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三和一成君の奇妙な談話




≪たとえば、学校机や椅子等の場合≫




 カツカツ。黒板に白い粉を削りながら書かれていく角張った文字。教師の声は強弱もなく平淡で、クラスメイトの半数は黒板に目も向けずにだらけていた。


 夏真っ盛り。外は真上に登った太陽がじりじりと日差しを地上へと降らす。


 先日、今年最高温度を記録したのにまだ俺たちを苦しめるのか。と悪態を吐きたくなる。狭い教室内は四十名もの生徒が詰め込まれ密集しているのもあり、汗をかいている者もいるせいかじめじめとした暑さが尚更辛かった。


 カツカツ。俺は無意識の内に暑さを紛らわすため、手に持っているシャープペンシルの先で自分の机にノックする。芯は出していないので机を汚すことはなく、小さく乾いた音が耳に届く。


 カツカツ。カツカツ。教師の黒板に書くチョークの音と、俺の机を叩く音が重なる。


 その時、俺の耳に違う音が聞こえた。



『ちょっと、痛いわよ』


「?」



 俺は沈黙後、一瞬手を止める。不自然に空に浮いたシャープペンシルを持つ右手は、動かす事も出来ず行き場を失った。


(……痛い?)


 俺は手元に下げていた目線を上げる。まず見えたのは完全に机に伏せてしまっている一つ前の席の男子生徒だった。ピクリとも動かない彼は、真っ黒な髪を綺麗に短く刈っている。形のいい坊主頭を机にベタリをくっつけて堂々と眠りこけていた。

 彼の寝息が時々、「んがっ」と鼻の詰まったようなものになるのが気になった。


 次に右側の席の生徒に目を向ける。右に座る女子生徒は肩までの長さがある黒髪をクリーム色のシュシュで一つにまとめ、頭上で結い上げていた。暑くじめじめとした湿気が煩わしいのか、現在も教壇で淡々と話している教師が手に持っている教科書と同様の物を団扇うちわ代わりに扇いでいる。


 不機嫌そうに細められた視線は一応教師に向いており、俺の方には向けられていなかった。時折俺とは逆側の席の女子生徒と小声で話している。


 反対の左側は五十センチの間を挟んで開け放たれた窓があり、勿論誰もいない。

 俺は一番後ろの列に席を置いているので、背後には当然ながら誰もいない。生徒の荷物をしまう簡易ロッカーがあるだけだ。


 なんだ?と、首を傾げ視線を教壇へ向ける。

 教壇に立つ教師は四十歳を過ぎ、頭の天辺てっぺんが少々気になってきている中年男性。


 先ほど聞こえた声は女性の声。明らかに教師の声でも無かった。



『カツカツカツカツ、軽く叩くからといっても、何回も続ければ傷もつくんだから気を付けてよね』



 また聞こえてくる女の声。大体二十、三十歳位だろうか。若く柔らかな声音だが、俺と同じ年代の女子生徒よりも落ち着いた雰囲気を感じた。


 その声は、下から聞こえた。


(……下?)


『聞いているの?三和一成みわかずなり~』



 俺の名を呼ぶ声。はっきりと下から聞こえた。


 そこで、やっと俺はこの声がどこから聞こえてくるか判断がついた。



「……聞こえているよ」



 横の女子生徒には聞こえない程の小さく抑えた音量で答えた。

 すると、すぐに小声で発した俺の返答に満足した声が返ってくる。



『もう、ひどいわね。聞こえているのに無視するなんて、失礼しちゃう』


「無視じゃないけど…初めて話しかけてきたら誰でも戸惑うと思うけど?」


『あら、しらばくれちゃって。私たちの声には慣れているくせに』


「まあそうだけど……、なんで急に話す気になったの?――机さん」



 そう。この声は俺の目の前に存在する――机。


 授業を受けるために教科書や筆記用具を広げて乗せている木目模様の合板の天板に、天板の下部には教科書などを入れる事の出来る鉄製の物入れ。四つの脚が付いた、極々一般的な学校机だ。


 人間でもない――ましてや生き物でも無い、命を持たない≪モノ≫。


 普通の人間なら平均寿命約八十年の長い人生の中でも、命を持たない≪モノ≫の声を聞く事はないだろう。しかし俺にはなぜか昔からその声が聞こえた。意識しなくても、≪モノ≫が発する声を耳にすることができた。


 例えるならば、幽霊が見えて対話できるという霊能力者。生き物の声や思考、物の残留思念を感じ取る超能力者。そんな彼らに似ていると、俺は思う。


 しかし、俺は別に幽霊が見えるわけでも、生き物の声や思考、残留思念を感じ取る事が出来るわけでもない。俺は生き物ではない、本来なら話すことも思考を持つことも出来ない筈の≪モノ≫の声しか聞こえなかった。



『別に話す気がなかったわけじゃないけど、あなた人のいる所で話し掛けられるのは嫌いでしょ?』


「まぁね。他人には一人で話しているように見えるし」


『実際あなたに話し掛けても無視されてる子の方が多いみたいだし、私も他の人がいる時は控えようと思って。だってせっかく私たちの声を聞くことができるあなたの機嫌を損ねたくないもの』


「良い心構えだ、俺もそれは助かる。でもなぜか今日に限っては現在進行形で話し掛けてきているけど?」


『だって……』



 俺の机の彼女は、不満そうに声を曇らせる。



『あなた、カツカツカツカツって私を叩くんですもの。痛いじゃない、乱暴にしないで』



 もっと大切にしてよ、と訴える。もし机の彼女が人間ならば、眉根をきゅっと寄せ口を尖らせて、表情で自分の不満を忠実に表わすだろう。


 だが、残念ながら彼女は人間ではなく学校机。当然ながら表情を作れるわけでもないので、今まで誰にも晒すことのできなかった自分の鬱憤を声で俺にぶつける。



『私を使った人たちは、本当に使い方がなっていなかったわ。

 ――だって、私の綺麗な天板に落書きをするのよ、生まれたばかりの傷のない私の天板に!まぁ、まだ普通の落書きなら別に許せるわ、後で消しゴムを使って綺麗に消してくれるなら。でも、今まで会って来た中の酷い人は、私をカッターで消すことのできない傷をつけるの!どうしてくれるのよ、私一生キズモノだわ!消えない傷みを持って過ごしていくのよ!?


 もっと私を労わって!

 いつもいつも勉強するために私の体を貸してあげているのに!!』



 怒涛のごとく、彼女の怒りが爆発する。

 実際声が出ているとすれば、運動部ではないひょろりとした体型の俺が普段ほとんど使わない腹筋を最大限に駆使する程の声量だろう。


 さらに学校机の声は女性の声だ。ソプラノの声はとても耳に響く。


 俺はその耳鳴りを伴う高い声に微かに顔をしかめた。

 なぜ微かに抑えたかというと、勿論俺が嫌な顔をしたせいで、机の彼女の機嫌をこれ以上損ねない為だ。



「ご、ごめん」



 俺には謝る事しかできなかった。

 別に俺がカッターで傷つけたわけではないのに。


 恨むぞ、「ハラヘッタ」と至極どうでもイイ事を机に彫った前の使用者よ。



『ホント、最近の生徒は俺たちに対して乱暴だよな』


『あら、椅子のあなたもそう思う?酷いわよね~』



 急に割り込んできた少年の声。


 机の彼女の言葉から、どうやらその少年の声は椅子のようだ。


 しかも俺の真下から聞こえてきたので、現在俺が尻に敷いている学校机と同じ木目の合板で作られた、四つ脚のこれまた極々一般的な学校で使われている椅子という事になる。


 椅子の彼は声変わりしたテノールの耳に心地よい低い声で机の彼女に同意する。



『俺も今まで使われてきた奴らは嫌いだったなー。

 ――だって何が不満なのか、使っている奴に話し掛ける為だけに俺の脚をゲシゲシ蹴ってくるし。普通に座ればいいのに、後ろ脚二本でバランス取ってたと思ったら、ずっこけて俺のカッコいい背凭れに傷をつけるし。まぁ、まだそれ位までなら許せるよ。俺は心が広いからな。そんな心優しい俺を……っ、酷い奴は投げるんだぜ!?何で投げんだよ、俺を!訳わかんねぇよ!!


 俺は座る為のものだ、テメェらの喧嘩の道具じゃねぇ!!!』



 低い声音なので耳に響くことはなかった。


 なかったが……低すぎて、怖い。

 重音程のドスの効いた声は、もう少年特有の爽やかさの欠片もない。


 まるで目を据わらせてガンつけてくる不良が面前で構えているような感覚だ。

 心なしか、座っている椅子が、怒りの声に同調して振動しているような気がする。



『それ、僕も思う~』



 また聞こえてくる違う声。後ろから聞こえてくるということは――。



『おー、ロッカー。お前もか』


『あなたも苦労しているのね』



 俺が使用している学校机と椅子が、後ろに設置されている簡易ロッカーの言葉に反応する。

 椅子の彼と同じ位だろう少年の声。少々高めで穏やかな人懐っこい声が同じように愚痴る。


 ドアの閉め方が乱暴だとか、物を詰め過ぎて閉まりづらくなったとか――。


 もう言い出すとキリがなかった。

 こんな≪モノ≫の声を聞ける人間など俺くらいしかいないから、良い機会だとばかりにそれぞれ心の内に溜め込んでいた事をぶちまける。


 簡易ロッカーが話し始めれば、他の生徒が使用している学校机や椅子、簡易ロッカー……やがては筆箱やペン、消しゴム、鞄、黒板、黒板消し、小さい物ではチョークや画鋲までも、もう数え切れない数の教室に存在する命無い≪モノ≫達がまるで井戸端会議のごとく喋り出す。



(あー、うるさい。勘弁してくれ)



 ぺちゃくちゃ話して、お前らは喋り足りない主婦か。

 しかも数多くの≪モノ≫が喋るから、声が重なって騒がしい。もう鼓膜に害をなす騒音でしかない。


 俺はもう付き合っていられないと、意識を≪モノ≫達から外そうとした。


 が、流石俺を約三ヵ月身近で見ながら存在していただけある。

 いち早く俺の面倒事は避けようという態度を感じ取り、俺が使用している学校机と椅子、簡易ロッカー、ペン、ノート、消しゴム等が実際は無い口を揃える。



『『『『『ちょっと、聞いてる!!!??』』』』』


「あー!うるせぇな!」



 抑えきれず、だが机の彼女を叩くわけにもいかないので、感情が声に出た。

 その声が、思いの他大きく出てしまって。



 ――あ。



 気が付いた時には遅かった。


 じめじめと暑かった筈の教室内はシンと静まり、クラスメイトの殆どが俺の方へ振り返り目を向けてくる。

 長い気の重くなる沈黙が俺に押し寄せて、体感温度が下がり夏の暑さで汗ばんでいた背筋を冷やす。実際には数秒の間だったと思うけれど、数分以上経っていたような気がした。


 無音の中で以前眠りこけている前の席の男子生徒の口から、「ふが」と気の抜けた寝息が間抜けに響いた。



「……何が煩いんだ、三和?」



 教壇にいる頭の天辺があやしい教師が淡々と俺に問いかけた。

 別に怖いわけではないが、妙なモノを見る不躾な視線は気まずかった。



「……えーと、」



 こんな時に限って、周りの≪モノ≫達は都合よく無言で俺達の様子を窺っている。

 いや、どこか俺が口ごもり焦る様子を面白がっている節がある。


 クスクス笑っている奴は誰だ。

 お前達、声を抑えていても聞こえるぞ。なんせ俺の下に居るんだからな。



「何でもないです。すいません」


「そうか」



 淡泊な声音で頷くと、またチョークを手に黒板に向かう教師。

 後頭部が更にあやしいのを目にしながら、はぁと重いため息を肺から押し出す。


 教師の視線から外れても、クラスメイトの数人はまだ好奇の目を向けてくる。



 せっかく親の転勤で知人もいない、全く知らない土地やって来て。


 俺の事情も知らない奴ばかりな環境の中で、新しく始まった高校生活を平凡で穏やかな毎日にしようと思っていたのに。


 ≪モノ≫の声が聞こえるというだけで、変人というレッテルを貼られる事なく、ごく普通の毎日を送ろうと思っていたのに。


 これじゃあ、全て台無しだ。


 誰に話しているのか分からない、まるっきり怪しい電波少年として、晴れて変人の仲間入りだ。



『災難ね、三和一成』


(全くだ)



 現在の状況の元となった、最初に話し掛けてきた机の彼女が言葉を発する。

その同情という名のからかい言葉が、なんとも白々しい。


 次は腹の底から押し上げてくるため息に、俺は堪える事なく吐き出した。




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