ハイマーの教会②
教会の中では私達を歓迎するためにパイプオルガンが演奏され、揃いの白いお仕着せを着た聖歌隊の少年少女たちが、聖歌で出迎えてくれた。一番奥にいる少年は歌には参加せず、お香の入った銀燻炉を腕に提げ、左右に揺すって香りを広げている。
「神の教えは、国が違っても変わりませんね。聖都の大教会のステンドグラスを思い出します」
思わず王太子に話しかけると、彼は少し間を開けてから答えた。
「聖都の大教会と言えば、世界で唯一の『三位の分配』の水盤があると聞いている。さぞ見応えがあるんだろうな。いつか見てみたいものだ。……特に、水盤に手を入れてみたい」
笑ってしまいそうになるのを、一生懸命堪える。実際には、王太子は私と一緒に既に三位の分配に手を突っ込んだのだから。
大司教は豊かな白いひげを蓄えた高齢の男性で、神に仕えることを示す真紅の小さな帽子を頭頂部に被っていた。
教会の奥へと案内しつつ、柔和な笑顔で私達に内部の重要な絵画や像の説明をしてくれる。
例に漏れず、教会の奥の祭壇には原初の光を表す黄金の棒が掲げられていた。
原初の光の下には大きな棚があり、年代を感じさせる背表紙の本が並んでいる。私は思い切って大司教に聞いてみた。
「あの本は、管区内の魔術持ちの人々を記録したものですか?」
聖王国でも、教会には創立以来の「持てる者」達の記録書があるのだ。
なぜ、私は持たざる者なのか。それを長いこと考えてきた私は、聖王国の教会にある記録書に、機会があるごとに目を通してきた。
大司教が首を大きく縦に振る。
「その通りにございます。普段は開示しておりませんが、王太子妃殿下にご興味を持っていただけるとは、大変光栄です。ご覧になりますか?」
「ありがとうございます。ぜひ、見せてください」
隣にいる王太子は私が記録書に興味を示し、進んで大司教と会話していることにやや驚いた様子だった。
記録書を年代ごとに棚から抜き、中を見比べる。字の大きさや紙の薄さにはあまり変化がない。
私の個人的な興味でここで時間を取ってはいけないので、すばやく目を通しながら、ページをめくる。
(――思ったとおりだわ)
流石に全巻開くわけにはいかない。ある程度の年代分を確認し、もう少し見たい思いを抱きつつも、
記録書を棚に戻す。
私は最後に棚から一歩離れると、全体の本の冊数を数えた。
棚の前で考え込む私に、王太子がぽつりと呟く。
「記録書の冊数が徐々に減っているということは、持てる者が減っているということか?」
「残念ながら、ハイマー管区ではご指摘のとおり、目立って減少の一途でございます。ダルガン全体でも同じような状況かと。もっとも、隣の聖王国では相変わらず持てる者が多いと聞き及んでおりますが」
「流石の聖王国だな」
王太子のその一言は、賛辞より鼻で笑ったような言い方だった。
祭壇左右を飾るステンドグラスには、歴史上に現れた聖女達と彼女を囲む昔の人々の姿が描かれている。
この絵の中に、私と同じ茶色の髪を持つ者はいない。
一緒に祭壇前まで王太子と歩く私に、大司教が話しかける。
「ダルガンの教会の言い伝えによりますと、かつて天から与えられた魔力は、今より大きかったそうです」
「はい。聖王国でもそう言われていました。大昔は、『持たざる者』などいなかったと聞いています。差はあれど、皆が十分な魔力を持っていたと」
大司教が私の髪色に気を遣ったのか、柔らかく微笑んで首を左右に振る。
「太古の記録書は存在しませんので、単なる神話のお話でございます」
果たしてそうだろうか。
昔から魔力の有無は、親から引き継ぐと言われていた。隔世遺伝もあるため、くじ引きのように不運にも持てる者である両親のもとに、持たざる者が生まれることもある。
魔力にこだわる聖王は代々、妃の親族の調査を慎重に行う。私の母も遡れる限り、全員が魔力持ちだったはず。けれど、持たざる者である私が生まれた。
だからこそ、私は聖王都の教会の記録書を全部閲覧して、ある仮説を自分なりに考えている。
私はハイマーの記録書を振り返った。
「聖王国にはかつて、魔力持ちの者達は二人以上の子を持たなければならない法律がありました。恥ずべきことですが、……その逆の法律も。どちらも今はなくなりましたが、持てる者の方が遥かに生きやすい国なのは、変わりません」
「そんな国では、魔力ある者が減らないのも当然の結果ということか」
「ですが、近年では増加率が低く、頭打ちです。年によっては減っている管区もあります。一歩引いて百年単位で見れば、明らかに持たざる者は増えているのです」
「つまり、どこの国でも魔力を使えるもの達は、減り続けているということか。これは神話ではなく、事実なのだと」
王太子は不可解な話を聞いた、とでも言いたげに眉根を寄せているし、大司教も困惑顔だ。
「私は本来、持てる者として生まれるはずでした。けれどそうはならなかった。恐らく私のような者が、今後は増えるのだと思います」
王太子と大司教が硬い面持ちで私をじっと見てくるので、緊張して無意識に自分の髪に触れてしまう。
実のところ、私は魔力の話が好きではない。けれど魔法に重きを置かない道を模索するダルガンの王太子とその最古の教会の大司教に、私は今話したかった。聖王国で最も高貴で忌々しい存在だった私だからこそ、たどり着いた仮説を。
私は、隣でやや戸惑ったように私に向けられているアクアマリンの瞳を真っ直ぐに見上げた。
「私はこう考えています。魔力は世界からゆっくりとなくなっていき、――将来的に皆が『持たざる者』になるのだと。いずれ、大陸全土において……魔術は過去の遺物になるでしょう」
王太子と大司教はすぐには何も言えなかった。内容が、衝撃的過ぎたようだ。
魔力を神から与えられし絶対的な祝福だという考えの中で育った我々にとって、世界が根底から覆るような考え方のはず。
魔力がこの世からなくなるなど、信じられないのだろう。
(頭がおかしい王女のたわごとだと、思われたかしら? でもそうじゃなくて、大切なことを話しているのだと、知ってほしい。意見のない、ぼんやりしているだけの王女だと、思われたくない……)
私はハイマーに来る前に見学した軍事演習を、思い出した。
魔術を使わずして、石の砦を破壊した鉄球を。
王太子の表情から戸惑いが消えていき、代わりに澄んだ瞳に自信がみなぎっていく。
「殿下。私は魔法に頼らない、というダルガンの舵取りはとても理にかなっていて、先進的だと思います」
「――君の言っていることは、教会が伝えて来たことと、全く違うな。だが、悪くはないな。我が国は将来を見越して、技術の革新に力を注いでいるということか。いずれは高い技術を持つ国が、世界の覇権を握るんだな」
王太子は、ニッと不敵な笑みを見せた。
「小さな規模ではありますが、聖都の一つの管区内の魔力量を数値化し、変動を追ったことがあります。時折強力な魔力持ちが増えることはあっても、統計的には減少の一途をたどっていました。魔力はいずれ、枯渇します」
「枯渇……」
恐ろしい言葉だと思う。大司教は血の気が引いたように顔を白くさせ、よろめいた。
こんな思想は、たとえ統計に基づいた結論であろうとも、異端である。
「あの、大司教。怒らせましたか?」
私の話したことは、明らかに宗教上の教えに反している。
大司教が答える前に、王太子が小さく肩をすくめて平板な声で答えた。
「私は盲目的な信者になるつもりはない。時に科学的なデータの方が、事実を教えてくれることもある」
王太子が重ねて大司教に問う。
「さて、私にも教えてくれ。これはダルガンの行く末にとっても、避けて通れない話だ。――魔力がなくなっていけば、いずれは人々の神への信仰も薄れていくと思うか?」
大司教は少しの間、考えこむように黙っていた。
そうして気が滅入りそうな長い溜め息を吐いた後で、祭壇の上の原初の光を見上げた。
「むしろ心の拠り所になるかもしれません。少なくとも、我が国最古の教会の大司教として、今後の人々の信仰には自信を持っております」
そう告白し、大司教が胸に手を当て膝を折る。
私の話したことのせいで二人を怒らせることがなくて、よかった。けれど会話が落ち着くと、やはり出過ぎた事を言っただろうかと、不安になってきて、いつもの癖で俯いてしまう。
床一面に敷かれた大理石の石畳には、細かな彫刻が刻まれていた。その摩耗ぶりに歴史を感じ、聖都の大教会の階段を思い出す。
すると唐突に、王太子の手が私の顎先に触れ、そっと上向かされた。
目の前にあるのは、私を怪訝そうに見下ろす王太子の瞳だ。
「君はどうも、すぐに下を見る癖があるようだ。我が国の王太子妃なのだから、毅然と前を見ていてくれ」
教会中の人々に見られていることと、王太子の近さについ目を上げ続けることを躊躇してしまう。
聖王国ではバカにされ続けて来た茶色の目を、見られることに抵抗があった。
だが俯いた王太子妃では、彼らから信頼されない。何より、王太子が恥をかく。
砦を打ち砕いた鉄球を思い出し、自分に言い聞かせる。
(この国では、誰も私が『持たざる者』なことに、特別の注意を払ったりはしない。だから、顔を上げて大丈夫……)
本棚から離れた大司教は、私と王太子に教会の歴史について話し始めた。
教会内部の柱に刻まれた彫刻や、梁からさげられた重厚な模様のタペストリーについて、私達を近くに案内しながら、解説をしてくれる。
私はその話を聞く間、首にいつも以上に力を入れて、前を向いて大司教と王太子についていった。
顔を上げたまま視線を巡らせると、聖歌隊の子ども達や衛兵にも、茶色の髪の人々がたくさんいるのだ。聖王国では少数派だった自分の髪色が、この国では多数派なのだと、改めて実感する。
(私が恥ずかしいと思って顔を下げれば、この人達のことも貶めることになるんだわ)
髪を隠すのはやめた。だが俯くのをやめるのは、常に自分の強い意思が必要だった。
もはや、長年染みついた癖のようなものだから。
私は大司教が教会と王家との関わりについて話しだすと、大きく頷きながら、目をみはって彼の話に聞き入った。
話が貴重だったからではない。
顔を上げて目を見開けば、視界にはこれまで以上にたくさんのものが入って来た。私はそのことに、感動した。
目を上げると、世界が少しだけ広がった気がしたのだ。