ボーグとトッキー
「分かった。守護獣を呼ぼう」
王太子が宙を睨み、小さな声で呼びかける。
「ボーグ、出てこい」
どうやら守護獣の名前はボーグというらしい。
王太子と私が座るソファのすぐそばの空間に、突然金色の光の線が現れる。眩しい光の線の割れ目から、空間を裂くように黒い二本の獣の前足が飛び出し、続けてすぐに大きな黄色の目を持つ頭が飛び出す。そのまま黒い彪が全身を現すとともに、光の線は消失し、彪は前脚から着地した。
しなやかな体躯に、毛並みの良い美しい豹だが、大きさは予想以上だった。
無意識にソファの一番端へと遠ざかる。
呼び出してと頼んだのは私だが、いざ目の前に姿を表すと、黒豹はとんでもなく大きくて大型犬よりも体格が良い。
毛並みはどこまでも黒く、塗れ羽色を体現したように艶がある。
黒豹は口を大きく開けて欠伸をしてから、まるで甘えるように王太子に駆け寄った。
(嘘でしょ、近い……。 つ、爪! 爪がまるで凶器だわ……!)
呼べと頼んでおいて自分勝手だが、欠伸をした時に覗いた牙が、恐ろしくて仕方ない。結構体温が高いのか、王太子の膝に前脚をのせ、甘えて顔を撫でてもらっているが、黒豹の持つ熱がこちらにまで伝わる。
「わ、分かりました……! 疑ったりしてごめんなさい。貴方は間違いなく、ヴァリオ王太子殿下です」
話している間にも、黒豹が私の存在に今しも気づいたかのようにこちらへ顔を向け、金色の目をすがめる。守護獣が人に危害を加えることはほとんどないが、それでも体がすくんでしまう。
王太子は黒豹の頭の上をグリグリと撫でた。
「私の妃になる、リーナだ。彼女のことも、守護してくれ」
王太子の台詞に嬉しくなった矢先、黒豹が彼に応えるかのように私の膝の上にも前脚をのせた。
恐怖がいきすぎていて、悲鳴が声にならない。
黒豹は感情など全く読めない金の目で私を見上げ、しばらくそうしてから長い尾を優雅に振り、王太子の足元に丸くなった。丸くなったといっても、十分大きいのだが。
王太子は首を傾けて私を見ると、爽やかな調子で言った。
「リーナも守護獣を見せてくれ。――キャロリーナ王女の守護獣は、トカゲだと聞いている」
王太子は私と結婚するのだから、隠したり見栄を張る必要はない。けれど、私の守護獣を披露するのは、とても抵抗があった。今まで、聖王城では皆の嘲笑の的になってきたから。
だが王太子は期待に満ちた笑顔で、アクアマリンの瞳を輝かせて私を見ている。
私が目を合わせても怒らない彼なら、大丈夫かもしれない。
深呼吸をしてから、両腕を広げて胸の前に出す。
「トッキー。出てきてちょうだい」
一瞬にして掌の真上の空間に金の裂け目が走ったかと思うと、そこから落っこちてきたのは私の守護獣のトッキーだ。
猫を一回り小さくしたような大きさで、トッキー自身は呼び出された場所に見覚えが全くなかったからか、その丸い目を極限まで開けた。丸い目をパチパチと瞬き、ノソノソと足を動かして私の肩まで移動を始める。
「本当にトカゲなんだ。トカゲの守護獣は初めて見たけど、小さくて可愛いな」
「これでも大きくなったんです。昔は掌に載るくらいの小ささでした。トカゲなので冬の間はたびたび冬眠するんですが、そのたびにちょっとずつ立派になっているんです。本当にちょっとずつですけど」
「冬眠する守護獣なんて聞いたことないぞ。トッキー、お前なかなか難儀な奴だな」
「冬眠の間は呼び出しにも応じないので、冬だけは困りものなんです。守護獣として、相当いかがなものかと思いますが……」
王太子はトッキーを食い入るように見たが、素直に驚いているだけで、声に馬鹿にしたような調子は全くなく、逆に私がその反応に驚いてしまう。
トッキーは私の肩の上にやってきて、そこが定位置だとばかりに止まった。だがそこでようやく黒豹の存在に気づき、眠そうな目を再び見開く。
私と王太子、そして黒豹に観察される中、トッキーはブルブルと震えながら、ゆっくりと後退した。肩から下りて私の背中にしがみついている。
王太子が思わずのように噴き出した。
「主人を盾にしているな。さては守護する獣ではなく、守護される側のつもりだな」
「トッキーは気が弱いんです……」
「トッキー、これからよろしくな。ボーグとも、仲良くしてくれ」
王太子が首を動かし、楽しそうに私の後ろを見る。だがトッキーは彼の視界から逃れようと、私の背中を更に下りて、背もたれと私の腰の間に収まると身を小さくしてそこから動かなくなった。
「面白いな……」
「すみません。そのうち慣れてくれると思います」
「ダルガンの王宮では、今回の結婚で聖王国は偽物の王女を送りつけてくる気だ、と言うもの達もいたほどなんだが……、キャロリーナ王女の守護獣が有名でよかった」
「そ、そうですね。トッキーが個性的だからこそ、私が私である証明になりました」
腰の後ろにいるトッキーが、名を呼ばれたことに気づいたのか、ピクリと反応する。
どうしてルーファスがここにいるのか、と不思議に思ったけれど、そうじゃない。こうなると今度は、なぜヴァリオ王太子が聖都の新年祭にいたのかが気になってしまう。
(そうか。ルーファスさんは言っていたじゃないの。大バルコニーのお出ましを見に来たって。だから、あの時アンヌやミーユを気にしていたんだわ)
「殿下は聖都にご自分の婚約者を見に来たんですね?」
「そうだよ。まだどの王女が自分の妃になるかは分からなかったけれど、一目見ておこうと。でも、まさかその前に第二王女と出会うとは思いもしなかった」
「私で、ごめんなさい。その、がっかりされましたよね?」
「そんなことはない……!」
長く王太子の目を見過ぎていることに気づき、目を伏せる。
聞きにくいけれど、ずっと気がかりだったことを、二人きりのこの際、思い切って聞いてみる。
「殿下は――私の肖像画を見て、ご気分を害されたと使者から聞きました」
「ち、違う。私が怒ったのは、君の髪と瞳の色に対する使節団の物言いが、我慢ならなかったからだ。聖王国では持たざる者への差別が酷いとは聞いていたが、あれほどとは。そもそも、あの絵は君に似ても似つかなかったが」
「でも、気に食わなかったから王城ではなくて離宮に、ここに迎えたんですよね?」
王太子は目を見開いた後で、大きな溜め息をついた。
「違うよ。ダルガン人の中には、この結婚に警戒している者も多い。だからすぐには王城に迎えず、王女や随行員達の様子を伺うことにしていたんだ。双方、万が一何かあってからでは遅い」
たしかに、私達は二年前まで敵対国だった。
今この時間も、私の持参した荷物の中身を調べているのだろう。
何より、先ほどの出会い頭に王太子の側近が、私の護衛騎士にケチをつけたことを思い出す。