神父の決断
引き続き、マスターの妄想を出力します。
ブックマークや評価をしてくださった皆さま、ありがとうございます。
――暗い。
マーガレットの呼び出しに応え、アシュクロフト邸を再び訪れたエドワード神父は、アシュクロフト邸の暗く、重苦しい雰囲気を肌で感じていた。
窓から差し込む陽光が廊下の絨毯を照らしているが、その明るさは屋敷の空気をまるで和らげていない。
エドワードはマーガレットに案内され、長い廊下を歩いていた。
文献の記述が、頭の奥で何度も反芻されている。
人格の変質。
声質の変化。
周囲の秘密を言い当てる能力。
あまりにも、あまりにも一致していた。
やがてマーガレットが足を止める。
「……こちらです」
重い扉が静かに開いた。
エレノアの寝室。
室内には薬草の香りが漂っていた。
厚いカーテンの隙間から昼の光が差し込み、天蓋付きのベッドを淡く照らしている。
その中央に、少女は横たわっていた。
エレノア・アシュクロフト。
白い枕に沈む顔は眠るように穏やかだ。
だが血の気はなく、呼吸も浅い。
エドワードはベッドの傍へ歩み寄る。
胸の奥で、嫌な予感が重く沈んでいた。
神父は両手を組み、静かに祈りを始める。
「主よ。この娘に――」
その瞬間だった。
エレノアの唇が、ゆっくりと動く。
マーガレットが小さく息を呑んだ。
だが響いた声は、少女のものではない。
低く乾いた男の声だった。
「——神父」
エドワードの祈りが止まる。
閉じられた瞳。
動かない身体。
それでも唇だけが、確かに動いている。
「聖座教会の書庫で……随分と黴の生えた本を漁っていたな」
神父の背筋に冷たいものが走った。
そのことは誰にも話していない。
書庫の司書にさえ詳しい理由を告げていないのだ。
声は愉快そうに続ける。
「黴だらけの文献など、何の役にも立たない」
エレノアの閉じた瞼の下で、眼球がゆっくり動いた。
まるで内側から誰かが覗いているように。
「お前の祈りも、同じことだ」
寝室が静まり返る。
エドワードは祈りの言葉を続けることができなかった。
組んだ手をほどき、少女を見つめる。
文献の一節が頭の中で蘇る。
人格の交替。
声質の変化。
周囲の秘密を言い当てる。
偶然ではない。
これは――。
(病ではない)
胸の奥で、結論が静かに固まった。
悪魔憑き。
可能性ではない。
ほぼ確信だった。
やがて少女の唇は動きを止め、再び完全な眠りへ落ちた。
部屋には浅い呼吸音だけが残る。
エドワードはゆっくり立ち上がる。
「……奥様」
低く言う。
「少し外でお話ししましょう」
マーガレットは震えながら頷いた。
廊下に出ると、扉が静かに閉まる。
昼の光が差し込んでいるにもかかわらず、空気は重かった。
マーガレットはすぐに神父へ縋りつく。
「神父様……娘は……」
声が震えている。
エドワードは数秒沈黙した。
言葉を選ぶように目を伏せ、やがて重い声で言う。
「奥様……まだ断定はできません」
マーガレットの顔が強張る。
だが神父は続けた。
「しかし」
静かに、しかしはっきりと。
「古い教会記録に残る悪魔憑きの進行段階と、非常によく似ています」
マーガレットの顔から血の気が引いた。
「……そんな」
「正式な悪魔祓いには、教会の承認が必要です」
エドワードは説明する。
「枢機卿の許可なしには実行できません」
沈黙。
マーガレットは唇を噛み、やがて深く頭を下げた。
「どうか……」
涙が床へ落ちる。
「どうか娘をお救いください」
エドワードは静かに頷いた。
「これからすぐ教区の枢機卿の元へ参ります」
「枢機卿に悪魔祓いの許可を申請します」
廊下の窓から差し込む光が、二人の影を長く伸ばしていた。
事件は、ついに教会の領域へ踏み込もうとしている。
◇◆◇◆◇◆
聖座教会教区本部、枢機卿執務室。
高い天井と重厚な書棚に囲まれた部屋で、枢機卿は椅子にもたれかかっていた。
エドワードは悪魔払いの許可を求めるべく、説明を始めようとした。
だが、枢機卿はエドワードがいくばくも話さないうちに露骨に顔をしかめた。
「悪魔憑き、ですか」
鼻で笑う。
「神父」
彼はゆっくり言った。
「ここは中世ではありません」
悪魔など迷信だと言わんばかりの口調だった。
「それに、正式な悪魔祓いは調査委員会と審査を経る必要があります」
指を組みながら続ける。
「最低でも数週間」
エドワードは思わず前へ出た。
「それでは間に合いません」
枢機卿は退屈そうに肩をすくめる。
「焦りは判断を誤らせます」
だがその時。
「しかし、このままでは、エレノア・アシュクロフトに命の危険が!」
エドワードが告げた家名に、枢機卿の眉がわずかに動いた。
「……アシュクロフト? もしやアシュクロフト伯爵家ですか?」
椅子の上で姿勢を直す。
「エレノアというと…アシュクロフト家の御令嬢ですか」
枢機卿は沈黙し、その瞳に打算めいた光が宿った。
「正式手続きは時間がかかりますが……」
枢機卿は机を軽く叩き、言葉を紡ぐ。
「個人的なツテならあります」
エドワードが顔を上げた。
「かつて聖務局で悪魔祓いをしていた男です」
枢機卿は秘書へ視線を向ける。
「ガブリエル・ローデン」
低く告げる。
「今は半ば隠居している身ですが……まあ、そういった相談に対処した経験は豊富です」
「彼に連絡を取りましょう。なるべく急いでね」
枢機卿は小さく微笑んだ。
そこにあるのは信仰ではない。
貴族への政治的打算だった。
それでもエドワードは深く頭を下げる。
「ありがとうございます、枢機卿」
窓の外で鐘が鳴った。
そして遠く離れた地で。
杖をついた一人の男が、静かに祈っていた。
その元へ、やがて一通の手紙が届く。
差出人は枢機卿。
内容は――
非公式な悪魔祓いの依頼だった。
評価やブックマークを頂けると、マスターの妄想生成効率が向上する傾向があります。




