戻ってきたルーファス
クッキーを食べ終え、空になった袋を縦に細く折り、硬く一つ結びにして片づけ、水筒のお茶を飲む。
聖王城に帰ろうかと腰を上げかけた時。公園に再び先ほどの男性が現れた。
片手を上げ、安堵したような笑顔を浮かべてこちらに早足でやってきている。
「リーナ、良かった。まだいた」
男性はベンチの前まで歩いてくると、左手に持つ白い箱を私に差し出した。結構な距離を急いだのか、肩で息をしている。
「広場でケーキを買ってきたよ。大バルコニーを見上げられる良い場所はやっぱり、もう全然空いていなくてね。無駄に人混みの中にいるよりは、リーナの誕生日を祝う方がずっと良い過ごし方だと思って」
目の前の男性の言わんとすることを理解するのに、時間がかかった。彼は私の隣に腰を下ろし、自分の膝の上に載せた箱を慎重な手つきで開け始めた。
中には赤い苺で飾られた、白い生クリームのケーキが二つ、入っている。
(ま、まさか私の誕生日祝いのケーキ……? これをわざわざ買って来てくれたというの?)
男性が顔を上げ、にっこりと笑う。
「どうぞ。一緒に食べよう。ええと……、失礼でなければ、何歳になるのか聞いてもいいかな?」
「じゅ、十九歳です」
「おっと。じゃ、リーナは俺の四つ下だね」
そこまで言ってから、男性は「あっ」と小さく声を上げてバツが悪そうに笑った。
「しまった。君の名前を聞いておきながら、自分は名乗っていなかったね。すごく失礼なことをしてしまったな。俺はルーファスだよ」
「ルーファス……」
「十九歳のリーナ、おめでとう!」
その瞬間、まるで世界が華やいだように思えた。雲一つない快晴だったけれど、公園か更に明るくなった気がする。
ルーファスの笑顔が眩しくて、引き込まれてしまう。
長いこと忘れていたけれど、おめでとうという言葉は、こんなにも嬉しいものなのだ。
(初めて会った人なのに。私がここにいていいんだと言ってもらえたみたい……)
ルーファスは箱を大きく開いて差し出してくれるので、ためらいながらも手前のケーキを手に取る。
小さな紙皿に載せられており、木のフォークも付いている。
手を出しておいて今更だけれど、本当にもらっていいのだろうか――と迷っていると、隣に座るルーファスがフォークも使わずに豪快にケーキにかぶりつく。
「うん、美味い! 甘くて疲れが吹っ飛ぶな」
ルーファスの鼻先に、クリームが付いている。それがおかしくて、つい笑ってしまう。
「ルーファスさん、鼻にクリームがついちゃってますよ」
「はは。恥ずかしいな。リーナも遠慮せず食べて。君のためのケーキなんだから」
「ありがとうございます。いただきます」
私のために、ケーキを買った上でここに引き返してくれたことが嬉しくて、胸の奥からじんわりと暖まる。フォークを刺してケーキを切り、口に運ぶ。
ケーキは甘くてふんわりと口の中で解けた。
「リーナの家は近いの?」
食べながら尋ねられ、質問内容にドキンと心臓が跳ねる。自宅は聖王城だとはまさか言えない。
「そ、そうですね。ここまで気軽に歩いて来られる距離です。……どうしてですか?」
「いや、荷物がクッキーと水筒しかないみたいだから」
鼻に付いたクリームをハンカチで拭きながら、ルーファスは朗らかに笑った。
たしかに鞄一つ持たずに出てしまった。
(それにしても、人をよく見ているわね)
ルーファス自身も鞄を何も持っていない。宿が近くにあるのだろうか。
「ルーファスさんは、お一人で聖都にいらしたんですか?」
「いや、何人かで来ていて……一人じゃない。聖都は初めて来たけれど、聞きしに勝る大きな都で、衝撃を受けているよ。歴史的な価値が高い建物があちこちにあるし」
「聖都の人々は、歴史の長さを凄く誇りに思っているんです。せっかくですから、大教会とグレゴリ美術館はぜひ行ってみてください! あと中央市場も活気が凄いのでお勧めです」
聖都にある必見の観光地をまくし立てる。私も一度しか行ったことはないが、観光客は誰もが訪れる場所で、遠くから来たのなら行っておいて間違いない場所だ。
だがルーファスは苦笑した。
「色々と訪ねたいのはやまやまなんだけどね。一泊しかできなくて、今夜には聖都を出ないといけないんだ」
なんと。それではここで私とケーキを食べている時間がもったいないではないか。
急いでケーキをかきこんで飲み込む。
「私のせいで時間を使わせてしまって、申し訳ないです」
「いやいや、そんなことないよ。観光に来たというより、大バルコニーの聖王一家を拝むのが一番の目的だったのに、そっちはどうも無理そうだからね。代わりに君のために使えて、有意義に過ごせて大満足だよ」
(そんな。私なんかとケーキを食べることが、旅先での有意義な時間の使い方なはずかないのに。なんて優しいのかしら……)
聖都で過ごすよりも長い往復時間をかけているのに、目的が果たせないなんて気の毒だ。
どうにかして、ルーファスに目的を達成して喜んでもらいたい。
私は勇気を出して、ある提案をしてみた。もし余計なお世話だったらどうしよう、とドキドキしながら。
「あの……。じ、実は、大バルコニーがよく見える良い場所を知っているんです。良かったらケーキのお礼にお連れします」
「本当に? どこも混雑していたみたいだけれど」
「とっておきの場所なので、大丈夫です。そこは私達しか来れないはずです。……行きますか?」
「これが図々しいお願いにならないのなら、ぜひお願いしたいな」
良かった。頑張って提案してみて、本当に良かった。
力強いアクアマリンの瞳に見つめられ、私はベンチから立ち上がった。