心の平穏
心の向くまま、文を綴っている。なんの金にもならない、極めて自己満足の、時間の無駄遣いに、流石の僕もこうしちゃいられないとは、思う。思うのだが、どうにも思いのたけを文で語らねば胸のつっかえが取れない、そういう難儀な性分らしい。暇よ暇よと思うたびに、何か創作しなければとも、思う。けれどプロフェッショナルでもないただの凡骨が、急く必要のない事柄に焦燥を覚えるのは、見ていて滑稽だろう。やぁ、そうだろう。誰か見てくれているのならば、あえてそう問いたい。
気分が沈むことがよくある。季節がそうさせているのが一番大きいだろう。今年の夏は涼しかった。人による、なんてつまらないことを言うつもりはない。外を眺めて、自然の奏でる音楽に浸りながら、毎日無為に過ごしている。僕の悩みは、何でもない、悩みを持たないのが悩みである。ああ、隣の人がどうなったって、結局はどうだっていいんだ。正直な話、自分の周りの人間、例えば親類縁者なんかが不幸になったって、別に大したことではない。自分の生活に影響がなければ別に、その事柄に対して動揺することもない。淡々と日々を過ごせばいいんだ。そうやって他者と距離を取り続ける。そうやって心の平穏を保つ。僕の心は、本来はそうであった。いつになっても、他の人間の動向に興味が持てないし、結果を出さなければならないのは、いつだって僕だ。僕が死ななければ、何とでもなる。
そういった、ある種の自己中心的な、利己的な目的で、利他的な態度を取り続けてきた。なぜなら、利他的であればその分適切な距離感で付き合える。離れすぎず、近すぎず。けれど人の心はやはり分からないものだ。損得勘定ではない、別の価値観で動く人がたまにいる。僕はというと、そういう人を見ると心がうるさくなる。
僕の心は多分二つくらいある。一つは、全てを閉ざして何も知らないふりをすること。そうすべきだと、自分に言い聞かせること。二つ目は、暗がりから抜けようとすること。僕の心は今、一筋の光射す分厚いカーテンにさえぎられた薄暗い部屋にあるのだと思う。その一筋も今は一筋に見えているだけで、本当はもっと枝分かれしているのかもしれない。カーテンを開ける気力も今はない。けれど、モニターに映るゲーム画面の光だっていい。照明を付けてみて微かに灯る光でもいい。そうやって見てこなかったものを見ていくべきだと、そう思う心がある。
最近は後者に支配されている。どうにか自分に言い聞かせて、前を見るようにしている。雨が降り始めた。パソコン閉じてしばし浸ることにしようと思う。明かりも付けよう。まずは。




