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Love Your Neighbor  作者: 澤村尚到
section 3 「痣黒子」
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section 3 「痣黒子」 - 1

 section 3 「痣黒子」


 一

 

 すぐに普通の授業は始まるようになって、明日香たちのクラス担任が教科担任も務める、最初の国語の授業時間も来た。国語の教科書は大体何かお題となる散文などがあって、その最後のページに授業でのねらい、のようなことが書かれている。書き手が何を考えているだとか、物語であれば登場人物があの場面ではどのように思ったのか。論説や随筆であれば、この段落では筆者は何が言いたいのかまとめろ、など。明日香は、国語ってそもそも何のためにある授業なのかがよくわからなかった。なんか、ただ教科書を作っている人たちの考えに誘導されているだけというか、自由に自分の感想を抱けないような、そんな窮屈さを感じていた。

 「何言ってんの、あんたは。国語ってそういうもんだよ?」

 姉の今日佳に、この話をしたら、若干呆れながらそう言われた。今日佳によれば、国語は、そういう問い手の意図を汲み取って、題材に沿った、問い手を満足させる回答になるよう、論理を組み立て、筋道だった取り回しが出来るようにする訓練だ、と言う。明日香が頭が悪いからなのか、今日佳の「大人」のロジックについて行けないからなのか、何を言っているのか全くわからないので、はぁ?と思わず言ってしまった。そんなことじゃ高校受験の時苦労するから、今からそういう風に物事考えるようにしなさい、と今日佳は上から言うので、明日香が舌を出して、ベー、と口答えするもんだから、ちょっと喧嘩になってしまった。もっともその日のうちに、今日佳のアイス食べる?に明日香は簡単につられて、仲直りしてしまったけれど。その明日香の質問から、喧嘩、アイス食べるのくだりまで、居間で繰り広げていたから、仕事の勉強の本をソファで読んでいた父が、明日香お前簡単だな、と言って、家族四人で笑った。

 明日香のクラス担任は城田という女性教師だが、髪の毛は常に全て後ろで縛ってポニーテールにしているから、はっきりした目鼻立ちが余計にはっきりとしていて、教師らしいというか、自分の正しさを何の躊躇もなく明晰に主張できるような、そんな強さを感じさせる。明日香はこの先生とは合わなそうだな、と正直思ったが、笑顔が多いこともあり、嫌な感じはそれほどなかった。

 そんな城田の最初の授業の時、城田は教科書の最初の題材を、生徒たちに段落ごとに朗読させた。廊下側から二、三列目の一番前を指名して、一段落終わったら、後ろの席の人が引き継ぐ、そんな朗読の仕方になった。城田はちゃんと読み手の名前を段落毎に指名していたが、それはまだ新しいクラスに慣れない生徒たちに、名前を覚えさせるという意図もあったのかもしれない。

 この窓側の最端の列の最後尾という席は、興味のない授業に対してこれほど集中力を削ぐ席なのかと、明日香は実感した。斜め前の桐谷が背が高いこともあるので、教科書をじっくり読むためか、ノートに何か書き留めるためなどで、ちょっと背中をかがめると、全く明日香は影に入ってしまうようになり、居眠りしていても気が付かれないんじゃないかというくらいだ。しかし、実際掃除の時間などに教壇に立って見てみると、生徒たちが思っているよりも、生徒たちが何をしているか教師からは良く見えるであろうことを知ってびっくりした。これは気をつけないとまずいかも。明日香は思った。

 その朗読が三、四段落目に入った時、城田は次の順番の生徒を呼んだ。

 「はい、じゃあ多岐川さん、次読んでみて。」

 多岐川、という子は女子らしかった。小さくくぐもったような返事を返すと、立ち上がるときに椅子を少し鳴らしたが、それは大きな音ではないのに、明日香まで綺麗に通った。何かクラス中が静寂している、あるいは何かに注目している、そんな雰囲気に感じられた。明日香は教科書に落としていた目を上げてクラス中を見たが全員教科書を見ていて、特に何かに注目していない。明日香は、朗読のために起立している多岐川という子を見た。

 明日香は、何だこれは、と真正直に思ってしまい、身体中を戦慄が走るような、受容できない不快さを感じる時のように鳥肌が一気に立ってしまった。多岐川という子の、その左頬から首にまで、不定形な形で広がっている、黒いものを見つめてしまう。見つめてしまえばしまうほど、鳥肌を伴う生理的な不快感は増していくが、それから目を逸らすことは、人としてやってはいけないことだ。そんな嘘くさい、まがいものの正義感に縛られもした。いや、単に怖いものを、怖いとわかっているのに、平穏に過ごしていれば出会わないような普通ではないものに、現実感のない興味を抱いてしまい、目が離せなくなっているだけだ。人の道を外れたような好奇心だけが明日香を支配していた。

 おそらく普段は脇の髪でそれを隠しているのだろうけれど、校則をきちんと守っているのだ。髪留めを耳の上にさし、頬を覆う髪は全部耳の後ろへ行くようにしていている。ましてセーラー服だ。セーラーカラーは首回りを見せるデザインなので、その首にまで広がっている黒いものはしっかりと見える。生まれつきの痣なのだろうか。しかし色や遠目で見る質感は、黒子のそれだ。大きく、不定形な形の黒子が、左頬から首筋まで広がっている。

 多岐川は声が小さい。何かを朗読しているということは聞き取れるが、どこを読んでいるのか明日香の席で聞き取るのは難しかった。明日香は、その大きな黒子から目を逸らしたかったのか、それを見ることで感じる、人として感じてはいけない感情を、嘘くさい正義感が叱責する不快感から逃れたかったのか、手に持った教科書に落としている多岐川の瞳へ注視を移した。横から、まして明日香の席では斜め後ろからだし、下を向いているから良くは見えないのだが、眼瞼の大きさから、大きな目をしているのはわかる。

 おそらくは明日香と同じ「興味」からだろう、教室の中には、多岐川の方をちらちらと見ている生徒がいくらかいた。教室中を覆っている、奇妙な静寂は、彼女の左頬から首を覆う、真っ黒で異様に大きく、この「世界」には存在してはいけないような暗闇をそこに見て、それは昔、人が人を見世物にして楽しんだという、人の奥底にある残酷さを正直に露呈しているような光景だ。そして、明日香もその残酷な興味に取り憑かれた一人でしかなかった。

 「はい、多岐川さんありがとう。じゃあ次はー、島原くん、次の段落読んでみてください。」

 クラス担任でもある国語の教科担任は、多岐川が一段落朗読し終わると、そう声を発し、教科書の朗読の順番を変えさせた。明日香には、多岐川が一瞬担任を睨んだように見えたが、単に首を下に向けたまま顔を上げずに、担任に目をやったからだろう。この距離からでも明日香の視力であれば、多岐川の眼瞼は大きいが、黒い瞳はそれほど大きくもないのが見える。白目の部分が多いことが、上目遣いで人を見ると睨むように見えるのかもしれない。しかし、そこに何か感情があるようには読み取れず、むしろ何の感情も持っていないような、大人しすぎるくらい大人しい子にありがちな、どことなく無感情にも見えた。

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