ありきたりなTS
引き続き、マスターの妄想を出力します。
目を覚ました瞬間、彼はぼんやりと天井を見つめていた。天井というより、削っただけの灰色の石だ。煤で黒ずんだ石壁と、冷たい朝の空気が肌にまとわりつく。薄い布団の下から背中へ冷えがじわりと染み込んできた。
ゆっくり腕を動かす。ぶかぶかの寝間着の袖が手首より先まで落ちた。指が細い。腕が軽い。妙な違和感が次々と意識へ浮かび上がり、やがて一つの結論へ収束する。
(……あれ?)
恐る恐る体を見下ろした瞬間、思考が止まった。
(……うん)
(少女だこれ)
白い空間。光の存在。祝福と代償。記憶の断片がゆっくり浮かび上がる。
性転換。
(いや、分かってたけどさ)
(分かってたけど実物は衝撃でかいな!?)
胸元をもう一度確認してから、小さく息を吐いた。
(まあ……)
(死んだあとに第二の人生もらえただけでも儲けもんか)
その時、すぐ隣の布団がもぞりと動いた。寝ぼけ眼の少年が起き上がり、ぼんやりと彼を見つめる。
「……えっと」
数秒の沈黙。
「君、誰だっけ?」
背筋に冷たい汗が流れた。
(まずい)
(名前がない)
脳が高速で回る。ここで黙れば終わる。何でもいい、名乗れ。
「エ、エリス……」
少年は「んー」と唸って数秒考えた。
そして。
「ああ、そうそう!エリス!」
ぱっと納得した顔になる。
だが次の瞬間、また首を傾げた。
「……あれ?」
「なんで忘れてたんだろ?」
その言葉に、エリスの背中を冷たいものが走る。周囲の子供たちも起き始めていた。
「朝だぞー」
「パンなくなるぞー」
誰も不審がらない。まるで最初からここにいたように、自然に受け入れている。
(今の何?)
(この子、絶対オレのこと知らなかったよな?)
(でも普通に納得した?)
小さく息を吐く。
(……もしかして)
(世界が、オレを“ここにいたことにした”?)
理解した瞬間、背筋が寒くなる。
だが混乱していても始まらない。エリスは布団から抜け出した。
(とりあえず)
(情報収集だな)
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
孤児院の食堂は石造りの冷たい部屋だった。長い木のテーブルが並び、古びた椅子がぎしぎし音を立てている。小さな窓から灰色の朝の光が差し込み、部屋の空気はどこか湿っぽい。
配られた皿を見て、エリスはスプーンを止めた。
(……うっす)
皿の中には薄茶色の液体。具材はほとんど見当たらない。周囲の子供たちは慣れた様子で固いパンをちぎって食べている。
エリスもパンを齧る。
(固っ)
歯がきしむ。慌ててスープで流し込む。
(味、ほぼ水)
子供たちは気にしていない。
(……これが日常?)
スプーンを見つめながら、あの契約を思い出す。
夭折。
貧乏。
性転換。
(……いや待って)
スープを見下ろす。
(性転換だけじゃなくて)
(極貧もセットされてない?)
ため息が漏れる。
(サービス精神いらないんだけど)
ふと、自分の考え方が少し変わっていることに気づく。
(……ん?)
考え方自体は前世のままだ。だが、声を出すときの調子や体の感覚がどこか違う。
スプーンを口に運びながら小さく肩をすくめる。
(まあいいか)
(中身がオレなら問題ないだろ)
気を取り直して隣の少年へ向く。
「ねえ」
「魔法使いとか見たことある?」
少年はポカンとした。
「は?」
「魔法使い?」
向かいの子が笑う。
「そんなのいるわけないだろ」
「夢見すぎ」
エリスはさらに聞く。
「じゃあ魔法を使える人とかは?」
「何それ?」
完全に通じていない。
エリスはパンを持ったまま固まった。
(あれ?)
(魔法なし?)
(ちょっと待って)
(これテンプレ異世界じゃない?)
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
庭では子供たちが遊んでいた。石壁に囲まれた狭い庭は、土がむき出しでところどころに雑草が生えているだけの殺風景な場所だ。空は曇りがちで、灰色の雲が低く垂れこめている。子供たちはボロボロのボールを投げ合ったり、石を蹴ったりしながら騒いでいた。
「最近さ、工業地区に新しい蒸気機械できたらしいぜ」
少年の声が耳に入る。
「煙がすげーんだって」
「蒸気機関車も走るらしい」
エリスの動きが止まる。
「……蒸気?」
耳を傾けるうちに、話の内容が少しずつ頭の中で組み上がっていく。
水を沸かす。蒸気圧。巨大な鉄の機械。
煙を吐きながら走る車両。
エリスはゆっくり空を見上げた。
(魔法なし)
(冒険者なし)
(代わりに)
(蒸気機関)
頭の中で点と点が繋がる。
そして出た結論。
(産業革命じゃん!!!)
エリスは庭の隅まで歩き、石壁のそばでしゃがみ込んだ。小さな頭を抱える。
(ファンタジー世界だと思ったのに)
(ただの近代社会だった)
(チートないと詰むやつじゃん……)
その瞬間、記憶が浮かぶ。
白い空間。
光の存在。
そして――三つの祝福。
悪への絶対攻撃。
魂の治癒。
天与の美貌。
エリスの顔がゆっくり上がる。
「……待って」
ぽつりと呟く。
「これ、チートじゃない?」
胸の奥で心臓がドクンと強く鳴った。
(産業革命でも関係ない)
(チートがあるなら勝てる)
エリスは庭の奥、物置の陰になった裏庭へ移動した。子供たちの視線が届かない場所だ。周囲を見回し、誰もいないことを確認する。
「……よし」
小さく息を吐き、ゆっくり手を掲げる。
その瞬間。
ふわりと。
手のひらに、柔らかな桃色の光が灯った。
「……おお?」
エリスの目が輝く。
「出た」
試しに近くの木へ向ける。
ぴっ。
光が細い線になって飛ぶ。
パシッ!
エリスの耳だけに、軽い着弾音が聞こえた。
だが。
木は何も変わらない。
「……あれ?」
今度は石。
ぴっ。
パシッ!
やはり音だけが響く。
石も無反応。
沈黙。
エリスはゆっくり首を傾げた。
「……あれ?」
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