祭りの楽しみかた
乳母の家から出ても、私達はどちらも広場を動けなかった。どの方向を見渡しても、人、人、人といった状況で、来た時よりも混雑ぶりが酷くなっている。
皆、考えることは同じようで、帰る人の動きで広場は更に歩きにくくなっているのだ。
広場を抜けようと前を歩き始めたルーファスが、少し進んだ所で肩をすくめて私を振り返る。
「これは、難しいな……。今広場から抜け出るのは諦めよう。何かここで屋台でも覗いて、時間を潰そう。――待てよ、あれは……聖都名物の肉詰めパイじゃないか?」
ルーファスが指差したのは、斜め前方にある屋台だった。立ち食いができるようになっていて、丸い机がならんだ屋根付きの食事場所か併設されている。
肉詰めパイは私の大好物でもある。というより、聖都っ子であれを嫌いな人はいない。厚みのある円盤型のパイの中に、肉汁たっぷりのソースが絡んだ肉が詰まっている。昼食としても手軽なので人気で、忙しい人は肉詰めパイを片手に、齧りながら仕事をするらしい。
「一度食べてみたかったんだ。りんご入りやひき肉入りもあるのか」
「一番人気なのは、ひき肉じゃなくて角切り肉のパイなんです。それが伝統的な、昔からの聖都の肉詰めパイなので」
「ますます試してみたくなるな。リーナも良く食べるのか?」
立ち止まっているので、後ろから歩いてくる群衆に押され、ルーファスにぶつかってしまう。
「す、すみません。……はい、私も大好物なので良く食べます」
「そうか、じゃあなおさら丁度いい。一緒に食べて行かないか?」
一瞬、聞き間違いかと思った。
さっき会ったばかりの人に、食事に誘われているのだ。巨大な城の中でひっそりと暮らしている私には、こんな経験が今まで一度もない。
ドン、と隣を擦り抜けた男性に押され、反対側に転びそうになるが、素早くルーファスの手が伸ばされて私の肩を押さえてくれた。
転ばずにすみ、ありがたいと思う一方で、ほんの少しの間ではあっても強く引き寄せられたことに、胸が高鳴る。
(肩が……ううん、肩だけじゃなくて、顔も熱い)
せっかくのお誘いなのだ。断らずに乗りたい。
けれど私にはそうできない大問題があった。恥を忍んで、ルーファスに伝える。
「そうしたいのは山々なんですけど。実は私、お金の持ち合わせが今なくて」
日頃は現金を使うことがないし、今日も公園に寄るだけのつもりだったので、持ち歩いていない。
「なんだ、そんなこと気にしなくていいのに。特等席に案内してくれたお礼に、俺が奢るから。じゃ、決まりだ。一緒に角切り肉のパイを食べよう!」
「い、いいんでしょうか。なんだかご馳走になってばかりで、悪いです」
「誕生日なんだろう? 遠慮なんていらない。誕生日っていうのは、一年の中で思いっきりわがままに過ごしても許される日じゃないか」
「そ、そうですかね……」
大混雑の中でオロオロする私に痺れを切らしたのか、ルーファスが私の右手首を掴む。えっ、と私が驚いているうちに、彼はそのまま手をひっぱり、グングンと先へ進みだした。
(な、なんだか強引なのね……。でも、ちょっとわくわくするわ)
誰かに手を引かれて祭りの人混みを歩くなんて経験は、私には珍しすぎて、どうしていいか分からない。
初めての冒険をしているみたいで、心臓がドキドキと鼓動を打つ。
自分が今緊張しているのか、それとも楽しんでいるのか分からない。もしかしたらどちらも正解かもしれない。
動揺しつつも、とりあえずルーファスの後をついていく。
ルーファスは角切りの肉詰めパイを二つ、注文した。
紙皿に載るそれを、近くのテーブルに置いて二人で向かい合って食べ始める。席はないので立ち食いだ。
「うん、美味そうだな。バターの香りが素晴らしい」
フォークを刺すと、幾層にも分かれたパイ生地がサクッと音を立てる。
一箇所穴を開ければ、中からは肉汁たっぷりの肉とソースが顔を出す。
「結構具がギッシリ詰まっているんだな。肉もゴロゴロ入ってる」
「そうなんです。お店によって味が違って、みんな自分の好みのお店を見つけるんです」
街中で食べることが滅多にない私が言うのも、なんだが。
ルーファスは美味い、美味いと言いながら食べてくれた。
別に私が作ったわけではないけれど、聖都の名産を褒められるのは悪い気がしない。
ルーファスは早々と一つ平げ、平然と言った。
「まだいけそうだ。今日はあまり昼飯を食べていないからな。りんごパイも買ってこようかな」
まだ食べるつもりらしい。
王子である私の弟も実によく食べるが、男性というのは女性よりやはり食欲旺盛だ。
まだ食べ終わっていない私を残して、ルーファスが屋台の列に再び並ぶ。私が皿の上に散らばるパイ生地まで綺麗に食べ終える頃、一旦テーブルを離れたルーファスが戻ってきた。なぜか紙皿を二枚、両手で持っている。
「リーナ、買ってきたぞ。りんごパイも食べよう」
「えっ⁉︎ 私の分も買ってきてくださったんですか?」
もちろん、とルーファスが屈託のない笑みを見せるが、ここのパイはかなり大きめで、食べ切れる自信がない……。
(クッキーを完食しなければ良かったわ!)
お腹の中のクッキーを後悔しながら、パイを食べ進める。ルーファスがわざわざ買ってくれたのだ。断じて残すわけにはいかない。全部食べなければ、と必死だ。
気力でなんとか食べ切ると、先に食べ終えていたルーファスと目が合う。彼はニッコリと笑った。
「いいねぇ。気持ちのいい食べっぷりで、奢りがいがある。俺の周りの女性は、やたら少食な人が多くてね」
「えっ、そうですか? 大食いみたいで、ちょっと恥ずかしいです」
一応、頑張って平らげたのだが。
「いやいや、大食いだと言いたかったんじゃない。むしろ、そのくらい食べてくれる方が、一緒にいて気分がいいよ」
あははと声を立てて、明るくルーファスが笑う。
気づけば周りのテーブルにいる人達が、私達をチラチラと見ていた。もしかして私が王女であることがバレたたろうか、と咄嗟に思ったが、聖王一家と出かけたことがない私は、一般の人々から顔を知られていない。
(ああ、そうか。みんな私じゃなくて、ルーファスを見ているんだわ)
美男子が朗らかに笑う様は絵になり、視線を引きつける。一緒に食べているのがみっともない持たざる者なので、今更ながら気が引ける。ベールから茶色の髪が出ないように、片手でベールの端を摘んで前に引く。
「さて、聖都に来たら外せない見どころは、まずは大教会だっけ?」
テーブルの上の食器類をまとめ始めたルーファスが、私に尋ねてくる。食べ終わった彼は、聖都観光に時間を使うのだろう。
私とはここでお別れだ。