さ:最後はわたしをあなたの中に……
おれはいつでも欲望を持て余している。猛烈に膨れあがる欲望を。小さなのを解体したい。今すぐにでも解体したい。だが世間を震撼させた、ヘマをしたあるバカのせいで、今の時代そんなのをしてるのがバレたら通報されかねない。猟奇的快楽殺人犯扱いで、即マークがつく。そんな危険は冒せない。だが……欲望はパンクしそうだ。切り裂きたい――それからじっくり解体したい。猫でいい。猫一匹で十分だ。切り裂きたい――柔らかな腹を、温かな肉を。おれは猛烈にストレスを感じている。
わたしは価値のない存在だ。
わたしが生きる意味。わたしが他の生き物を犠牲にしてまで生きる意味。
誰かになにかを貢献したとか。誰かの役にたったとか。誰かを喜ばせたとか。
……なにも、ない。わたしはただの、「親も友人もいない、他人の家に転がりこんだ厄介者」。
わたしのからだにはいくらの価値がつくのかしら。例えばからだの中から全部の内臓を取り出して、小分けして売るとしたら。
わたしと言う外側の個体に、きっと価値はない。だけど、誰かの命を救う可能性のある内臓には、多少の価値はあるだろう。
だから、わたしはわたしを形成する内臓に優しい生き方をしなくちゃいけない。
「次理科って移動だっけ?」
「何で化学室とか別に作んだよなあ」
「実験とか下んねーし」
「一部の奴はムダに張り切るよなー」
「ムダになー」
「あのヲタク君とか?」
「えっあいつヲタクなの?」
「いかにもだろ。小動物とか殺して喜んでそうじゃん」
「あー、してそう……」
「げえー。きもー」
「あんま見んなよ。目ぇ合ったら狙われるぞ」
「マジで!?」
「チョーこえぇ。早く行こうぜ」
――低俗なやつらの声なんて、おれには聞こえない。
もう、我慢も限界だ。切り裂きたい。小さな動物。弱い動物……子犬とか。鳩とか。膨らみのある腹を。心臓の動きに波打つ肌を。――すうっとナイフを走らせる。滲む血、すぐにそれは溢れ出て、こぼれ流れ共にどろりとした内臓も開かれた肌からずるずると流れ飛び出し動物のけいれんした体と泡を吹く口元と白く剥いた目玉と今まで生きていたものが力をなくし死に向かうさまがおれの手の中で正におれがそうして止めた命が激しいほどの震えの後徐々に治まり冷たくなる体と醜く散らばった内臓と悪臭を放つ血と――ああ
……興奮する……。
わたしはいつも一人だ。いつ両親が死んだのかも、もうちゃんと記憶にもない。
気が付くとわたしは母の親戚とか言う誰かの家族の家に連れて来られてた。
疎外感。表面上にも優しい顔を見せてはくれない人達。厄介がっている事を隠しもしない人達。
暗い顔でいるとそのまま追い出されてしまいそうに思えて、わたしは必死に笑ってた。せめて愛嬌を見せて笑って、なにを言われてもなにも言われなくてもこたえていないふりをして、くじけそうになる心を無理矢理支えるしかなかった。
だけど……いつまで笑っていればいいの? わたしのこころは空っぽで、今にもぺしゃんこにくずれてしまいそう。
誰か早く、わたしの中身を抜き取って。無傷でいきのいい内臓を取り去ってしまって。闇に蝕まれるまえに。
わたしには……生きてる価値もないのよ。
「……蔭山ってさ、まさしくかげやま、って感じだよね……」
「……存在感ないよなー……」
「……いっつもへらへら笑ってるの、気色くね?……」
「……誰も声かけないのにさ……」
「……何が楽しくて生きてんの? って感じ……」
「……まあいいじゃん。これからも関わらないって事で……」
「……今迄どおりに、ね……」
「……そういや昨日のさ……」
「……ねぇそのネイル……」
「……」
「……」
……ほんと、集団の女の子達って残酷だね。
おれは少しでも自分が傷つく事が許せない。自分の体から血が流れるなんて事態、めまいがするくらい悔しい。おれは誰かを傷つける側の人間だ、おれは誰かに傷つけられていい存在じゃない。クラスのやつらがおれを無視してくれてて、正直ありがとうと思う。もしイジメられでもしてたら、我慢は一日ともたなかったと思う。ナイフで相手に切りかかって捕まるのがオチだ。そして今おれはケガをしている。させられた。教室の後ろでいつもたむろしてるやつらが、二人しておれの方に倒れてきた。とんだ巻き込まれ事故だ。椅子毎倒れたおれに謝りもせずに、おれが一人でゆっくり立ち、飛んでいったメガネをかけ直して起こした椅子に座るのを見た後に、やつらは去って行った。下らない。おれは倒れた時にも手放さなかった本を持ち直し、読もうとした。右腕に感じた痛みにおれが腕をひっくり返して擦りむいた傷を見付けたと同時、――そこにすっと何か手が伸びてきた。
ガターン、と大きな音がして、男子が何人か倒れてた。教室の後ろでいつもふざけてプロレスの技の掛け合いとかしてる男子達。
二人の男子が慌てて立ち上がった後に、眼鏡が外れた町田くんが倒れてた。男子達は助け起こしもしない。町田くんがまた椅子に座るや男子達は笑いながら教室を出て行った。
……仕方がない。町田くんも、わたしと同じ人種だから。クラス内で存在を消された、「いない人扱い」の人だから。
だけどわたしは、床に残った微かな血に気付いてつい立ち上がってた。どこか、怪我でもしたのかも。
探さなくても、本を持つ町田くんの右腕の肘辺りに血のにじむ程度の傷があるのが見えた。
町田くんも傷に気付いたらしい。腕をひねって見ようとしてる。
あっ、血が流れてしまいそう。わたしは無意識に取り出したハンカチでその傷をそっと押さえてた。
町田くんがわたしを見た……
「ちょっ、見てあれ」
「なぁに、イジメられっこ同士の傷のなめ合いですかあ?」
「気色い二人が接触とか」
「何か化学反応的な……」
「んなの起こるかよぅ」
「あー……野郎逃亡」
「女子間近に見たの初めてなんだろ」
「おまけに触られちゃったし?」
「そりゃ刺激強いわ」
「まあ逃げるわな」
「あー恐いもん見たー」
「まじこわー」
「マジキモ~」
「まじ 」
「」
――何だ、この女。何だ、こいつ。
……なんだろう、この感覚。
――しゃべってないのに。こいつは一言も口を開いてないのに。
……この落ち着く感じ……。
――頭ん中に、まるで考えが流れてきたみたいに感じた。
……わたしの中身が、見えるの?
――私を切り裂いて、って……。
……あなたなら、わたしのほんとうの姿を見てくれるの?
――そう言ったのか? なあ、蔭山……。
……そうなの、町田くん?
――さあ、どうぞ。私を好きに切り刻んで。そう言って、微笑んで両手を広げる。――遠慮しないで。あなたにそうされる事が、私の一番に望む幸せ。包み込む様な柔らかな笑顔のまま。女神とはお前の事か、とおれは導かれた様にふらふらと彼女の前に立つ――
――夢を見ていた。それすらも初めての事。……初めての事だった。初めて、色がついて見えた。ちゃんと人間に見えた。一人の動く、生きた人間に。蔭山響子。他の誰とも違う。おれの中にダイレクトに落ちてきた。おれの魂の芯に触れた。多分――これは妄想なんかじゃない。
ねえ、町田くん。
あなたの目に、わたしは美味しそうに映る? わたしのからだはあなたにとって興味深いものに見える……?
あなたの手が、わたしを解体する。わたしの偽りの中身が、あなたに触れられて本物になる。空っぽだったわたしに、価値の重みがつく。
ねえ、触れて。わたしを生きた人間に変えて。
……ねえ、町田くん……。
あなたとわたしは、きっと出会うべくして出会ったんだと思うの。中身を切り裂きたいあなた、中身を切り裂かれたいわたし。
完全に、利害の一致。
ねえ、町田くん。
わたしのからだは、美味しいと思う……?
あなたに、あげる。わたしの中身。残さず……
……切り広げて、取り出して……。
「雨半端ねえなー」
「梅雨きらーい」
「次数学当たるわ、教えて!!」
「テスト近いうぜー……」
「それよりさ、休みなんだけど」
「……休みだよな」
「えっなぁにい? 誰が?」
「馬鹿おま」
「あいつらだよ! うちのクラスの透明人間達」
「えっ……」
「うそぉー」
「二人揃って?」
「昨日の今日で?」
「マジ!?」
「やーらしー」
「ちょ、やめろよ気色い」
「でもだってさ……昨日」
「だからヤメロって」
「何かあったのかなあ」
「何かって……」
「何?」
向こうでは大雨が降ってるのよね? ここは草木が何層にも茂ってて、自然に雨避けになってるのね。
神社の裏側なんて来たことがなかったけど……いつも来る場所なの? いいところね。静かで、澄んでて。心が洗われるよう。神秘的で、……まるで別世界にいるみたい。
……おかしいね、しゃべりすぎてるみたいだね、わたし。ちょっとは緊張してるのかな。さすがにね。
ねえ、町田くん……わたし、あなたに出会えてほんとうに神様に感謝してる。早い気はするけど……、もう少しあなたと一緒に過ごす時間を楽しんでみたかった気はするけど……。
あなたといれば、きっと幸せな時間が過ごせた。実りのある時間が過ごせた。そうね、そう考えると……かなり、まあ大分もったいない気はするけどね。
だけどもう、わたしの中身、腐ってしまいそうなの。干からびて、饐えて、もうこれ以上はわたしの形状を保てるか分からないの。朽ちる前に、あなたの手の温もりをうつして欲しいの。
わたしがわたしとして終われるように……
柔らかい。暖かい。おれは蔭山響子の胸元に包まれて、歌う様に囁く蔭山響子の言葉を聞いている。おれは目を閉じて、彼女の語る言葉一つ一つの意味をしっかりと脳に刻もうとしている。――不思議だ。昨日初めてその存在を認識したばかりの相手に、まるで母の様に抱かれている。心地好く響く鼓動。生きたまま死のうとしている女。
お前の望む事は――おれにしか出来ない事なのか? おれは訊ねた。微笑んで、蔭山響子は答えた。町田くんだからこそ出来ることよ。同じく微笑んで、おれは理解した。正しく理解した。
――与えたいのは苦痛じゃない。互いが望んだ終わり/始まり。今度はおれが腕に包んだ愛しい相手に、おれは生まれて初めての好きだ、を囁いた。蔭山響子がおれの腕の中から顔を上げて、おれはその中に本当の蔭山響子を見ようとした。幾分か哀し気に微笑んだ蔭山響子はうそ偽りのない蔭山響子に見えて――気丈さの奥にちらつく死にたくないと縋る弱さや 素直に恐いと泣くか細さや あなたを信じてるとまっすぐにおれを射る強さや 私の望みを本当にあなたは叶えてくれるのと訝かしむ揶揄の色や あらゆる蔭山響子がその奥に垣間見えて、愛おしいやら切ないやら悲しいやら――おれは生まれて初めて自分の感情がはち切れあふれそうになるのを感じていた。
さいごにさいこうにあいするひとにめぐりあわせてくれてありがとうかみさまかんしゃしますありがとうまちだくんわたしにきづいてくれてほんとうのわたしにきづいてくれてだいすきよあいしてるわたしのたましいはあなたのなかにやどりいきつづけるだから……
……あなたのてで わたしを
おふくろの飲んでる睡眠薬と精神安定剤を何錠か。痛み止め兼麻酔になればいいが。ぐったりとした蔭山響子の上にまたがって、おれは指先で確かめた部位、胸の下の柔らかな皮膚にナイフの刃先をあてがった。ぐっ、と押し付ける――やっぱり小さい生き物とは違う。力を入れると、ブツッ、と肉を断つ感触がリアルにナイフを握った手全体に伝わって、一旦肉の中に沈んだナイフはそこから思いの外深く蔭山響子の体内に入り込み、びくりと激しく蔭山響子の体が跳ねた。その動きがおれの手を更に下に進める助けになり、蔭山響子の肌はへそ近く迄切り開かれる事になり、がっしと爪を立てておれの腕を掴んできた蔭山響子の見開かれた血走った目はふんわりと優し気ないつもの蔭山響子のそれではなく、顎が外れそうに開かれた口から迸ったがらがら声での絶叫は耳を覆いたくなる程で、内部からごぼりと湧き出てきた血は熱くおれの指先を濡らし、おれは握ったままだったナイフを蔭山響子の体内から抜き出し苦労して指を開いてナイフを床に放り投げた。今の蔭山響子に最早本来の蔭山響子の意識はないのか、痛みは彼女を獰猛な野生の獣に変えてしまった様で、醜く歪んだ顔をした蔭山響子は骨を砕かんばかりにおれの二の腕をぎりぎりと締め上げてきて
――私を食べて。
おれにはそう聞こえてた。蔭山響子の心の声。
――そうすれば私はあなたと共に生きていける。
――私を食べて。私をあなたの中に取り込んで。吸収してしまって。
おれには、そう聞こえてた――
――お願い、私は……あなたの中に生きていたいの……。
おれの手の中で抵抗出来ずに怯える小さな生き物達。押さえ付けた震える体。薄い肌にすうっと入るナイフの刃。快楽の為だけに殺す相手。物言わぬ対等以下の生き物。そこにあるのは優越感、嗜虐心、残忍性。明確な殺したい衝動。
今迄はそうだった。だが今はそうじゃない。おれの手の中で震えるのは、蔭山響子。小さいだけの生き物じゃない。対等以下の生物でもない、初めて――欲しいと思った相手。愛する女。おれの女神。おれだけの。おれのもの。
――愛しい女。
おれの女。おれが――
おれだけが切り裂いていい命――
ぎりぎりと締め上げる蔭山響子の指がおれの二の腕の肉をずぶりと抉るがおれは痛みなど感じず蔭山響子の胸元の開いた傷口に手を突っ込み、血にまみれた内部のせり上がってきて邪魔な腸をどかそうとしながら目指す心臓を探っていく、蔭山響子の叫び、まだ生きてるお前もおれも、きりさきたいその欲求だけが今はおれを突き動かす、やわらかなにくをあついちをそれだけをおれは求める、その感触――ああ……おれのものだ、お前はとうにおれのものだ、蔭山響子、お前はもうおれの中におれと共に――そしておれの手は温かいどくどくと脈打つお前の心臓を見付ける、血管が守り引っ張っても動かせないそれは正にお前の命――これで正真正銘おれはお前と一つになれるのか? お前とおれは共に一緒に生きていけるのか?
――このお前の心臓を、おれが喰え ば
つかむ
かたいにくのかたまり
ちぎる
ひきちぎる
どくどくとみゃくうつ
あたたかいおまえ
おまえのいのち
おれのなかにいれてやる
すべて
おれが
のみほしてやる
あたたかいいのち
いきているおまえ
いきていく おまえ
――さいごにおまえを
おれの/わたしのなかへ




