街を守るは四角い錬金術①
青く広がる大空、街道を行き来する馬車や冒険者達、そしてその街道が伸びる先にある西洋建築の大きな大きな壁。
その中を進む古びたベンドリック家の馬車。
「やっぱ街ってデッケェな〜!」
そう、今日はお待ちかねの家族サービスデーなのだ。
「ねぇママ あのお店オシャレじゃなーい?」
「最近できたカフェみたいね〜
後でお茶しようかしら〜」
「ママ、あそこはなんのお店?」
「あれは骨董品のお店よ〜」
「それじゃあその隣は?」
「あれはね〜…」
ある程度の街中に入ったら今日泊まる宿に馬車を預け、散策することに。
文字通り村生まれ村育ちの僕たちには見る世界の全てが新鮮に映る。
中でも僕にとって西洋風ファンタジーを具現化したような街の景色は前世の記憶とのギャップが加わって文字通り別世界にやってきた実感に心が躍る。 はずだった…
「キッドとソラ、とても楽しそうだね」
「あぁ。 村育ちだと見るもの全てが輝いて見えるんだろうな。
そういうお前はそれほどって感じに見えるが?」
「ボクはほら、小さい頃から母さんが仕事してる様子を1番近くで観察してるから」
「? どういうことだ?」
「あの店の資産の流動比率ってどれくらいだろうとか考えちゃって…」
「すまん…育て方をどこかで間違えたかもしれん」
フフッ…
「それにさ、」
言いながら背中の重みに意識を向ける。
長男アルフレッドの背中には顔色が青くグッタリした僕、四男坊のクロスエイドがおぶさっている。
「当分、父さんにクロスの移動手段は任せられそうにないからね。」
「うぅ…」
「本当にすまん…」
そう。 僕は車も電車もないこの世界の、それも下級のとはいえ貴族の生まれでありながら致命的と言ってもいい、馬車酔い体質だったのだ。
「クロス、大丈夫かい」
「はい…人の歩くスピードが懐かしく感じてます…」
「この先に広場があるからちょっと休憩しようか」
「うぅ…まだ馬車の揺れが…」
「もうちょっとだから頑張って」
優しく、穏やかな兄の背中の揺れでなんとか倦怠感を感じる程度まで回復したものの、これが父さんの『行け行けドンドン』でガッタンガッタンと揺れる馬車を思い出すだけで…ウプッ…
広場で休んでいる間、僕はアルフ兄にもたれかかって眠っていた。
「ねぇ 父さん」
「ん?」
「こないだの一件があって剣を持てるようになったんだよね」
「あぁ、長らくご無沙汰だったからだいぶ鈍っちゃいるが、こないだ朝メシ前の運動がてらに盗賊なら叩き潰したぞ」
「それだけできるなら騎士団に戻ろうとか思わないの?」
「騎士団に? なんでだ?」
「前に『右手の無念』って言ったと思うんだけど、父さんが騎士団を引退したのって剣が握れなくなったからだったよね
でも今はもう…」
「そうだな、元通り…と言ってしまうにはちと早いが、この手でしっかり剣を握れる。
お前の言う通り、騎士に戻れとお呼びがかかった時に断る理由が無くなっちまったな」
「……。」
「だが、騎士に戻るつもりはないぞ」
「そうなの?」
「いいかアルフレッド お前に大切なことを教えておく。
騎士ってのは国、国王、国民を守るために大いなる名誉とそれ以上の使命を負う。
勝って当然で負ければ死、それなのに待遇はいいと言えたものじゃない。
ヒラの騎士の待遇は最低限の生活ができるかどうかで新しいパンツが買えないレベルだぞ?
そのくせ上の奴らときたら金と権力に目が眩んだ奴らばっかだ。
確かに騎士団を辞めたのは剣が持てなくなったからではあるが、それは面倒な幹部連中を黙らせるための口実に過ぎないんだ。」
「え…そうだったんだ…」
「まぁ、お前の言う右手の未練っていうのもあながち間違ってもないか。」
「?」
「そん時の同期にエレオノーラって女の騎士がいてな、ソイツとはよく剣を交えたもんだ。
アイツが太陽からとって紅蓮、オレは月から銀月って並んで呼ばれるくらい強くてな、今まで勝負がついたことがない。」
「つまり…父さんの未練って騎士団の栄光とかじゃなくて、ライバルと戦えなくなって物足りなくなったから!?」
「まぁな〜」
「・・・」
アルフレッドの中で父親像と騎士団のイメージが音を立てて崩れ落ちた。
「まぁそう落ち込むなアルフ。
別にオレの息子だからって騎士にならなきゃならんって訳ではない。
学園に入って広い世界を見て、その後どうするかゆっくり考えろ」
「うん、そうだね。」
アルフレッドは今年で12歳。
もうすぐ王都の学園に入学するため、家族と一緒にいられる時間も残り僅かなのだ。
「あれ? シルバスさん? シルバスさんじゃないですか!」
少し離れた場所からシリバスの存在に気付いたのは少々お堅い身分の制服に剣を携えた30前後の男性。
「お前、ハスターか!?」
「そうです! ご無沙汰してます!」
「ひっさしぶりだなぁ、元気してたか?」
「それはまぁ…ぼちぼち」
はははっ
「相変わらずエレオノーラにこき使われてるってか?」
「まぁ…あの人と互角にやりあえる相手がいなくなってしまったので、しょうがないと言えばしょうがないんですけど」
ハァ…
「あっ シルバスさん、そっちの彼ってもしかして!」
「アルフレッドだ。 赤ん坊の時に何回か会ったことあるだろ」
「父がお世話になっております。 シルバス・ベンドリックの息子、アルフレッド・ベッドリックです。
それとこっちは弟のクロスエイドです。」
「ご丁寧にありがとう。
シルバスさんの元部下で騎士団所属のハスター・ホームズだ。
以後、お見知り置きを」
「はい。 弟ともどもよろしくお願いします」
「それで、今日はどうしてこんな田舎の方まで騎士団が来てるんだ?」
「実は魔獣の緊急討伐のためにこの街まで来たんです。
周辺で何種類か特A級の魔獣の発見報告がいくつも上がってて」
「どんな魔獣だ?」
「サイクロプス、ベヒモス、レッサードラゴン、ゴブリンエンペラー、オークロード、あとコカトリスです。」
「あ〜、コカトリスならウチの村にも現れたぞ」
「本当ですか!? 被害は!? 何人犠牲が出たんですか!? どっちの方角に飛んで行きました!?」
「慌てるなハスター、コカトリスなら倒したよ」
「落ち着いていられませんよ! 相手はコカトリスですよ!
空は飛べるし、身体中に毒があるし、翼から砲弾並みの速度で羽根を飛ばすし、個体によっては石化したり溶解させる胃液を吐いて確実に仕留めるっていうじゃないですか!
あれ1体でどれだけの被害が出ると…え? 倒した?」
「あぁ、倒した。」
「嘘でしょ…?」
「倒した。」
「え…ですがシルバスさんって」
「そうだな。 剣すら持てない。」
「やっぱり…悪い冗談はやめて下さいよ」
「いやいや嘘じゃないって。 本当にあの時はまだ剣は持てなかったからな。
そうだハスター、ほれっ手ェかせ」
何の躊躇もなく右手を差し出す。
これにはハスターはもちろん、隣で聞いていたアルフレッドも無言ではあるが驚愕を顔に出さずにはいられなかった。
「嘘…ですよね、だってシルバスさんの手は現行の医学ではどうにもならないって…
それにっ、サジッタ村の戦力って」
「そういうのいいからホレ、手えかせって」
「ま、まさか…そんなことありませんよ…ね」
ギュゥゥゥゥゥ!
「イデデデデデデデデデデデデ!
イタイ痛いイタイ痛い痛いっ!
分かりました! 分かりましたって!
ギブギブギブギブギブギブギブギブ!」
後輩の驚愕と痛みの混じった顔を数秒待ち、パッと手を離す。
手を解放された後も、顔を歪めたまま荒く息をしたまま地面に伏した体制で真っ赤になった右手を撫でる。
「どうだ、不思議なこともあるもんだろ」
「えぇ…。 でも一体どうやって…」
「聞きたいか?」
「いや…深くは追求しないでおきます。
シルバスさんから聞いたことがバレたら後が大変そうなので」
「それが身のためだ。 互いにな」
2人の頭の中に別々の女性の顔が浮かぶ。
男は度胸、女は愛嬌という言葉が嘘と思えるほどにその2人の元にいる男たちの肩身は狭く、シルバスの回復は大きすぎるニュースなのだ。
一方その頃、母フローラ率いるショッピング組はというと
「これとかよさそうじゃな〜い」
「そうねぇ〜、でもこっちも捨てがたいわ〜」
そう言いながら手にした服はピンクだったりフリフリがついたワンピースやスカートやアクセサリー。
しかしそれを着るのは彼女たちではなく…
「「 クロスに似合いそ〜 」」
「母さんもソラ姉もなんで女装させようとしてんだよっ!」
「いいじゃな〜い、クロスなら違和感ないわよ〜」
「そうよキッド 時代は変わっていくものなのっ!
はぁ〜〜っ 帰ったらクロスにこの服を着せて〜、とびっきりのお化粧をして〜ジュルリッ」
「変な方向に目覚めてんじゃねぇ!」
騒がしい3人がいる服屋を通り過ぎる人影が1つ。
朱色の髪を後ろに束ね、胸部に光る鎧とそれ以外を覆うお堅い制服の女性。
道ゆく者達から視線を集めるその腰には太陽を模した装飾が施された剣が持ち主に代わって存在感を放っていた。
「ん?」
「あら?」
店のショーウィンドウ越しに片方が気配を、もう片方が魔力を感じ取ってしまう。
「おっと」
「あらぁ〜」
互いに交わることをタブーとしていた、その相手を。
「買い物中すまないなフローラ。 邪魔させてもらうぞ」
ハァ…
「エレン…いや、エレオノーラ、邪魔するなら帰ってくれるかしら
時間外や休日は仕事をしない主義なの」
「分かった出直そう…と言いたいが今は緊急事態だ。
話が聞きたい。 コカトリスがそちらの村の方角に飛び去った目撃情報を最後に姿を現さなくなったと情報が入っている」
「おことわりよ、今日は見ての通り子供と一緒なの。
年中無休の貴方たちに付き合っていられるほど気は短くないわよ」
「要点だけ聞けたらいい。 知っていることを教えてくれ」
「コカトリスならウチの領地に現れて、“なぜだか“真っ二つになったわ。
家屋や畑に甚大な被害はあったけど、死人が出なかったのは不幸中の幸いと言ったところかしら。」
「直近の目撃情報がなかったのはコカトリスが討伐済みだったからか。
でもどうやって…まさかシルバス っ!」
無動作から放たれた『あるもの』によって推察は中断される。
「それ以上は私への宣戦布告と捉え、騎士団周辺の流通を全て断つわよ?」
「そそそそれだけはっ 邪魔してすまなかった!
君たちも、楽しんでいたところを悪かったな」
「えぇーっと…」
「ど、どうも…」
「次は当てるわ。それが嫌ならさっさと散りなさい」
「はいよろこんでー!!」
ビューーンっ!
店から出てすぐ、道端に刺さっている物に目を奪われる
「ん?」
剣山の如くトゲを蓄えた黒い薔薇。その花言葉は『死』を表し、先ほどのやりとりが冗談でもなんでもない事を物語っていた。
(ヒィっ…! よりによって休みだったとは…
危うく"また"物資の調達ができなくされるところだった…
『鈴蘭とフローラ母さんを怒らすな』と団員に厳命しておかなければ…
それにしても、シルバスが…)
二ヒィっ…! フッフッフッフッフッ…
歩き出したフレメアの目には苦笑いとスッキリした笑みが混ざっており、見る者に不気味な覇気を放っていた。
「んー…んー…」
「どうだいクロス この店で一番の品質みたいだけど」
「これじゃない気がします。
水に火を溶かそうとしてるみたいな感じがして」
復活した僕は武具屋を回っていた。
かけ算やわり算を取り入れたことによりチートと呼べる代物になった付与魔法と違い、病院の常連で満足に学校からに行けていなかった僕の知識はせいぜいテレビとわずかな学校生活で得ただけ、理科の域を脱しない。
錬金術といえば『鉄屑から金を錬成する』という逸話が存在するが、それは原子やら電子がウンタラカンタラと、完全に理解しようとするには最低でも中2の理科より上、高校や大学の知識が必要になる。
水素と酸素を結びつければ水を作り出せるのは中学理科から知っているのでコップに飲み水を溜めるくらいは錬金術で代用できるけど、そもそも井戸から水を汲めばいいし、本当に急ぐときはソラ姉に水魔法を頼んだ方が早い。
そもそも今の僕の錬金術でできるのはあくまでも単純な『分離』と『混合』のみ。
落ち葉から繊維質、土の中から粘性の高い土を取り出して、あとは水分の出し入れで紙やレンガができあがる。
一方、金属塊から鉄や銅を取り出せても、純物質だけでは鋼やステンレスのような実用的な素材を作ることすら厳しい。
いわゆるスキルレベルが足りないのか、はたまた知識や応用力が足りないのか。
とにかく僕の錬金術では実に初歩的な素材しか作れず、自力では加工が出来ないのが現状。
だから錬金術を補助する何かを今回のご褒美に求めることにしたのだが、そもそもこの世界に錬金術を使う人間がほとんどいない。
要は需要がないのでどこにもそういったアイテムは置いていない。
「どうする、他いくか」
「い、いえ。アルフ兄のお買い物もありますし、僕にあまり時間を使いすぎるのは…」
「末っ子なんだからこういうときは甘えていいんだぞ。なぁ、アルフ」
「そうそう。ボクの分はカイデンさんに剣を作ってもらうことになってるんだ。
だから、今はクロスのための時間だ」
「でも僕のためのアイテムなんて… うゆっ」
どうせ見つかる訳がない。そう口にしかけた諦めの言葉は、両頬を挟まれることでせき止められた。
「大丈夫。 今までの村のピンチに比べたらこんなの大したことないだろう?
ボクはクロスの可能性を信じてる。 きっといつもと一緒で何か見方を変えれば案外簡単に見つかるよ」
「アルフ兄…」
ん…?
「おう、客か」
ここでカウンターに頬杖をついた無骨な雰囲気の店主が僕たちの存在に気づいて目を覚ました。
「なんか探してるのか」
「あぁ。 実はちょっと変わったアイテムを探しててな」
事情を話し中…
「なるほどなぁ、錬金術ねぇ…
話を聞いた限り、ウチみたいな武具を扱う店には置いてねぇぞ。
錬金術は魔法ではあるかもしれんが、世間一般の属性のひとつに数えられてない。
なんなら錬金術をしらねぇ職人も珍しく無いはずだ。」
「やっぱりか…」
「そうですか…」
「だが、心当たりがないでもない」
「本当か!」
「この店を出て東にずーっと行って、床屋の隣のほっそい道を通っていった先の古い雑貨屋なんだが、あそこなら変なものが多い分、店主の婆さんがなにか知ってるかもな」
「「それだぁ!」」
ってことで…やってきました古い雑貨屋!
ボロォ…ギシィ…
「これ、崩れないよな…」
「オバケとか出たりして…」
「入りましょう。」
「ちょっ おいっ」
「躊躇ゼロ!?」
アルフ兄と父さんには不気味さ満載のこのお店、どうやら僕と見え方が違うみたいだった。
「ごめんくださーい」
「あらいらっしゃい 珍しく小さいお客さんだねぇ」
店内は外側を裏切らない暗さと、埃っぽさと狭い空間が心ばかりに広がっており、乱雑に置かれた書物や壺に始まり、見たことのない金属塊や一見ガラクタに見える不恰好な魔道具が、自身の置場を争うようにたくさん置かれていた。
「うっひょーーーーーーーーっ!」
「「え…?」」
「この黒い石! 小さいですが黒曜石の原石ですね!
こっちは風の魔石とプロペラの回転力で風を起こす装置ですか! 古くて動きが弱いですが、修理すればまだまだ使えますね!」
「おやおや、見ただけで分かるとはお目が高い坊ちゃんだねぇ」
「こっちもこっちも…なんですかこのお店! 宝の山じゃないですか!」
「そうだろうよ。 なんせここにあるのは見る目のない有象無象どもに捨てられた未来の可能性そのものさ。」
「もったいないですよねぇ ちょっと手を加えれば生活を豊かにしてくれるものばかりなのに…」
「やっぱりアンタは分かる子だねぇ
そんなアンタにはこういうのはどうだい」
「おぉーー!これもまた掘り出し物じゃないですか!」
「なぁ、クロスがあんなにテンション高いところって見たことあるか…?」
「うーん…初めて魔法を見た時とか、剣作りのことを語る時とか…あるにはあるけど、ソラやキッドと比べるとやっぱり少ないのかな。」
あっ
「そういえば…」
「どうした?」
「クロスって誰も知らないようなことを知ってたり、教わってもないのに足し算・引き算・掛け算・割り算をもう理解していたり…とても7歳の子とは思えない時があるんだよね」
「い、言われてみればたしかになぁ」
「もしかしたら、身体の年齢に対して中身はボクより年上だったりして」
ドクンっ!
アルフ兄の鋭い考察は数年間どことなく触れないようにしてきた僕の秘密に触れた。
「太一さんの命は、もって半年です」
「そんな! どういうことですか先生! 病気は完治したんじゃなかったんですか!」
「辛い治療に耐えてやっと先日手術が出来たところだったのに…」
俺の人生はいつもこうだ…
小さい頃から家にいる時間より病院、学校に通うより病院で過ごす方が回数も時間も多かった。
テレホンカードが要らないテレビが存在することを知ったのも小学校からだ。
友達とテレビの内容で会話したことなんて何年前の話だったかすら覚えてない。
学校に行けたとしてもみんなは歓迎してくれるが、そもそも年に数日しか行ってないから向こうからすれば不登校のやつがチラッと現れただけ。
せっかく覚えた顔も年替わりでシャッフルされ、居場所なんてあったものじゃない、現代の浦島太郎もいいところだ。
そんな俺も名ばかりの中学生を通過し、気づけば16歳になった春先のこと。
ベッドを起こして病室の窓から少し離れた歩道橋を通る練習終わりの野球部の群れや、楽しそうにイチャつくカップルを冷たい目で見ていた。
チッ
「なんで俺だけ…」
受験を見送り、望まぬ治療に専念するという名目で周りの世界から取り残された俺は全てを恨んでいた。
俺を強く産んでくれなかった両親を
治せもしない癖に死なせもしない医者を
俺の存在すら忘れていったアイツらを
そんな周りを恨んで憎んで、妬んで嫌って、それでも正気を保っていられたのは、あの子が居たからだ。
その子の名前はハルカ。
彼女と初めて会った時、無愛想な俺に恥ずかしそうな手の動きで何かを伝えてくれた。
彼女のハッキリとはしない発音と、なけなしの知識でそれが手話による「こんにちは」であるとわかった瞬間、俺の中で何かが生まれたのを覚えている。
彼女は俺と180度違う素直で元気な子だった。
「なまえは?」から始まり、「すきなも食べ物は?」、「何色が好き?」と何気ないものから「どんな人がタイプ」とマセた質問まで絶え間なく飛んできた。
俺は手話の知識なんてなかったので全てホワイトボードを使って会話していた。
だが意外と慣れるのも早いもので、俺は手話ができないままだけれど、彼女の手話と口の動きから意図を読み取ることはできるようになっていた。
学校でのこと、昨日見たテレビのこと、看護師さんのあるあるやモノマネ、お互いの家族や友達の事なんかを、手話とホワイトボードと互いの目でやりとりするのが恒例になっていき、俺がお兄ちゃんだったらよかったのにとも言ってくれた。
俺も妹ができたみたいで悪い気はしなかった。
そんな楽しい時もある日、死神によって奪われた。
夜勤の看護師が彼女の点滴を交換しにきたのだろう、若い声と、また何か粘つく薬剤を踏んだであろうサンダルの音で目が覚める。
そそっかしいところがある看護師がベッドの足元に置いてある紙袋をひっくり返した音に「おいおい」なんて思いながらも点滴の交換が進むのを聞き届けた。
そこから数分した頃だろうか。
ハルカのいるベッドから不自然に蠢く音と、柵が揺れる音、そして必死な声で「タイチ…! タイチ…!」と呼ぶ声で俺は全てを察した。
ハルカの身体に何かが起きている。
俺は迷わずナースコールのボタンを押して、力の入らない身体を引きずってハルカの元に駆け寄った。
医療事故だった。
この病院では食事や点滴、薬に患者の名前とバーコードが印字されたシールが付いているのだが、彼女の点滴に付いていたのは『倉島太一』、俺の名だ。
そして俺の方には『青山遥』、ハルカの名前が冷たく現実を突きつけた。
ハルカは耳こそ聞こえないが今回の入院は難病の治療ではなく、交通事故による複雑骨折という普通に入院していれば死にようがない理由だ。
そこに余命宣告を受けた俺の点滴なんて打ってみろ、結果は嫌でもわかる。
俺に使われるはずだった点滴でハルカが…
俺がいなければ…ハルカが死ぬことは無かった。
顔から色が抜けていくハルカを見て、俺はそのまま気を失ったらしい。
そこからの記憶はほとんどない。
俺は妹のように思っていた大切な存在を失い、何もする気力がなくなった。
医者だか親だかが声を荒げていたのは見て分かるが、何を言っているのか、何を考えているのか、そもそも俺が生きているのかさえ分からなくなっていた。
「…〜ス…」
「…ロス!」
「クロス!」
「アルフにぃ…?」
「急に元気がなくなったけど、大丈夫?
やっぱりまだどこかダルい?」
はっと我にかえる。
長らく忘れていた、いや目を逸らしていた前世を思い出してしまいその反動で動けなくなっていたらしい。
と、とりあえずこの場を誤魔化さないと
「だいじょうぶですっ! ちょっと馬車に酔ってる間に見た悪夢を思い出しただけなのでっ」
「そうかい、ならいいけど…」
ジィーーーーーーーーーーっ
うっ めっちゃ観察されてる…
絶対、核心に迫ろうとしてますやん…
「そうでしたっ 僕の買い物のがまだでしたね
えーっとどれにしようかなぁ…あははははは…」
「あ、ちょっと」
アルフ兄には悪いけど、僕の秘密に気付かれるわけにはいかない。
今は前世の腐った俺ではなく、僕でありたいから。
そんな事を考えていたその時
チュゥっ タタタタっ
ゴロンっ
棚の上の段から硬い何かが降ってきて頭にゴッチーン!
「アイタっ! なんなんですか…ん?」
そこに転がっていたのは灰色と茶色く汚れきった10cmの立方体。
「なんだこれ…」
小汚い立方体を拾い、棚の上の方に戻して品定めに戻る。
磁力を発する鉱石、鳥を呼び寄せるという笛、自動で穀物を挽いてくれる臼、魔力を通すと光るランタン、宙に浮く布、空気中の魔力量に反応して色が変わるという水晶型の魔道具etc…
「・・・・・」
時間にして30分ぐらい見ただろうか、気づけばさっきの立方体の前に戻って来ていた。
「・・・・」
「それが気になるかい坊や」
「これだけどんな効果があるのかも、何でできてるのかすら分からなくて…
あの、これって何の魔道具なんですか?」
「そいつはね…」
ゴクリっ
ハッキリっ!
「アタシもよく分からんっ」
ズコーーっ
「じゃあなんで置いてるんですか!」
「昔、知り合いが次の世代に託したいとか言って置いてったんだけど、そのまま逝っちまってね…
何の魔道具なのか聞けないまま物だけが遺っちまったのさ」
「そうなんですね…」
「アンタがよければ持って行きな。」
「えっ!? いいんですか!?」
「ウチに置いといても場所を取るだけだからね。
それよか、アンタみたいな若い可能性のために送り出してやった方が、物も元の持ち主も喜ぶってなもんさ。
もちろん、ソイツとは別に買って行ってくれたらアタシも嬉しくなるけどね」
ということで、僕は最初の方に見た古い送風機を買い、そのおまけと称して立方体を受け取って店を出た。
僕たちがいなくなった道具屋で店主は1人、古いウイスキーの瓶を開け2つのグラスに注ぎ、片方を一気に喉の奥へと流し込む。
「禁酒を解く条件はこれでいいんだろう?
せいぜい天国から坊やの生き様を見守ってやるがいいさ。
アタシゃこれから旅に出るからタイチとかいうクソガキに手を貸せないからね」
店を出た僕たちは母さんたちと合流すべく街の中心へと向かって歩いていた。
「結局、何も分からないまま買っちまったな
フローラに怒られないといいが」
「…」
ドスっ
「イッテっ 何すんだアルフレッド」
ジトーーーーっ
アルフレッドの目線が父親を冷たく刺す。
「いいんです。 今は分からないだけで、近いうちに分かる気がしますから。」
「お、おう。 クロスがそういうなら、そういうことなのか」
「そうだね。 焦らずに精進するんだよ」
「なぁにを分かった口きいてやがんだ半人前がぁ」
「ひどいなぁ これでも父さんよりまともなこと言ったつもりなんだけど。」
「おめっ 親父に向かってその言い方はダメだろ このぉ」
「痛っ やったなこのっ」
「コンニャロっ」
「あっ 謎の飛行物体!」
「どっ どこどこ、どこだ?」
「隙ありっ」
「イテッ 騙し打ちは卑怯だぞ」
このこのこのこのこの!
このこのこのこのこの!
楽しそうに攻撃しあっている父と兄に苦笑いしながらも、街の外れから大通りに出たところで空気が変わる。
「急げ! 武器を北門と南門に集めろ!」
「戦えるやつはみんな冒険者ギルドに集まれ! 緊急招集だ!」
「女、子供は避難の準備だ! 最小限の荷物を持って向こうへ避難しろ!」
「父さん、これって…」
「だろうな… とにかくフローラ達と合流するぞ」
向かった先は冒険者ギルド。
そこにはもうすでに、たくさんの屈強な戦士達が集められており、騒然としていた。
「みんな聞いてくれ! この街に大量の魔物が向かってきている!
直ちに街を守る準備をするぞ!」
いかにも戦士の統率者という見た目をしたギルドマスターが冒険者達に呼びかけ、それに呼応して冒険者たちが口々に返事をする。
「おもしれぇ 迎え撃ってやらぁ!」
「魔物なんかに好き勝手させるかよ!」
「子供が生まれたばかりなのに、それを壊させやしねぇ!」
「オレたちで街を守るんだ!」
「野郎どもぉ! 気を引き締めやがれ!」
『「「「 おうっ!! 」」」』
「ありったけの武器を集めろ!」
「回復薬の在庫は!?」
「父さんも参加するんですか?」
「あぁ。 すまんが剣を借りるぞ。」
アイテム袋から剣を出して渡す。
本当なら使えない僕より、剣士である父さんが持っている方がいいと思うのだけれど、母さんが自分の物は自分で管理しなさいと言うのでその通りにしている。
実を言うと、父さんは剣を持たせたらすぐどこかへ行ってしまって、陽が落ちるまで帰ってこないからっていうのが本当の理由らしいんだけれど。
チャキ…
「回復薬と付与油は持ってきてるか」
「回復薬は母さんに言われて備蓄がありますが付与油はこれしか…」
[ 付与油 (摩擦÷4) ]
[ 付与油 (重量÷2) ]
「危険すぎて付与油と武器の製造は母さんからストップがかかってるんだよ
その2本も、ストップがかかる前に作った物の残りなんだ」
「そりゃそうなるか」
苦笑いしながら父さんの手持ちのアイテム袋に移す。
手持ちの回復薬の半分と、付与油、そして剣。
「あ、父さん」
「ん?」
「これも持っていってください
もしかしたら役に立つかもしれません」
「なんか臭うが…これは?」
「無農薬農薬の原液を絞った時の布なんですが、燃やせば魔物除けになるはずです。
原液を燻すようなものなので人間にとってもかなりキツイですが」
「お、おう…取扱いには気をつけないとな…」
嫌そうな顔でそう言いながらアイテム袋に放り込む父さんの手は明らかに汚物を持つソレなのはツッコまない。
だってホントに臭いんだもの。
10分ほど待つと母さんたちも合流した。
「街から逃げ出そうとした住民や商会の馬車がことごとくやられたそうよ。
この街は今、周囲の魔獣に大きな餌箱として認識されたとみて間違いないわ。」
「この非常事態だ、家族サービスは後回しだな」
「今頃エレンが騎士団を率いて防衛用の陣形を組んでる頃だと思うけど、物資の面が心許ないわね」
「この街の食糧と武具ならそれなりにもつだろ、具体的に何が足りてないんだ?」
「…回復薬よ」
『「 回復薬… 」』
示し合わせた訳ではないが自然と家族全員の目が1箇所に集まる。
「え…僕…ですか?」
「クロスなら回復薬をつくれるじゃない!」
「そうだよ! クロスの回復薬なら父さんの腕も一瞬で治せるんだし100人や1000人、へーきだろ!」
下の兄姉は勝ちを確信したかのように舞い上がっている。
しかし2人以外の顔は明るくなかった。
そんな両親と兄の顔を見て頭にハテナを浮かべる2人。
「どうしたんだよぉ! まさかクロスにできないとか言わないよなぁ!」
「確かに今の状況でクロスが適任なのはボク達も同じ意見だよ。ただ、それにも問題があるんだよ」
「そもそも薬草が必要な分を確保できるかわからんしな」
「できたとしても、付与が凄すぎて騒ぎになるわね」
そう、回復薬の需要によって街全体で回復薬はもちろん、その材料である薬草も薬師の元に集められる。
そんな中、社会的に信憑性のない錬金術、それも7歳になってスキルを授かったばかりの子供に薬草と人の命を預けられるはずがない。
仮に出来ても…同じ材料で掛け算式で何倍も効力のある回復薬はどこの勢力も喉から手が出る出るほど欲しがり、もっと大きな別問題が生まれる。
「それでも…」
僕の手の中に握られた立方体があの子の影と重なり、僕は…俺は考えてしまう。
あの時は救う事ができなかった。何も出来なかった。
俺が医者でも看護師でもなかったから
けれど今なら…
「目の前に僕の力で助かる人が1人でもいるのなら…助けたいです!」
誰かを助けられるスキルがある。
心強い家族がいる!
「あのっ 僕のわがまま、聞いてくれますか?」
『「「 もちろんっ! 」」』
こうして、僕たちベッドリック一家の戦いは誰にも知られないほど静かに幕を開けたのである