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【書籍化】落ちこぼれ花嫁王女の婚前逃亡  作者: 岡達 英茉
第二章 ダルガンの王太子との結婚
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王太子の肖像画

 私の結婚の準備が始まると、周囲には急に人が集まるようになった。

 特にしょっちゅう顔を出しにきたのは、それまで私を避けてきた姉妹達だ。

 姉のアンヌは結婚して公爵邸に住んでいるのに、わざわざ聖王宮にやってきては、私のドレスの採寸やあらゆる装身具選びに付き添った。ミーユも病にかかってから落ち込んでいたのが嘘のように元通り活発になり、二人は私が指輪やネックレスを選ぶたび、「リーナばかりずるい」と主張して、自分の分も注文させていた。

 私は今までは母親から受け継いだ宝石類しか持っていなかったので、急にたくさんの貴重品が与えられ、自分を取り巻く状況の変化に、眩暈がしそうだった。

 もちろん、浮かれていたわけじゃない。

 結婚は怖かった。けれど、私にしかできない役割を、きちんと果たしたい。

 何よりこんな私でも、王太子妃としてダルガンが迎えてくれるというのだから。



 そして事件は起きた。

 私の肖像画を渡すためにダルガンに派遣された聖王の使節団が、王太子を怒らせたというのだ。

 話を聞きつけたミーユは、滅多に来ない北棟にある私の部屋まで駆けつけ、部屋に入るより前に戸口でまくしたてた。


「お父様は画家に実物より遥かに美化して、肖像画を描かせたのよ。リーナのみっともない焦茶の茶髪を、もっと明るめの茶色にして。それなのに、ダルガンの王太子はお前の肖像画を見て、激怒されたんですって! 仕方ないわよねぇ、いくら手を加えたとしても、お姉様と私の肖像画を見せられた後にお前の絵を見せられたら……」


 美化し過ぎるのも、激怒されるのも大問題だ。つまり王太子は肖像画に描かれた結婚相手に、まるで満足しなかったということか。


「ミーユ、それ本当?」

「たしかよ! 帰国した使節団が、お父様にそう報告するのを聞いたから。噂通り、ヴァリオ王太子は頭の中まで筋肉でできているような、冷たい軍人なのよ!」


 ここまで走ってきたせいでミーユの息が上がり、息を大きく吸うたびに顔の前のベールが口に浅く入り込んでいる。

 私は廊下に立つ護衛騎士のレオンスを見た。無言の質問を察したのか、彼が小さく頷く。


「我が国の使者からリーナ様のお話を聞いた王太子殿下が、それ以上聞きたくないと仰ったそうです」

「じ、じゃあ私との結婚は破談に?」


 震える声で尋ねるが、ミーユが素早く首を左右に振る。


「いいえ。数年前であれば、この無礼に対して、お父様も強気に反撃したかもしれないわ。でも確実に終戦へ繋げるため、縁談はどうしても成功させないといけないのよ」


 レオンスも続ける。


「幸い、ダルガン国王は冷静で、ダルガンからは条約の破棄の話は出ていないらしいです」

「向こうの国王夫妻は乗り気だけれど、肝心の王太子様がそうじゃない、ということよ。ああリーナ。敵国にわたくしの代わりに嫁ぐ貴女が、本当にかわいそうだわ」


 そう言うなり、ミーユが顔を隠すベールごと手で覆い、啜り泣く。泣きたいのは私の方だけれど、絶望より恐怖の方が強く、手足が冷たくなってくる。


「このまま私が嫁いで、いいのかしら? ダルガンに着いたらどうなってしまうの?」


 両国の平和のために嫁ぐのが私にできる王女としての務めであり、私にしかできないことで、皆にそう望まれていると思っていたのに。だからこそ、自分の気持ちには蓋をし、嫁ぐ覚悟を決められたのに。

 肝心のヴァリオ王太子が私では納得していないとしたら、とんだボタンの掛け違えだ。

 レオンスはこちらに歩を進めると、言いにくそうに言った。


「聞いた話では、ダルガンのヴァリオ王太子殿下は、我が国との戦争で昨年、親友を失ったせいで聖王家の者を憎んでいるのだとか」

「そんな……。ちっとも知らなかったわ」


 初めから、出会う前から憎まれているなんて。


(どうしよう。正妃の王女でもない上に持たざる者で、しかも敵国から迎える女なんて、やっぱり何一つ気に入ってくれるはずがないわよね)


 ヴァリオ王太子は、きっと国王から命じられた政略結婚に、渋々従っているだけなのだ。それは私も同じだけれど。

 ミーユがレオンスの腕に縋る。


「わかったわ。きっとヴァリオ王太子は、親友の復讐をするつもりなのよ。憎い聖王家の王女を迎えて、徹底的に虐めて苦しめるつもりなんだわ。酷いわ」


 レオンスが私とミーユの間で困ったように視線を往復させる。


「ミーユ様、どうか落ち着いてください」

「でも、わたくしのせいだわ! 病になど罹ってしまったから」

「ご病気になられたのは、ミーユ様のせいではありません。それに、孤児院をご訪問されるという、崇高な目的の結果だったのですから。誰がミーユ様を責められましょうか」

「ありがとう、レオンス……。そうよね」


 ミーユは鼻を啜ってポケットからハンカチを取り出し、ベールの中で目を押さえた。

 レオンスはミーユが落ち着くのを見届けると、私を真っ直ぐに見つめた。彼の紫の瞳と目が合わないよう、急いで視線を下にずらす。


「私は騎士見習いの時から、ずっとリーナ様の護衛騎士です。リーナ様がダルガンに行かれても、おそばを離れませんので、ご安心ください」


 一人では行かせないというレオンスの言葉が、とても嬉しい。


 だが不安は尽きなかった。

 私の肖像画を見せられた王太子が怒ったという話が気になり、聖王を訪ねて詳細を聞いても、彼は「お前は黙って嫁げば良いのだ」と怒り、教えてくれなかったのだ。

 歴史の本を紐解けば、たくさんの国々で王家の政略結婚が続けられてきたことがわかる。そうして結ばれた国王と妃が、必ずしも円満な関係ではなかったことも。

 隣国から迎えた妃を離宮に住まわせて一度も王城に入れなかった国王もいたし、迎えた妃に世継ぎが生まれるや否や、妃とは名ばかりの扱いをして、多くの女性を自身の周りに侍らせていた国王もいた。

 それが、政略結婚というもの。


(大歓迎されて、王太子に愛してもらえるなんて都合のいいことは考えていないわ。でも、最初から私怨を晴らすために、迎えられるのは耐えられない……)


 王太子が怒った話はやがて聖王城中に広まり、私を見かけると噂好きの侍女たちばかりか、騎士達まで陰でヒソヒソと話すようになった。


「見て、リーナ様よ。今日もドレスを注文されるのね」

「ダルガンでは王宮夜会に参加する機会なんて、ないかもしれないのに」

「ヴァリオ王太子殿下も、流石にお相手が『持たずのリーナ様』じゃ、おかわいそうだぜ……」


 ダルガン国王からも、王太子の肖像画が届けられた。

 私のもとにそれを運んできたのは聖王に自らその役割を買って出たミーユで、彼女は明らかに絵を見た私の反応を楽しんでいた。

 絵の中の王太子の姿を見た私の脳裏に浮かんだのは、「風船」という単語だ。

 王太子は丸々とした体型で、大きく開けた口からは歯並びの悪い歯が見え、顔はニキビだらけだった。

 しかもなぜか右手の親指をグッと立て、前に突き出している。おふざけが過ぎやしないか。

 ミーユが笑いを堪えているのか、肩を震わせて言う。


「この絵では、瞳の色が分からないわよね。だって、プッ……、顔面の脂肪で目が糸みたいに細くてアハハッ!」

「剣がお得意と聞いていたけれど……、少し想像とは違ったわ。でも、純朴そうなお方ね」

「リーナったら、痩せ我慢しなくていいのにぃ。でも、安心したわ。これならリーナが容姿に劣等感を抱かなくて済むもの!」 


 痩せ我慢なんかじゃない。私は絵の中の男性に対して、むしろ劣等感と恐れしか抱けなかった。

 王太子の美しい黄金色の髪は肩先より長く、銀色の髪飾りで一つにまとめられ、緩くウェーブががった毛先が肩に流れている。彼は、立派な水の魔術の使い手なのだ。

 我慢を強いられているのは、王太子の方かもしれない。神に祝福された王太子が、持たざる者を妃にしなければならないのだから。


 この頃から、私には新たにネリーという名の侍女が付けられた。彼女は聖王が私の妃教育のために選んだ侍女で、「発展目覚ましいダルガンのお妃様になれるリーナ様は、お幸せですわ」と口癖のように言った。


 夜になると一人、王太子の肖像画を眺めてしまう。

 絵の中の男性は、毛皮の縁取りがされた紺色のマントを纏っていた。比較的温暖な聖王国では毛皮を衣服に用いることは滅多にない。改めてこの絵の中に描かれているのは、別の国なのだと実感する。

 聖王は武人ではないので携剣しない。だが、ヴァリオ王太子はいかにも軍事国家の後継者らしく、はち切れそうなお腹に巻いたベルトから、これでもかと燦然と輝く鞘に入った長い剣を下げている。

 象徴的な意味合いが強い剣なのか、貴石の装飾がうるさくて物凄く重そうだ。

 肖像画を見つめ、自分の夫となる人に会う心の準備をしたかった。

 けれど、描かれた人物は色んな意味でとても遠くにいる気がした。

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