閑話 陽光はあまねく者に降り注ぐもの
私がラプラス皇国へと戻ったのは、まだまだ寒さが続く初春の頃だった。
結局、右足の負傷が完治して元の感覚を取り戻すまで一か月近くかかり、その間世話になった礼と詫びを兼ねて、一か月ほど各地のモンスター討伐を手伝った結果、メビウス法国での滞在期間は半年近くに及んでいた。
さすがにこれはマズいと思い、ダラダラと滞在を引き延ばそうとしてくるヒバリの魔手を振り払って帰路についたのが年明けの頃。ボルト獣帝国の帝都テスラにある冒険者ギルド本部に帰還の報告をした時には、さらに一か月以上が過ぎていた。
そのまま獣帝国に留まらず、皇国に戻ったのは、いつの間にか壊れていた「遠見の鏡」の代わりを得るためというのもあるが……まあ、少し思うところがあったからだ。
皇都エミールは何も変わらず安穏とした空気が流れていた。ここに来ると、法国での騒動が遠い過去の出来事かのように思えてくる。
街門をくぐると目の前には大きな通りがあり、その両側に整然と並ぶ全ての家は壁が白く塗られている。漆喰だ。家の前じゃ、商人が露店を開いていたり、職人が工芸品を作っていたり、その横で徒弟がそれを売っていたりする。そんな光景が大通りの先までずっと続き、その騒々しさに馬車が通る音がたまに混じる。
大通りには一定間隔で路地があって、子ども達が遊んでいたり、母親達がたわいもない話に花を咲かせていたり、衛兵が年寄りと荷物を背負って歩いていたり、素行の悪い冒険者達が新人達に絡んでいたりした。
最後のはテキトウに片を付けておいたが、それが皇都エミールの日常風景だ。
「ここか……」
大通りをひたすら真っ直ぐ進めば神殿に着くが、私の目的地はそこじゃなく、その手前にある建物だった。
目の前には三階建ての大きな建築物があり、その奥には広大な敷地がある。そしてその門扉の柱には、刃に目のマークがある剣が彫られていた。
目のマークはラプラス教の象徴だ。それが剣にあるということは――つまり、そこはラプラス教の神殿騎士団が管理する場所だということを示していた。
「えーっと…………大丈夫か……?」
「………………」
ところで、その門扉に神殿騎士団の団員と思われる者がくたびれた布団のように引っかかっていたのだが、私はどうすればいいのだろうか? ちなみに、返事はないがしかばねじゃないようだった。
「…………」
しばらく様子を見ていたが、その者は何も語らず、ただ右手で気にせず入るように示した。神殿騎士団への不安が増したのは言うまでもない。
しかし、入ってからは普通だった。
普通に用件を聞かれ、普通に案内され、普通の入団試験を受けた。いやまあ、私が神殿騎士団に入ろうとしていることも気になるだろうが、それは一先ず置いておいて、ならば私が門扉で見たあのくたびれた布団はいったい何だったのか。
案内してくれた団員に訊いたものの、
「ああ……いつものことですので」
と普通の笑顔で言われてしまった。
……不安は増すばかりだ。
はやまっただろうか……。
私が神殿騎士団の門を叩いた理由というか、キッカケというか、ともかくその要因は、全くもって認めたくない上に非常に業腹だが、やはり黒髪金眼のあの男だった。
メビウス第六明王――地獄道との戦いで、私の心は一度折れた。絶鬼神を名乗ったマガツという鬼――私はあれに対して、決して勝てない、という思いを確かに抱いたのだ。
しかし、その結果は、あの男がたった一人で逆転して終わるというものだった。
あの男が怒涛のように言ったことはよくわからなかったが、私に与えられた「創製の光」という力が日中に最大の出力を発揮するように、あの男に与えられた「異端の影」という力は夜間に最大の出力を発揮するのだろう。
あの時はそこまでで思考が止まっていた。
しかし、大寺院の一角で療養しながら、ヒバリの相談相手になっていた時に、ふと疑問が生じたのだ。
――あの黒き多腕の巨人と、私の巨大な光の武具は、本当に同等の出力なのか?
ラプラス様曰く、「使徒一人ひとりに与えた力は同等」らしい。ただし、ラプラス様への信仰心を力の源としている関係上、ラプラス教の中での地位が上がるほど、加算的に出力は上がっていくのだとか。だから、基本的にはあの教皇の力が最も強く、幼子の守護聖人と呼ばれる使徒が次点で、他は使徒であることを明かしていないからほぼ同じなのだと。
そこで先ほどの疑問に戻る。
あの男は黒き多腕の巨人でマガツ達を圧倒していた。しかし、マガツ一人に私の攻撃はことごとく通じなかった。
与えられた力が同等ならば、この差はいったいどこから来るのか。
悩む私に気付きをもたらしたのは、新たな法王となったヒバリだった。
まだ私が法国にいたある日のこと。ヒバリはまたしても政務室を抜け出し、私が療養している部屋へとやってきていた。
「う~……、助けてヒマワリちゃーん!!」
「今度はいったいどうしたというのだ……」
呆れつつも話を聞けば、コーラ枢機卿の後任をどうするかでモメているのだという。
知っての通り、クーデターによってヒバリは法王の椅子を得た。そのクーデターじゃ二人の枢機卿が亡くなったが、ココア枢機卿の椅子は、まあ、クーデターによって得たようなものだったから、最も協力的だったサイダー大司教が座ることに異議は出なかったらしい。
しかし、コーラ枢機卿の椅子は違う。表向きには、コーラ枢機卿は賊によって殺されたことになっている。実際には、メビウス第五明王――餓鬼道だったコーラ枢機卿を殺したのは私達だが……。
ヒバリとしては、ここに鬼人か獣人――というか、メビウス第二明王――人間道であるカペラ・バートルを座らせたい。そうすれば、ヒバリに何かあったとしても、翼人や鬼人、獣人が聖職者になる道が途絶えることはないからだ。
サイダー新枢機卿は冒険者マニアらしく、元冒険者であるカペラなら、と肯定的だったが、条件として「彼女が明王の一人であると周知すること」を提示した。
法国が獣帝国と敵対的なこともあり、カペラは自身が明王であると明かさずにいたが、ヒバリが法王となったことで、法国民の間じゃ獣人に対する意識も変わってきているらしい。今ならば受け入れられる可能性は高いだろう。まあ、カペラはヒバリをずいぶんと慕っているようだったから、ヒバリが言えば頷くような気もしたが。
ところが、さすがにそこまで譲歩はできない、と残る最後の一人、ラッシー枢機卿が難色を示した。とはいえ、ヒバリもラッシー枢機卿を無視してまでこの件を強行したくはない――というところで困ってしまい、こうして私に泣きついてきたわけだ。
「お願い、ラッシー枢機卿を説得するの手伝って!」
「えぇ~……」
明らかに面倒くさそうなお願いに、不満げなため息が出たのは言うまでもない。
まあ、その話を長々とする気はない。
結局、クーデターで得たコフィー大司教の椅子に、ラッシー枢機卿の選んだ者を座らせる、という条件と交換で承諾を得られた。実質的に次期枢機卿の椅子なのだから、ラッシー枢機卿も悪い気はしないだろう、という予想が見事に的中したわけだ。
……むしろ、ヒバリを説得する方が大変だった……。
あの男から手紙が届いたのもその頃のことだ。内容が「カペラ・バートルが明王の一人だと公表する予定があるなら、年内にやってくれ」という、こちらの動きを予測していたかのようなものだったのには、相変わらずだなと苦笑したが。
――そこで記憶がつながったのだ。コーラ枢機卿との戦いで、あの男が最後に何をしたか、ということに。
私とヒバリが囮になり、コーラ枢機卿の視線を誘導。影の壁の向こうから密かに近づいたあの男が魔力のチャクラムをコーラ枢機卿の首にかけ、最後にヒバリが明王としての力を使い、その首を切断する――というのがあの男の立てた作戦だった。
私が思い出したのは、ヒバリが魔力で創り出したチャクラムを、あの男が当たり前のように持ち運んだという点だ。
コーラ枢機卿の視界にヒバリがいなければ囮として機能しない以上(コーラ枢機卿の目的はヒバリを通さないことだったらしい)、ヒバリがチャクラムを飛ばして首にかけることは不可能だった。しかし、コーラ枢機卿の動きは見た目に反して俊敏で、私やあの男の攻撃は回避される可能性が高い。確実に殺さなければ自爆しかねないという予想もあり、あの男はあくまで一撃必殺にこだわった。
その結果があの作戦だったわけだが……魔力のチャクラムをつかんで運ぶという荒技は目からうろこが落ちた思いだった。なるほど、そういうことも可能なのだな、と。もちろん、素手でつかめば切れてしまうが、あの男の場合は影の鎧の応用で手を覆えば何の問題もなかった。
ならば――私の光の武具はどうなのか?
記憶がつながった先というか、ようやく心の整理がついたのだろうという時に、ふと浮かんだのは、そんな疑問だった。
今は亡きメビウス第三明王――修羅道のスコッチ・チャンクに指摘されたことで、光の武具がストックできることはわかっている。
じゃあ、それを他人が使うことは可能なのか?
その答えを得たからこそ、私は神殿騎士団の門を叩いた。
……何のことはない。私はようやく、自身の願いを自覚できたのだ。
どんな敵とも戦える英雄――そんな存在になりたい、と私が願ったのは――
――あの日、あの時、あの場所で……本当は、故郷の皆と共に戦いたかったからなのだと。
臆病者で、卑怯者で、弱くて弱くて、弱さを言い訳に諦めるような私でも、どんな敵とも戦える英雄だったなら、皆と共に故郷を守ることができたかもしれない、と。
そんな、ありもしない可能性に縋るような、後悔まみれの虚飾こそが、私の願いの正体だった。
「ソレイユだ。よろしく頼む」
数日後、新人団員としてあいさつした時も、先輩方はいたって普通だった。
その中に、門扉でくたびれた布団になっていた者もいたが……。まあ、あえて触れまい。
敬語は早々に、というか入団試験の時点でやめろと言われた。現役のA級冒険者にかしこまられると逆に困るらしい。気にしなくてもいいのだがな……。
前評判通り、神殿騎士団は精鋭揃いだった。一般団員でB級冒険者程度の実力があるし、隊長ともなればA級に匹敵する。団長や副団長は、一般団員と実力差がありすぎて、その片鱗しか見ることはできなかったが、少なくともグレン・スパナ団長はS級に届いていそうだった。……しかし、あの魔力の斬撃を飛ばす技……覚えたいな……。
もちろん、私と一般団員の実力にも差はあったが、あくまで訓練だ。圧倒する必要はない。丁寧に基礎を確認し合い――
「「「「おぉ~……」」」」
――いやなぜそこで歓声が上がる???
「いや、さすがだと思ってな」
「基礎からして出来が違うっつうか……」
「今度、見習い達の訓練にも参加しませんか? あなたが教官役なら、普段、基礎をおろそかにしがちな見習い達も心構えを変えるかもしれません」
「それは構わないが……見習いがいるのか?」
「入団試験で惜しいところまでいった者達を集めて訓練しているのです。うちの入団試験はかなり厳しいですから、そうでもしないとなかなか新人が入らなくて」
「そうか……」
普通だと思っていたが、あの入団試験は厳しい方だったのか……。確かに、妙な殺意を感じはしたが。
それにしても……基礎を褒められるのはこれで二度目だな……。まあ、あんな面映ゆい台詞を吐くのはあの男だけだろうが。
訓練のあとは街中の見回りだった。
もちろん、衛兵隊はいるし、神殿騎士団の業務は主に神殿内部の警護や案内だが、それだけじゃ人員が余るらしい。それに、ラプラス皇国の衛兵隊は、軍隊というよりも自警団に近い。手に余る事件が起きた時、街中に神殿騎士団がいるのと、神殿にしかいないのとじゃ大きな差がある。
だから、新人団員である私も街中の見回りをするよう命じられたのだが……。
「「「「お疲れ様です!!!」」」」
「……………」
なぜか、行く先々で冒険者達に大仰なあいさつをされるのだ。
「ソレイユと一緒だと、素行の悪い冒険者達もすぐに大人しくなって、楽でいいですね」
「いやまあ、それはいいことなのだが……」
なぜ、人の好さそうな者達にまで怯えられているのだろうか……?
あれじゃ、私が暴君みたいじゃないか……。
「――はもう強いんですよ! アングリーベアーなんて一刀両断! だから、『圧殺の日輪姫』ことソレイユさんに会った時は、まず自分が敵じゃないってことを猛アピールするんです! 敵だと思われたら一巻の終わでゅふんっ!??」
「お前のせいか、クリス!!」
「痛たたた……あれ、誰かと思えばソレイユさんじゃないですか。こんにちは」
「ああ、こんにちは――じゃない! お前、根も葉もない噂を広めるのはやめろ!」
「え、アングリーベアー一刀両断できないんですか?」
「いやそれはできるが。そうじゃなくて、私は敵であっても見境なく斬りつけたりはしない!」
「でもボコボコにはするんですよね?」
「……まあ、九分九厘は……」
あれ? 私は意外と暴君だったのか……?
なお、その横で一部始終を見ていた新人冒険者が「すげえ……! 『圧殺の日輪姫』のゲンコツ、速すぎて全然見えなかったのもすげえけど、あれを喰らってピンピンしてるのもすげえ……!!」と驚愕していた。
まあ、皇国の冒険者ギルド本部脇にある酒場で働くこのクリスも使徒の一人だからな。レベルも高いし、私のゲンコツ程度じゃほとんどダメージがないのは当たり前だ。
……あと、その異名は胃がもぞもぞするからやめろ。
「よぉ、おめえがこの間入ったっつう新人か?」
普通じゃない先輩が現れたのは春の半ばのことだった。
この一か月、いつか使徒であることを明かすため、私は同僚達の信用と信頼を得ることに注力していた。
ようやく、入団試験の時に案内してくれたナズやツェレン、ニルダと、一緒に服を買いに行くまで仲良くなれたところだった。
「ああ。ソレイユだ。よろしく頼む」
「おれはジェイド・バスタード。第三隊の副隊長な」
ジェイド副隊長のどこが普通じゃないかというと、まず姿格好からして普通じゃない。
ツェレンによると、ジェイド副隊長の年齢は三十三。しかし、見た目は八歳ほどで、少年のようにも少女のようにも見える。まあ、鎧の胸に「おれは男だ!」とデカデカと書かれている以上、男なのは確かだろう。
次に普通じゃないと感じたのは、その喧嘩っ早さだ。
出会って一週間の間に、グレン団長との取っ組み合いを見ること十回、同僚との殴り合いを見ること五回。果たしてこれで副隊長に相応しいと言えるのか、とも思ったが、団長との取っ組み合いの九割はわざとやっていて、第三隊の団員と喧嘩することは全くないらしい。そして、地雷は容姿の話なのだとか。まあ、頷くしかないな。
さて、普通じゃないと感じた最後の点だが……。
それは、出会った最初の時のこと。
つまり、先ほどの自己紹介に続いて出た言葉だった。
「そして、ラプラス第三使徒――進化の土ドライでもある。よろしくな、第一使徒」
「……!!」
なお、使徒の力無しでのジェイド副隊長の実力はB級上位といったところだった。
「ちくしょぉ……この新人、強ぇ……!!!」
「………………」
何か子どもをイジメているみたいで嫌だな、この構図……。