蜂蜜とメロン
翌朝の朝食は、王太子と一緒だった。
王太子夫妻の食堂は、大きな窓から日光が注ぐ明るく気持ちのいい所なのだが、席についた私は王太子の朝食に、目を丸くした。
彼の皿には雑穀入りのパンと果物と、少しのナッツしか載っていないのだ。
もしこれが聖王や王太子の食卓だったら、間違いなくコックが呼び出され、その場で首を告げられている。
ネリーも驚いたのか、チラチラと王太子の皿を見ている。
とはいえ私に用意されたメニューは豪華だった。
白く柔らかそうなパンに、スープ。卵料理にサラダもあるし、銀の皿には各種の果物が詰まれ、「お好きなものを仰ってください。むいて参ります」とベルタが言う。
(食べにくいわ。こんなに質素な食事をしている人の前で……)
聖王城でも私の食事はいつも王族の中で後回しにされていたので、こんなに豪華だったことはない。
果物をむいてこいだなんて、王太子をさしおいて私だけ言っていいのだろうかと悩んでしまう。すると王太子が両手で持ったナプキンをバサッと振って広げ、自身の膝上に載せながら無表情に言った。
「早く果物を選んでくれ。侍女が困っている」
「はっ、はい。すすすすぐに!」
昨夜の優しさとは打って変わった冷淡な態度に、芝居をしなくても恐怖を感じてびくついてしまう。
とりあえず一番手前にあったメロンを選び、ベルタに切ってくるよう頼む。
ベルタはネリーに近くの簡易調理場を案内するため、メロンを抱えて二人で出ていってしまった。
扉が閉まるなり、王太子が離席して私の隣まで駆け寄ってくる。彼は急に片膝をつき、私の左手を取った。
「皆の目があるとリーナに触れられなくて、欲求不満になりそうだ」
「私も、いつもの優しい殿下が……恋しくなってしまいます」
王太子は私の親指にはまるダイヤの指輪を、満足げにそっと撫でた。
「いつもつけてくれていて、嬉しいよ」
「……思い出の大事な指輪ですから」
本当のことを言っただけだが、王太子は至極嬉しそうに微笑み、私の左手をぎゅっと握った。
「今日の結婚式をとても楽しみにしているよ。ウェディングドレスを着たリーナは、きっととびきり綺麗だ」
「殿下こそ、とびきりカッコイイはずです」
王太子が私の左手を優しく握ったまま、控えめに微笑えむ。
「この結婚は政略結婚ではあるけれど、でも実際はその前にリーナに惹かれていたよ。聖都の教会で、一緒に水盤に手を浸した仲だしね」
二人で聖都観光をした時のことを思い出し、クスリと笑ってしまう。
「やっぱり言い伝えは正しかったんですね!」
「こうやって、リーナにちゃんとプロポーズをしたかったんだ。――俺と結婚してくれる?」
くすぐったいような照れ臭い気持ちが、胸の中で大きな感動へと一気に膨らむ。
「もちろんです。王太子殿下」
「ヴァリオでいいよ。リーナには名前で呼ばれたい。……二人きりの時は、ルーファスでも構わないし」
「それはダメでしょう!」
私達はおかしくなって、外に聞こえないように口を手で覆って笑った。
ノックの音が聞こえるなり、王太子は椅子に飛び込むように素早く自席に戻った。
ガチャリと扉が開き、ベルタとネリーが戻ってくる。
抱えているトレイの上には切ったメロンが載っており、爽やかな笑顔で私の方へ進んでくる。
その間に王太子は自分の皿の上のパンとナッツをさっさと平らげてしまい、目を点にしている私を横切り、扉に向かった。
「結婚式の前に、少し執務を済ませる。――こちらのことは気にせず、ゆっくり食べてくれ」
私がパンを一口しか食べないうちに、王太子は朝食を終えてしまった。返事に困っている私を置き去りにして、彼が食堂を軽やかな足取りで出ていく。
どうしたものかとベルタの反応を確かめると、彼女は先に出ていった王太子について、なんら気にするそぶりもない。
代わりに不安そうな私の目と目が合うなり、心得たように頷く。
「ご心配なく。殿下はいつも朝食をあまり召し上がりません。その代わり、昼食はたくさん召し上がります。お忙しい方なので、朝は一番頭が働くからと、早々に食事を切り上げてしまわれるんです」
「そうでしたか。教えてくれて、ありがとう」
「メロンを切って参りましたので、どうぞ召し上がれ」
「聖王国では、メロンは夏しか出回らないの。ダルガンでは温室と火の魔力を使って、冬も収穫ができると聞いていたけれど、本当なのね!」
目の前に置かれた皿にのるメロンは、とてもみずみすしく、とてつもなく美味しそうに見える。ワクワクと気分が高揚し、口角が自然と上がっていく。
メロンには小さなガラスの器が添えられていて、蜂蜜らしきもので満たされていた。
「これは、蜂蜜かしら?」
「ええ、そうです。ダルガンでは、メロンに蜂蜜をかけて食べるんです。他の国の方々には、奇妙な風習に映るらしいですね」
「聖王国では、果物に更に甘いものをかけたりはしないけれど。でも、想像してみると美味しそうだわ。せっかくダルガンに来たんだし、私もやってみようかしら」
そのほうが、私もダルガン人になれる気がしそうだ。
ガラスの器を傾け、メロンに少しずつかけていく。
近くで見ているネリーはいかにもゲテモノでも見るような目つきで蜂蜜に濡れるメロンを見ていたが、ベルタは目を輝かせている。
フォークをメロンに刺し、蜂蜜が垂れないように慎重に口に運ぶ。
甘い蜂蜜の濃厚な味のすぐ後を、瑞々しく香り高いメロンの果汁が追いかける。
「これは新発見だわ。蜂蜜と果物って合うのね! 私も癖になりそう」
思ったままを素直に言うと、ベルタはとても嬉しそうに笑ってくれた。
「そう仰っていただけると、ダルガン人としては誇らしいです。王太子妃様にお仕えできて、大変光栄です」
まっすぐな嘘偽りのない笑顔と率直な言葉に、面食らう。
(明らかになんの取り柄もない私を、歓迎してくれるなんて)
「あの、でも私は、見ての通り、髪が茶色で……魔力を持たないの。ご期待通りではなかったと思うの。ごめんなさいね」
思わず詫びるが、ベルタは目を剥いた。
「何を仰いますか。王太子妃様は、大陸随一の長い歴史を持つ、偉大な聖王家の王女様でいらっしゃいます。それにダルガンは聖王国ほど、魔術にこだわりませんよ。魔術の代わりに、技術が発達していますし。そもそも王太子殿下は突出した魔術の使い手ですので、誰もこれ以上など望みません」
髪の色でこんなに優しい言葉をかけられたのは、初めてだ。
手を伸ばして、二つ目のメロンを味わう。鼻に抜けていく芳しく甘い香りと、口内に溢れる果汁を、ゆっくりと堪能する。
メロンとはこんなに美味しい果物だったのかと、目頭が熱くなるほどの感動を覚えながら。