片っぱしから癒してやるよ!
引き続き、マスターの妄想を出力します。
小さな背中が二つ、灰色の街を歩いていた。煤煙に曇った空の下、細い路地を抜け、さらに奥へ奥へと進んでいく。
石畳は割れ、壁には煤がこびりつき、空気には蒸気機関の油臭さが混ざっていた。
グレイヘイヴンのスラム――その奥は、昼でも薄暗い。
エリスは歩きながら、周囲に視線を巡らせた。
路地の隅。男が咳き込んでいる。
向こうでは、腕を押さえた労働者が壁にもたれている。
さらに先では、腰の曲がった老人が、ひどく疲れた顔で座り込んでいた。
(……多いな)
多すぎる。
病人も。
怪我人も。
(いや、これ……)
(RPGの街の回復役NPC、完全に不足してるやつじゃん)
横を歩いていたジャックが、エリスの視線に気づいたらしい。
「ああいうのか?」
彼は肩をすくめた。
「この辺じゃ珍しくねぇよ」
「……そうなんですか」
「工場の事故もあるしな。肺もやられる。医者なんて金持ちのもんだ」
ジャックは淡々と言う。
「だから放っとくしかねぇんだよ」
放置。
それがこの街の標準。
怪我も。
病気も。
治らなければ――死ぬ。
エリスは足を止めた。
ジャックが振り返る。
「……どうした?」
エリスはしばらく黙っていた。
視線の先では、さっきの男がまた咳き込んでいる。壁にもたれたまま、苦しそうに。
(……今まで)
(出来るだけ隠してきた)
祝福の力。
転生者のチート。
できるだけ目立たないように。
できるだけ使わないように。
でも。
(この街……)
(怪我人と病人だらけじゃないか)
それに。
(見て見ぬふりは……さすがに無理だろ)
エリスは小さく息を吐いた。
「ジャック」
「ん?」
「少し……診て回ろうと思います」
ジャックが固まった。
「……は?」
「さっきのお母さんの時みたいにです」
「いや、待て待て待て」
ジャックは慌てて声を下げる。
「お前、あれ……人前でやる気か?」
「そうですね」
エリスは少し迷った。だがすぐに頷く。
「隠していても、きっと意味はありません」
この街では。
病人が多すぎる。
そして――
(どうせ、いずれバレる)
なら。
最初から覚悟しておいた方がいい。
エリスは歩き出した。
咳き込んでいた労働者の方へ。
路地の壁にもたれた男は、明らかに工場労働者だった。
油で汚れた作業服。煤にまみれた顔。肩を押さえ、顔を歪めている。
近くを人が通っても、誰も声をかけない。ただ遠巻きに見るだけ。それがこの街の距離感だった。
エリスは男の前で立ち止まった。
「少し診せてください」
男が顔を上げた。
「……あ?」
警戒の視線。
当然だ。
目の前にいるのは、十二歳ほどの少女。医者には見えない。
男は眉をひそめた。
「医者か?」
「いえ」
エリスは静かに答える。
「ただ……少し楽に出来るかもしれません」
「は?」
男は怪訝そうな顔をする。
周囲の住民も、ちらちらと視線を向けていた。
ジャックは横で腕を組んでいる。完全に様子見だ。
男はしばらくエリスを見ていたが――やがて肩をすくめた。
「……まあいい」
「どうせ医者なんて呼べねぇしな」
そう言って、痛めている腕を差し出した。
エリスはそっと触れる。
(よし……)
(頼むぞ、祝福)
触れた瞬間。
体の奥から、柔らかな感覚が流れ出た。
魂の奥。そこに刻まれた三つの祝福。その一つが静かに発動する。
男の肩の奥で、何かがほどける感覚。
炎症。
筋肉の損傷。
痛み。
それらが、一瞬で消えていく。
男が眉を上げた。
「……あ?」
腕を動かす。
もう一度回す。
さらに大きく回す。
さっきまで顔を歪めていたのに。
「……おい」
男は呆然とした顔でエリスを見る。
「痛く……ねぇ」
そして次の瞬間。
勢いよく腕を振り回した。
「痛くねぇぞ!?」
声が路地に響いた。
周囲の視線が一斉に集まる。
男は興奮した顔で叫ぶ。
「この子が治した!」
「この子がやったんだ!」
ざわめきが広がった。
「本当か?」
「嘘だろ?」
「いや……さっきまで動けなかったぞ」
人が近づいてくる。
まず一人。
「なあ……」
腕に包帯を巻いた男が言う。
「俺も診てくれねぇか」
次に、老人。
「腰が……」
さらに、子供。
「お母ちゃんが咳してるんだ」
気がつけば。
路地の一角に、人だかりが出来ていた。
ジャックが目を丸くする。
「おいおいおい」
そして慌てて叫んだ。
「ちょっと待て!順番だ順番!」
彼は即席の整理係になった。
「並べ!押すな!」
完全に慣れている。スラムの交通整理スキルだ。
路地は、いつの間にか即席の診療所になっていた。
エリスは一人ずつ触れていく。
腕の怪我。
熱。
咳。
古い傷。
触れるたびに、祝福が静かに働く。
治る。
一瞬で。
ざわめきがさらに大きくなる。
「治った……」
「嘘だろ」
「本当に痛くねぇ」
エリスは次の患者の手を取る。
(やっぱりこうなるよな)
(この街……)
(医療が完全に足りてない)
いや。
足りないどころじゃない。
(需要が桁違いだ)
それに。
(というか……)
(普通に人が死にすぎる)
触れるだけで助かる命が、いくらでもある。
そして。
列は、まだまだ続いている。
最後の男が深く頭を下げた。
「助かった……」
その声に、周囲も口々に言う。
「ありがとう」
「助かったよ」
「本当に奇跡だ……」
奇跡。
その言葉が、ざわめきの中に混ざる。
ジャックがエリスを見た。
「……なあ」
「お前、何者なんだよ」
エリスは少し困ったように笑った。
「大したことはしていません」
「少し……治せるだけです」
その時だった。
人混みの奥で、誰かが小さく呟いた。
「……聖女みたいだ」
空気が止まった。
エリスの笑顔も止まる。
(いやいやいや)
(聖女はさすがに飛躍しすぎだろ!?)
(俺ただのヒーラーなんだけど!?)
(職業で言うと僧侶ポジなんだけど!?)
しかし。
人々の目は真剣だった。
尊敬。
驚き。
そして――希望。
エリスは内心で頭を抱える。
(やばい)
(これ、噂になるやつだ)
夕暮れの光が、灰色の街を染めていく。
治療を終えたエリスとジャックは、路地を歩き出した。
助けた人々は、みんな感謝していた。
だが。
誰一人――金は払えない。
ジャックがぽつりと言う。
「……なぁ」
エリスが振り向く。
「なんでしょう」
ジャックは真顔だった。
「これ」
「どうやって食っていくんだ?」
エリスは足を止めた。
少し考え込む。
スラムには――患者は無限にいる。
だが。
払える人間が、いない。
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