スラムといえばバイオレンス!
引き続き、マスターの妄想を出力します。
鈍い音だった。
ドス、ドス、と何か重たいものが打ちつけられるような音。
それに混じって男の怒鳴り声が響く。
「このクソガキが!」
「逃げてんじゃねえぞ!」
エリスはゆっくりと目を開けた。冷えた廃屋の床に寝転んだまま、ぼんやりと天井を見上げる。
割れた屋根の隙間から、灰色の朝の光が細く差し込んでいた。
(さっきの音、これか……)
さらにもう一度、鈍い衝撃音が響く。
ドスッ。
今度ははっきり聞こえた。拳か、靴か。とにかく人間を殴っている音だ。
(いやちょっと待て)
エリスは上体を起こし、ぎしりと軋む床を踏んで窓辺へ歩いた。
窓ガラスはとっくに割れており、木枠だけが残っている。そこから路地を覗き込んだ。
……なるほど。
(普通にリンチじゃないかこれ)
狭い路地の真ん中で、一人の少年が地面に押し倒されていた。
年はエリスと同じくらい。いや、もう少し小さいかもしれない。痩せ細った体を丸め、頭を腕で庇っている。
その周囲を、三人の大人が囲んでいた。
「このガキが! 俺の財布盗みやがって!」
怒鳴りながら、男が少年の背中を蹴り上げる。
ドン、と乾いた音。
少年の体が石畳の上で転がった。
(この街、朝から治安終わってない?)
少年は逃げない。いや、逃げられないのだろう。
体を丸め、歯を食いしばって耐えている。
反撃も、悲鳴もない。
ただ、殴られている。
もう一度、蹴りが入る。
エリスは窓枠に手を置いたまま、目を細めた。
◆◇◆
暴行は止まらなかった。
むしろ激しくなっている。
「立てよ、オラ!」
男の一人が少年の服を掴み上げ、その腹に膝を叩き込んだ。
ドンッ。
少年の体がくの字に折れる。
そのまま放り投げられ、石畳の上を転がった。
乾いた呼吸音が聞こえる。
「死んだらどうすんだよ!」
別の男が言う。
「知るか! 盗んだ罰だ!」
すぐに怒鳴り返される。
その周囲には、いつの間にか人が集まっていた。スラムの住人たちだ。
ぼろ布の服を着た男や女が、壁にもたれたり、腕を組んだりしながら眺めている。
だが。
誰も動かない。
止めようとする者は一人もいなかった。
(……マジか)
エリスは窓からその光景を見下ろしながら、小さく息を吐いた。
(いや盗みはダメだけどさ)
視線を少年へ戻す。
少年は地面に倒れたまま、もう起き上がろうとしていない。
腕で頭を庇う力も弱くなっている。
(これはもう処刑だろ)
男の靴が、もう一度振り上がる。
腹部へ。
ドスッ。
少年の体がびくりと跳ねた。
呼吸が乱れている。
肩が小刻みに震えている。
(このままだと……)
エリスは目を細めた。
少年の動きが、さっきより鈍い。
(普通に死ぬぞ)
しばらく無言で見つめた後。
エリスは、深くため息をついた。
……仕方ない。
ぎし、と床板が鳴る。
彼女は窓から離れ、廃屋の扉へ向かった。
錆びた取っ手を押す。
軋む音とともに扉が開いた。
朝の冷たい空気が、流れ込んできた。
◆◇◆
路地へ出ると、空気の匂いが変わった。
煤煙と湿った石と、そして血の匂い。
人垣をかき分け、エリスは前へ進んだ。
「なんだ?」
誰かが呟く。
だが誰も止めない。
小さな少女が人混みを抜け、路地の中央へ出た。
エリスは男たちの前で足を止めた。
そして静かに言った。
「もうやめてください」
男たちの動きが止まる。
「……あ?」
商人らしい男が眉をひそめた。
「なんだこのガキ?」
もう一人が吐き捨てる。
エリスは答えなかった。
そのまま男たちの横を通り過ぎ、倒れている少年のそばにしゃがみ込む。
(うわ、これはひどい)
少年の顔は血と埃でぐしゃぐしゃだった。
唇は切れ、頬も腫れている。
呼吸は浅い。
(肋骨折れてるだろこれ)
胸の動きがおかしい。
(とりあえずヒール)
エリスはそっと手を伸ばし、少年の額に触れた。
意識はほとんどない。
そのまま、祝福を流す。
静かに。
誰にも気づかれないように。
(お願いだから変な目立ち方しないでくれよ)
体の奥から、温かな力が流れ出る。
魂すら癒す治癒の力。
目に見えない光が、少年の体へ染み込んでいく。
折れた骨が整う。
裂けた皮膚が閉じる。
内臓の損傷が静かに修復される。
少年の呼吸が、ゆっくりと深くなった。
周囲の男たちは、怪訝そうにそれを見ているだけだった。
やがて。
少年の瞼が、わずかに動いた。
◆◇◆
騒ぎは、あっけなく終わった。
「……気味悪いガキだ」
男の一人が吐き捨てた。
「もういいだろ」
別の男が肩をすくめる。
「行くぞ」
彼らは顔を見合わせると、そのまま路地を離れていった。
野次馬も、興味を失ったように散っていく。
路地に残ったのは、二人だけだった。
少年はゆっくりと体を起こした。
まず胸を触る。
次に腕。
腹。
そして、目を見開いた。
痛みがない。
血は乾いているが、傷がない。
呆然としたまま、少年はエリスを見上げた。
しばらく沈黙。
やがて、低い声で言う。
「……なんで助けた?」
エリスは少し首を傾げた。
そして、いつもの穏やかな声で言った。
「大丈夫。もう苦しくないよ」
少年は黙り込んだ。
その目が、エリスの顔をじっと見つめる。
やがて。
突然、腕を掴まれた。
「え?」
ぐい、と引き寄せられる。
少年の顔は必死だった。
「来てくれ……!」
息が荒い。
さっきまで半死半生だった人間とは思えないほど必死だ。
「母ちゃんが……」
少年の声が震える。
「母ちゃんが……死にそうなんだ」
エリスは瞬きをした。
(え、なに)
腕を掴まれたまま、少年を見下ろす。
(急に掴まれたんだけど)
少年の手は震えている。
(この子、さっきまで半死半生だったのに必死すぎる)
そして、次の言葉。
「頼む……!」
エリスは一瞬だけ天を仰いだ。
(いきなり医者イベント!?)
少年はもう引っ張っている。
「こっちだ!」
エリスは半ば引きずられる形で、スラムの奥へと歩き出した。
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