私の守護獣
「どちらの王女が嫁ぐのか、噂でも聞いたことはないか?」
(そんなことを聞いてくるなんて、意外だわ。ソレントに住んでいる人でも、王女の結婚は気になるのね)
「順番からいっても、年齢的にダルガンの王太子と近いのは第一王女のアンヌ王女なので、彼女でないかという話は広まっています。でも、たしかではありません」
「そうか」と答えるルーファスは、いくらか落胆した様子だった。その後も彼は大バルコニーをじっと見つめている。
聖王一家を見上げる人々は、大抵興奮して笑顔になるか、物珍しそうに食い入るように見ているかのどちらかだ。だがルーファスの反応は少し違った。彼は射るような鋭い瞳を聖王一家に向け、まるで彼らを吟味しているみたいに見えた。
大バルコニーで再びトランペットが鳴らされ、興奮したお喋りで賑やかだった観衆達が一時的に静まり返る。ルーファスが目を瞬き、首を傾げる。
「今度はなんだ? まだ誰か登場するのか?」
「新年祭のお出ましでは、特別に聖王と王太子がそれぞれの守護獣もお披露目するんです」
「守護獣までわざわざ民に見せるのか! それは凄いな」
大陸の民は皆、誰もが守護獣を持つ。
誕生時に産声を上げた瞬間、光に包まれて赤子のそばに必ず一体の獣が現れるのだ。それが守護獣であり、人と守護獣の絆は神によって決められており、必ず一対になる。
守護獣は皆が持つ自分だけの特別な存在で、主人のためだけに生き、生死を分かつ。伝説によれば、神がその人に課した使命が偉大であればあるほど、立派な守護獣が与えられるらしい。
誕生と共に現れる守護獣だが、常に姿を現しているわけではない。主人が一歳を迎える日まではつかず離れずそばにいるが、以後は姿を消し、主人の危機や、名を呼ばれた時だけ姿を見せてくれるのだ。
まずは国王が長い腕を伸ばし、守護獣を呼んだ。
国王の右腕の周りに黄金の光が浮かんだ次の瞬間、それは彼の腕にクネクネとまとわりつく、銀色の蛇へと変わった。蛇の太さは人の太腿ほどでとても大きく、自然界には決して存在しないであろう輝く体躯が、実に神々しい。
「あれが、噂に聞く聖王の蛇か。あの守護獣に噛まれたらひとたまりもなさそうだな……」
守護獣は基本的に人に危害を加えないが、守護獣同士で争うことはある。聖王の守護獣は聖王一家の中でも一番強いので、私のきょうだい達も彼の守護獣の前ではなるべく自分の守護獣を出さないようにしている。
以前、私の守護獣が聖王の蛇に踏み潰され、怪我を負った。
(あの時は、私がどんなに呼んでも、一ヶ月も姿を現してくれなかったわ。完全に消えてしまったのかと心配になったくらい)
今でも当時のことを思い出すと、胸が槍で突かれたように痛む。守護獣を傷つけられると、主人は心に痛みを感じるのだ。
「シャルル王太子の守護獣も、これまた見応えがあるな」
手摺りに寄りかかるルーファスが、感心したような声をあげて大バルコニーを見つめる。
私の弟である王太子の守護獣は鷹だ。王太子に呼ばれ、鷹は大バルコニーの上空に姿を現した。
もちろん、ただの鷹ではない。
両翼を広げると伝説のグリフィンのように大きく、色や模様も美しい鷹だ。王太子の口笛一つで、壮麗な鷹が彼の腕に向かって飛んでいき、感激した広場の群衆が両手を叩いて歓声を上げる。
ルーファスは大バルコニーを見上げたまま、口を開いた。
「アンヌ王女とミーユ王女の守護獣は、どんな動物なんだ?」
ルーファスは随分二人の王女達に興味があるみたいだ。無理もない。聖王城にいる誰もが、二人の王女の美しさに惹かれているのだから。
目の色までは分からないようなこの距離からですら、私の高貴な姉と妹がルーファスのアクアマリンの瞳に熱心に見つめられているんだと思うと、二人が羨ましくてチクリと胸が痛む。
「アンヌ王女の守護獣は黄金の鹿で、ミーユ王女は白馬です。もちろんただの白馬ではなくて、額にもし一角があれば、伝説のユニコーンのように見栄えする、秀麗な白馬です」
「そうか。流石、聖王家の王女達だな。聖女が生まれる家系にふさわしい」
聖女は数百年に一度生まれるという、稀有な存在だ。
神が太古、聖王国の建国時に初代聖王に、大陸を統べる資格を与えた証拠として、時折聖王家の王女に誕生する存在だ。
聖女のいる地は、豊かさと繁栄を約束されるという。
先代の聖女の守護獣はユニコーンだったのだ。
ルーファスは二人の王女を見上げたまま、呟いた。
「ユニコーンのような白馬か。ダルガンのヴァリオ王太子の守護獣など、ただの黒い彪だというのに」
「ひ、彪だって十分凄いです」
恥ずかしくてとても言えないけれど、聖王の次女として生まれたのに、私の守護獣は……驚くほど惨めなものだった。
私が生まれたとき。
産声を上げた私の枕元に現れたのは、一匹のちっぽけなトカゲだった。
「守護獣が、トカゲ!?」
と私を取り上げた医師は叫んでしまったという。
手のひらほどの大きさのそのトカゲは、ごくありふれた黄緑色で、少し小太りだった。おまけに短足で、大きな目はタレ目がちで、どこか間抜けだった。
トカゲはポトリと寝台に落ちた後、背中を下にして落ちたために、短い足をジタバタさせてもがき、しばらくの間、起き上がれずにいたらしい。見かねた医師が人差し指でチョンとつついて起こしてやると、ようやくトカゲは主人の側に向かった。
小さなトカゲが生まれたばかりの我が子にのそのそと忍び寄る様を見て、側妃だった母はさめざめと泣いたのだとか。
平民すらも、守護獣として犬や猫を持つ。過去、教会に報告された最も弱い守護獣ですら、雀だった。
茶色い髪と瞳を持ち、トカゲを従えた王女は、もはや平民よりも価値がなかった。
もちろん、どんなに笑われようと、私にとってトカゲの守護獣は大事な存在だけれど。
再びの大歓声の中、聖王一家が大バルコニーから建物の中へと戻っていく。
ルーファスは手摺りから体を起こし、私を真っ直ぐに見た。
「連れてきてくれてありがとう。お陰でこの旅での一番の目的を達成できたよ」
よほど聖王一家に興味があったらしい。
役に立てて、よかった。私の方こそ満足感でいっぱいで、ルーファスを玄関まで見送ろうと建物の中に戻るが、なぜか彼は今になって外套を脱ぎ始めた。
「さて。リーナは今日、この家の掃除をする予定だと言っていたな? 特等席を一緒に使わせてくれたお礼に、俺も掃除を手伝おう。雑巾を貸してくれ」
「な、何を言うの……! お連れしたのはケーキのお礼なんですから、旅人に掃除なんて手伝わせるわけにはいきません!」
どうやら本気らしく、脱いだ外套を丸めて部屋の隅に放り、ルーファスが腕まくりをし始める。
「誕生日なんだから、ケーキにお礼はいらない。拭き掃除より、掃き掃除を担当した方がいい? 何でも言って」
「そんな……、本当に掃除は大丈夫です。いつも一人でやっていますし」
「二人でやれば速く済むし、遠慮しないでくれ」
ソレントから二日もかけて来た人に、掃除なんてさせられない。随分義理堅いみたいだけど、私だってそんな図々しいことは頼めない。
(こ、こうなったら……。嘘をついてでも、掃除の手伝いを断らないと!)
「掃除は他の日にすることにしたので、いいんです。お気持ちだけいただいておきます。ソレントに発たれる夜まで、ぜひ聖都観光を楽しんでください」
ルーファスは腕まくりを終えた左手で、少し気まずそうに自分の首の後ろに手をやった。埃が雪のように薄っすらと積もる燭台をチラチラと見ながらも、納得はしてくれたようだ。
(それにしても、腕にびっくりしてしまうわ……。凄い筋肉ね)
剥き出しの二の腕を凝視してしまう。日頃からかなり鍛えているのだろう。
「あの……。もしかしてルーファスさんは、保安隊にお勤めだったりしますか?」
思わず飛び出てしまった質問に、ルーファスは意表を突かれたのか両眉を跳ね上げた。
「いや、違うよ。どうして?」
あなたの筋肉がご立派なので、とは到底言えない。はしたないことをした気になり、腕から慌てて目を逸らす。
急に恥ずかしくなって、私はルーファスに背を向けた。顔が赤くなっているかもしれない。
「な、なんとなく。とにかく、げ、玄関までお見送りしますっ!」
ここでお別れかと思うと名残惜しいけれど、貴重な観光時間を私が奪うわけにはいかない。