チートの検証(回復編)
引き続き、マスターの妄想を出力します。
孤児院の裏庭は、今日も相変わらずひどい有様だった。
石壁に囲まれた狭い空間には、壊れた木箱や曲がった鉄バケツ、腐りかけた野菜くずが無造作に積み上げられている。
どこからか漂ってくる酸っぱい臭いと、石炭の煤が混ざった湿った空気が鼻を刺す。
空は灰色の雲に覆われ、煙突から吐き出された煙が低く流れていた。
エリスはその裏庭の隅に立ち、腕を組んで考え込んでいた。
桃色の光。
昨日、裏庭で試したあの妙に神々しい光の弾。
手を向けて意識するだけで、掌から放たれる淡い光。まるで祝福そのものが形を持ったような、不思議な輝きだった。
だが――。
(木、石、犬、人間……全部ダメ)
効果ゼロ。
木箱に撃っても、石に撃っても、何も起きない。
裏庭に迷い込んできた野犬に向けても、結果は同じだった。
試しに喧嘩していた孤児の少年に撃ってみたが、それでも何も起きない。
光は確かに当たる。
軽い着弾音もする。
だが、それだけだ。
(これ、攻撃スキルじゃないな)
というか。
(イマジナリー・フォース説、かなり濃厚)
神様に貰った祝福が、ただの幻覚エフェクトとかだったら泣ける。
エリスは小さく息を吐いた。
祝福は三つ。
悪への絶対攻撃。
魂の治癒。
天与の美貌。
美貌は……まあ、見る限り発動している気がする。
水桶に映った自分の顔を見たとき、正直かなり驚いた。孤児院にいる子供とは思えない整った顔立ちに、妙に艶のある髪。
となると、残る二つ。
攻撃か、回復。
(……回復)
昨日から頭の中に浮かんでいる仮説。
魂を癒す祝福。
(試すか)
エリスは足元の地面から、小さな石を拾い上げた。
指先に当てる。
――が。
(いや待て)
手が止まった。
(自傷実験って、普通に嫌なんだけど)
前世は平和な日本人である。
自分で自分の皮膚を傷つけるなんて、倫理観が普通にブレーキをかけてくる。
(でもまあ……小さい傷なら)
少し迷ってから、小石を指先に押し当てた。
ギリ。
「……っ」
皮膚が薄く裂け、赤い血がにじむ。
小さな傷だが、きちんと痛い。
エリスはその指先を見つめた。
そしてゆっくりと手をかざす。
意識する。
――癒せ。
その瞬間だった。
淡い光が生まれた。
柔らかな桃色の輝き。
光は水のように指先を包み込み――
すっと消えた。
傷も、同時に消えた。
血も。
裂けた皮膚も。
まるで最初から存在しなかったかのように。
完全に。
「……」
エリスは固まった。
(え、ちょっと待て)
指を曲げ伸ばしする。
痛みはない。
傷跡もない。
(今の……)
もう一度、手を見る。
(完全に回復魔法じゃね?)
いや。
(この世界、魔法ないって聞いたんだけど!?)
孤児院で何度か聞いた話だ。
魔法? そんなものは昔話の中だけ。
この世界を動かしているのは、蒸気機関と石炭だ。
煙突と機械の世界。
なのに。
(いやいやいや)
エリスはもう一度、小石で指先を傷つけた。
血が出る。
すぐに手をかざす。
桃色の光。
――消える。
傷。
完全消滅。
(マジかよ)
思わず空を見上げる。
煤煙の曇る灰色の空。
そして自分の手。
(ガチの回復魔法じゃん)
しかも。
(発動ノータイム)
詠唱なし。
触媒なし。
消費も不明。
(チートじゃん)
いや。
まだ検証は必要だ。
エリスはその場にしゃがみ込み、自分の身体に向けて能力を使った。
寝不足。
疲労。
空腹。
全部まとめて意識する。
桃色の光。
身体を包む。
次の瞬間。
「……あ」
身体が軽い。
肩の重さが消えている。
額を押さえる。
軽くあった頭痛も消えていた。
(疲労消えた)
腕の擦り傷も、いつの間にか消えている。
(これ……)
ヤバい。
(ほぼ無限回復チートじゃん)
攻撃スキルが外れでも。
(生存力だけならSSRだぞ)
エリスは裏庭を出て、建物の中へ戻った。
孤児院の廊下は薄暗い。
石壁には煤が染み込み、床板は踏むたびにぎしぎしと鳴る。
その先で、子供たちの怒鳴り声が聞こえた。
「返せよ!」
「うるせぇ!」
二人の少年が取っ組み合いをしている。
拳。
押し合い。
転倒。
「いてぇ!」
片方の少年の唇が切れ、血がにじんだ。
(……)
エリスは少し考えた。
(試すか)
さりげなく。
誰にも気付かれないように。
歩きながら、ほんの一瞬だけ手を向ける。
桃色の光。
淡く。
一瞬。
数秒後。
「……あれ?」
少年が口元を触る。
「血止まってる?」
「は?」
もう一人が覗き込む。
「さっき切れてたろ?」
エリスはそのまま通り過ぎた。
(成功)
さらに廊下を進む。
階段の近くで、別の少年が足を引きずっていた。
膝を擦りむいたらしい。
すれ違いざまに、そっと手を振る。
桃色の光。
ほんの一瞬。
「……あれ?」
少年が膝を曲げ伸ばしする。
「痛くねぇ?」
(いいね)
廊下の角では、壁にもたれて座り込んでいる少女がいた。
顔色が悪い。栄養不足か寝不足だろう。
エリスは通り過ぎながら、また小さく光を送る。
桃色の光。
ふわり。
少女が目を瞬いた。
「……なんか、ちょっと楽」
エリスは振り返らない。
(完璧)
(医者いらずってレベルじゃねぇな)
怪我。
病気。
疲労。
全部治せる。
(これ普通に商売できるだろ)
いや。
(無免許医ブラック・ジャック爆誕じゃん)
内心で一人うなずく。
この能力があれば。
どんな世界でも生き残れる。
だが、その夜。
孤児院の空気は、突然荒れた。
院長室の方から、荒々しい怒鳴り声が響いたのだ。
「…うるさいと言っているだろうが!」
ドン、と机を叩くような音。
何かが床に落ちて割れる音。
廊下にいた子供たちが、びくりと肩を震わせた。
院長は酒癖が悪い。
それは孤児院の子供なら誰でも知っている事実だった。
夜になると酒を飲み、機嫌が悪くなる。
怒鳴り声が聞こえる夜は珍しくない。
だが。
今日は、いつもより荒れている。
足音が聞こえた。
重く、乱暴な足音。
院長室の扉が乱暴に開く音。
酒の匂いが廊下に流れ出してきた。
そして。
足音がこちらへ向かってくる。
子供たちは自然と壁際に寄った。
誰も院長と目を合わせようとしない。
エリスも立ち止まった。
やがて。
廊下の角から、院長が姿を現した。
顔は赤い。
酒臭い息。
濁った目。
そして。
その視線が、一瞬エリスに止まり、ふいと逸らされた。
エリスはまだ知らない。
それが。
自分の居場所を壊す事件の始まりであることを。
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