悪魔なんていない⋯⋯はず?
引き続き、マスターの妄想を出力します。
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馬車は静かに揺れていた。
石畳を叩く車輪の音が規則的に響き、その振動が座席越しに伝わってくる。
スラムを離れた今、外の空気はわずかに澄み、だが代わりに息苦しいほど整った静寂が広がっていた。
向かいに座るマーガレットは、手を強く握りしめている。
その指先が白くなるほどに。
「……娘は、最初はただの悪夢だと言っていました」
震える声で、彼女は語り始めた。
「夜ごとに同じ夢を見ると……誰かに見られているような、逃げ場のない夢を」
エリスは小さく頷きながら、視線を逸らさずに聞く。
「それから、幻聴があると。誰もいないのに、声が聞こえると……」
「声の内容は分かりますか?」
穏やかな調子で問いかける。まるで診察室での問診のように。
マーガレットは一瞬迷い、だが答えた。
「……最初は意味のない言葉でした。ですが、次第に……会話のように」
(段階的に進行してるな……)
頭の中で整理する。接触、侵入、そして――
(⋯⋯おいおい、「接触」に「侵入」って何だよ? 頭にフッと浮かんできたぞ?)
そこまで考えて、エリスは思考を一度止めた。
「人格の変化は?」
「あります……」
今度は即答だった。
「表情が変わるのです。同じ顔なのに、まるで別人のように……冷たく、嘲るような目で」
ジャックがわずかに身じろぎする。
その話の異様さに、露骨に警戒を強めているのが分かった。
「それと……」
マーガレットの声が、さらに低くなる。
「……人の考えを、言い当てるのです」
空気が一瞬、凍りついた。
「心に浮かんだことを、そのまま口にされる……隠していることまで」
沈黙。
馬車の揺れだけが、やけに大きく感じられる。
(……それはちょっとアウトでは?)
エリスは内心で眉をひそめた。
幻覚や人格変化まではまだ分かる。だが思考読解となると、話が変わってくる。
ただの精神疾患では説明がつかない。
「発症から、どれくらいですか?」
「……二週間ほどです」
「進行は早いですね」
淡々と告げると、マーガレットはかすかに頷いた。
エリスは視線を落とし、頭の中で症状を並べていく。
悪夢、幻聴、人格変化、思考読解。
そして急速な進行。
(普通に考えたら――)
結論は一つではない。
多重人格障害。 重度の精神疾患。 あるいは脳の器質的障害。
(脳腫瘍とかでも説明つくか……? いやでも思考読解はさすがに)
組み立てながら、違和感が残る。
完全には噛み合わない。
「……悪魔に、取り憑かれているのではないかと」
ぽつりと、マーガレットが言った。
エリスは顔色一つ変えずに頷く。
「そう考えられるのも、無理はありません」
外面は、あくまで冷静。
だが内心では――
(いや悪魔はさすがにないだろ……)
即座に否定する。
そんなもの、ファンタジーの中だけの存在だ。
――のはず。
(……いや、でも)
一瞬だけ、思考が止まる。
脳裏に浮かぶのは、あの空間。
あの“神っぽい存在”とやら。
(……いやいやいや)
首を振る。
(あれは転生イベントだろ。世界観的な例外処理だろ)
現実に悪魔がいる理由にはならない。
そう結論づける。
(まあでも現実的に考えて医療案件だよな)
思考を戻す。
難治性の症例。
そう考えればいい。
むしろ燃える。
横で、ジャックが小さく舌打ちした。
「……ヤバい匂いしかしねぇ」
低い声で呟く。
「貴族で、この症状で、“悪魔”とか言い出してる時点で、まともじゃねぇ」
ちらりとエリスを見る。
「関わったら、ロクなことにならねぇぞ」
その視線は真剣だった。
スラムで生きてきた人間の、現実的な警告。
エリスは一瞬だけ考え、そして答える。
「大丈夫」
短く、だがはっきりと。
「診るだけ。無理なら引く」
それが基本方針。
治せるなら治す。 無理なら撤退。
シンプルだ。
ジャックはしばらく無言でエリスを見ていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……まあ、お前はそういうやつだよな」
完全には納得していない。
だが、止める気もない。
馬車が大きく揺れ、進路を変える。
窓の外の景色が、明らかに変わった。
整えられた石畳。 均整の取れた建物。 煤の色すら、どこか薄い。
(うわ……別世界じゃん)
思わず内心で呟く。
同じ街とは思えない。
スラムの雑多な混沌とは対極の、整いすぎた空間。
その違和感を感じていると――
馬車がゆっくりと速度を落とした。
「……着きます」
マーガレットの声。
窓の外に、巨大な影が現れる。
視界いっぱいに広がる、壮麗な屋敷。
(でっか……)
思わず思考が素直に漏れる。
だが、その直後。
エリスは、ふと違和感を覚えた。
――空気が、重い。
目に見えるわけではない。
だが確かに、何かが“ある”。
胸の奥に、じわりとした圧迫感が広がる。
(……なんだこれ)
無意識に、背筋が強張る。
さっきまでの楽観が、ほんの少しだけ揺らいだ。
屋敷の奥。
見えないはずの場所から――
“何か”がこちらを見ているような感覚。
馬車が止まる。
同時に、マーガレットがほとんど飛び出すように扉へ手をかけた。
「こちらです、早く……!」
焦燥に押されるような声。
扉が開く。
外の空気が流れ込む。
だが、その空気は――
どこか、淀んでいた。
(……これ)
エリスはゆっくりと立ち上がる。
胸の奥に残る違和感を抱えたまま。
(本当に、ただの医療案件か?)
答えは、まだ出ない。
だが一つだけ、はっきりした。
この屋敷の中には。
“何か”がいる。
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