section 2 「クラス替え」 - 2
section 2 「クラス替え」
二
新一年生の入学式が終わるまでは、とりあえずということで、出席番号順の席順だったが、新二年生には席替えの時間が入学式の後に特別に設けられていて、くじ引きで正規の席順が決まった。明日香と潤子は席も近かったらいいのにね、と話していたが、さすがにそこまで運良く回るわけもなかった。横の並びも縦の並びも、男子生徒、女子生徒交互となるように席順は組まれる。男子の方が少しだけ数が多いので、その分は縦の列の席を一つ多くしたりして確保する。明日香は学校、おそらくは幼稚園から数えても、席順で一番端の後ろの席、という極端な席位置になったことがなく、くじを引いて、黒板に書かれた座席番号と見比べた時びっくりした。目が悪く黒板が見えづらい生徒は、その旨申し出て、席を変わってもらったりしていたが、もともとこの国語教科担任であるクラス担任に、一年時に国語を教わっていたのであろう、明らかにお調子者っぽい男子生徒が、先生、僕は黒板見えるんで後ろの席と変わりたいです、とそんな理由で席を後ろにすることなんか出来ないのを分かりきった上で言って、クラス担任から、お前は後ろにすると授業に集中できないからダメだ、とせっかく中間あたりを引いたのに、もう一度引かされて、前から二番目の席に落ち着かされ、そのくじを引いた時の大仰な反応で、新しいクラスメイト中で笑いを取っていた。
明日香のまわりは知らない子ばかりだった。斜め前の女子は、背が高く、座ってしまうと角度によっては黒板が見辛そうだったが、ちょっと明日香が体を斜めにすれば大丈夫そうだ。明日香は視力が良かったから、問題ない。明日香の家は家族全員視力が良かった。親戚中でも明日香の一家だけが全員眼鏡なしで、母方の叔母一家は逆に全員眼鏡なので、よく羨ましがられた。
しかし、見知らぬ男子を挟んで一人前にいる女子生徒は知っていた。こいつと同じクラスなのかよ、と明日香は少しため息をついてしまいそうになった。この学校には男子生徒にも女子生徒にも不良グループのようなものがいくつかあって、その中のとある不良女子グループの一人だ。明日香は一年生時、この女子がいる不良グループによくトイレで絡まれていたから、名前は知らないけれど、細身で背の高くない、頭髪検査の時だけ縛る痛んだ長い髪の後ろ姿だけで、そいつだとわかった。敵は簡単に認識する、ということなのかもしれない。
明日香が絡まれる理由は簡単だ。明日香の髪の毛の色と癖毛だ。お前、髪染めてパーマかけてんのかよ、とか、生意気だとか、男子に混じってスポーツに興じることも多かったので、それを引き合いに出され、男子に色目使ってんじゃねえよ、とか絡まれる。明日香が無視して個室に入ると、水を上からぶっかけられたり、あまりにも無視されるからだろう、ついには、テレビドラマの見過ぎなのか、明日香からすれば、明らかに使いこなせていない手つきで、カミソリの刃を明日香の頬に近づけて脅したり、下駄箱に脅迫状やら、上履き、下履きに画鋲が入っていたりと、いろいろあった。心配した潤子は先生に言おうよ、と言ってくれたりしたが、相手にするとつけあがるからダメ、と潤子は説き伏せて、絡ませるままにしていた。いつも多数で明日香一人を囲むから、喧嘩慣れしている明日香は、なるほど一人で立ち向かう自信はないわけだ、ということがわかっていたし、どう謙虚に見積もっても、明日香が拳で負けるわけはないのはわかっていた。それでも、鬱陶しいし、さすがに面倒臭いばかりか、イライラすることもあったけれど、生徒同士の問題に教師に入られるのは嫌だった。
しかし、例の明日香が学年主任にぶん投げられても、悪態を返し、謝りもせず体育館を出て行ったことが、どうも不良たちの間では武勇伝のようになってしまっているらしく、あの事件以来、この子が含まれる不良グループがトイレにたむろしているところへ入っても、彼女たちは何か不機嫌そうに、黙りこみ、道を空けてくれるようになった。靴に画鋲を入れられることもなくなった。この明日香の二つ前の席の女子は、一度髪の毛を染めてきて、学年集会の場で学年主任に、明日香がされたように髪をふん掴まれ、放り投げられると、恐怖のあまりなのだろう、もうしませんと泣きながら謝っていた。学年主任に、出て行け、と言われると、今度は土下座をして、学年集会に参加させてくれるよう嘆願していた。明日香は、あれだけ普段「不良」ぶっているのに、どうしてこんな時だけ、しおらしくなるのか理解しかねた。その事件が彼女たちのグループの中でどう処理されたのかわからないが、慰め合ったりしたんだろうか。それでも彼女は標準よりも長いスカートを履くのはやめていなかった。一人挟んだ向こうに座っていても、本来なら見えるはずのない丈でスカートの裾が見える。その長い裾から覗く靴下も、許可されている色ではないピンク色だ。校則違反になる目が隠れるほどの長い前髪と脇の髪に隠れている小さな顔は、意外と可愛らしく、真面目な格好をした方が余程可愛らしく見えるのに、と明日香は絡まれる度に思っていた。
席替え用に一時限の枠が取られていたが、割と簡単に終わったので、席順通りに区切っていくだけの班決めなどもやってしまい、新しいクラス担任の簡単な自己紹介の後、ちょっと周りの人と話してみてと、新しいクラスの懇親の時間となった。新一年生の入学式の日は、この席替えの時間でおしまいだから、このまま休憩時間を挟んで帰りの会となるため、それまで自由にして良いとのことだった。自由にして良いと言っても、せいぜいトイレに行くことができるくらいだなのだが、この学校で「自由にして良い」と言われると、とんでもない解放感が一瞬だけ体の中をすり抜けて行く。それはすり抜けて行くだけで、すぐに学校の敷地を仕切る金網と鉄製の校門がまるで自分の体に括り付けられているような、絶望と不自由さを直ぐに思い出す。
不良グループの女子の席に、一人女子が近づいてくるのが明日香の目に入った。その子にも見覚えがある。テレビドラマで聞くような不良少女っぽい言葉遣いで明日香の名字を呼び捨て、生意気だと凄んだり、個室に入った明日香に水をぶっかけた後、思わず大きい声で笑ってしまい、慌てて口を押さえたのがわかるような笑い方をしたり。この学年のとある不良グループではリーダー格のような子らしい。明日香はこの子についても名前を知らなかったが、癖毛は明日香のような緩いものではなく、所謂天然パーマと言われるようなものだ。明らかに前髪だけストレートパーマかヘアーアイロンで真っ直ぐにして、校則ぎりぎりの長さで隠れるようにした黒目の多い一重の瞳、美しい線を描く鷲鼻と、気の強さを現すような鰓が特徴的だ。その「仲間」の女子の席へ向かってくる時、明日香が目に入ったのだろう、少しはっとしたような反応をするから、明日香も「なんだよ」言わんばかりの目つきで彼女を見上げた。彼女は直ぐに目をそらし、小さな不良少女の席へ辿り着くと、座っている彼女と顔の高さが合うように屈み、小声で何かを話した。その小さな不良少女はわざわざ後ろを振り返り明日香を見て、明日香のことを何か言っていると正直に横顔に表しながら、美しい鷲鼻の女子と一緒に席を立った。トイレにでも行くのだろうが、後少しで帰りの時間だというのに、トイレにたむろしたいのか。変わったやつらだ、と明日香は心の中で悪態をついた。めんどくさい連中と同じクラスになったもんだ。潤子と三年間同じクラスで居続けることが出来る喜びを不快感が覆っていく。
「大沢さん、だよね?」
明日香は頬杖をついて、窓の外を見てため息をついたところで、声をかけられた。斜め前の背の高い女子だ。眼鏡をかけていて、髪の毛が太く、量も多いのか、長い髪を左右のお下げにして肩から胸前へ下げているが、ちょっとした首飾りのようにも見える。背はちょっと背の高い男子くらいあり、決して太っているわけではないが大柄だった。とても頭の良さそうな顔立ち、明日香より全然大人なんだろうな、と思わせるような落ち着きを持っている。
「あ、うん。そうだよ。」
明日香は声を掛けてきた背の高いお下げの女子の、左胸の名札を探した。