4.焼け跡の犠牲者
このままじゃ埒が明かねぇから、屍体から何か判らねぇか調べてみてくれ……つったってよ、一体何を調べりゃいいんだか……
「……ま、ぼやいたところで仕方が無ぇ。とりあえず目の前のホトケさんをきっちり調べさせて戴くとするか」
――あ、俺が調べる事になったなぁ、焼け焦げた殿様のご遺体だけだ。毒で死んだ従弟さんの屍体の方は、毒が残ってちゃ物騒だからって、触るのを禁じられちまった。まぁ、先に殿様のご遺体を検めて、それでも何も判らなかった時にゃ、お従弟さんの遺体も調べる事になるんだろうが……
とにかく、何の仮説も立てられねぇ状況だもんで、俺ゃ虚心坦懐にご遺体と向き合って、調べられそうな事ぁ片っ端から調べていったんだ。そしたらよ……
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「男爵の死因に不審な点あり? どういう事だ?」
ご遺体を検めてみると、これがなぁ……〝不審な点がある〟どこじゃねぇ。〝不審な点しか無ぇ〟んだわ。
手始めにめっけたのが、でっけぇ牙の痕……に見える傷痕だった。ちょい見たところじゃ「クモの毒牙」に似てるんだが……
「間隔が空き過ぎてんでさぁ」
「……牙と牙の痕が離れ過ぎているという事か? しかし……それは化けグモのサイズが大きいという事では?」
「傷痕の間隔から化けグモの頭の幅を捻り出してみますとね、食堂のドアがギリギリ通れるか通れないかってくらいなんでさぁ。胴体がそれより幅広だったら、ドアを潜るのはまず無理ですな」
「………………」
だとすると、殿様は化けグモに噛み付かれた後、どうにかそれを振り切って、食堂に逃げ込んだって事になる。けどよ、
「表で死んでたお従弟さんの毒は、麻痺毒だったって伺ったんですがね」
麻痺毒が身体に回ってたんなら、毒牙を振り切って食堂に逃げ込むなんて真似ができたかどうか。それも、火の点いた燭台を抱えたまんまでだぜ?
「その『牙の痕』ってやつにも不審がござんしてね」
「……聞こうか」
「へぇ。傷痕に針金を差し込んでみたんですがね、『牙』の刺入方向が豪く食い違ってんでさぁ。化けグモってなぁ酷ぇ乱杭歯なんですかね?」
クモの歯並びなんざ俺だって知らねぇけどよ、並んでる筈の牙の刺入方向が九十度も違ってるってなぁ、こりゃさすがにおかしかねぇか?
お従弟さんの屍体にも咬み傷があったっていうけどよ、そっちも同じような傷痕だったのかね?
「いや……そういう報告は受けていないな。まさか黒焦げの焼死体からそこまで判るとは思わなかったが……つまり、男爵の遺体に残る傷痕は、下手クソな偽装だと言うのだな?」
「少なくとも自然なものたぁ思われねぇ……それだけは言えますぜ」
お殿様のご遺体からもクモ毒が検出されたのかどうか、旦那に当たってみたんだが、焼損が酷くて検出できなかったそうだ。
「で――おかしな点がめっかったんで、気合いを入れて調べてみたんですがね」
「……まだ、あるのか?」
まだまだ。こいつは序の口よ。
「ご遺体の頭部は爆ぜたようになってましたが、こりゃ焼死体にゃ能く見られるもんでして。……煮えた脳味噌が膨張して、頭の鉢を割っちまうんですな。そういった屍体の場合、破裂した頭骨の破片は全て同じ燃え方をしているもんなんで。ところが、殿様のご遺体は……」
「……そうじゃなかった――と言いたいのか?」
「へぇ、ご明察ってやつで。焼け残った頭骨片の燃え方が、少しずつ違っているんでさぁ。……こういうなぁ、焼ける前に頭の鉢をぶち割られたホトケさんの特徴で」
賢者のやつぁ、「燃焼血腫」と「硬膜外血腫」だとか何とか言ってやがったけどな。
「……撲殺か。……だとしたら――」
「何か?」
「いや……後で話す。今は先を続けてくれ」
「へぇ? んじゃまぁ……で、気になったもんで――」
「……〝続けろ〟と言っておいて何だが……まだあるのか?」
悪ぃな。斥候職ってなぁしつこくねぇと務まんねぇんだよ。
「思ったよりご遺体の損傷が酷くなかったんで、失礼して腑分けをさせてもらったんでさぁ。その結果――肺の腑は煤を吸い込んじゃいませんでした。……てぇ事ぁ、火が廻った時にゃお殿様は息絶えてらした――って事で」
「……少なくとも死因は焼死ではない。大グモという線も怪しいとなると、やはり……直接の死因は撲殺という事になるか……」
そう言うと、領兵隊の旦那は難しい顔で考え込んじまった。何か訳ありなのかと思ってそのまま待ってたら、
「……少々不可解な状況の下で発見された小像があるんだが……その台座の部分に血痕が残っていた。像の上部からは指紋もな。……指紋は表で死んでいた従弟のものだと確認されている」
「お従弟さんの? それじゃあ……って、火に炙られて、能く血痕だの指紋だのが残ってたもんですね?」
「それがな……像は何かに覆われていて、それで焼損を免れたようだ」
「……〝何かに〟?」
「あぁ。……焼け残った部分を見る限り……クモの糸のように思えるんだが……」
「へぇ……クモの?」
「あぁ……クモの」
俺と旦那は顔を見合わせて溜息を吐いたともよ。他にどうしろってんだ?
「……従弟の懐中からは、一風変わった形の短剣のようなものが見つかった。拭ってあったが血脂の痕がある。……男爵の遺体に残された傷口との照合は困難だろうが……どうも、その傷を付けた凶器のようだな」
決定的な証拠ってやつは無ぇんだが、状況から察するに――だ、お従弟さんが殿様を殴り殺して、大グモに襲われたかのように偽装したって事なんだろうな。それがどういうわけか失敗して……天網恢々、本人もおっ死んじまったって事らしいや。
何でそんな事になったのかは判らねぇ……あぁ、公式の報告書にはそこまで書かなかったともよ。俺が検屍を請け負ったまぁ殿様のご遺体だけで、お従弟さんの屍体まで検めたわけじゃなかったしな。根拠も無ぇのに推測を書くわけにゃいかねぇだろ?
あとな、こいつぁ後から聞いた話なんだが……お従弟さんの死因はクモの毒に間違い無ぇそうだ。クモの牙の痕も、こっちは正しい形で残ってたってよ。……その牙の痕ってのが、普通のクモのそれたぁ桁違いにデカい事を〝正しい〟って言えるんならだけどな。
……そう言やぁ殿様のご遺体、焼損が思ったより酷くなかった理由なんだが……何かがご遺体を覆って、火から守ってたみたいなんだよな。焼け残ったそいつは、何だかクモの網みてぇにも見えたんだが……ま、そんな事ぁ報告書にゃ書けんわな。俺も口頭で説明しただけだ。
ただな……凶器と覚しき小像が火に炙られて、殺人の証拠が消えちまうのを防いでたのも〝クモの網〟だって聞くと……ちょいとばかり、な。
――後になって、現場に立ち入ったって領兵のおっさんから話を聞く事ができた。
お殿様のご遺体を取り巻くように、小さな黒焦げの塊が並んでたそうだ。
〝……最初はゴミかと思ったんだが、あんまり綺麗に並んでるもんでな。一応確かめてみたのよ。そしたら……お前、驚くじゃねぇか。それが皆、クモの屍体だってんだからよ。たかが虫ケラの筈なのによ、何だか――〟
〝……何だか?〟
〝あぁ……何だか、敬愛する主君の死に殉じた忠臣たち……そんな感じがしたもんだ〟
【参考】クレイグ「死体が語る真実」文春文庫.