王太子からの呼び出し
執務室までは距離があり、寒かった。
この城ではひと気のない所を歩くときは、外套を羽織るべきなのだと痛感する。
執務室の白いドアは、金色に塗られた蔦模様の装飾がつけられていて、華やかだった。フィリップは数回ノックしてからドアを開け、ベルタとネリーを片手を払って下がらせた。ネリーはやや不満顔だったが、執務室の机に王太子がおり、私を待っていたので渋々廊下へと下がる。
こんな時間に呼び出されたことに、少しばかり不安を覚えてしまう。
「こっちに来てくれ。急に呼び出して、すまない」
王太子に命じられるまま、彼がいる机の向かいまで歩いていく。
(あれ? どうして私のネックレスがここに?)
机まであと二歩程度のところで、立ち止まってしまう。王太子の机の上に、私のネックレスが置かれているのだ。濡れてしまったから外したのだが、聖王国を出る時に聖王がくれたものだ。
いつのまにかフィリップが私のすぐ背後に立っていて、王太子に向かって口を開く。
「殿下、ですから聖王国など信用ならさないようにと申し上げたのです。この話はもちろん、陛下になさるんですよね?」
「まぁ待て。まずはキャロリーナ王女本人から話を聞く」
私に聞きたいこととは、なんだろう。この場の雰囲気からすればどう考えても、良い話ではなさそうだ。身構える私に対し、王太子は無表情で尋ねる。
「君がしていたこのネックレスだが……」
そこまで言った後で、王太子がネックレスを手の中でいじり、それを二つに割った。
一瞬、彼がネックレスを壊したのだと思った。だがよく見ればネックレスは綺麗に二つに分かれている。とうやら元々密かにロケット型のネックレスだったようで、ルビーの取り付けられた台座が蓋のように、外側へ開いていた。
(ロケット仕様になっていたなんて、全く気づかなかったわ)
近寄ってみれば、なんと内部には赤毛の女性の絵が描かれている。小さいので分かりにくいが、ほっそりとした小さな顎や優しげにやや垂れた目尻には、胸が締め付けられる懐かしさがあった。
「それは……私の、母の絵です。まさか、こんな構造になっていたなんて」
ロケットになっているとは教えられていなかったけれど、これを製作させた聖王の、私に対する愛情と思いやりを感じて感極まる。
だが王太子の口調は随分冷淡だった。
「絵は今、問題にしていない。妙なのは、こちらの方だ」
王太子がネックレスを傾けると、中から二粒の錠剤が転がり出た。
ネックレスの蓋の下には絵があるだけでなく、同時に内部はごく小さな収納部になっていた。出てきた錠剤はどちらも表面が黄色で裏面は青く、なんだか毒々しい色合いに見える。
王太子は錠剤を摘み出して片眉をヒョイと上げ、私に尋ねた。
「これは何だ?」
「分かりません。中にそんなものが入っているなんて……私も誓って知りませんでした」
なぜこんなものが入っているのか、訳がわからない。誰が、いつのまにか入れたのだろう?
フィリップが王太子の手の中の錠剤から私に視線を移し、険しい表情で口を開く。
「何の薬物です? こんな所に隠すようにしまわれていれば、毒だと疑われても仕方がありませんよ?」
もはや、泣きそうだ。
「ど、毒なんて、そんなはずありません。だって……」
その先を濁す。なぜなら、不用意なことを言ってしまえば、贈り主である聖王の立場を悪くするかもしれないからだ。
「じゃあこれは砂糖菓子か何かですか? 王女殿下には、何に見えるのです?」
毒ではないと言うのなら食ってみろ、と言われている気がした。
蔑みと怒りが渾然一体となった、フィリップの射るような紫色の視線が私に向けられている。
潔白を証明する手っ取り早い方法は、実際に食べてしまうことだ。
何なのかなんて、私にも分からない。でも。
(お父様が、毒を私に持たせるはずがないわ。きっと、からくり屋敷みたいな、ただのいたずらな仕掛けよ。気づいた私がクスッと笑えるように、お菓子を中に仕込んだのよ)
強引に自分を説得する。
娘に毒を持たせるはずがない。
私は決心をすると、王太子の持つ錠剤に手を伸ばした。だが彼が瞬時に手を引いたため、手は宙をかく。
王太子が驚いた様子で目を瞠る。
「なんのつもりだ」
「身の潔白を、身をもって証明いたします」
「その必要はない。だが、君はこれを知らなかったんだな?」
「はい。知りませんでした」
すると王太子は錠剤を中に戻して蓋を閉め、ネックレスを私に差し出した。
「錠剤は少し削って、成分を今調べさせている。君も大事なネックレスと言いつつもよく分からないのなら、今後はたとえ侍女相手であっても、安易に渡さないほうがいい」
「殿下! 今はまだ、そのネックレスを返すべきではありません!」
受け取った私からネックレスを強奪しそうな勢いで、フィリップが王太子に訴える。
「話は以上だ。明日はリーナ王女のお披露目である、大昼食会で朝から忙しくなるぞ。お互い明日の午前中は準備で忙殺される。そろそろ休もう」
「殿下!」とまだ言い募るフィリップを無視し、王太子は机上の書類をバサバサと引き出しの中へしまい始める。
王太子はふと顔を上げ、私の視線を捉えて言った。
「大昼食会での昼食には、期待しないでくれ。昼食会の間中、主役の私達の席には挨拶に来る客が次々と押し寄せるから、まともに食べられる時間はほとんどない。午前中に食べておくのが賢明だ」
「は、はい……。ご助言、ありがとうございます」
明日の昼食の話などどうで良いではないか、と言いたそうなフィリップの不満顔が怖い。
これ以上ここにいて、夜遅くまで執務に励んでいた王太子達の邪魔になってはいけない。オロオロと頭を下げつつ、フィリップの鋭い視線を背後に感じながら、執務室を早足で退室した。
執務室から出た私は、ネリーとベルタに駆け寄られた。二人とも心配そうな顔で、私の説明を待っている。夜に急に呼び出された理由を、知りたいのだろう。
だが私は返却されたネックレスを手の中にしっかりと隠し、見せないようにした。寒い中、廊下で待っていた二人には申し訳ないが、今聞いた話は、王太子とフィリップと私だけで共有すべきだと思う。
嘘がバレないよう、あえてベルタとネリーの目をしっかりと見る。
「明日の大昼食会のことで、殿下から色々とお話があったの」
「こんな遅くに呼び出してまでですか? しかもあのフィリップとやらを使者にして……」
執務室の扉をチラリと見やって納得がいかなそうなネリーを引き連れ、私は部屋に戻ろうと歩き始めた。
「殿下と私は午前中もお互い忙しくて、話す時間が取れないみたいだから。――ベルタにお願いがあるの。明日は大昼食会の前に、サンドイッチか何か、すぐ食べられて軽くお腹にたまるものを、用意しておいてくれるかしら? 大昼食会では、まともに食べる時間がないのですって」
「はい、お任せください。――殿下はリーナ様がお腹を空かせないか、ご心配になられたんですね!」
口元を隠して嬉しそうにふふっと小さく笑うベルタに、私までつられて笑ってしまう。
手の中のネックレスを握り締め、キンと冷えた廊下の空気を切り裂くように早足で部屋に向かいながら、思った。
王太子は執務室の外にいるベルタとネリーに、私が話を誤魔化す方法まで別れ際に教えてくれたのだ。




