フィリップにお願い
大昼食会は、王城で一番大きな食堂で開かれた。
多くの王侯貴族達が招待され、私の席は国王夫妻や王太子と同じテーブルで、一番奥に位置していたために、私からは端のほうにいる人々の顔はほとんど見えない。
結婚式は明日だったが、この宴は敵国であった聖王国から王女を迎え、戦争が終わったことを広く知らしめ、私の存在を強く印象付けるためのものだ。
事前の情報通り、私と王太子のもとには引きも切らずに、たくさんの招待客達が挨拶にやってきた。もはや私達が、フォークに触れる隙すら与えてくれないほどに。
私は社交が決して得意ではなかったが、そうはいっていられない。王城にはフィリップのように私を信用しない人々がきっと、たくさんいる。異国から嫁いできたからには、馴染む努力を人一倍しなくては、永遠によそ者のままだ。
一人一人と話せる時間は短いものの、一つ一つの会話の積み重ねの中には、大きな発見があった。ダルガンには魔術を持つ者が多くないため、皆が高度な魔術持ちである聖王家に興味があるのか、皆私の親や姉妹達の話をよく聞きたがった。
だがそれは純粋な興味から聞いているのであって、彼らの反応を見ていると、どうやら魔術に対して尊敬や崇拝の念があるのではない、と徐々に気がつく。
私が育った国の考え方からすれば、信じられないことだ。
聖王国では、魔術が社会的地位も、身分も、評価も決めるというのに。
(この国は、聖王国とはずいぶん違うんだわ)
驚くべきことに、ダルガン王族には茶色の髪を持つ者がちらほらといた。聖王国なら私以外、あり得ない。ダルガンの人々のベールは髪全体を隠すものではなく、軽く髪にかける薄いものだ。こうなると私一人が髪をしっかり隠していることが、かえって浮いてしまう。そして同時に、髪をあまり隠せていないダルガン式のベールには、最早何の意味もないのではないかという気がしてくる。
そしてさらに面食らってしまうのは、例えベールで髪を覆っていても皆が茶色の髪の者と魔力持ちの者を、分け隔てなく接していることだ。
聖都で会ったルーファスは私と目を合わせてくれたが、あれは彼にとってはごく自然な行動だったのだ。
ダルガン王城で迎える二度目の夜は、とても静かだ。
寝室は快適に設えられていたが、慣れない枕や寝台になかなか寝つけない。何より、明日はついに結婚式を迎える。
私は聖王国ではリネンの寝間着を着ていたが、ここで与えられたのはシルク製のもので、ツルツルして肌触りがいつもと違いすぎて、頭が冴えてしまう。
「ああ、しかも明日はいよいよ結婚式なのよ。どうしよう……」
緊張を堪えきれず、思わず宙に向かって呟く。
その時、隣の部屋の扉が閉まる音がした。隣はネリーの控え室になっている。廊下に出たのだろうか。
夜中にどうしたのだろう?
ひょっとしてネリーも緊張して、寝付けないのだろうか。そう思うと親近感がわき、誰かと話して緊張を紛らわせたくなった私は、寝台から下りて廊下に出た。
どうやらネリーは余程早足でどこかに行ってしまったのか、既に近くにはいなかった。廊下は等間隔に明かりが灯されていたものの、薄暗くて姿がはっきりしないが、かなり先を人影が動いている。ネリーだろうかと慌てて追いかける。
(ん? ネリーより背が高いわ。あれはネリーじゃなくて……もしかして、フィリップ?)
驚いて立ち止まってしまう。
私の先を滑るように歩いているのは王太子の側近のフイリップで、彼の更に先にいるのがショールを羽織ったネリーだった。つまり、ややこしいことにネリーをフィリップが追い、彼を私が追っているのだ。
時折ネリーが後ろを振り返り、その度にフィリップが調度品や柱の陰に身を隠すので、吊られて私も同じように隠れる。なぜ隠れるのかは、よくわからないが。
フィリップは今日も一日、私を不審者扱いして行動を見張っていた。どうやらそれは夜中も変わらなかったらしく、こんな時間にどこかへ向かうネリーに気づいて、尾行しているのだろう。
ネリーは使用人用の狭く簡素な作りの階段へと向かい、どんどん上り始めた。フィリップが後をこっそりつけるので、私も足首から先を柔らかくして、足音を立てないように気をつけて、冷たい石の階段を上る。薄暗いので分かりにくいが、吐く息が白いのでかなり寒いはずなのだが、興奮のあまり寒さは感じない。
フィリップは尾行している自分が尾行されているとは露ほども思っていないようで一度も振り返らないため、私は彼との距離を徐々に埋めていった。
やがてネリーは階段を上りきり、大きな扉の前で立ち止まった。どうやらここがこの階段で行ける最上階らしい。
ネリーがふと思いついたように後ろを振り返り、私は身を隠すために踊り場にある壁の窪んだ部分に急いで駆け込んだ。すると同じ場所に隠れようとしたフィリップと窪みの中で肩と肩がぶつかり、彼はまるで夜道で化け物にでも会ったかのように目を見開いて口を大きく開けた。
(しまった、叫ばれる!)
今にも絶叫しそうなフィリップを止めるため、彼の大きな口を素早く右手で塞ぐ。
言いたいことは色々あるだろうが、私に話しかけるのは後にしてくれと念じつつ、左手の人差し指を立てて自分の口元に当てる。
どうやら私の意を汲んでくれたようで、フィリップは瞠目したまま大きく数回、頷いてくれた。
やっと彼の口から右手を離し、ネリーの行動を確認すると、彼女は蝶番が軋む音を響かせながら大きな扉を開けていた。
薄く開けた扉の隙間から滑り出るようにしてネリーが出ていき、扉がすぐに閉められる。フィリップと先を競うように残る階段を上がり扉の前に行くが、流石に開けた時点でネリーに気づかれてしまいそうだ。だがこの先に何があるのか、ネリーは何をしに行ったのかが気になる。
丸いノブに手をかけたままどうすべきか躊躇している私の隣で、フィリップは屈んで何やら壁に頭を押し付けている。どうやら壁に小さな覗き窓があるらしく、彼はそこから外の様子を伺っていた。
「何が見えるの? ネリーはどこに行ったのかしら?」
「……ネリーは貴女の侍女ではありませんか。なぜそんなことを聞くんです?」
舌打ちでもしそうな勢いで、苛立ちのこもった声でフィリップが言う。
「夜中にどこかに行く気配がしたから、追いかけただけよ。貴方と同じよ、フィリップ」
「……この先は、ベランダになっているのです。貴女がた聖王国の一向が連れてきた鳩達の鳥籠を置いているベランダですよ」
「ああ、伝書鳩ね」
「リーナ様の侍女は鳩の足に何か括り付けていますよ」
ネリーは伝書鳩を使いたいと申し出ていたが、忙しくてまだ放っていなかったらしい。それにしても、なぜこんな夜中に?
私も外の様子を覗きたくて体を寄せると、流石にフィリップが退く。窓は掌ほどの大きさしかないので、片目を閉じて必死に目を凝らして外を覗く。
ネリーは鳩を両手で押さえるようにして持ち、ベランダの端に進んでいた。私は窓から目を離し、すぐ後ろにいるフィリップに話しかけた。
「貴方は風の魔術が使えるのよね? すぐに違う階のベランダに出て、あの鳩が放たれたらこっそり魔術で捕まえて、通信文を手に入れてもらえないかしら?」
フィリップは心底嫌そうに顔を顰めた。
「……今、なんと?」
「あの伝書鳩を捕まえてほしいの」
「通信文を掠め取ったりしたら、聖王国と我が国の関係が悪化しますよ?」
「だからそうならないように、伝書鳩がネリーの視界から消えたあたりの距離で、バレないように確保してほしいの。読んだらまた、鳩の足に付け直してから放して頂戴。……早くしないと、飛んでっちゃうわ!」
私に急かされ、怪訝そうな顔をしながらもフィリップが階段を駆け降り始める。下の階のベランダに出るつもりなのだろう。
再び覗き窓を確認すると、ネリーの手から鳩が飛び立つ。夜空の中を鳩が遠ざかるのを見ているのか、ネリーはしばらくの間、ベランダの手すりに手をかけてじっとしていた。
やがてネリーが踵を返して扉の方へ戻ってくることに気がつき、急いで覗き窓を離れる。二段飛ばしで階段を下り、一番近い階の廊下に出て壁に張りつく。
私はしばらくの間、そうして誰も通らない廊下で静かにしていた。自分の部屋から出ていたことに気づかれないよう、戻るのはネリーが完全に部屋に戻ってからにしたいし、何よりフィリップがどうしたかを知りたかった。
だがフィリップは近くには見当たらず、ネリーがいたベランダの前に戻って待ってみたものの、彼はいつまで経っても帰ってこない。一人、慣れない城の廊下で立ち尽くし、悶々とした時間が過ぎていく。
(伝書鳩を捕まえられなかったのかしら? それとも、律儀に私の元に戻ってくるつもりなんて、はなからなかったのかしら?)
近くを軽く探し回ってみたが、どこにも姿がない。
来たばかりの城の中でこれ以上無闇に歩き回るわけにも行かず、私は消化不良のまま寝室に戻るしかなかった。
もっとも、答えはこの後意外な人からもたらされた。