21 変革の波は静かに動き出すものじゃ(前)
思えば、儂がそやつに会うたのが、全ての転機じゃったんじゃろ。
あれは、一週間の死闘を経て、ようやくボルト獣帝国の戦闘狂が帰り、その後始末もそろそろ目処がつきそうじゃという日のことじゃった。
戦闘狂っちゅうのはアレじゃ、金髪碧眼で儂に負けず劣らず筋骨隆々の猫系獣人の男がいたじゃろ? あやつじゃ。
名はアルナイル・ビスタ・ボルト。ここ数十年で急拡大した獣帝国の三代目皇帝じゃ。あやつのような猫系獣人は、確か雷虎族とか言うたかのう……。
……全く、あの戦闘狂め、やりすぎることがないからと容赦なく殴りおって。
いくら全て治るっちゅうても、痛いのに変わりはないんじゃぞ……。
しかもあやつの拳はな、殴られるたびにビリビリしてうっとうしいんじゃ。
部下を守るためとはいえ、さすがに辟易してくるわい。
結局、一週間殴り合いに付き合うたら満足して帰りおったしな。
部下共は部下共で、一日目は互いに睨み合うとるだけじゃったが、二日目からは互いに代表を出して交流試合を始める始末。
全く、送られてきた宣戦布告書は何じゃったんじゃ……。
クラッカーの狸め、何が「せいぜい小競り合いで済むことを祈っている」じゃ。戦争どころか、ただの戦闘狂のストレス発散ではないか!
あやつは儂を猫の爪とぎか何かと勘違いしとるんじゃなかろうな!?
「まあ、でも実際、総長は大概のことじゃあ傷つきませんからねえ」
「バラン、お主まで儂を猫の爪とぎ扱いか! 肉体は傷つかんでも精神は傷つくんじゃぞ!?」
「あっはっはっはっは、総長は心も体もアダマンタイトじゃないですか」
「それじゃと儂、ただの金属の塊なんじゃが」
「良いじゃないですか、ものすごく高値で売れますよ?」
「良くないわい……」
いつの間にか部屋の中にいて、儂を茶化してきたこやつは、メビウス法国寺院兵団の筆頭軍師じゃ。
名はアルデバラン・バートル。灰色の髪に緑色の瞳を持つ褐色肌の狼系獣人の男じゃ。
どこで見つけてきたのか知らんが、絶妙にダサい丸眼鏡をかけとるのが特徴と言えば特徴かのう……。
あと、間違いなく儂の部下なんじゃが、事あるごとに上司であるはずの儂をおちょくってきおるのも特徴じゃな。
「っちゅうか、お主、いつの間に来たんじゃ? ノックぐらいせい」
「残念ながらそれは無理ですね」
「……? なぜじゃ?」
「そこの空いている窓から来たもので」
「なるほど、よくわかった、次に扉から来んかったら窓から投げ捨ててやるから覚悟せい!」
「あっはっはっはっは、二階から投げ捨てられたところでボクは平気ですよ?」
「心配せんでも獣帝国側の関所まで投げてやるわい!」
「それはさすがに怖いですね。わかりました、次に来る時はきちんと扉からノックをした上で来ましょう」
「……言うとくが、次だけじゃなくずっとじゃぞ?」
「あっはっはっはっは。…………」
「おい、返事をせんか!?」
こやつ、次々回からはまた妙な方法で部屋に入るつもりじゃな……。
全く、なぜこんな奴が寺院兵団の筆頭軍師なんじゃ……。まあ、確かに能力は突出しとるがのう……。
ため息しか出んわ。
「……で? 何ぞ用か?」
「ああ、はい、そうでしたそうでした」
バランはわざとらしく一拍し、用件を告げた。
「何……? ヒバリが来とるのか?」
「はい、お客人を三人連れて。総長に会いたいそうですよ?」
「ふむ……」
ヒバリ・マニ。
S級冒険者パーティー「天輪」のリーダーにして、自身もS級冒険者である女じゃ。
その容姿と性根の良さから、一部からは本物の天使じゃと崇められとる。儂も何度か会う機会があったが、実に心優しき女じゃった。……できることならこのおちょくり部下と交換してくれんかのう……。
まあ、直接的な接点はないから無理じゃがな。……とはいえ、間接的な接点はいくつもある。それも、極太の接点が。
「……どう思う、バラン? ヒバリ本人の用件じゃと思うか?」
「あり得ませんね」
儂の問いをバランは即否定した。
「ヒバリは我が国に入ったご友人のもとへ向かったはずです。連れてきたお客人の一人が金髪金眼のエルフの女性だそうですし、合流したのは間違いないでしょう。ですが、そのご友人にもヒバリにも、総長に会いたがる理由があるとは考えられません」
「ふむ……ならば残りの二人か……。どんな奴じゃ?」
「一人は黒髪金眼の若い男性、もう一人は白髪紅眼の狐系獣人の少女ですね」
若い男に狐系獣人の小娘……どちらも覚えが無いのう……。
「……まあ、会うだけ会うてみるか……」
「あ、総長、ボクも同席して良いですか?」
「構わんが……何ぞ懸念でもあるのか?」
「ええ、まあ、少しだけ」
バランは言葉を濁したが、こやつが進んで人に会おうとするのはかなり珍しい。それだけ重要なことなんじゃろ。
「――待たせたのう」
ヒバリ達を待たせとる応接室へ入り、椅子の前へ移動する間にさっと観察する。
四人の訪問客は向かい合った二つの二人掛けのソファにわかれて座っとった。
奥の右におるヒバリはまあ良い。緩くウェーブを描く薄く緑がかった金髪に、優しげに垂れた翠の瞳、背中に生えた白い翼、そして頭上に輝く魔力の輪。以前、会うた時とさほど変わらん姿で会釈した。……いや、あの時より目の輝きが強いのう……何をそんなにワクワクしとるんじゃ、こやつ……?
次じゃ。透き通るような金髪に、強い意志を感じさせる金眼、そして細長く尖った耳。隣におるこれがヒバリの友人、「武芸百般」のソレイユか。エルフにしては珍しく、魔法は全く使わず、魔力を纏わせた武器で戦い、そしてこれまた珍しく、弓以外に槍も剣も使うと聞く。ある意味極端であり、ある意味多芸である武芸者じゃな。あの戦闘狂が気に入りそうなタイプじゃ。儂に対しては……ふむ……武芸者としての敬意は感じる。良くもないが悪くもないっちゅうところか。……それにしても、感じる魔力の流れが恐ろしく正確で速いのう……ヒバリと並んでも遜色ない存在感じゃわい。
さて、ここからが問題じゃ。
まずは手前左、ソレイユの対面におる小娘の方から。やたら真っ白な髪に、同じくやたら真っ白な肌、その中で異彩を放つ紅い瞳。頭の上には三角形の耳があり、そしてフサフサの尻尾を怯えるように縮こまらせとる。姿形は確かに狐系獣人じゃが、色合いが今まで見てきた狐系獣人と全く異なるのう。……にしても、弱いのう……ようやくひよっこを卒業したっちゅうところか……。基礎はできとるが、魔法師としてはまだまだ――ん……? こやつ、腕と脚からより強く魔力を感じる……もしや、魔法師ではないのか……!? となると、評価は保留じゃな。儂に対しては……怯え、拒絶、罪悪感……ああ、ただの人見知りじゃな、こやつ……。
最後に――四人の中で唯一の男。ありふれた黒髪に、どこか人を惹きつける金眼。ソレイユとは逆に、感じる魔力の流れがほとんど停滞しとる。瞳以外は凡庸としか言いようがないのう。……じゃが、それが逆に恐ろしい。こやつめ――間違いなく強い。パッと見は一兵卒程度の実力にしか見えんがのう。つまり、こやつの強さは目に見えんところにあるっちゅうことじゃな。しかもこやつ、さっきから儂を観察しとる。応接室に入ってきてからずっとじゃ。ほれ、今も目が合うたぞ。
「…………」
「…………」
ふん……何も言わん、か。
「……さて、まずは久しいのう、ヒバリ」
「ええ、ご無沙汰してるわね、スコッチさん」
「今日は何ぞ、連れもおるようじゃが……ひとまず紹介してくれんかのう?」
「もちろんよ」
ヒバリはやはり最初に金髪金眼のエルフの女を紹介した。
「彼女はソレイユ。A級冒険者で、お姉さんの友人よ」
「お初にお目にかかる、チャンク閣下。ソレイユと申す。お噂はかねがね」
「ふむ……A級冒険者、か……の割に聞いたことない名じゃのう……」
「私の主な活動地域はボルト獣帝国や北方の小国家群なので」
「なるほどのう、それでか……。ところで、名しか名乗らんじゃったが、追放でもされたのか?」
「いえ……我が故郷はもう無く……」
「何と……そうじゃったか……。それは悪いことを聞いたのう」
「お気になさらず」
エルフは故郷を大切にする種族じゃ。奴らは姓を持たんが、代わりに故郷の名を用いる。そのエルフが名だけを名乗ったならば、それは故郷を追放された者か、故郷を無くした者かのどちらかじゃ。……まあ、大抵の場合は前者じゃがのう。
「ちなみに、職種に付随して名乗る場合は省略する者が多い。エルフとしての自分と職種としての自分は別、ということだな」
やり取りの意味を訊いた獣人の小娘に、金眼の男が小声で説明しとった。
こやつら、儂の目の前でようやりおるわ……。儂が高位聖職者じゃったら怒って追い出しとるぞ。
まあ、この程度で怒りはせんと見抜かれとるだけじゃろうがのう。
次にヒバリが紹介したのは、金眼の男――っちゅうより、残りの二人じゃった。
「彼はザインザード。C級冒険者で、お姉さんの戦友よ。その隣のカロンは彼の弟子で、お姉さんとソレイユの弟子でもあるわ」
「は……?」
「お目にかかれ光栄です、スコッチ・チャンク閣下。ザインザード・ブラッドハイドと申します。こちらは弟子のカロン。閣下に比べれば非才なる身ではございますが、ヒバリ殿の申された通り、冒険者をしております。以後お見知りおきいただければ幸いです」
「あ、ああ……こちらこそよろしゅう頼む。――ってそうじゃないわい! ヒバリお主今何と言った!? そこな小娘が弟子!? お主と友人と戦友の!?」
「お姉さんとソレイユは臨時だけれどね」
「臨時とかそういう問題じゃないわい!」
ヒバリが弟子を取ったこと自体が大問題じゃ。
こやつ、自分の影響力をわかっとらんのか!?
「お主は法国冒険者のトップなんじゃぞ!? お主に弟子入りしたい奴がどれだけいると思っとる!」
「???」
「ダメじゃわかっとらんこやつ!!」
問題は冒険者だけではない。こやつを本物の天使じゃと崇めとる連中にとって、その弟子は言わば聖人。ややこしい事態になるのが目に見えとるわい。
「……お主ら、今の話、儂以外にしとらんじゃろうな……?」
「え? うぅん……たぶんしてない、わよね?」
「していないはずだ」
「してはおらんが――カロンはヒバリのことを『先生』と呼んでいる。相手の解釈によっては、したも同然ではないか?」
「な、なんじゃと……!?」
金眼の男――ザインザードの指摘に頭を抱える。
遅かったか……!
もはやどうにも…………いや……まだ明言しとらんなら何とかなるかのう……?
「んぐぐぐぐっ……致し方ない、のう……。せめてもの逃げ道じゃ、以後、明言は避けよ」
「……? どうして?」
「そうじゃったこやつわかっとらんのじゃった……」
同じように首を傾げとる他の三人にもわかるように言葉を選び、その危険性を説いた。
「――つまり、他の冒険者から要らぬ嫉妬を買うばかりじゃなく、聖女を擁するメビウス教主流派の反感も買うと」
「その通りじゃ。面倒ごとは避けたいじゃろ?」
「うぅん……お姉さんとしては、カロンちゃんがお姉さんの弟子を名乗りたいなら全力で擁護するんだけれど……」
「あぅ……ウチんせいで主様に迷惑がかかるとは……」
「そうよね……。それじゃあ、呼び方を変えましょうか。ヒバリさん、とかどうかしら?」
「ふぇ……ひ、ヒバリシャン……」
「あらあら、緊張でカチコチね。少し練習が必要みたい」
理解も得られたことじゃし、これで一安心かのう……。
やれやれじゃわい……。
……っと、そうじゃ、ザインザードとのあいさつをぶち切ったままじゃったな。
「……聖女……そういうのもいるのか……。しかも主流派……ふむ…………ならばここは……」
じゃが、当の本人は何やらブツブツと呟きながら考えごとをしとった。
これは話しかけて良いのかのう……?
迷っとる間に、ザインザードが儂の視線に気付き、居住まいを正した。
「これは失礼しました、閣下。ごあいさつの途中でしたね」
「いや、ぶち切ったのは儂じゃ。頭を下げるなら儂の方じゃろ。すまんかったのう」
「ではお互い様ということで」
ザインザードの提案に笑顔で頷く。
ふむ……間違いないのう……。こやつが一番のくせ者じゃな。
儂が話をぶち切っても全く気にせず、むしろ自分の中の何らかの思惑とすり合わせ、そしてそれを取り繕うともせん。
儂の心証とかどうでもよいと思っとる証左じゃ。
確信したわい。ヒバリもその友人のソレイユもあくまで「オマケ」。今回の訪問はこの男が主となって行われたもの。さて……儂に何を求めとるのかのう……。
「ところで……先ほどから気になっていたんですが、閣下の左におられる方は?」
まあ、真っ先に気になるのは普通そこじゃよなあ……。
ザインザードが視線を向けた先におるのは、言わずもがなバランじゃった。
「こやつはアルデバラン。同席したいっちゅうので連れてきた。事後承諾になるが、別にかまわんじゃろ?」
「……別に怪しい者じゃありませんのでご安心を。寺院兵団総司令部所属筆頭軍師のアルデバラン・バートルと申します」
「軍師……」
「バラン君、久しぶりね。ザイン君、ソレイユ、カロンちゃん、彼のことはお姉さんも知ってるから大丈夫よ」
「ヒバリが構わないなら私も構わないが…………ザインザード?」
「……? ザイン君?」
「ふぇっ……あぅっ……あ、主様……?」
「………………ん? ……ああ、俺も構わん」
こやつ、また自分の考えごとに没頭しとったな……。視線が集まっとることにも気付かず、慌てた隣の小娘が小突いてようやく気付く始末。しかもさっきまでのやけに丁寧な口調が剥がれ、妙に尊大な口調になっとる。まあ、こっちが素じゃな。
っちゅうか、今のはバランが名乗っただけじゃろ? どこにそんな考え込む要素があるんじゃ……。
本人以外の全員が呆れる中、
「――いや、むしろちょうどいい」
ザインザードはそうのたまい、
「寺院兵団スコッチ・チャンク。同じく筆頭軍師アルデバラン・バートル。S級冒険者ヒバリ・マニ」
儂らを一人ずつ指差したあと、
「貴殿ら――」
唐突に、特大の爆弾を投下した。
「――クーデターを起こす気はないか?」
…………こやつ、ホントはとんでもないアホなんじゃなかろうな……?