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24   項垂れる者にこそ声をかけろ

 そいつがオレの前に現れたのは、突然のことだった。

 数カ月前から当たり前になったクソみたいな一日が終わり、ボロ小屋の中でようやく眠りにつこうっていう時のことだ。

 不寝番以外は誰もが寝静まったはずなのに、ボロ小屋のそばを誰かが通り過ぎた。

 オレの寝床であるボロ小屋は、見回りのルートから外れている。必要ないからだ。

 だからどうにも気になって外に出たら、少し離れたところにランタンの明かりが見えた。見回りの誰かだ。ってことは見回りがルートを間違えたんだろう、って思い、ボロ小屋に戻ろうとしたら、その明かりがフッと消えた。

 まばたきを二度して、嫌な予感が導くままに、オレは明かりが見えていた方へ近づいた。何かが足に当たった感触に立ち止まり、目を凝らすと、壊れたランタンと名前も知らない見回りが倒れていた。

 そこでようやくオレは異常事態だって気付いた。

 門へ行って不寝番を呼ぶか、それともこのまま屋敷に向かうか迷って、結局、オレは後者を選んだ。

 見回りがやられた以上、不寝番も無事とは思えなかったからだ。

 どこかの窓が破られていないかって確認しながら屋敷の周りを走り、ついに破られている場所を見つけたって思ったら、そこは正面玄関の扉だった。

 賊は正面から堂々と乗り込んだらしい。

 一人でどうやって破ったのかはわからないが、わずかに開いている以上、賊がここから入ったのは間違いなかった。

 何かに命じられるままに、屋敷の主の部屋へと走る。

 階段を二つ登り、長い廊下の端を曲がると、その先に主の部屋へ続く扉が見えた。

 ただし、それは半ば開いていた。

 それを認識した瞬間、オレの足はより強い力で床を蹴り、勢いのまま扉を乱暴に開けたところで、オレに走れって命じる何かが消えた。

「ん……? 見回りに気付かれるまでまだ時間はあったはずだが……」

 そいつはオレが見ているっていうのに、堂々と顔を晒したまま立っていた。

 そしてその足下に、オレをクソみたいな日々にぶち込んだ張本人が倒れていた。

「コフィー大司教……」

 その時、オレはただただホッとしていた。

 これでクソみたいな日々とおさらばできるからだ。

 だがそれも目の前のそいつがオレを見逃してくれたらの話だ。

 その得難い幸運を得るためにすべきことは一つ。目の前のそいつを見なかったことにすることだった。

「……クソ野郎なご主人様が死んだショックで、これからオレは独り言を言う。今、オレの目には大司教の死体しか見えていない。オレが駆け付けた時には、賊はもう去ったあとだった。誰かに聞かれたら、何をされようと何を言われようとそう答える」

「ふむ……だから見逃せと。必要性を感じんな」

 想定内っていえば想定内の返答に、背中の大剣を抜くことで答える。

「なら悪いが抗わせてもらおう。これでも元A級冒険者だ、そう易々と取れると思うなよ……!」

 だが、大剣を突きつけられているっていうのに、そいつは首を少し傾げただけで、身構えるそぶりすらしなかった。

「ん? 元A級……? それに大剣使い……。奴隷の首輪もあるな。もしや貴様、マックスか?」

「へえ、オレのことを知っているのか。最近は冒険者として活動できていなかったんだがな」

「どうやらマックスで合っているようだな。ならばちょうどいい。ヒバリとソレイユの懸念もついでに解消できそうだ」

「はあ……?」

 あり得ない名前の組み合わせに、思わず首を傾げる。

 ヒバリはまだいい。法国中の冒険者の憧れだから、オレと知り合いなのも推測がつくだろう。

 だが、ソレイユの名前まで出てくるのはおかしい。あいつは法国じゃ無名だ。オレと結びつくわけがない。

 ってことはつまり、目の前のこいつはヒバリともソレイユとも知り合いで、しかもオレが奴隷になったことを知っている以上、オレのことを話すくらいその関係性は良好で、かつ最近会ったことがあるってことになる。

 オレが剣を降ろすのに、さほど時間はかからなかった。

 どうやら命の心配はしなくていいらしい、っていう思いが確信に変わった頃、オレはザインと一緒に大司教の案内で地下室へ向かっていた。

 少し話して、オレがザインについて知ったことは三つだ。

 一つは、名前がザインザード・ブラッドハイドだっていうこと。本人が「ザインでいい」って言ったから、ザインって呼ぶことにした。

 もう一つは、B級冒険者だっていうこと。冒険者が何で暗殺者の真似事をしていて、しかも本職顔負けのことまでできるのかは不思議だったが。

 最後の一つは、死んだはずの人間を生前と同じように動き喋るようにできて、しかも命令に絶対服従するようにもできるってこと。影に飲まれた大司教の死体がムクリと起き上がって、「おや、マックス君、奴隷ごときがなぜ吾輩の部屋にいるのかな?」って微笑んだ時は、心臓が止まるかと思った。

 だが、オレと大司教の奴隷契約は確かに切れていて、ザインもそれを肯定したから、何とか落ち着くことができた。

 大司教も「新たなる友、ブラッドハイド卿が言うなら仕方ない」ってザインの言いなりだったしな。

 ザイン曰く、「一度は確かに死んだ以上、契約が切れているのは当然だ」ってことだった。オレの目には大司教が蘇ったようにしか見えなかったが、ザインに言わせれば、それは違うらしい。じゃあ死体を操っているのかっていうと、それも違う。曰く、「本物の死体を使ってつくった限りなく本物に近い偽物に過ぎん」ってことだったが……それが本物とどう違うのかオレにはさっぱりだった。

「少なくとも、本物には『本物に見せかけよう』という意志はないだろう?」

「…………やっぱり、オレにはさっぱりだな……」

 で、大司教を暗殺して傀儡にしたザインの目的だが、表に出るとヤバい文書っていうかなり大雑把なものだった。

 ザインが確信を持って「ある」って断言したし、大司教も「ある」って断言したから、その在処へ案内させていたってわけだ。

 まあ、そのヤバい文書がマジでガチにヤバい人体実験の記録だったのは、予想外過ぎて吐くくらい予想外だったが。

 これには大剣を突きつけられても身構えるそぶりすら見せなかったザインも顔色を悪くしていた。いやまあ、オレから言わせれば、吐かずに読み込んでいるだけでもすごいとしか言いようがない。何しろ、その文書が保管されていた部屋のすぐ隣の部屋が実験室だとかで、明らかに最近使われたと思われるほど血の臭いがしていたからな。

「オレ、よく今まで生きていたなあ……」

「ふむん? マックス君はA級までいった逸材だからねえ。こんな実験に使うなどもったいないじゃあないか。一緒にいた有象無象共とはわけが違うのだよ。そういえば、アレらも良い実験体に――」

「黙れ。貴様は訊かれたことだけ喋ればいいんだ」

 思わずこぼした呟きに、大司教が選民思想染みた狂気を垂れ流し、オレと一緒に抗議に来た連中を侮辱したところで、ザインが端的にその口を閉じさせた。

 礼を言ったが、ザインは実験記録に目を通しながら軽く手を振っただけだった。

 全ての文書を袋に詰め、地下室から地上に戻った頃には、屋敷内は賊を捕らえようとする奴らで騒がしくなっていた。

 だが、大司教が賊は処分したって言うと、騒ぎはすぐに収まった。そしてザインは堂々と表門から屋敷を去り、奴隷から解放されたってことになったオレはこれまた堂々と表門から屋敷を去った。

 なるほど、大司教の殺害は文書の強奪(譲渡?)と屋敷からの脱出両方を潤滑に行うためのものだったらしい。ついでだったが、オレもいともたやすく奴隷から解放された。

 ザインのあくどかった点は、さらに大司教の死体までほとんど持ち出したことだ。方法も理由もわからないが、あくどいってことだけはわかる。

 明日の朝には、大司教の寝室で彼の左腕だけが見つかることになるらしい。ただ動かすだけなら片腕だけで事足りる――まるで熟練の傀儡師みたいなことを言ってザインは嗤った。

 次にザインがやったことは、カリモーチョ村の南の外れで聖女様が来るのを待つことだった。もちろん、野宿なんかじゃなく、寝床もちゃんとあった。ただし、廃屋を改造したものだったが。

 もちろん、オレも一緒だ。

 説明を求めるオレにザインが最初に見せたのは、コーラ枢機卿領のケインの街の代官だっていう奴だった。驚くなかれ、この代官も限りなく本物に近い偽物だ。つまり、もうとっくに死んでいる。

 何でも、枢機卿領領都リブレから逃げる際、命知らずにも追ってきた連中の指揮官だったらしい。いったい何をやらかしてそんなことになったのか訊いたら、返ってきたのは予想の斜め上を行くことばかりだった。

 モンスターパレードに襲われた街と、逃げた代官、そして二人の明王。どうやら枢機卿は代官が死ぬってわかった上でザインを追わせたようだった。それが結果的にザインの役に立っているんだから、物事は何がどう転ぶかわからないものだ。

 どう役に立ったのかっていうと、ザインは一週間ほど前に、この代官に聖女宛ての慰問要請を書かせたらしい。しかし、慰問を要請したのがケインの代官にもかかわらず、ザインは聖女がカリモーチョ村に来ると予想していた。

 根拠は明白。カリモーチョ村がモンスターパレードで滅んだからだ。

 それも驚きだったが、確実に偶然でしかない出来事を利用する手腕も舌を巻くほど驚きだった。

 カリモーチョ村は枢機卿領と大司教領の間にある唯一の村だった。ここが滅んだ以上、枢機卿領と大司教領を行き来する奴は非常に少なくなる。だから盗賊も寄りつかない。少なくとも、近隣の安全が確認されるまでは。しかも、ザインが言うには、新たに村をつくるにしても、それはカリモーチョ村からは若干離れた位置につくられるらしい。

「誰がモンスターパレードに滅ぼされた村跡に住もうと思うんだ? 同じことが起きるかもしれんという不安はそう簡単に拭えるものではない」

 言われてみれば納得のいく話だった。

 つまり、カリモーチョ村跡地はしばらくの間潜伏するには格好の場所だった。

 ちなみに、食料なんかの補給は、なぜかレモネード司祭の部下だっていう連中が手配していた。

 代わりに、オレとザインは協力して高ランクモンスターを数匹仕留めて(モンスターパレードの発生地近くは、モンスターパレードに混ざらなくても生きていける高ランクモンスターが残っていることが多い)渡したが、それにしても不思議なことだった。ザインに訊いても、「パトロンのようなものだ」っていう答えしか返ってこなかった。

 聖女様がカリモーチョ村跡地を訪れたのは、三週間後のことだった。

 聖女様とザインがどんな話をしたかは知らない。きっとえげつない手を使うんだろうな、って思っていたが、結果は聖女様がザインにやたらベッタリになっただけだった。だが殺してはいないって言われて、オレは首を捻るしかなかった。もちろん、思うところはあった。あるにはあったが、ベッタリされている張本人が何でこうなったかわからないって顔をしていた以上、その思いは飲み込むしかなかった。

 そしてこの時、オレはようやくザインの目的を知った。

 クーデター。

 モンスターパレードの頻発を防ぐために法王の首をすげ替えるっていうのがザインの目的だった。知らず知らずのうちに、オレはすいぶんと大それたことに巻き込まれていたわけだ。しかもそれにはヒバリやソレイユも協力しているっていうんだから、開いた口が塞がらなかった。

 もう一つ知ったことは、寺院兵団もザインに協力しているってことだった。ここまでくると、クーデターも夢物語じゃないだろ?

 そんなこんなで、今、オレは法都リスティングでザインの号令を待っている。

 もちろん、法王がいる大寺院に突撃する号令――じゃあない。もっと穏便で、やりがいのある号令だ。

 オレの目の前では、着々と舞台が整えられている。

 何の舞台かっていうと、聖女様が民衆に訴えるための舞台だ。

 会場に選出された法都リスティングで一番大きい広場は、すでに万を超える聴衆で溢れている。何しろあの聖女様が初めて演説をするっていうんだ、興味がないメビウス教徒なんているはずがない。

 時間が来て、聖女様が舞台に上がると、万雷の拍手と歓声が広場の外まで飲み込んだ。

 腰まで伸びる赤毛は太陽の光を受けて鮮やかに輝き、褐色肌との対比でさらに美しさを増している。白い法衣は金の糸で細かな刺繍を施され、やはり褐色肌との対比でさらに美しさを増している。だがそれらにも増して最も美しいのはその心だ、と言えば聴衆達の誰もが首を揃えて縦に振るだろうが、生憎と今現在その心を占めているのは隣に立つ一人の男だけだった。

 オレとザインは、聖女様に視線を注ぐ聴衆を舞台脇から見ていた。近くにはヒバリやソレイユ、それからザインの弟子だっていう狐系獣人のカロンもいる。

「――必要なのは変革です。今、わたし達の国は存亡の危機にあります」

 音を大きくする魔術道具から聞こえた聖女様の第一声に、聴衆達はざわついた。皆、何の話かわからなかったからだ。

 獣帝国が本格的に攻めてきたのか? だったら法王が演説するはずだ。

 じゃあ財政的な危機か? それは財務大臣が演説しないとおかしい。

 ってなると大規模な不作か? そんな話を聖女様がするわけないだろ。

 聖女様が訴える存亡の危機について意見が飛び交う広場は、聖女様の口からモンスターパレードっていう単語が出た瞬間、一気に静まりかえった。

 聴衆達はその時、この三ヶ月の間に起きたことを思い出していたはずだ。

 最初はコーラ枢機卿領のケインだった。一つの村が滅んだが、ヒバリ達の活躍でそれ以上の被害は抑えられた。

 だがその一ヶ月後――つまりオレとザインがカリモーチョ村跡地にいた頃――北西部のラッシー枢機卿領のミーティーがモンスターパレードに襲われた。今度は代官が逃げることはなく、ミーティーの兵団や冒険者は協力して抵抗した。ラッシー枢機卿は領都ナムキーンの兵団を率いてこれに加勢し、モンスターパレードを撃退したが、ミーティーの被害は決して無視できるものじゃあなかった。

 そしてこれはまだ始まりに過ぎない。

 ミーティーから一ヶ月後には中央北部のミルク司教領で、さらに一週間後には南東部のラテ司祭領でモンスターパレードが起き、二週間と少し前、ついに一つの領地がまるごと呑まれた。

 一ヶ月と少し前、ミーティーの件を耳にしたザインは、クーデターが成功する前に法国が滅んだら意味がないと、ヒバリとソレイユが各地の冒険者ギルドから聞き出した情報を元に、モンスターパレードが起きそうな場所をリスト化していた。そのリストを元にヒバリやソレイユ、オレも各地を回り、実際、ヒバリはミルク司教領で、ソレイユとオレはラテ司祭領でモンスターパレード撃退戦に参加したが、その領地には誰も間に合えなかった。

 エスプレッソ大司祭領――領都ベゼラは多くの冒険者が集まる街だったから、そこがあっという間に呑まれたっていう報せは、かなりの衝撃だった。

 それはザインも同じだったらしく、こいつはすぐに計画の前倒しを決めた。

「本来ならもう少し賛同者を集めたかったんだがな……」

「だが、結果的に全部上手くいったんだろ?」

「全てが水の泡と消えかねんギャンブルをして勝ったことを『上手くいった』と言えるならな」

 ザインはそう言ったが、計画の前倒しはまさしく英断だったとオレは確信している。

 エスプレッソ大司祭領滅亡の報せは、オレ達だけじゃなく、何が起きているか何も知らない冒険者や兵団、国民にも衝撃を与えた。

 そしてそれはザインの言う「横暴勝手な権力者」達――つまり、高位聖職者達も同じだったらしい。

 普段は大寺院やそれぞれの領地の屋敷で政務や神事に勤しんでいるあいつらは今、その全員が集まって緊急会合を開いている。議題はもちろん、モンスターパレードの続発についてだ。

 とはいえ、じゃああいつらが心を入れ替えて真剣に対策を考えるかっていうと、それはあり得ない。どうせ冒険者ギルドに丸投げすると決めて終わりだ。良ければわずかばかりの補助金を出すだろうが、悪ければ冒険者ギルドに責任をなすりつける。

 ヒバリもソレイユも、横暴勝手な権力者だってそこまでバカじゃないだろ、って言ったが、数カ月間奴隷にされていたオレにはわかる。あいつらはバカじゃないからそこまでやるんだ。そこまでやっても民衆は言いなりのままだってわかっている。

 だからそれを崩す。

 そのために聖女様が言葉を尽くしている。

 聖女様は、この間のモンスターパレードの続発について、その原因と今後もその危険が続くことを告発した。

 当然、聴衆達から不安の声が上がる。そしてその怒りの矛先は、まず冒険者達に向かった。冒険者の怠慢じゃないか、っていう声が二つ三つと響く。

「――皆さん、どうか彼らを責めないでください。根本的な問題は、彼らの責任ではないのです。それはわたし達聖職者にあります」

 それが聴衆の心を飲み込みかけた瞬間、聖女様は端的に否定した。

 隣国、ボルト獣帝国との依頼料の格差。それに伴う冒険者の減少。そして兵団――軍隊の普段の取り組みの違い。

 一つ一つを紐解くたびに、疑問を浮かべる聴衆達の顔が晴れていく。

 同時に、高位聖職者達に対する怒りが増していることだろう。

「――必要なのは変革です。まずは緊急にモンスターの間引きを行います。兵団の在り方を変えましょう。冒険者達への報酬を増やしましょう。せめて獣帝国と同じくらいに。法国は大陸二位の大国です。獣帝国にできることが、法国にできないはずはありません」

 ……さて。

 ここまでなら、ただの演説だ。

 聴衆達も、もう終わったと思って万雷の拍手や声援を送っている。

 だから聖女様が再び口を開いた時、決意と感謝の言葉が聞けると思ったはずだ。そこから飛び出た言葉は何かの間違いだと誰もが思ったことだろう。

「そのために法王を討ちます」

 万雷の拍手と声援が消えた。

 静寂は一瞬のことだった。戸惑いとざわつきが広がっていく。

「さて、出番だぞ、コフィー大司教。民衆が貴様の実験記録を聞きたいそうだ。全て嘘偽りなく喋るといい」

「おや、もう吾輩の出番かね? こんなことをしたら吾輩の首が飛ぶが、まあブラッドハイド卿が言うなら仕方がないかな」

 まるで散歩に行くような気軽さで、手枷足枷をはめられたコフィー大司教は舞台に上がった。ちなみに、屋敷に残されていたはずの左腕もある。

 つまり、これから行われるのはおぞましき人体実験の暴露。息子の本性を暴き立てることで、その親を糾弾する。

 こいつらは国民の声など聞かない、と。

 大司教に続いて、髪に白いものが混じった細身で身長の低い中年の男が舞台に近づいていく。

「……では、行ってくるとしようかな」

「つらい役目を与えてすまんな、シトロン殿」

「構わないさ。もうとっくに覚悟はできているからね」

 シトロン・レモネード司祭。ザイン曰く、「パトロンのようなもの」。

 結局、この二人の関係性はわからないままだ。ヒバリやソレイユ、それにカロンも知らなかった。

 レモネード司祭はこの一か月半、持てるパイプの全てを使って、モンスターパレードが頻発する可能性を高位聖職者達一人ひとりに訴え続けていたらしい。

 その数は決して多くはなく、無駄に終わるかもしれないとも言っていた。実際、この場に来ている聖職者はレモネード司祭だけだ。

 それでも司祭は舞台に立った。大司教の実験記録を読み上げるために。

 法王への叛逆を明言した、聖女様の味方がいると民衆に示すために。

 十五年前の実験記録を司祭が一つ読み上げるたびに、ざわつきは小さくなっていった。妊婦を実験体にした最もクソったれな記録が読み上げられる頃には、青い顔で耳を塞ぐ人が珍しくなくなっていた。

 これを初めて読んだ時は吐いたものだが、ヒバリもソレイユもそれは同じだった。

 そしてザインはこれをカロンにだけは見せなかった。今も頭を撫でるふりをして耳を塞いでいる。

「――そこまでにしましょう。これ以上はショックで倒れる者が出かねません」

 耳の中にこだまする地獄は、聖女様の制止でようやく終わった。耳を塞いで震えていた者達も、恐る恐る手を降ろし始める。

 だが本番はここからだ。

 大司教への詰問が始まった。

 この記録を知っているか? いつのものか? 実験を命令したのは誰か? 実験の犠牲者達をどう集めたのか?

「あなた以外にこの実験が行われていることを知っている聖職者はいますか?」

「うん、いるとも」

「ではその者の名を挙げてください」

「まあ、まずは吾輩の父――グランドラ・ココアだね」

 現法王の名は真っ先に告げられた。

 この言葉を民衆の前で証言させるために、ザインはオレの前に現れたんだ。

 次いで告げられたのは、現ココア枢機卿、その妻、その息子三人、大司教の妻、大司教の息子、そして――

「それから吾輩の娘――ティピカ・コフィー」

 その名を聞く聖女様の心の内はどんなものだろうか。

 ただの護衛役と呼ぶには躊躇するほどの親しみを持っていたらしい。間違いなく友人の一人だと。

 だが、そう思っていたのは聖女様の方だけだった。

 ティピカ・コフィーは、現在、寺院兵団によって拘束されている。問答の末、あいつは聖女様に刃を向けた。その場にはオレもいたが、それはあまりにも見苦しい姿だった。

 聖女様の覚悟は強く、悲愴なものだ。家族も、最も近しい親戚も、民の命のために売らなければならない。まるで悪夢の中にいるようだろうに、しっかりと現実として見ている。

「……これで法王は終わりだな。しかも一族丸ごと。枢機卿家と大司教家が同時に無くなるなんて、前代未聞じゃないか?」

 軽口でも叩かなければやっていられないと、ザインに話しかけたが、ザインは舞台をまだジッと見ていた。

「それから……? 最後に、ではなく? ……マックス、意識を逸らすな。まだ続きがある」

「何……!?」

 ザインに言われ、視線を舞台に戻すと、大司教はまだ口を閉じていなかった。

「――そうそう、吾輩の友、カプチーノ司教を忘れてはいけないな」

 想定外の名が告げられ、広場中に驚愕が広がっていく。

「それから――ああ、大事な友を忘れるところだった――エスプレッソ大司祭」

 その名が告げられた瞬間、たぶんオレ達は全員が同じ方向に視線を向けた。

「彼女も、その娘夫婦も――そして孫娘も、吾輩の実験の賛同者だよ」

 視線の遥か先で、妖しい微笑みを残してピンク色の長い髪がひるがえる。

「逃がすなソレイユっ!」

「承知した!」

 ピンク色の長髪を追って、金髪のエルフが聴衆の中を駆けていった。

 まあ、ソレイユに任せておけば大丈夫だろ。

「しっかし、まさかあの嬢ちゃんまで関わっていたとはなあ……」

「ちっ、完全にミスだな……。法王のことばかりで実験関係者の確認を怠っていた」

 ピンク色の長髪の持ち主の名は、ルイザ・エスプレッソ。

 妙に語尾が間延びするのが特徴の少女で、聖女様の側付きの一人だ。今朝も普通に話していた相手だったんだがな……。

「俺達が何をするつもりか探っていたんだろうが……話し合いの参加者を絞っていて正解だったな」

「まさか当日に自分のことがバレるとは、あの嬢ちゃんも思っていなかっただろうな」

「まあ、少々予定外ではあるが、許容範囲内だ。計画を続行する」

「聖女様には酷だがな……」

 言いつつ、聴衆達の後ろの方へ移動する。

 その更に向こうで二つの集団が睨み合っていた。背中を見せている方が寺院兵団で、顔が見える方がリスティング兵団だ。寺院兵団の中には筆頭軍師アルデバラン・バートルの姿も見える。

 さて、そろそろ出番だ。

 一度深呼吸して動揺を抑え込んだ聖女様が、再び聴衆に向かって呼びかける。

 法王は民の命など何とも思っていないって。民の声など聞く気はないって。

「必要なのは変革です。そして変革を成すには、法王を変えなければなりません。命を慈しむ法王に。民の声を聞く法王に。さあ、法国民達よ、共に立ち上がりましょう。残虐無慈悲な法王を討つために!」

 その呼びかけに、聴衆の二割ほどが腕を振り上げて歓声で応えた。

 ……少ない。

 だが、わかっていたことだ。

 以前、ザインが言っていたことを思い出す。

「パンドラの権威は、あくまで法王ありきのものだ。たとえ法王の権威を多少貶めたとしても、単独で法王に対抗できるわけではない。呼びかけに応えるのは二割か三割といったところだろう。ましてパンドラには権力が無い。賛同する民衆を暴力から守ることはできん。最初に応えた民衆も、それに気付けば徐々に離れていくだろう」

 じゃあどうしたらいい? ってオレは問うた。

「必要なのは時間とタイミングだ。人間の感情には上限がある。そして人間というものは、プラスにプラスを重ねるよりも、マイナスからプラスになった方がより増えたと錯覚しがちだ。心が離れかけた者を、一人でも多くその場に留めろ。『もう少しだけ聞いていかないか? 面白いものが見られるぞ』――それくらいの説得で構わん」

 ザインは気軽にやれって言ったが、心が離れかけた者っていうのをどう見分けたらいいかがわからなかった。

 だからこう訊いたんだ――何かコツとかあるか? って。

 そうしたらザインはこう答えた。

「そうだな……最もわかりやすいのは失望だ。故に――項垂れる者にこそ声をかけろ」

 ザインの言葉を、周囲に集まった連中に伝える。

 こいつらは、オレやヒバリが一か月半の間に声をかけまくった冒険者達だ。

 依頼内容は単純。広場から出ていこうとする奴に声をかけ、「もう少しだけ聞いていかないか?」と誘うだけだ。

 なぜそうするのかは何も伝えていない。聖女様の演説内容だって「冒険者のためになることだ」としか言っていなかった。

 それでも集まって、かつ残ってくれた連中に「よろしく頼む!」って言って、自分も声をかけに歩き回る。

 項垂れる者――そいつらは諦めかけた奴らだ。聖女様の言葉に希望を見て、何の力もない自分を見て、聖女様にも力が無いことに気付いて、どうせ何も変えられないんだって目を逸らした奴らだ。

 だが違う、そうじゃない。

 力が無ければ何も変えられないなんて幻想だ。

 目を逸らすな。自分だけを見るな。聖女様だけを見るな。

 項垂れていたら、自分がどれだけ大きな力の中にいるかわからなくなる。

 周りを見ろ。周りにいる奴らの数を見ろ。

 それでもわかりやすい力を示してほしいなら、あと少しだけそこにいてくれ。

 一人でも多くその場に留めろ。それが未来の冒険者達のためになる。

 ザインはあくどい奴だ。悪辣な奴だ。

 だが、そんな悪辣な智謀を――オレは確かに信じている。




 その日、大寺院前の広場を飲み込んだ最も大きな歓声は、間違いなく、寺院兵団総長スコッチ・チャンクが舞台の上に現れたその瞬間だった。

 旧版はここまでになります。

 以降は25話目「すげ替える首を選ぶべきは」につながります。

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