聖王国の不良品王女
七歳になる少し前のこと。
私は絵本の挿絵を見て、稲妻に打たれたように突然気がついた。
「私、お誕生日会を一度もしたことがない!」
絵本の中の登場人物達は、皆自分が生まれた日にパーティーを開き、年齢を一つ重ねたことをたくさんの人々から祝福されていた。
ジュースやクッキー、それに蝋燭を立てたケーキ。プレゼントが載る大きなテーブルを、おめかしした家族や友人達が囲んでいる。
私はどうして今までこんなに大切なお祝いを、してこなかったのか。誕生日の過ごし方といえば、いつも乳母と二人で、静かにケーキを食べるだけだった。
突然気がついた事実に焦り、私は挿絵を見せながら慌てて乳母に相談をした。
「私、大変なことを忘れていたんだよ!」
乳母が挿絵に視線を落としつつも、引き結ばれた彼女の唇から何も言葉が発せられない間が、ひどく長く感じられる。
乳母は少し困った様子で考え込み、提案してくれた。
「それでは、リーナ様の今度の七歳のお誕生日に、ご家族をご招待なさってはいかがでしょうか? パーティーの準備は私もお手伝いいたしますので」
なんて素敵なアイディアだろう。
自分で準備をしなかったから、今まで私の誕生日は誰もが祝うのを忘れてしまっていたんだ。――幼い私は無邪気にもそう考えた。
「初めて」の誕生日会の支度をするのは、とてもワクワクした。
ガラスのボウルに入れられた色とりどりのゼリーキューブは、宝石のように輝いている。
採れたての野菜で作られたサラダは瑞々しく、卵をたっぷり使ったシフォンケーキは、ふんわりと甘い香りを辺りに漂わせている。
私は「7」の数字型に切り抜いた大きな色紙を片手に、椅子を壁際まで引きずり、ダイニングテーブルからよく見える位置を探した。
椅子に上り、両手で色紙の数字を広げて壁に貼る。椅子から下りて少し後ろに下がり、遠くから眺めて大きく頷く。
「うん、すごくいい! お祝いのパーティーらしくなってきたなぁ」
テーブルの上の花瓶には、庭園で摘んできた花を飾った。
絵本の中の誕生日会では、皆が紙製のトンガリ帽を被っていたので、絵を描いた紙を巻いて円錐形に整え、紐をつけてお手製の帽子を作った。一つ一つに違う模様を描き、参加者達が自分で好きな模様を選べるようにしている。
(お父様はきっと、青色に星の模様が入ったトンガリ帽を選ばれるわ。お姉様は赤色に花柄のものを選ばれるかしら。きっと、妹はピンク色のクマのやつね。弟はまだ赤ちゃんだから、被れないけれど。お義母様は……、どうかしら?)
義理の母の好みは分からなかった。でもどれも丁寧に時間をかけて作ったので、きっと一つは気に入ってくれるだろう。
「リーナ様、こちらのモールを入り口のドアに飾りませんか?」
ダイニングにやってきた乳母が笑顔で顔を真ん丸にして、両手に持つ銀色のモールを広げて見せてくれる。光を反射してキラキラと輝き、とても美しい。飾れば、皆の楽しい気分を盛り上げてくれるに違いない。
「素敵! 飾って、飾って! でも早くしないと、もうすぐみんな来ちゃう」
誕生日会は午後のお茶の時間に設定したので、三時からなのだ。私に背を押され、乳母がモールを取り付け始める。
今日は持っているドレスの中で、一番豪華なものを着てきた。黄色のレースのドレスで、裾が袋状になっていて、中に紫色の花びらがたくさん入っているものだ。歩くたびに花びらが揺れて、可愛い。
裾の花びらが均等に入るように揺すって整え、ダイニングの入り口に控える乳母の隣に立つ。
「お父様達も、楽しみにしてくれているかしら?」
「ええ。もちろんですよ。リーナ様がご自分で企画されて、可愛い絵を入れて作られた招待状を渡されたお誕生日会ですもの」
乳母にそう言われ、私は招待した家族達が現れるのを、今か今かと待った。
私の父は特別な人だった。
大陸で最も由緒正しい国を統べる高貴な存在であり、世界で唯一「聖王」と呼ばれて崇拝される人物だった。そう、私は聖王家の王女として生まれたのだ。
私は聖王の二番目の娘――第二王女として生まれたが、母は側妃だった。私の母方の実家は下級貴族だったが、運の良いことに母は偉大な風の魔術の使い手であり、力を認められて父に気に入られたらしい。
けれども私が母のお腹の中にいた頃、正妃も同じく聖王の子を妊娠中だったために、母は正妃から親の仇のごとく憎まれた。
とはいえ私が生まれるまでは、母は威容を誇る聖王城の中で、いくつもの部屋を与えられていた。
だが、私が生まれて母の運も尽きた。なぜなら私が聖王の最も嫌う「持たざる者」だったからだ。
魔力を「持てる者」か「持たざる者」か、どちらであるかは、生まれた瞬間に分かる。
水の魔術の使い手は金色の髪を、火の使い手は赤い髪を、風は黒髪を持つ。
神が地上の子らに与えし神聖なる力を持つことが出来なかった「持たざる者」は、茶色の髪に生まれ、茶髪と言えば聖王国では無価値な者の象徴なのだ。茶色は祝福されない色とされ、瞳の色まで茶色だと、もはや絶望的な組み合わせとして、聖王国では徹底的に不人気だった。
父であるはずの聖王は、生まれたばかりの私を一瞥するや否や、こう言った。
「穢らわしい」
いや、「忌々しい」だったかもしれない。
とにかく、私は聖王にとっては、視界に入れたくない娘でしかなかった。
だから生まれて三日後には、私と母は聖王城の中で聖王の寝室から最も遠く、一番日当たりが悪い北の棟に部屋を移された。
(いつもお忙しいお父様だけれど、今日は来てくださるよね? だって、私のお誕生日会なんだもの)
聖王の機嫌を悪くしないよう、いつも寝る時以外は髪を覆うベールを被るようにしているが、今日のベールは手持ちの中でも分厚く、髪を全く透けさせないものだ。これなら、聖王も怒らないだろう。
私は北の棟のダイニングに崇高な家族が私のために来てくれるのを、ひたすら待った。
約束の時間である三時が近づくに連れて緊張をしだし、三時になるとそれは不安へと変わった。
「皆様、遅れてらっしゃいますね」
乳母が気遣わし気に私にそう言う。
「そうね。ちょっと遅刻してるみたいね」
三時を十分回り、やがて二十分が過ぎた。柱時計の時を刻む長い針の音が妙に大きく聞こえる。
例え遅刻でも構わない。短い時間でも、パーティーに来てくれるのなら、いいではないか。
私はテーブルの上のグラスを綺麗に並べ直したり、花瓶の向きを変えたりして、じりじりする思いで招待客を待った。
時折乳母の顔を見上げたけれど、彼女の顔色は時が進むに連れて暗くなっていく。その不安が少しずつ、こちらにも伝染する。
そしていよいよ三時を三十分超えた時。
私の胸の中を満たしていた期待と興奮はみるみる減っていき、代わりに絶望が隙間を埋めていく。
これは流石に、遅過ぎる。
私はようやく、聖王や姉達が来てくれるつもりがないのかもしれない、と気づいた。
そして瑞々しかったサラダが萎れ始め、シフォンケーキが乾いて固くなり始めた頃。
私はついに、これ以上待っても私の誕生した日を祝う会には、家族の誰も来るつもりがないのだ、と悟った。
凍り付いたような空気の中、パタパタと食堂に駆け込んできたのは、見習い騎士になったばかりのレオンスだ。まだ長すぎて床に突きそうになっている剣を腰から提げて、彼は声変わり真っ最中の掠れた声で報告する。
「リーナ様、聖王陛下はつい先ほど、王女様方と庭園にピクニックに行かれたそうです。ですので、こちらにはいらっしゃらないと思います」
レオンスは何の悪気もなく、生真面目にそう報告した。だからこそ、泣きたい気持ちにはならなかった。
後に残ったのは絶望と、乳母を付き合わせてしまって申し訳ないという、後悔だけ。
私はこうして、聖王家の中の自分の立ち位置を知った。持たざる者に生まれてしまった私は、例え王女に生まれたとしても、誕生を祝ってもらえるような存在ではないのだと。
私は、無価値の王女だった。
絵本の挿絵を改めて思い出し、苦々しい気持ちを乳母に伝える。
「そっか。主人公は黒髪の女の子だったもんね。持たざる者じゃなかったんだ。今さら気づいたよ」
「リーナ様……」
「誕生日を賑やかに祝ってもらえるのは、持てる者だけなんだね」
みすぼらしい茶色の髪のこの私が、誕生日会を開こうと思ったこと自体が、間違いだったのだ。
時計の針が一つ進むごとに心を絞られていくような、悲しく虚しい思い。この痛みを二度と味わいたくなくて、私はこの日、自分に固く誓った。
二度と誕生日会をしようなんて、思ってはいけないのだと。