で皆を説き伏せればよかろう。――では。現当主殿に出歯亀される前に、俺は消えるとするか。俺のまやかしは万全だが、乙和は確かに勘の鋭いところがあるからな。お前の力量も量った。暫しの雲隠れだ」

「ま、待ちなさい!あたしは当主会なんか・・・・・・!!」


 すぱぁん!と切れの良い音がする。後方を見やれば、左右に開かれた障子戸の中央で仁王立ちする人物。黒衣、黒袴、黒千早。光を反射しない漆黒の装束に身を包んで、十八代現当主・秋月乙和は、娘一人立ち尽くす部屋の中を見渡していた。


「お・・・かえり、なさい。お母さ・・・師匠」

「今、誰と話していたのか。正直にお言い、莫迦弟子」





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