わたくしを殺すような人と二度と婚姻したくはありません。 どうぞ、婚約者を大切になさって下さいませ。勇者様。
魔王を倒しに行った勇者エフェルが仲間達と無事に王都へ帰って来た時はとても嬉しかった。
キラキラ輝く馬車に乗る金の髪の勇者エフェル、魔法使い、戦士、聖女の四人。
熱狂する民衆の中をパレードし、王宮へ馬車は到着する。
それを、王宮のテラスから国王である父と、王妃である母と共に出迎える。
馬車を降りたエフェルに一人の女性が抱き着いた。
あれはエフェルの婚約者の女性だ。
フェリーナは二人の様子を見てイラついた。
フェリーナ王女。
魔王討伐を勇者に頼んだロテル国王の一人娘である。
勇者エフェルは金の髪に青い瞳、逞しい身体。整った顔。
フェリーナは彼の事をよく知っていた。
エフェルは、由緒あるカトル公爵家の次男だ。
公爵令息として夜会でも洗練したマナーで、令嬢達はエフェルの虜に。
エフェルには家同士の政略で伯爵令嬢の婚約者マリリーナがいたのだが、そんな事は関係ない。
婚約者をエスコートして現れるエフェルに令嬢達は群がった。
そう、二年前、エフェルは16歳の時に教会の神託によって勇者に選ばれた。
勇者であり、公爵家の次男、とても優秀でおまけに美しいエフェル。
皆、夢を見たのだ。
マリリーナを押しのけて、美しい勇者様と結婚する夢を。
そんなエフェルの事をフェリーナも慕っていた。
負けじとオシャレをしてエフェルにダンスを強請ったのだ。
わたくしだって、容姿には自信あるのよ。
この美しい銀の髪にすみれ色の瞳。こんな美しいわたくしと踊れるだなんて、エフェルも幸せものだわ。
フェリーナは隣国の皇帝の側妃として嫁ぐことが決まっていた。いかに帝国の望みと言え、側妃になるのは嫌だった。その事で悩んでいた。
我が国としても、わたくし、王女としての義務で帝国の要請は断れないのだけれども。
だから、エフェルと少しでも長く過ごして、この恋を諦めようとしていたのだ。
しかし、エフェルは魔王を討伐した。
魔王を討伐した王国の英雄。勇者なのだ。
我慢できずに、父である国王に頼んだ。
「勇者様とわたくし結婚したいのです。彼が国王になれば、この王国は安泰ですわ」
国王は渋った。
「帝国の要請を断るとなると、慰謝料が発生する。お前が帝国へ嫁いでくれることが、両国の平和にも繋がるのだがな」
「お父様はわたくしが不幸になってもいいとおっしゃるの?わたくしは側妃なんていや。子を産むだけの道具じゃない。わたくしが帝国に嫁いだら、あの大嫌いな叔父様の一族へ王冠が行くのでしょう。お父様だって、わたくしの子が、この王国を発展させていくのを望んでいるのではなくて?」
国王と王弟殿下は仲が悪い。
あの一族に王座を渡すのなら、という父の気持ちを突いたのだ。
「帝国に話をしよう。慰謝料を払う事になるが、仕方あるまい」
「有難う。お父様。エフェルに命じて、伯爵家の令嬢と婚約解消させなくてはね」
エフェルが手に入る。
幸せで幸せで……
そして、エフェルと伯爵令嬢の婚約も解消されたのだ。
最高の勇者はやはり王女の伴侶になるのがふさわしい。
エフェルをいずれは王として、フェリーナは王妃として、この王国を統治すれば民衆も皆、喜ぶであろう。
エフェルはフェリーナとの婚約を断れなかった。
フェリーナはエフェルに会いに行った。
「嬉しい……わたくしは貴方と結婚出来るのね」
エフェルに抱き着いた。
エフェルはにこやかに微笑んで、
「国王陛下の命ならば……」
「そんな事を言わないで。愛しているわ」
エフェルに愛して欲しい。
フェリーナはエフェルに付きまとい、高価なプレゼントを渡したり、観劇に誘ったりした。
どこか他人行儀のエフェル。
それでも、エフェルと一緒にいられることが嬉しかった。幸せだった。
それから一月後、国民皆に祝福されてエフェルとフェリーナが結婚した。
お金をかけたとても豪華な結婚式で。
フェリーナは愛するエフェルと共に、馬車に乗り、王国民皆に祝われて、嬉しかった。
そして、結婚式後の甘い日々。
フェリーナはエフェルに大事にされて、幸せな日々を送っていた。
エフェルは耳元で熱く囁いてくる。
「愛しています。フェリーナ王女様」
「フェリーナって呼んで。わたくしも愛しております。エフェル」
ベッドの中で愛を確かめ合う日々。蜂蜜のように甘くとろけるような幸せ……
エフェルはいずれ、国王になる為に、勉強に励むようになった。
フェリーナは共に励み、この王国をどのようにいずれ統治したらよいか、二人でよく話し合った。
そんな幸せな日々はあっという間に過ぎる。
エフェルが魔王討伐から戻って、一年経ったある日、彼は砂時計を手に笑っていた。
「これが何か解るか?時を一年前に戻せる砂時計。この日をどれだけ待ったことか。私はマリリーナを愛していた。いや、今も愛している。マリリーナはお前との婚約が成立した後、すぐに馬車の事故で亡くなった。お前が殺したのか?邪魔なマリリーナをっ!」
「わたくしは知らない。殺してなんていないわ」
「まぁ、もうどうでもいい。マリリーナがいない世界なんていらない。マリリーナが生きている一年前に戻るんだ。もう、間違えない。マリリーナと新たにやり直す。私はお前なんて愛していない。死ぬがいい」
エフェルはフェリーナの胸に刀を突き刺した。
胸が焼けるように痛い。気が遠くなる。
わたくしはただ、貴方に愛されたかったの。
わたくしは幸せだったのに。
何を間違ってしまったの……
そして、気が付いた時には、エフェルが仲間達と魔王を倒して、帰って来た日に戻っていた。
フェリーナにはしっかりと、エフェルに殺された記憶があった。
エフェルの婚約者である伯爵令嬢が、王宮に到着した馬車から降りたエフェルに駆け寄る。
そしてエフェルは愛しそうに彼女を抱き締めた。
エフェルがこちらを睨みつける。
彼も記憶があるのだわ。
今度こそ、間違えない。
エフェルの事をわたくしはとても愛しているわ。
でも、憎まれていたなんて、殺される程に。
隣国の皇帝の側妃なんてなるのは嫌だった。
それでも……受け入れるしかない。
エフェルの傍にいたら殺される。
再び殺されたくはなかった。
今回、フェリーナは父にエフェルと結婚したいと言わなかった。
遠くからエフェルの幸せを祈る事にした。
帝国へ3か月後嫁いだ。
嫁ぐ前にエフェルと伯爵令嬢の結婚式に参列し、二人は本当に幸せそうだった。
胸がとても痛い。
それを見届けてから、隣国へ嫁いだのだ。
隣国の皇帝は、フェリーナより6歳年上の、23歳。まだ若い皇帝だった。
「よく来た。フェリーナ王女。こちらが皇妃のジュリエッタだ。そなたは側妃となる。」
精悍な黒髪の若きレオン皇帝の傍に寄り添うように立つジュリエッタ皇妃。黒髪のそれでいて、品のある女性だった。
「ジュリエッタです。わたくし子が出来なくて。是非とも皇帝陛下のお子を……」
「かしこまりました。よろしくお願い致しますわ」
レオン皇帝とジュリエッタ皇妃は仲睦まじい。
帝国と王国の平和の為にとフェリーナは嫁いできたのだ。側妃として。
結婚式はなかった。ただ、側妃として隣国のフェリーナ王女を迎えたと発表があっただけだった。
帝国の方が領土が広い。
馬鹿にされているのだろう。
色々と忙しい日々が過ぎる。
エフェルの事を思い出す。
憎々し気な顔で、自分を殺したエフェル。
あんなに愛していたのに……今、どうしているのかしら。
エフェルの事が忘れられなかった。
皇帝陛下に褥に呼ばれ、子を作る為に相手をする。
エフェルとの熱い日々を思い出して涙がこぼれる。
皇帝レオンがフェリーナの顔をベッドの中で見つめ、
「何を泣いている?愛しい男でもいたのか?」
「時戻しの砂時計。一度だけ使えるその砂時計で、わたくしは巻き戻ったのです。勇者エフェル様を愛していました。でも、彼に殺されて憎まれていた。その事を思い出したら悲しくなったのです」
皇帝はカラカラと笑って、
「勇者殿は確か昔からの婚約者と結婚したと、聞いたぞ」
「真に愛していた人と結婚出来たのです。彼は満足していることでしょう」
「過去の男の事なんぞ、忘れろ。お前は俺の子を産むことだけを考えるがいい」
「そうですね。そのためにわたくしは側妃になったのですから」
「愛してやろう。ジュリエッタと同様に……それが皇帝である俺の務めだ」
「有難うございます」
聞いて貰って心が軽くなった。
側妃として、しっかりと務めを果たしたい。
フェリーナはそう思えた。
皇帝陛下と子作りの為に褥を共にする。
側妃として、時には皇妃ジュリエッタの仕事を手伝った。
ジュリエッタ皇妃はとても喜んでくれて、
「貴方がいてくれて、助かるわ。色々と相談に乗って頂けるのですもの」
と、とてもフェリーナを頼りにしてくれた。
帝国の生活は忙しさにかまけてあっという間に過ぎて行く。
そんなとある日、手紙が王国から届いた。
フェリーナはなんだろうと、手紙を開くとエフェルからだった。
― マリリーナと結婚したが、最近贅沢を覚えて困っている。それに働かない私に文句ばかり言う。君は私の事を尊重してくれたね。色々と気遣ってくれて。最近、思い出すのはフェリーナばかり。側妃の仕事は辛いだろう?いつか迎えに行く。以前は君を殺したけれども、今は生きているのだからいいだろう?愛しているよ。フェリーナ -
なんて身勝手な男。
わたくしの帝国に嫁いだ覚悟を踏みにじった。
何より、わたくしを憎んで殺したじゃない。
この手紙を皇帝陛下に見せる事にした。
「勇者殿は馬鹿か?我が帝国に側妃として嫁いだフェリーナを迎えに来るだと?笑わせる」
「もしかしたら、一度だけ戻せる砂時計、もう一度、戻せるのかもしれません」
「そうはさせぬ。確か、勇者と同行した連中がいたな」
「魔法使い様と、戦士様と聖女様です」
「国王と、彼らの中で信頼できるものに手紙を書こう」
「魔法使いのフール様ですわ」
フールは、年寄りの魔法使いだ。偏屈な所もあるが、砂時計の事を知らせればどうにかしてくれるかもしれない。
皇帝陛下に国王宛と、フール宛に手紙を書いて貰った。
もし、また、巻き戻ったらどうしよう。
心配しながら、皇帝陛下と過ごすうちに、フェリーナは妊娠した。
レオン皇帝も、ジュリエッタ皇妃も喜んでくれて。
ジュリエッタ皇妃は愛し気にフェリーナのお腹を触りながら、
「これで帝国の血統を絶やさないですみます。皇帝陛下のお子がさらなる光をこの帝国に照らしてくれるでしょう」
「皇妃様は嫉妬とかしないんですか?わたくしが皇帝陛下のお子を産んで」
「わたくしは皇帝陛下を愛しております。かといって、わたくしの我儘で、皇帝陛下の子を諦めたくはなかった。5年間、わたくしは子を授かることが出来なかったから。嫉妬なんて皇妃のすることではないわ。どうか、子を無事に産んで頂戴。そしてその子に、時々でもいいの。可愛がらせてくれればわたくしは嬉しいわ」
ジュリエッタ皇妃は微笑んだ。
どんなにつらいだろう。女として。
でも、この人は皇妃として出来た人だ。
ジュリエッタ皇妃の手を両手でぎゅっと握り締めた。
「立派な皇子を産んで見せますわ。是非、皇妃様も可愛がってくださいませ」
父からも魔術師フールからも連絡は来ない。
何かあったのだろうか……
膨れたお腹をさすって、フェリーナは思う。
お腹の子が愛しい。出会える日を楽しみにしていたのに……
勇者エフェルが魔王討伐から帰って来た。仲間達と共に魔王を倒して。
エフェルは迎えに出たフェリーナに向かって、跪いて、
「どうか、私と結婚して下さい。王女様。この王国を国王として、私は導きたいのです。何より貴方の事を愛してます」
後ろで女性が悲鳴を上げる。婚約者マリリーナだ。
フェリーナは答えようとした。
そして、疑問を感じる。
わたくしは帝国へ側妃として、近いうちに嫁ぐわ。
それなのに……お父様の許可もとらないで。
愛しくてたまらないエフェル。
彼と結婚出来たらいいのにと思っていたのに……
フェリーナはエフェルに対して、
「ごめんなさい。わたくし、帝国へ嫁ぐ予定があります。この王国の為に。貴方の求婚に答える訳にはいきません。貴方には婚約者がいるではありませんか」
エフェルがいきなり両肩を掴んで来た。
「記憶がないはずだ。砂時計の傍に、今回は君はいなかったのだから。それなのに私を拒否するのか?巻き戻る前はしっぽを振って、私との結婚を喜んでいたではないか」
魔術師フールが叫んだ。
「時戻りの砂時計を魔王城から持って帰ってはいけないと。あれは魔族が作った危険物。破壊するように進言したはずじゃが」
エフェルは叫ぶ。
「煩い。私はこの王国の王になる。マリリーナなんぞに現を抜かして、前回は後悔した。フェリーナは身体もいい。頭もいい。俺の相手にぴったりだ。だから、フェリーナ。結婚してくれ」
フェリーナはエフェルに近づく。
「わたくしは、貴方の事を愛しておりました。結婚したいと……でも、後ろで貴方の婚約者が泣いておりますわ。婚約者をないがしろにする人となんて結婚したくありません。わたくしは王国の為、帝国に嫁ぎます」
「側妃だぞ。子を産む道具だぞ」
「それがこの王国と帝国の懸け橋になるのなら」
パァンと音がしてエフェルの胸元で何かが割れた音がした。
エフェルが叫ぶ。
「時戻りの砂時計がっ」
地にガラスが砕け散って…金の砂が風に吹かれて、すうっと消えていった。
その途端、フェリーナは全てを思い出した。
エフェルに殺された事。帝国に嫁いで、側妃として子を授かった事。
わたくしの選ぶ道は……
エフェルを睨みつける。
「全てを思い出しましたわ。わたくしを殺すような人と二度と婚姻したくはありません。
どうぞ、婚約者を大切になさって下さいませ。勇者様」
背を向ける。
砂時計が教えてくれた。
自分がいかに愚かだったか、自分は王国の為に、帝国へ嫁いで、側妃として生きることが、この王国の王族として生まれた定めなのだ。
しかし、エフェルに背を向けて、ふと思うのだ。
皇帝陛下は大事にしてくれた。そしてこれから再び皇帝陛下にお会いしても、大切にしてくれるだろう。
それでも、誰かを好きになること。誰かを愛しく思う事、それが二度とない事が寂しい。
エフェルが喚いている。
「考え直してくれっ。殺した事は謝るから。今度こそ、大事にする」
それでも、フェリーナは振り返る事はなかった。
エフェルは時戻りの砂時計を使った事で、罪に問われた。
あれは使ってはいけない危険な物。
地下深くある牢獄に入れられて、鎖につながれて、動く事もままならず、一生そこで過ごすことになった。
騒動が収まって、帝国へ嫁ぐ準備をしながら、フェリーナは思う。
もう二度と、誰かを愛する事はないだろう……
さようなら、愛しい貴方、貴方への想いは小箱に封印します。
そっと、心の中の小箱にエフェルへの想いをしまいこんだ。