チートの検証(攻撃編)
引き続き、マスターの妄想を出力します。
孤児院の裏庭は、昼でもどこか薄暗かった。
高い石壁に囲まれ、石炭の煤が黒くこびりついている。
庭と呼ぶにはあまりに荒れた場所で、土は固く踏み固められ、端には細い木が一本だけ頼りなく立っていた。
風が吹くたび、煤を含んだ冷たい空気が静かに流れていく。
エリスはその木を見上げながら、腕を組んで立っていた。
さっきまで行っていた実験を、頭の中でゆっくり整理している。
右手を軽く持ち上げる。
意識を向けると、掌の上にふわりと桃色の光が灯った。
柔らかく淡い、薄紅色の輝き。
まるで小さな炎が揺れているように、静かに瞬いている。
だが――
(木ダメ)
エリスは目の前の木の幹に視線を落とした。
ついさっき、何度も撃ち込んだばかりだ。
桃色の光は確かに幹に当たった。乾いた着弾音も聞こえた。
それなのに。
幹には傷一つない。
皮が剥がれる様子すらなかった。
(石ダメ)
足元の石も同じだった。
裏庭に転がっていた拳大の石へ、試しに何度も撃ってみた。
結果はすべて同じ。
パチン。
小さな音が鳴るだけ。
石は微動だにしない。
(つまり……物体には効かないタイプ?)
エリスは顎に手を当て、ゆっくりと考える。
前世の知識が自然に思考を整理していく。
(攻撃スキルって普通はまず木に穴あけるテストだろ……)
ゲームでも小説でも定番だ。
まず木に撃つ。次に石。威力の目安を確認する。
だが。
今回の結果は――
完全なゼロダメージ。
いや、ダメージ表示すらない。
(これ……攻撃スキルじゃないのか?)
エリスは小さく首を傾げた。
だが、そこで思考が止まることはなかった。
(……いや)
(もしかして)
(生き物には効くタイプ?)
その可能性が浮かぶ。
例えば。
生命体限定。
魂対象。
そういう能力なら、無機物に反応しないのも説明がつく。
(……それっぽいな)
エリスは静かに立ち上がった。
少女の動きは落ち着いている。
だが内心では完全に検証モードに入っていた。
「少し、試してみよう」
声は静かで丁寧だった。
(被験体その二を探すか)
裏庭の奥にはゴミ置き場がある。
食べ残しや壊れた道具が放り込まれる場所だ。
そして当然――
動物が寄ってくる。
◆◇◆◇◆
ゴミ置き場には腐った匂いが漂っていた。
破れた袋の中から、食べかすが地面に散らばっている。
湿った土の上に黒い染みが広がり、そこを蠅がぶんぶんと飛び回っていた。
そして。
その中心に、一匹の野犬がいた。
茶色い毛並みは汚れ、背骨が浮き出ている。
裂けた耳がぴくぴくと動きながら、袋の中を必死に漁っている。
エリスは少し離れた場所で足を止めた。
(うん、近づくと普通に危ない)
狂犬だったら笑えない。
だが、この距離なら安全だ。
エリスは掌を軽く上げた。
意識を集中させる。
桃色の光が再び灯る。
(まず弱めで)
指先を犬へ向ける。
発射。
パチン。
乾いた音。
犬は――
何も反応しなかった。
ただゴミを漁り続けている。
(……弱すぎた?)
エリスは眉をひそめた。
もう一度光を作る。
今度は少しだけ強く。
(じゃあもうちょい強く……)
発射。
パチン。
犬の耳がぴくりと動いた。
それだけだった。
再び袋を漁り始める。
(……いや普通に効かないなこれ)
エリスは腕を組んだ。
少しだけ考える。
残る可能性は一つ。
(まあでも……)
(一応、全力で)
掌の光がわずかに強く輝く。
そして。
発射。
パチン。
音が響く。
犬は振り返ることもなく、袋をくわえてゆっくり去っていった。
その背中が角を曲がり、見えなくなる。
ゴミ置き場に静けさが戻った。
(犬ダメ)
エリスは小さく呟く。
(というか犬に実験してる俺、ちょっと最低では?)
ほんの少しだけ罪悪感が湧く。
だが、すぐに切り替えた。
(……次だ)
動物がダメなら。
(人間なら?)
◆◇◆◇◆
孤児院の廊下は夕方の騒がしさに包まれていた。
子供たちの声があちこちから聞こえる。
古い木の床が足音でぎしぎしと軋み、薄暗い廊下の奥では小さな喧嘩が起きていた。
「やめろよ!」
「うるせー!」
見ると、年上の少年が一人の子供を小突いている。
肩を押し、背中を叩き、泣きそうな顔をしている相手をからかっている。
よくある光景だった。
孤児院では珍しくない。
エリスは柱の影に立ち、その様子を静かに眺める。
(ちょうどいい)
距離は十分。
少年はこちらを見ていない。
(テスト対象:人間)
掌に光。
狙いを定める。
発射。
パチン。
音だけ。
少年はまったく気づかない。
「ほら、泣くなって!」
小突く手も止まらない。
(……マジか)
エリスはもう一度撃つ。
パチン。
反応なし。
三発目。
パチン。
何も起きない。
完全なノーダメージ。
エリスは静かに息を吐いた。
(木ダメ)
(石ダメ)
(犬ダメ)
(人ダメ)
頭の中で並べる。
そして結論。
(つまりこれ――)
エリスは静かに呟いた。
(完全にイマジナリー・フォースじゃね?)
見た目は必殺技。
威力はゼロ。
音だけ。
それだけ。
(……いやいや)
(外れスキルすぎるだろ)
エリスは肩を落とした。
◆◇◆◇◆
夜。
孤児院の寝室は静まり返っていた。
粗末なベッドが並び、子供たちは疲れ果てて眠っている。
窓から入る月明かりが、古い床と白い布団をぼんやり照らしていた。
エリスはベッドの上で仰向けになり、天井を見ていた。
掌をゆっくり開く。
意識を向ける。
すると、桃色の光が静かに灯った。
暗い部屋の中で、その光だけが淡く揺れる。
柔らかく、優しい光。
本当に美しかった。
(見た目は完全に必殺技なんだけどな……)
だが。
効果はない。
(ノーダメ演出だけのスキルとか)
(ゲームなら確実に外れ枠)
エリスは小さくため息をついた。
光を消す。
まあ。
(いいか)
(祝福は三つあるって言ってたし)
攻撃がダメなら。
残りに期待するしかない。
エリスは天井を見上げた。
(そういえば――)
記憶を辿る。
確か。
(「魂を癒す」って祝福があったよな)
少女の目が少しだけ細くなる。
(これ……)
そして。
エリスの内心は、ゆっくり確信に変わっていった。
(回復チートじゃないか?)
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