侍女への疑念
謁見が終わり、茶の準備をして私を待っていたネリーは、私の顔を見るなり気遣わしげに背中をさすってくれた。
「どうなさったんです? お顔が真っ青ですわ。――陛下とのご挨拶が、上手くいかなかったのですか?」
緊張から解き放たれて、疲れてソファに腰を下ろした私を、ネリーが見下ろす。
「そうね。上手くいったとは、思えないわ」
正直に話すと、ネリーは紅茶にたくさん砂糖をいれた。
「お疲れでしょうから、甘い紅茶を召し上がれ」
カップを差し出すネリーが、私を慰めるように微笑む。だがカップを受け取りながらも、私は妙に引っかかった。目まで弧を描いたその微笑が、気になってしまう。見ようによっては、今までずっと厳しかった彼女が、これまでの中で最も上機嫌かもしれない。
その反応が、腑に落ちない。
落ち込んでいる私とは対照的な反応に、気持ちがざわつく。
(なんだろう……、私とダルガン王家の人々がうまくいっていない方が、嬉しいのかしら。まさかね)
あれこれ考えながらも、礼を言って紅茶を飲み始める。
ネリーは私の髪を覆うベールを直しながら、尋ねてきた。
「王太子殿下はいかがでしたか? その後、お話をされましたか?」
「そ、そうね。日常会話程度よ。私もお喋りは得意ではないし……」
「それでよろしいかと存じます」と囁きながら、ネリーが後ろから私の顔を覗き込む。優しく微笑み、三日月のように弧を描く彼女の目が、私はなぜか怖かった。
「焦らないことが肝心です。これからお二人はご夫婦として、長い時間を過ごされるのですもの。特に男性というのは、押すと逃げるものだと言いますわ」
「押し引きができるほど、私に余裕や経験があればいいのだけれど」
「リーナ様は、とてもお上手にお過ごしですよ。妃たるものは騒がず、大人しくしているのが美徳ですから」
「そうかしら。でも、殿下とはもっとどんどん話さないと、関係が良くなっていかないわ」
「媚びるのはもっての外ですわ。聖王国から来た王女として、堂々となさいませ」
王太子と交流を深めようとするのは、媚びているように見えるのだろうか。
ネリーの言うことが、理解できない。まるで私と王太子が仲良くなるのが気に食わないみたいに聞こえる。
ネリーは周囲に誰もいないのを確認してから、私に顔を近づけて小さな声で言った。
「それにしても、殿下が無愛想なのは……もしや王太子殿下には愛人でもいるのでしょうか」
えっ、と耳を疑う。
「そ、そんなことはないと思うけれど」
「王族や上流貴族の男性は、愛人がいるほうが普通ですから……もしそうだとしても、毅然となさいませ」
妻を二人持てるのは聖王だけだが、たしかに聖王国の上流貴族達にも公然と愛人や婚外子がいる者が、たくさんいた。
けれど少なくとも二人きりで会っている時の王太子には、愛人の影なんて微塵も感じない。ネリーはなぜそんなことを言うのだろう。
私はネリーの意図が知りたくて、あえて困ったように彼女を見上げて助言を求めるフリをしてみた。彼女の言動の裏に、どんな本心が隠されているのかを、知るために。
「ネリー、私はどうしたらいいのかしら?」
ネリーは私の肩に手を置いた。
「王太子殿下をすぐに信用してはなりません。ダルガンに全幅の信頼を寄せるには、時期尚早かと」
私は聖王国にはもう戻れないのに、ここで一人浮いたままでいるわけにはいかない。この返事で私が実際に完全に信用出来なくなったのは、ネリーの方だった。
国王との謁見に続きひと段落ついた後は、王城の案内をしてもらえることになっていた。
ベルタはわざわざ獅子と盾の模様のダルガンの小さな旗を片手に、観光客を案内する添乗員のように城内を回った。妙に張り切っていて、ありがたいような恥ずかしいような、複雑な心境にさせられる。
聖王城ほどは広くないものの、ダルガンの王城に来たばかりの私にとっては、城の構造を覚えるだけでも大変だ。
王城の長い廊下を歩くネリーは、どこか不機嫌そうたった。彼女はたびたび後ろを振り返り、私に言った。
「気づかれました? 先ほどから、ずっとあの感じの悪い騎士――フィリップが私達の後をつけているんですよ」
広い廊下の角を曲がった所で、驚いて振り向く。するとたしかに、私の動きに気づいたかのようにサッと角に身を隠す男がいた。瞬きの間しか視界に入らなかったが、フィリップのようだ。
「本当だわ。私達を警戒しているのかしら。別にここを荒らしたりしないのに」
ネリーは近くにいるベルタに一応気を遣ったのか、チラッと彼女を気にするそぶりを見せてから、言った。
「あの男からすれば、王太子妃になる王女様が来たのではなく、敵が王城の中に侵入した、という認識なんでしょうね」
ベルタは聞こえていただろうけれど、否定もしにくかったのか、何も言わなかった。
王城の案内の後は、二日後の朝に控える結婚式のために教会関係者から式次第を教わったり、身支度を整えるのに忙殺された。
夜になって寝室に入る頃には、もうへとへとだった。
初めて顔を合わせた王妃の態度は冷たいものだったが、私が王城内に与えられた居室はとても快適で広かった。
美しい景色を描いた絵画や重厚な調度品で飾られた寝室の隣には、大きなバルコニーがついた居間があり、更にその隣には書斎もあった。
絨毯は全て新品で、私のために新調してくれたらしきことが、ありがたい。
ネリーとベルタの手を借り、さぁ寝間着に着替えようとした矢先。
私を突然訪ねてきたのは、フィリップだった。
フィリップは居間の入り口に硬い表情で立ち、応対したベルタに話しかけた。
「王太子殿下が、王女殿下をお呼びだ」
フィリップは私とはまるで目を合わせなかった。彼の双子の兄が戦争で亡くなった時の話を、つい思い出してしまう。肩甲骨辺りまで長さがある黒髪は女性のように艶やかで美しく、長い下まつ毛が印象的で中性的な容姿をしている。だがこれで剣の達人と名高いのだから、人は会ってみなければ分からないものだ。
ベルタが困惑気味にフィリップに尋ねる。
「殿下がこんな時間にリーナ様をお呼びなのですか?」
「ベルタ、余計なことを聞くな。王女殿下を執務室に案内しろ」
そう告げるなり、フィリップは居間を出ていき、カツカツと靴音を立てて廊下を進んでいってしまう。
「えっ、ちょ、待ってください!」
ベルタが右手をフィリップに差し出し、私と去り行く彼の間でオロオロと視線を往復させる。
幸いまだ着替える前だったので、焦るベルタとネリーと共に、フィリップの後をついていく。