謁見
離宮から王城へは、半日ほどの馬車の旅となった。
ダルガンの王都に着く頃、天気は崩れてしまっており、馬車の窓に叩きつけるように大粒の雨が降っていた。
移動に疲れ切っていた私は、向かいに座るネリーに揺り起こされて、寝ぼけ眼で外を見た。
「ダルガンの王都は、聖王国と随分違いますね。色とりどりの家並みが広がる聖王国に比べて、全てが灰色で、重苦しく見えますわ。雨のせいかもしれませんけれど。でも、想像以上に大きな都で、豊かそうで安心いたしました」
ネリーと私は鈍色の雲の下に聳え立つ、王城を見上げた。
尖塔をいくつも持つ、優美で曲線的な聖王城とは違い、ダルガンの王城は砦を大きくしたような、堅牢そうな作りをしていた。聖王城と最も異なるのは、高く分厚い城壁で王城自体が囲まれていることだ。これでは例え国王一家がバルコニーに出たとしても、民からはその姿が見えないだろう。
やがて馬車は城門をくぐり、王城の中へと入っていった。
一台前の馬車に乗っていた王太子が先に降り、私の馬車の扉を開けてくれる。
王城の正面には雨にもかかわらず、たくさんの人々が私達を出迎えていた。豪華なドレスを着ている婦人達もいて、王城の女官達だけでなく、おそらく貴族達も待っていてくれたらしい。傘を差しているとはいえ、長時間待っていたのか足元は皆ずぶ濡れだ。
王太子が差し出す手に掴まり、高いヒールの靴でドレスの裾を踏まないよう、慎重に馬車を降りる。後に続くネリーが素早く傘を差してくれるが、風も吹いているので雨にあっという間に濡れてしまう。
私と王太子が並んで歩き、城の入り口まで進む中、集まった人々は次々と膝を折って低頭していった。
(まるで、聖王城を出た時の光景を、丁度逆にしたみたいだわ)
今被っているのは髪だけを覆うベールなので、左右に並び立つ人々全員から顔を見られていることが、とても恥ずかしい。
雨に濡れ、慣れない北の気候にすっかり震え上がっていた私は、王城の中に入って少しがっかりしてしまった。中は暖かいかもしれないと期待したのだが、暖炉の火が城の中全体を暖められるはずもなく、ここには火の魔術を持つ者が常時城に熱を与えているわけでもないらしく、中は外と同じくらい冷えていた。
王太子は私の顔を見て、ネリーに命じた。
「国王陛下との謁見の前に、王女を着替えさせよ。顔が真っ青だ。王女専属の侍女に王太子妃の部屋まで案内させる」
「承知いたしました」
長い廊下の先から早歩きでこちらにやってくるのは、私と同じ年頃の侍女だった。紺色の長袖のワンピースの上に、白いエプロンを着ている。驚くべきことにベールで髪を隠していて、茶色の髪の持たざる者だった。彼女は私とネリーの正面にやってくるなり、片足を下げて深々と頭を下げた。
「ベルタと申しますっ! お仕えできて大変光栄です。って、ずぶ濡れではありませんか! 早くお召替えを!」
「なんて騒々しい子なの」と顔に思っていることを出したネリーがベルタに問う。
「あ、貴女がリーナ様専属の侍女とやらかしら? 私は聖王城から……」
「さあさぁ! お早くお召替えをしないと、肺炎にでもなられたら大変です。行きましょう!」
ネリーの話を中断させ、ベルタが私の背を押す。その礼を欠いた態度に私もネリーも驚いたが、ベルタの勢いに呑まれて、王城の五階にある部屋に連れ込まれるなり、ベールから下着に至るまで身につけているものを全て剥ぎ取られた。
謁見の間はこじんまりしていた。
王太子と並んで膝をつき、真紅の絨毯を見下ろしている間、私は聖王国の謁見の間と自分が今いる場所を、頭の中で比較していた。
聖王城のそれは、天井にいたるまで精緻なフラスコ画が描かれ、壁のあらゆる隙間がタペストリーや彫刻で埋め尽くされていた。
聖王の座る玉座は見上げるほど高い位置にあり、ビロードの座面だったが、背もたれや脚は全て黄金が張られていた。
だがダルガン国王夫妻の座る玉座は小さな溜め息すら聞こえそうなほど近くにあり、高さもほんの一段しか変わらない。
国王夫妻に忠誠を示すため、私と王太子は自分の守護獣を従えて彼らの前にいた。両脇にはダルガンの重鎮達が勢揃いしているので、室内はかなり手狭になっている。
王太子の黒豹は彼の隣に座り、堂々と玉座を見上げていたが、私のトッキーは人の多さに恐れをなしたのか、相変わらずひっくり返って腹を見せ、死んだフリをしていた。しかも口を半開きにして舌を力無くダランと垂らすという、徹底ぶりだ。
一同の好奇と憐れみの視線がトッキーと私に注がれ、とても居心地が悪い。
「二人とも立ちなさい。キャロリーナ王女、貴女が来てくれるのを、とても楽しみにしていた」
私は顔を上げて国王夫妻を見上げ、とても驚いた。王妃は王太子にそっくりだった。国王夫妻の髪色は王太子と同じで、黄金色だ。
つまり、二人とも持てる者なのに、持たざる者である私を息子の妃として迎えねばならなくなったのだ。
目を見ないようにして、再び頭を下げる。
「ありがたいお言葉、光栄の至りにございます。両国の友好の証として、お迎えいただけたことをとても誇りに思っております」
コツコツと靴音を響かせ、王妃が玉座から下りてきた。私と王太子の立つ絨毯の上を歩き、扇子で口元を隠したまま、私達の周りをゆっくりと回り始める。
王妃は美しい黒い瞳を私にひたすら向けたままそうしていたので、全身が緊張で硬直する。
とてつもなく、吟味されている気がした。年齢は四十代後半のはずだったが、肌は艶があり目立つシワもなく、華美すぎないながらも仕立ての良いドレスは凹凸のある官能的な体型をより綺麗に見せていて、そこにいるだけで威圧感と存在感のある女性だった。
トッキーは王妃に踏まれそうになり、急いで起き上がると私の肩まで素早く駆け上がった。隠れているつもりなのか、髪を覆う私のベールの中に頭を突っ込んで微動だにしない。
自分から見えていなければ、相手も自分を見えない、と悲しい誤解をしているようだが、王妃の冷たい視線はしっかりとトッキーのお尻と尾に当てられている。
私の前まで歩いてくると、王妃は赤い唇を開いた。
「聖王国にしてやられたわね。あの肖像画を描いた画家は、盲目だったのかしら?」
ぎくりと胸が痛む。王妃が何に怒っているのかは、明白だった。
「ダルガンには、まだまだ余力があったのよ。聖王国の国境の州を割譲させるのも、不可能ではなかった。けれど、和平と引き換えに諦めたのよ」
「やめないか、王妃。キャロリーナ王女に言うべきことではない」
国王が玉座から諌めるが、王妃は続けた。
「いいえ、陛下。世間知らずな聖王国の王女に、しっかりと自覚させるべきです」
王妃の扇子が私の顎先に添えられ、俯いていた私は扇子の先でグッと上向かされ、否応なしに彼女と目が合う。
黒曜石のような瞳は、一切の親しみもなく向けられ、私を不穏分子だと見切っていた。
「その情けない守護獣は、民の前では決して出さないでちょうだい。王家の威信にかかわるわ」
心臓に冷たい剣を、グサリと刺されたような痛みを感じる。自分のこと以上に、守護獣を批判されることが辛い。
するとトッキーがゆっくりと動き、ベールの中から顔を出した。私の肩に掴まる脚にはいつもより力が入っていて、彼なりに怒っているのだとわかる。
トッキーは目を細め、目の前にいる王妃を睨んでいた。
「グゥルルル」と唸り声を上げ、威嚇を始めている。
王妃はまるで動じず、片眉を上げただけだった。
「声くらいは出せるのね。私の許可あるまで、当分は白い結婚とさせます。王太子が寝首をかかれでもしたら、大変ですから」
白い結婚とは、形だけの結婚をすることだ。周辺諸国では、通常政略結婚の手段として使われ、離婚が前提の結婚の際によく使われる。
王妃は私を受け入れるつもりがないようだ。
それまで静かにしていた王太子が、抗議の声を上げる
「母上! 聞いておりません。そもそも私はそのような間抜けでありません」
「当面は聖王国軍の動きを見る必要があるのよ。国境付近から既に聖王軍の半数が撤退したとはいえ、まだ砦の建設は続行しているのだから」
不安に思って王太子を見上げると、彼は私とは目を合わせないまま、小さな声で言った。
「終戦前に聖王国が建設していた巨大な砦があるんだが、まだ工事が続行中なんだ」
(そんな。お父様はなぜ誤解を招くような真似をやめてくれないの? ダルガンに来ている私が、困るのは明らかなのに)
「母上は、私に妃を持つなと仰るのですか?」
「時機を待てと言っているのです」
それは国王も承認済みなのか、何も言ってこなかった。




